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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第2章 トライアル
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61 イコライ & ケン VS サヤカ -Ⅲ-

「敵は反転上昇。一撃離脱狙いだ」ケンは言う。「追撃する。イコライ、援護しろ」

「了解」


 ケンはサヤカ機を追うため、少し加速した後、タイミングを見計らって急上昇する。イコライは緩やかに上昇して、高度を低く、速度を高く保ちつつ、必要があればいつでも急上昇してケンを助けられる体勢を維持する。


 首尾良く、ケンは垂直上昇の途中でサヤカ機を正面、機銃の射程内に捉えた。だが……


(追いつけない……!)


 垂直上昇から上方宙返りに入った相手に対して、わずかな差で追いつくことができなかった。


 距離が遠すぎるという意味ではない。機首をリード軌道に向けることができなかったのだ。目一杯に操縦桿を引いても、ケンが乗るJan-12の機首、すなわち、機銃の銃口は、敵機の尾部をわずかにかすめるぐらいまでしか届かなかった。相手は動いているから、いま撃っても全く当たらないのだ。


 どうやら敵は、普通ならエンジン全開を続ける上昇中に、ケンに気づかれないよう推力を緩めていたらしかった。上方宙返りでは推力が弱い方が小さく回れる。だから攻撃側が推力全開を続けていたら、リード軌道に入れない。


 偶然か? いや……。


(まさか……ここまで読んでいた?)


 追撃を受けたとしても、上昇の途中で推力を緩めればギリギリかわせると読み切った上で、最初から攻撃を組み立てていたのだとしたら……もしそうなら、後ろにいるケンではなく、前にいるイコライを狙ったのも納得できる。


 ケンが敵機を追いきれなかった理由は、推力を緩められたことの他にもう一つ、敵機がイコライとケンの間に入ったために、ケンが攻撃を開始した時の距離が近すぎたからだ。


 もし敵機が狙ったのがケンだったら、イコライと敵機との距離は十分遠く、イコライは大回りに旋回するだけで安々と敵機の後方に回り込めたはずだ。要するに、イコライとケンの隊形は近づき過ぎていて、敵にそこをつけ込まれたのである。


 もし、それら全てをわかっていてやったのだとしたら……このパイロット、とてつもない腕前だった。


 操縦に影響することこそなかったものの、ケンは頭の中でやや混乱する。イコライは確か、試験官には単価の安いパイロットが雇われているはずだと言っていた。しかし、目の前にいる相手は、どう見ても、その辺に転がってるような石コロとはわけが違う。


 一体、どういうことだ。




 ケンとサヤカ機が、上方宙返りの途中で速度を失い、まるで風を失った凧のようにゆっくりと落ち始めるのを、イコライは低空を旋回しながら見ていた。


 ケンがわずかに追いつくことができなかったのは、イコライの位置からでも確認できた。あれが偶然ではなく計算尽くだったとしたら、相手のパイロットがかなりの逸材であることも、イコライにはわかった。


 どういうことだ、とイコライもケンと同じことを思っていた。相手のパイロットは、一体どんなやつなんだ、と。


 候補者側と試験官は、試験前に会うことを禁止されている。昔、他の会社で、候補者が試験官に金銭を渡して便宜を図ってもらうという事件があって以降、業界全体で対策が取られたからだ。そのため、イコライは試験官がどんな人物なのかを知らない。


 しかし、それほど優秀で単価の高い人間ではないことは確かだった。単価の高いパイロットは売上に直結する仕事、つまり実戦に回される……ただ、最近では実技試験を専門に請け負う会社も現れていると聞くから、今回はそういうのを雇ったのだろうか。


 ……とはいえ、まあ、そんなことは試験が終わってから考えればいいことだ。


「スイッチだ、ケン」イコライは言う。「落ちてきたところを俺が狩る」


 そう言ってイコライは機体を少し上昇させ、落ちてきたサヤカ機を上手く捉えられるよう、遠すぎず近すぎない、ちょうどいい距離をキープする。




「チッ! めんどくせえな!」


 本来のサヤカの予定では、この時点でイコライは死んでいて、後は混乱するケンを追い回して、撃ち落とせばいいことになっていた。


 だがイコライに攻撃を回避されたので、予定が狂ってしまった。さすがのサヤカも、視認されていない状態からの射撃を避けられるとは思っていなかった。イコライとケンの連携は、サヤカの予想を上回っていたのだ。


