48 戦後処理Ⅲ -実物資産、プラスアルファ-
フランシスが車を出ると、ちょうど、飛行機にタラップ(移動式の階段)が横付けされ、要人……オクタリウス・ハーバーンその人が降りてくるところだった。
フランシスは他の将兵を率いてタラップ前に整列し、敬礼をして、オクタリウスを出迎える。
「ご苦労だった、フランシス提督」
白いローブ姿のオクタリウスは、滑走路に降り立つなり、にこやかにフランシスと握手を交わしたのを皮切りに、フランシスの後ろに立ち並ぶ将兵とも次々と握手を交わしていった。驚いたことに、オクタリウスはその一人一人の名前を呼んで声をかけていて、そのことに素直に感激した様子の者もいた。
オクタリウスがルイズ議長の後継者と噂されていることは、誰もが知っている。そんな有名人と会えた上に、名前まで呼んでもらえるなんて、一介の軍人には滅多にない機会であることは確かだった。
しかし、その様子を横目で見ていたフランシスは、まったく、みんなこの人の本性を知ったらどう思うんだろうな、などと思った。
オクタリウスは用意された車に乗り込み、接収されたばかりの基地司令部、その司令室に入ると、人払いをしてフランシスと二人きりになり、直接報告を受けた。
「ふむ」
フランシスが報告を終えると、オクタリウスは言った。
「やはり当初の予定通り、このあたりで講和だな」
「はい。連邦が本気を出したら、いまの我が軍には勝ち目がありません」
「連邦が本気を出したら、か。果たして、そんな日が来るかな? 利権を巡って内輪もめばかりしている連中だよ」
「……それに関しては、自分よりも長官の方がお詳しいでしょうね。いずれにせよ、これまでの戦果は十分すぎるほどでしょう。交渉の材料になる実物資産だってこの通りですし」
実物資産、とはフランシスたちがいるこの基地のことを指していた。この基地を返還することと引換えに、連邦から交渉で譲歩を引き出すのだ。
「何より……あなたにとって一連の武力衝突とその結果は、政治的な大量得点に他ならないはずです。十分に満足しておられるはずだ、と思いますが」
その言葉にオクタリウスは答えなかったが、代わりに唇を歪めて笑って、こう聞き返してきた。
「なんだか、ずいぶんと政治に興味がありそうに聞こえるね、フランシス提督?」
「滅相もない」と、これはフランシスの本心だった。「自分がやりたいのは『最高の軍隊』を作ることだけです。政治の世界に興味はありません」
「うん。政治の世界は、これからも私に任せてくれ……ヴィコール提督のような例もあるしね」
「……」
ヴィコール・スワロフスキー提督。軍人から政治家への転進を目指していた最中、突如として謎の死を遂げた人物……その名前を挙げたオクタリウスのことを、フランシスは油断のない目つきで見返す。
だが、オクタリウスは平然としてその視線を受け止めていた。
「心配はいらない。私が健在でいる限り、君にはできる限りの支援をしよう」
「……ありがとうございます。では、連邦にこの島を引渡し、見返りに経済制裁を解除させるということですね」
「ん。いや、引き渡す、というのは正しくないな」
「は?」
「引き渡してしまっては、これまでと同じになってしまう。だが私は、これまで以上の物を求めるつもりだよ。たとえば……南エリューティア列島の非武装地帯化、とかね」
「そ、それは……!」
フランシスは目を見開いて驚いていた。
確かに、その内容で講和が実現すれば、SHILFにとっては文字通りの大勝利だ。
南エリューティア列島に連邦軍が常駐しなくなれば、SHILF軍は今後、連邦から妨害も監視もされずに大公海へと出入りすることができるようになる。いや、さすがに全く監視を受けないということはないだろうが、少なくとも、連邦からすればこれまでより格段にやりづらくなる。
だがフランシスとしては、それは良い面ばかりではないと思った。たとえば、SHILF軍が大公海を動き回るようになった結果、連邦軍と接触する機会が増え、偶発的な衝突が起こる危険性が増すことなどが考えられた。
それに、そもそものところで、もう一つの懸念があった。
「オクタリウス長官。果たして、連邦がそんな交渉に応じるでしょうか?」
「なに。やってみるだけのことさ」
フランシスは、軽く言ってのけるオクタリウスのことを何か妙だと感じた。普段のオクタリウスはもっと悲観的というか、常に最悪の事態に備える人物だ。困難が予想される問題を、軽々しく語るような人間ではない。
とはいえ、オクタリウスは愚かではない。それだけは絶対に間違いない。
ということは……オクタリウスには何か策がある、ということになる。
そう思ったフランシスは、ふと、前々から言おうと思っていたことを、この機会に切り出すことにした。
「……ところで、長官」
「ん?」
「連邦の株価の動きについてなのですが」
「ああ……確か、連邦の軍事作戦が続いている間は、軍需を期待して高騰していたが、その後の大敗で暴落に転じたそうだね。なんでも近頃の連邦ではAIによる高速売買が流行していて、そのせいで従来とは比べものにならないぐらい激しい値動きになったとか」
「連邦の現政権は株価をやたらと気にしているようです。今回、彼らが講和に応じたのも、株価の暴落が背景にあるとか……実際、講和のニュースが流れて以降、株価は持ち直して、連邦政府は胸をなで下ろしているようです……ところで、一連の株価の値動きですが、我々にとって非常に都合の良い値動きだと思いませんか?」
「そのようだね。しかし、それがどうかしたかな?」
