47 戦後処理Ⅱ -できること-
「連邦は交渉に応じるみたいだから、どうやら、世界大戦は回避できそうだな」
フランシス・セドレイ提督は、停車中の白いセダンの助手席で、そんなことを言った。
最初、運転席に座るマリアは、フランシスが独り言を言ったものとみなして無視したのだが、彼が何か言いたげに見つめてくるものだから、仕方なく返事をした。
「SHILFが連邦と世界を二分していたのは、もうずっと昔の話です……いま全面戦争になったとしても、それはもはや、世界大戦とは言えないのでは?」
「手厳しいなあ」フランシスは頭をかきながら言う。「君、生粋のSHILF人だろ?」
「そうですが」
「最近じゃ、両親や祖父母の代からの国民よりも、移民二世の方がSHILFへの忠誠心が強いらしい……ユスフなんかがそうだな。だから、ユスフの前でSHILFの批判はするなよ」
「ユスフ中佐ですか……?」
「彼は移民二世だ。父親を病気で亡くして、困窮した母親に連れられて子供の頃に移民してきた。ああ、正確には二世とは言わないのか? まあいいや。とにかくユスフはな、『SHILFは母には仕事を、僕には教育をくれた。移民してきたばかりで本当に何もない頃には、食べ物や住むところだって与えてくれた。連邦にいたら、きっとその全てが手に入らなかった。だから、たとえ何が起こったとしても、自分は最期までSHILFのために戦う』……そう言ってたよ」
「それ、ユスフ中佐のプライバシーに触れてますよね?」マリアは非難がましく言う。「どうして私にそんな話を?」
フランシスはシートに深く背中を沈めながら、気怠げに答えた。
「別に? ……ただ、そういう人間もいるんだってことを、君に知って欲しくて」
マリアは、それを聞きながら、予定よりも遅れている飛行機のことを呪い、苛立った。
基地に駐留していた連邦軍は、意外なことに、フランシスの即時降伏要求にすぐさま応じ、基地はSHILF軍によって占領されていた。
フランシスたちはいま、その基地の滑走路脇に車を停めて、本土から来る「要人」とやらを待っているところだった。なんでもその要人は、無傷で占領したこの基地で、カメラを前に「勝利宣言」を出すのだという。マリアにとっては心底どうでもいい話だった。早く全てが終わって欲しい。家に帰りたい。
「それはそうと、マリア大尉」フランシスが再び口を開いた。「俺がどうやってこの基地を無血開城させたか、そろそろ聞きたくないか?」
「たくさんの戦闘機を飛ばして、守備隊の指揮官を脅迫したんでしょう?」
マリアだってそれは見ていた。レーダースクリーンを埋め尽くす、無数の輝点……相手の指揮官は、さぞ肝を冷やしたことだろう。
「もちろんそれもある……だが、実際にはもっと重要な要素があった」
「自慢話ですか?」
「そうだよ。上司の自慢話は、黙って聞くものだ」
フランシスは人を食ったようなことを言いながら、先を続けた。
「敵の指揮官、ドミニク・バロー大佐はな。軍人でも加入できる特殊な生命保険に加入していたんだが、最近になって、その生命保険を解約したばかりだったんだ」
「……は?」
マリアは、またおかしな話が始まったと思ったが、フランシスはいたって真剣だった。
「長男が大学進学を控えていたところに、次男が難しい病気にかかってな。治療費を工面するために、生命保険を解約せざるを得なかった……情報部の知り合いから聞いた情報だ」
「で、でも、軍人の家族なら、医療保険があるんじゃ……?」
「SHILFと違って、連邦軍は独自の医療保険を持っていない。というか、フェアリィ社はそもそも体裁上は民間企業だからな。だから民間の保険会社と契約していた……だが、次男の病気は保険の対象外だった。『生活習慣で予防ができる病気だから』という理由でね」
「生活習慣が原因の病気は保障されないっていう契約内容がそもそもふざけている上に、実際にはその病気の原因が生活習慣だって主張してる学者はごく一部で……そいつらはみんな保険会社から寄付を受けてるやつらばっかりさ……病気の原因は生活習慣じゃないってことが医学界じゃ常識だったから、裁判をすれば勝てる可能性は高かった。実際、ドミニクは保険会社を相手取った集団訴訟に参加したんだ」
「だが、裁判に勝つまでの間は、自費で治療費を支払わざるを得なかった。それでドミニクは、貯金と生命保険、それから老後のために積み立てておいた年金を全て失ったんだよ」
「……ひどい話ですね」
「連邦では、医療費の高騰はもう長いこと深刻な社会問題になってる。政府が保険会社の収益を圧迫しないよう『配慮』しつつ医療費を抑え込もうとして規制緩和を進めた結果、最近じゃ似たようなトラブルが増えてるそうだ」
「そういうわけで、ドミニク大佐は連邦の軍人なら当然加入しているべき軍人向け生命保険に未加入の状態だった。本来ならそんな指揮官は直ちに閑職に左遷されるんだが、ドミニクだってそれはわかっていたから、会社には報告していなかった」
「ちなみに、SHILF軍と違って、連邦軍に戦死者遺族給付金のような制度はない。辛うじて遺族年金がまだ残っているが、額は多くない。民間に任せた方が効率が良くなるなんていう声を真に受けて、どちらも縮小されてしまった結果だ。実際にはドミニクのように、民間企業に搾り取られる例もあるというのにな」
「そ、それじゃ、無保険の状態で戦死してしまったら、遺族はどうなるんですか?」
