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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第2章 トライアル
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49 左遷

「さて……どういうことか、説明してもらいましょうか」


 ミキ・イチノセは、偽装クルーザー・プラサード号の薄暗い船室で、引きつった笑みを浮かべながらそう言った。


 対して、椅子に腰掛けるラルフの方は、膝の上で寝ているアポロを撫でつつ、まるで子供が不満を言う時みたいに、口を尖らせていた。


「どういうことか、とはこっちのセリフですよ、ミキ中尉。いくらなんでも、いきなり戦闘機でロックオンすることはないでしょう」


 肉眼では何も見えなかったが、港に停泊する偽装クルーザーの上空、約一万フィートの空域では、いまもサヤカが操縦する戦闘機が旋回を続けており、クルーザーに狙いを定めている。


「それは、あなたがまともな説明をしないで、船を空に浮かべたまま降りてこなかったからです!」

「説明ならしたでしょう。屋敷に潜入したんですが、ケン・ウェーバーはいなかったんです」


「そんな説明で納得できますか! あなた、あれだけ自信満々だったでしょう!」


「そんなこと言ったって、いなかったものはいなかったんだから、しょうがないじゃないですか。なんにしても、これで手がかりは全て途絶えました。ケン・ウェーバーが生きているにせよ死んでいるにせよ、これ以上の追跡は、私の技術をもってしても不可能です」


「……なら、報酬はお支払できませんよ」

「仕方がないですね。仕事は失敗だったんですから」


「なんですかその態度は! ……このことは上司に報告します。二度とフェアリィ社と取引ができるとは思わないことですね」


 ミキはその言葉を一番の切り札として言ったのだが、驚いたことに、ラルフはそれを聞いても平然としていた。アポロが何か言いたそうに首を上げようとしたが、すぐにラルフの手によってさりげなく押さえられる。


「覚悟はできていますよ……覚悟はね」

「くっ! ……この使えないグズが! 二度とビジネスなんかすんじゃねえよ、一生猫と遊んでろ!」


 ひどい捨て台詞を吐いて船室を出て行くミキの背に向かって、ラルフはぼやいた。


「それができたら、どんなにいいことか……」

 アポロが「にゃあ!」と鳴く声が、船室に響き渡る。




 船を下りたミキは、手に持った携帯を見つめて、しばらく固まっていた。

 が、意を決して電話をかけ、上司に事の次第を報告する。


「……結論から言うと、失敗したということか?」

「はい。申し訳ありません……」


「フム……ま、挑戦した結果の失敗だから、それはいいんだが……そんなことより、ちょっとこっちはまずい雰囲気になっててな」

「……と、おっしゃいますと?」


「第四次エリューティア海戦があんなことになったものだから、職場では君たちが『逃げた』んじゃないかと噂になっている。中には、面と向かって私に聞きに来る者もいた」


「……」

「率直に言って、もう君たちが戻れる雰囲気ではないな……君たちはこのまま異動の扱いにしようと思う」


「そんな! ちょっと待ってください!」

「大丈夫だ。悪いようにはしない……じゃあ、そういうことで」


 そう言って、上司は一方的に電話を切ってしまった。

 悪いようにはしない……上司はそう言ったが、額面通りに受け取るわけにはいかない。


 左遷だ。

 ミキ・イチノセは左遷されるのだ。




 ミキは、携帯端末を握ったまま、呆然と立ち尽くした。


 入社してからの、一年あまり。

 ミキは全ての仕事をそつなくこなしてきた。


 同期の中では一番だった。

 先輩よりも良い評価を受けたことだって、一度や二度じゃなかった。


 だが、そのミキはいま、入社してから初めての挫折を経験しようとしていた。

 いや、挫折などという生やさしいもので済めば、まだ良い方だった。

 もしかしたら、もう、取り返しがつかないかもしれなかった。


 敵前逃亡は重罪だ。


 フェアリィ社の社内訓練においてさえ、仲間を見捨てるような行動を一度でも取った社員は、二度と信用されず、閑職に回されて、決して這い上がってくることはない。


 もし、自分がそうなるとしたら……?

 閑職。

 それは、具体的にはどういう仕事だろう?