「長官……数年前、SHILF中央大学でこんな研究がされていました。AIによる高速売買の脆弱性を利用し、先回りをして取引をすることで、利益を上げたり、株価を操作したりすることを可能にするとか……いえ、正確には『それを防ぐ』ための研究だとされていましたが、まあ結局は同じことです」
「興味深い研究だね。それで?」
「研究の続報は途絶えています。それもそのはずで、その研究はSHILF軍技術本部が秘密裏に引き継いでいたからです。研究者は軍にヘットハンティングされ、研究データも全て軍に接収された……少なくとも、記録ではそうなっている。ところがです。私が『これを使えば戦わずして勝つことが可能かもしれない』と思って技術本部の知り合いに問い合わせたら、その男は『そんな研究はうちではやっていない』と言うんですよ」
「……」
「軍の機密データ上では、確かに技術本部が研究成果を接収して、いまもそこで研究が続いていることになっている。しかし、それはデータ上だけで、実際は違っていた。秘密裏に研究が行われているのかもしれないと思って探りを入れてみましたが、どうも違うようでした。だとしたら、研究はどこへ行ったのでしょう。研究者は、いまごろどこで、何をしているのでしょう……ところで長官。あなたは秘密警察にも顔が利きますよね。というか、噂によればご自身の秘密警察をお持ちだとか」
「面白い噂があるものだね。全くのデタラメだよ」
「勘違いなさらないでください、オクタリウス長官。私はあなたに逆らう気はありません。ありませんが……もしもですよ。フェアリィ社がSHILFへの攻勢を強める姿勢を見せた段階で、連邦の株価が暴落していたなら……連邦政府は早期の講和に応じ、その結果、ライトゲーム作戦で生じた多大な犠牲は、必要なかったかもしれない。まあ、その場合はあなたの政治的大量得点もなかったでしょうが、貴重な人命は失われずに済んだわけです」
「もしそうだったら、どんなに良かっただろうね」
「黙って最後まで聞いていただけますか!」
「……」
「オクタリウス長官。あなたのような政治家は大変頼りになります。あなたは私にはないものを山ほどお持ちだ……ところでですね、長官。これはあなたの話ではなくて、あくまで一般論なのですが……」
一度言葉を句切ると、フランシスは、力を込めて先を続けた。
「私は、前線で戦う将兵の命をもてあそぶような人物は、好きではありません。たとえ、どんなに頼りになる人物であったとしても、です……そこのところ、よくご理解いただきたいのですが」
「……ふむ」
オクタリウスは、動揺を見せなかった。じっとフランシスに見つめられても、狼狽したり、見苦しく言い訳したりすることはなかった。
……だが、さすがに、目をそらして、窓の外を見た。青い空に、薄いちぎれた霧が浮かんでいた。
そして、オクタリウスは固い声で言った。
「私が思うに……そういう人間は、いつか必ず、後悔することになるのではないかな……そして、もう二度とそういうことはしないと誓って、そのために必要な、不可逆的な措置を講じることになるのではないだろうか。それも、誰もが知るような形で」
「……なるほど」
フランシスは重々しくうなずいた。
「そのお言葉が聞けて満足です。今回はこれまでとしましょう。では、今後ともよろしくお願い致します。失礼します」
フランシスが部屋を出た後、オクタリウスはすぐに電話を取り出し、アドレス帳に「マイク」の名前で登録された番号に電話をかけた。
「……私だ。七一番細胞をプランCを使って切除しろ。機密性保持のため、命令の実行は本土に戻ってから、秘匿の有線回線を用いて行え。復唱」
男の声が返ってくる。
「本土に戻り次第、秘匿の有線回線を用いて『七一番細胞をプランCを使って切除する』作業を開始します」
「よし」
電話を切ると、オクタリウスは重いため息をついた。
これで、連邦領内で株価の操作に当たっているグループは、匿名の告発文書がきっかけで逮捕されることになる……もっとも、彼らは自分たちがオクタリウスの命を受けて動いていることなど知らない。彼らはただ、得体の知れない相手から、金儲けのための技術の提供を受けて、その見返りに、時々言われたとおりに株価を操作しているだけ、と思っている。
その他にも何重もの防護策を施してあるから、黒幕がオクタリウスだと知られる心配はない。だが、株価を操作していたグループの逮捕が報じられれば、フランシスにはちゃんと、こちらが約束通りに行動したことが伝わるだろう。
フランシス……油断のならない男だ、とオクタリウスは思う。
だが、それだけ頭が切れる男だからこそ、優秀な駒であることも確かだった。
オクタリウスにも、多少は軍事の知識がある。だが、もちろんそれは、職業軍人であるフランシスに及ぶようなものではない。
オクタリウスが自身の目的を達する上で、戦争はおそらく避けて通れない道だった。だとすれば、フランシスは絶対に手放せない駒だ。これでもう二度と株価操作はできなくなるが、やむを得ない。それに、そもそもフランシスに勘づかれた時点で、細胞を維持するリスクが高くなりすぎている。だから、後悔はない。
とはいえ……ちょっとした愚痴を、こぼしたくはなる。
「……分業によって生産性は向上し、社会は豊かになる。だがその代償として、人は他者への依存を深めることになる。皮肉なものだ。分業が深化すればするほど、人は他者を理解することが難しくなっていくというのに、相互依存の方は、逆に深まっていくとはね」