 だが、勝負はまだこれからだ。


 失速気味に上方宙返りを終えたサヤカは、機首を真下に向けると、ぐるりと右に一回横転しながら、首を回して、周囲の状況を一瞬にして把握する。


 ケンは降下してサヤカを追撃したりせず、水平飛行に戻って速度の回復を優先していた。援護の構えだ。対して、イコライ機は上昇しながら大回りに旋回して、サヤカ機の背中を狙う気配を見せている。つまり攻撃の構えだ。なるほど、攻守を入れ替えたわけだ。


「だったら!」




 サヤカ機が上方宙返りの後に垂直降下を続けるのを見て、イコライは舌打ちした。上空から垂直降下してくる相手を、横や下から狙い撃つのは難しい。イコライは大回りな旋回を続けながら、速度を回復させるサヤカを、指をくわえて見ているしかなかった。


 こっちが攻撃の構えを見せているのはわかっているはずなのに……大した度胸、いや、冷静さだった。




 サヤカはイコライの追撃をかわせるぐらいに加速した後、機体をさらに横転させて、ケンの方向を向いて引き起こした。振り返って確認すると、イコライ機が素直に追ってくるのが見える。


 こうすることで、ケンとイコライ、双方に対して近距離を、すなわち、めまぐるしく相対位置が変わる状態を維持できる。


 普通の人間なら戸惑って動きが鈍るような混沌を、自分なら的確に、かつ自由に飛び回ることができると、サヤカは確信していた。


 だから、勝つのは自分だ。




 イコライから見ると、サヤカはイコライを無視してケンを追うことを優先したように見えた。


 現代のジェット戦闘機の速度は、どれも似たり寄ったりだ。このまま真っ直ぐ飛び続けたとしたら、相手に追いつかれることも、追いつくこともない。不毛だ。それに、もし実戦で敵を追って真っ直ぐ飛び続けとしたら、気がつくと敵の領空ど真ん中にいたなんてことも起こりうるので、実戦に即した試験かどうかという意味でも、このまま飛び続けるのはよくない。


 そこで、イコライは言った。


「ケン。悪いが囮になってくれ。合図したら左に九十度ブレイク」

「了解」

「……今だ!」


 ケンが左に急旋回。さあ、状況が動いた。どう出る?


 イコライの狙い通り、サヤカはケンを追って左に旋回。イコライはリード軌道に乗って……つまりサヤカの進行方向に針路を取って……一気に距離を詰めにかかる。


 だがその時、イコライは、サヤカの高度が妙に低いことに気づいた。

 始め、それはローヨーヨー、すなわち降下しながらの旋回に見えた。上にいるケンを相手にローヨーヨーは少し変だと思ったが……すぐに違うと気がつく。


(斜め下方宙返り!)


 サヤカは反転してイコライの方に突っ込んでくる。こちらの射撃は……間に合わない。リード角を取り過ぎていたせいで、内側に回り込まれる。撃たれるのはこちらだ。回避!


 イコライ、ハイGバレルロール。前進しながら、横倒しの螺旋を描くように飛ぶ。

 そのままサヤカ機と、わずかな距離ですれ違った。


 イコライは耳を澄ましたが、カイトは何も言ってこない。どうやら、仮装撃墜はされなかったらしい。またしてもスナップショットだったので、サヤカは再び射撃を見送ったのだ。


 ほっと胸をなで下ろしつつ、振り返って相手の様子を確認する。敵機は少しだけ加速した後、垂直上昇を始めた。宙返りにはギリギリの速度であり、やや無理をした感があったが、位置関係を考えれば、いまはイコライもケンも攻撃できないので、その機動は理に叶っていた。


 だがそれは、イコライたちの側に少しだけ話をする余裕が生まれたことを意味していた。


「おいケン」イコライは言った。「こいつは思ったより手強そうだ」

「同感だな」とケン。「安々とは勝たせてくれそうにない」


「これは賭けになるんだが……俺に一つ案がある」

「分の良い賭けなら乗ろう」


「ああ……あのパイロットがJan-12にしか乗ったことがなければ、多分成功すると思うんだが」


 そう前置きして、イコライは手短に説明を始めた。


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