55 自分に厳しい
「何も心配することはないよ、ケン」
イコライは、自動運転に設定した車の運転席から、助手席のケンに向かって言った。
「実技試験は二対二の模擬空中戦だ。遠距離ミサイルの発射と回避。近距離ミサイル射程内での戦闘。それから機銃のみを使ったドッグファイトの三部構成。前の二つは問題ないな。ドッグファイトは少し厄介だけど、なに、どうせ対戦相手のパイロットは大したことないよ、単価の安いやつが雇われてるだろうから。ケンの僚機は俺がやるんだから、絶対にパスできる」
「相変わらず大した自信だな……なあイコライ。一つ聞いていいか」
「ああ、どうした」
「ギュンターさんとは、仲が悪いのか」
「……まあ、良くはないな」イコライは肩をすくめる。「あの人が家族を大事にするのは勝手だけどさ。俺のことまで口出しするな、って話だよ……でもまあ、仕事上に限れば割と『当たり』の上司だな。指揮は的確だし、ソラのことが気に入らないからって、仕事中に嫌がらせをしてくるようなことはない」
「『仲は良くないけど信頼している』という感じか?」
「上手いこと言ったな。ちょうどそういう感じだ」
「なるほど。じゃあ、もう一つ聞いてもいいか」
「どうぞ?」
「実は……」
ケンは眉間に皺を作りながら言った。
「ララさんのことが頭から離れなくて、最近、どうにも集中できないんだ」
「はあ?」
イコライは「こいつ、何を言っているんだ」と思ってケンの横顔をまじまじと見たが、真剣に悩んでいそうな顔だったので、気を取り直して言った。
「そ、そうか……まあ、ララは美人だからな」
「……お前、何か勘違いしてないか? そういう話じゃない」
「え? ララさんを俺にくださいって話じゃないの?」
「あのなあ、お前は彼女の一体なんなんだ」
「いや……ケンには話してなかったけど、俺はいまララの後見人みたいなもんだから。ララが一緒になる男は、ちゃんと見極めなきゃいけない、って思ってるんだよ」
あの子の兄さんの代わりにね、とイコライは心の中で付け加える。
「お前とララさんにどういう事情があるかは知らんが……」とケン。「とにかく、そういう話じゃない。俺がいいたいのは、このまま島を出て行ってしまっていいんだろうか、って話だよ」
そこでいったん言葉を句切って、ケンは付け加える。
「あんなことがあってから、ララさんとは一度も話せていない」
「ああ……」
なるほど、それは、確かにケンの言うとおりだろう、とイコライは思った。
このまま、一言も交わさずにケンが屋敷を去ったとしたら……二人はこの先、ずっと気まずいままだろう。
いや、それはきっと、気まずいとか、後味が悪いなんて言葉では言い表せない。一生残る傷になるかもしれない……特に、引き金を引いた側の、ララにとっては。
子供の頃、何かの時にスティーブンが言っていたのを、イコライは思い出す。人生には、取り返しのつかない過ちなんて、ほんの少ししかありません、と。
けれどそれは「ほんの少ししかない」であって「全くない」ではないのだ。
銃で撃った。撃たれた。
そのこと自体、人生の中でとても大きな出来事だ。
けれど、撃たれても仕方のないことをしてきたとケン自身が認めている以上、本当に問題なのはそこじゃない。
本当に問題なのは、きっと……あんなことがあった後で、二人がどんな言葉を交わすかなのだ。
「ケン……お前は、自分の信じた理想のために戦った」
イコライは言った。
「何も恥じることなんかないだろう」
「確かにそうだ。でもな、イコライ。ララさんに同じことを言ったとしたら、それはただの開き直りじゃないのか」
「お前、自分に厳しいよな」
「悪いことだとは思わない」
「同感だよ……でもな、どんなに自分に厳しくしたとしても、世の中の何もかもをお前の力で解決できるわけじゃない。お前が自分に厳しすぎるのは、お前がただ、思い上がりだからなのかも知れないぜ」
「……どういうことだ?」
「問題が起こった時に全て自分の責任だと思うのは、自分さえしっかりしていれば全ての問題を解決できると思うからだ。それは思い上がりじゃないのか、ってことさ」
「おい。世界を変えたいと願う男が、そんな考え方でいいのか? 自分の分をわきまえろとか、そんなことで世界が変えられるとでも思ってるのか?」
「いや、確かに俺は世界を変えたいと思ってるけど、そこまで気負っちゃいないよ……俺は俺にできることを全てをやれば、それで十分だと思ってる。俺にできることを全てやって、それでも世界が変わらなかったとしたら、それはもう俺のせいじゃない、世界が悪いのさ……まあ、俺にできることを全てやるのだって、ものすごく難しいだろうけど」
イコライにそう言われると、ケンは少し沈黙を挟んで、おもむろに、ヘッドレストに頭を預けた。
「なるほど、よくわかった……面白い考え方だな。覚えておこう」そして、こう付け加える。「けど、いまの俺は、そんな一般的な話がしたかったわけじゃないんだが。いまはララさんの話だ」
「つまり俺の考えとしては、いまボールはララの側にある、ってことだ」
「……」
「ララの方から、何か言ってくるのを待てよ」
イコライがケンの横顔に視線を向けると、ケンも真剣な目つきで見返してきた。
「もし、ララの方から何も言ってこなかったら……諦めろ。その時はもう、気にするな。振り返るな……ただ、そういう運命だった、ってだけのことさ」




