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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第2章 トライアル
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60 イコライ & ケン VS サヤカ -Ⅱ-

 ドッグファイト試験のルールはこうだ。


 まず、両者ともに密集二機編隊を組みつつ、至近距離ですれ違う。


 すれ違った瞬間から試験開始。安全のため試験空域から出ないことと、高度千フィート以上を維持することが義務づけられてはいるが、それ以外は自由に機動できる。


 使用兵装は機関砲のみとし、試験官の両名もしくは試験対象者である一名ケンが仮想撃墜されれば、試験終了となる。


 ただ、必ずしも試験官を撃墜することが合格の条件ではない。もしそれができればほぼ確実に合格だが、そこまで優秀な候補者は滅多にいない。


 多数対多数で戦うことが多い実戦では、たとえ敵に追われていても味方の助けが来るまで粘る、もしくは、他の味方の盾になるために敵の注意を引きつけておくことができれば、新人にしては上出来と言える。つまり、後ろを取られても一定時間逃げ回ることができれば、試験には合格となることがほとんどだった。


 だが、もちろんイコライたちはそんな結果は望んでいない。

 やるからには撃墜するつもりで行くと、イコライとケンは決めていた。


「距離九〇〇フィート、針路よし。高度よし」

 無線から司会役のカイトの声が聞こえてくる。

「全機、衝突を避けるために針路を変えるな。約三十秒後にすれ違う……グッドラック」


 イコライは横を飛ぶケンを振り返ると、左手をスロットルから離して、親指を立てて見せた。キャノピーと大空を挟んだ向こう側にいる、ヘルメット姿のケンもまた、フライトグローブに包まれた手でサムズアップを返してくる。


 正面に向き直り、少し待つ。

 レーダーでは既に捉えている。HUDの中に浮かぶ、薄緑色のボックスが二つ。

 見えた。


「ヴィジュアルコンタクト。トゥーシップス、トゥエルブオクロック」


 空の中に浮かぶ、二つの点。

 急速に大きくなる。

 こっちへ近づいてくる。

 キャノピーの輪郭が見えた、と思ったら、そこからは早かった。

 あっという間に距離が縮まり、期待の細部が見えてくる。


 胴体と滑らかにつながった、幅広の一体成形翼。

 単発、単垂直尾翼。

 小型にして軽量でいながら、エンジンはパワフル。

 安価で整備性も良く、コストパフォーマンスに限って言えば、同世代機の中で群を抜いて優れている。

 SHILF国営造兵廠が開発したSHILF軍の制式戦闘機だが、貿易自由化後に輸出が解禁されて以降、連邦の民間軍事企業の間でもベストセラーとなった、傑作軽戦闘機。

 Jan-12。

 この試験の参加機四機のうち、実に三機(試験官の二機とケンが乗る一機)がこのJan-12なのだから、その人気ぶりがうかがえるというものだった。

 だが、イコライはJan-12なら何度も相手にしてきた。そうそう負ける気はしない。


 双方、相手を左に見る形ですれ違う。




 サヤカは、すれ違いざまに撃つことも一度は考えた。が、それでは一機撃墜できても、残る一機は取り逃がしてしまう可能性が高い。


 だから、もっと有利な位置についてから、続けざまに二機とも撃ち落とす。


 常人の考えではなかったが、サヤカは「自分ならできる」と思った。




「ブレイク!」


 合図すると同時に、イコライは横転して左へ旋回。ケンは下方宙返りを開始する。

 下方宙返りは、戦闘機が最も早くUターンする方法だ。通常なら戦闘機は旋回すると減速してしまうが、下方宙返りでは降下することによる重力の力で減速を補い、高速旋回を維持できる。


 そのため、敵機とすれ違った瞬間に下方宙返りを行うのは理にかなっている……ただ、これには一つ大きな問題があった。パイロットが敵機を目視し続けるのが難しいのだ。特に下方宙返りを始めた直後は、視界が完全に下を向くことになるので、どうしても相手を見失いやすい。


 だが、この問題には一つ上手い解決策がある。仲間の目を借りるのだ。一人が下方宙返りを行う間、もう一人が水平旋回を行って敵機を目視し続け、無線で指示して相棒を敵機へと誘導する……もちろん、言うほど簡単な芸当ではなかったが、イコライとケンには「できる」という自信があった。


「一機は下方宙返りだ」とイコライ。「このまま行くと正面やや右に見てすれ違う……右ハイヨーヨーを試してみろ。ダメならスイッチして俺が下方宙返りで叩く。ケンは上昇して援護してくれ」


「……ヴィジュアル・コンタクト、ワン。もう一機の位置は?」

「見失った」

「何?」


「おそらく上だが、確認できない。太陽の中かも……いや違うな。スリューアブルモードでレーダースキャンしたが反応がない……とにかく、いまはもう一機を攻撃すべきだ」


「大丈夫か?」

「ああ、近くにいないのは間違いない。敵は相互支援可能な距離にいない。各個撃破すべきだ」

「なるほど、良い案だ。わかった、まずハイヨーヨーを試す」


 イコライは操縦桿を握りしめながら、気分が良いな、と思った。話した言葉が、打って響いたかのように返ってくる。ケンは他人なのに、まるで自分の一部みたいに感じた。ろくに教育を受けてないパイロットじゃ、こうはいかない。