 ミキは知っていた……それは、たとえば「離島での気象観測」のような仕事だ。


 わずか数人しかいない気象観測チームに配属されて、一日に数回、観測機器の数値を気象司令部に報告する……いや、データの送受信はさすがに自動化されているだろから、もしかしたら、壊れた観測機器の修理ぐらいしかやることがないかもしれない。ああ、いくつかの島を回って、観測機器に異常がないかどうかチェックする仕事、というイメージの方が近いかもしれない。


 年に数回、壊れるか壊れないかの観測機器の修理だけが仕事だとしたら、やることなんかないに等しい。


 強いて言えば、人間関係の維持が主な仕事になるのではないだろうか。なんだそれは。本来なら円滑に仕事を進めるために人間関係を維持するはずなのに、人間関係の維持が主な仕事になるなんて。


 ミキは、狭くて固定された人間関係の中で「いじめられる側」から「いじめる側」に回るためだけに、日々必死にせっせと知恵を巡らせる自分の姿を想像して、ぞっとした。


 人によっては、楽そうな仕事で羨ましい、と思うかもしれない。

 けれど、ミキは嫌だった。


 ミキの目標は、ガンガン武功を立ててバンバン出世して、最終的に「行けるところまで行く」ことなのだ。


 それが……そんな自分が……そんな……。

 耐えきれなくなって、ついにミキは叫んだ。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「うあああああああああああああああああああ……」

「うわあああああああああああああ……」

「うわあああああああああ……」

「うわああああああ……」

「うわああ……」

「……」


 自分の叫びが、白い雲の海に跳ね返って、何度もこだまするのをたっぷりと聞かされた後……ミキは携帯をしまい、代わりに無線を手にとった。


「サヤカ! 早く降りてきなさい! 飲みに行くよ!」

「了解!」


 コクピットの中、フライトスーツ着込んだサヤカは(前後の経緯はよくわからなかったが)威勢良く右手を上げて叫んだ。




 数時間後、サン・ヘルマン中心市街の一角にあるバーのカウンター席に、飲んだくれるミキと彼女をなだめるサヤカの姿があった。


 ミキは、時々声をかけてくる男をからかっては、笑いものにして追い払うことで憂さを晴らしていた。逆上した男とトラブルになりかけたところをバーテンが間に入って収めたということまであったのだが、ミキはその時にバーテンのことも嘲笑して……「メガネがダセーんだよこの田舎者キャハハハハ」はひどすぎる……愛想をつかされていた。もう、ミキとサヤカの間を邪魔をする者は誰もいない。ちなみに、サヤカはザルだ。何杯飲んでも、ほとんど酔うということがなかった。


「お姉さま、元気出してくださいよ」とサヤカは言うのだった。「異動なんて、気にすることないですよ。作戦に参加しなくて良かったじゃないですか……あたしはお姉さまが生きてくれているだけで、十分嬉しいですよ」


「ング……ング……」


 ミキはカクテルをたっぷりあおってから(それはもうカクテルの飲み方ではなかった)、返事をした。


「プハッ……左遷なんかされたら、死んだのと同じだよ!」


 ミキは己が身の不幸を嘆き続ける。


「ヒック……もうこうなったら、転職するしかない! 決めた! わたし、転職サイトに登録する!」


「え……」すると、サヤカは急に不安そうな顔になって言った。「お姉さま、転職しちゃうんですか……?」


「ヒック……だって、それしかないらない」


 そう言うと、ミキは取り出したスマホの画面上で指を滑らせ始める。

 そんなミキの横顔を見ながら、サヤカは考えた。


 自分たちはもう、小さな子供じゃない。

 大人だ。

 自分たちはもう大人だから、何もかも「じゃあ一緒にやりましょうね」とはならない。

「一緒に転職しましょう」なんて話には……絶対にならない。

 少なくとも、いまの二人の関係性では、ならない。

 だとしたら。


「あたし……お姉さまと、離ればなれになっちゃうんですか」

「うーん……転職サイトって、いろいろあるのねえ……どれがいいんだろう……?」


 ミキは全く聞いていなかった。

 すると、取り残されたサヤカの中で、沸々と怒りが沸いてくる。



 怒りの矛先は、誰に向ければいい?

 ラルフ・レイソン?

 いや……。

 ……イコライ・ブラド。



 つい数日前、サヤカは、ラルフが怪しいとにらんだ貴族の邸宅についてネットで調べていて、その時に初めて、そこがイコライの実家であることを知った。イコライの実家がサン・ヘルマンの貴族だということは、学生時代に噂で聞いて知っていた。



 ……あいつだ。

 きっとあいつが……またお姉さまを苦しめてる。

 あたしとお姉さまの仲を……引き裂こうとしている。



「……殺してやる」

 サヤカがつぶやいた一言は、誰の耳に拾われることもなく、夜の闇へと消えていった。


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