 絶対に、ケンと一緒に飛びたい。

 改めて、イコライはそう思った。


 ケンは敵機と再度すれ違う瞬間、上昇しながら右に旋回。後方占位を試みる。だが、さすがに見え透いた攻撃だったようで、敵機も同様に旋回してくると、角度がつきすぎて、射撃位置につけないまま引き離された。


「スイッチ!」


 イコライの声が聞こえると、ケンはすぐに急上昇に切り替えた。

 十分な高度を稼いだ後に水平に戻し、一瞬、ぐるりと首を回して周囲を警戒した後、敵機を見失わないうちにすぐに右下方を向いて、援護の体勢を取った。


 そのすぐ後に、イコライ機が機首を垂直に近い角度で雲面に向け、真っ逆さまに降ってきた。ケンとの旋回戦で速度を落とした敵機を、速度も高度も十分なイコライが捉えるのは容易かった。


「試験官Bの仮想撃墜を確認」無線からカイトの声。「試験官Bは方位一○○に転針し、直ちに空域を離脱せよ」


 大した腕だ、とケンは改めて感心する。いくら有利だったとは言え、普通はもう少し照準合わせに手間取ってもおかしくない。だがイコライは一発で仕留めた。SHILF軍の同僚の中にも、かつて対戦した連邦軍のパイロットの中にも、これほどの腕を持つ者は少なかった。


 頼もしいを通り越して、少し不気味だな、とは思わなくもない。

 だが、いまの自分にとっては、やはり頼もしい。


 それに……少し変わってるけど、良いやつだ、イコライは。

 屋敷での日々を思い出しながら、ケンは操縦桿を握る手に力を込める。




「へえ……捨て駒にしちゃ、なかなか使えるじゃん」


 高度一万八千フィートの上空……背面飛行中の戦闘機のコクピットから、全てを見下ろしていたサヤカは、そうつぶやいた後で、一気に操縦桿を引いた。機種が真下を向き、サヤカは正面に獲物を捉える。


「殺す!」




「俺は右を、ケンは左を捜索」

 言いながら、すでにイコライは首を右へと回して、キャノピーの向こう側、大空の中にいるであろう、たった一粒の点を探し始めていた。


「警戒しろ」とイコライ。「たぶん上からだが、どこにいるかはサッパリだ」


「最初の一撃さえ避ければどうにかなる」とケン。「二対一なんだからな」


「油断するな。何か嫌な予感がする……集中しろ」


 二人の位置関係は、イコライが前方やや低空、ケンがその後ろの上空だ。

 敵はさらに高空にいると思われたので、常識で考えれば、先に襲われるのはケンのはずだった。


 だが、


「コンタクト!」ケンは驚きと共に叫んだ。「直上! 急降下してくる、この軌道は……」

「喋ってないで回避しろ、ケン」

「違う!」ケンは叫んだ。「狙われてるのはお前だイコライ! ブレイクライト!」

「なっ!」


 イコライは返事をする間も惜しんで直ちに右へ急旋回。直後、ケンの前方、機銃射程外の距離を、敵機が急降下して通り過ぎる。だが、ケンは直ちに追撃しないことを選択する。距離が近い割に角度がきつすぎるので、いま追撃しても簡単に振り切られてしまう。上を取ったまま待機し、敵の機動を見極めた後、有利なタイミングで追撃した方が得策だった。


 ケンは身を乗り出して下方を覗き込み、追われるイコライと、追いかける敵機を見た。


「イコライ、敵はリード軌道に入ってる」

 リード軌道とは、前にいる敵機の進路上に機首を向ける軌道のことで、相手との距離を詰めるときや、機銃射撃の際に用いられる。


「合図したら左にブレイクしろ……今だ!」




「なっ!」


 サヤカは、仕留めたと思った獲物が、突然翼を翻したのを見て、さすがに狼狽した。イコライ機は一瞬だけ照準に入ったが、一瞬では確実に撃墜するには十分でないことから、サヤカは射撃を見送る。下手に不確実な射撃をして、実弾を持っていることをこの時点で知られるわけにはいかない。


「チッ! ……大人しく食われてりゃいいのに!」


 言いながら、サヤカは機体の体勢を水平に立て直し、左手のレバーを前に叩き込むように目一杯倒して、エンジン全開。


 急降下した時に得た速度も利用して、反転急速上昇へとつなげる。




「なかなか良い連携だ……特に、無理をして相手を追いかけなかったところが評価できる」


 その時、ギュンターは腕組みをしながら顎に手を当てて考え込む仕草を見せながら、そう口にした。


「にしても……試験官Aはなぜ撃たなかったんだ?」


 ギュンターの疑問はもっともだとカイトも思い、怪訝そうな顔をしつつも、それに答えた。


一瞬の射撃(スナップショット)だったから、撃墜できないと考えたのでは?」


「ナンセンスだ。スナップショットでも運良く弱点に当たれば撃墜できる。射撃の機会があったなら、逃すべきではない」


「……」


 カイトは押し黙りながらも、確かにこの試験官は変だと思った。


 僚機を降下させつつ自分は上昇して、わざわざ各個撃破のシチュエーションを作りに行った。


 攻撃に移ったかと思えば、普通は後ろにいる相手から狙うものを、わざわざ前にいる相手、しかも自分より遠い低空にいる相手に襲いかかった。


 単なるバカか。


 あるいは……自由な発想を持つ、天才……いやいや。そんなわけないか。


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