「一時金は何ももらえず、その後の収入はほんのわずかな遺族年金だけになる……君も知っているだろうが、軍人は転勤が多いから、配偶者が正規労働に就いているケースは少ない。ドミニク大佐の奥さんがまさにそれで、彼女はもう長いこと専業主婦で、最後に働いたのは二十年も前の話だった。もしご主人が戦死していたら、二人の子供を養っていくのは難しかったろうな」
「そんな時にこの俺が『直ちに降伏しなければ、総攻撃をかけて皆殺しにする』なんて言って攻めてきたわけだ。そりゃあ降伏するだろう? ドミニク大佐だって家族が大事だったのさ……戦いもせずに降伏したって後ろ指を指されて、たとえフェアリィ社を首になったとしても、彼はどんな仕事でもして家族を養うつもりだろうな。まったく、泣ける話だよ」
「……」
「考えてみれば、この前戦ったジェイス中将も、似たようなものだったな……まったく。連邦の軍人が哀れでならないよ。みんな才能があり、努力もしている、立派な人たちだ……ただ、彼らはね。精神的に安定した状態で、思う存分に戦いに集中できる、そんな環境を与えられてなかったりするんだ……昔と違って、いまはね」
ジェットエンジンの音が、かすかに聞こえてきたが、まだ遠かった。
「あの……提督」
「なんだ?」
「それ……私に話していい内容なんですか?」
SHILF軍情報部の能力に関する機微な情報が含まれている、とマリアは言いたかった。
だが、フランシスはあっけらかんとしていた。
「だって君、一応は政府の機密関与資格を持ってるだろ?」
「え……あ、そういえば、前に軍隊にいた時、上司に勧められて取ったような……?」
「自分でも忘れてたのか。おかしなやつだな」
「だって、民間だと使いませんから。政府との取引もなかったですし」
「軍隊なら役に立つぞ。そもそも、君が副官になれたのもその資格のおかげだしな。本当に、転職する気はないのか?」
「ないです」
そんな資格取るんじゃなかったと思いながら、マリアは答えた。
「即答か……意図せず、間接的にとはいえ、君は提督の命を救ったんだぞ。日常業務だって高く評価されてるみたいだし。この仕事が向いているとは思わないのか?」
「思いません。私は……」
その時、さっきから少しずつ大きくなっていたジェットエンジンの音が、ついに会話ができないぐらいに大きくなって、マリアは言葉を切った。
一機の小型旅客機が、滑走路の反対側から、高度を下げて進入してくる……無事に車輪が接地……そのまま地上を滑るようにして、こちらの方に近づいてくる。
旅客機はエンジンの出力を下げ、再び会話ができるようになった。
そのまま会話を切り上げても良かったはずなのに、マリアはなんだかこのままにしたくなくて、続きを言い切った。
「私は、何もしていません」
フランシスは、しばしの沈黙の後、こう言った。
「……そう思いたければ、それでもいいさ」
なんだか、不機嫌そうな声色だった。
マリアとフランシスは、お互いを見ない。車の座席に隣り合って、二人とも、目を合わせることを拒否するかのように、前だけを見ている。
だが、フランシスは言葉を続けた。
「なぜ君がこのごろ俺に冷たいか、当ててやろうか」
「は? 私は別に……」
「全部俺のせいにしたいんだろう?」
「……」
「死んでいったアルタイルの乗員は一三四人。彼らの死を、君は全部俺のせいにしようとしている。そうやって自分の心を守ろうとしている。そのことを、自分自身の心に刻み込むために、そうやって俺に冷たくしている」
「……私に嫌われるのが、そんなに嫌ですか?」
「そうだな。俺の話はやめよう。君の話をしようじゃないか、マリア大尉。確かに君は、ほとんど民間人と言っていい。この戦争に巻き込まれたのは、俺の身勝手と、ほんの少しの偶然が重なった結果だ。君は職業軍人ではない。したがって、本来ならあの時、あのような意思決定に関与すべき立場になかった。俺だって最初はそんなことをさせる気はなかった。それは認めよう……しかし、それが一体何だって言うんだ? 死んでいった兵士たちにとっては、そんなこと何の関係もありはしない。彼らは死んだ。その結果だけが全てだ」
「彼らは死んだ……その結果だけが全てで……その結果を招いたのが私の衝動的な発言だとしたら……だとしたら、私にどうしろって言うんですか!」
マリアは叫んだ。
「戦死した人の中には、たくさんの父親や母親がいたはずで……みんなが誰かの子供だったはずで……それが百人以上も……そんなの……私には……私には、背負いきれません……」
「……生き残った俺が言うのは、おかしいかもしれないがね」
フランシスの声はいくぶん穏やかに戻ったが、変わらず真剣だった。
「人の生命は重い。だが、それは生き残った君にも同じことが言える。死んでいった者たちだって、その死の重みによって、生きている君の人生を押しつぶそうとしてるわけじゃない。そんなことは誰も望んでいない……だから君は、自分の手の届く範囲のことをすればいいと思うよ」
「手の届く範囲で……何をすればいいんですか?」
「……死んでいった者たちに恥じない人生を生きろ」
フランシスはそう言った後、君は休んでいていい、と言って、ドアを開けて車から出て行った。
「……死んでいった人たちに恥じない人生なんて……私に何があるっていうの?」
取り残されたマリアは、一人嗚咽に震える。
「……ただの会社員で……シングルマザーで……自分と自分の家族の生活を守ることだけで精一杯……こんな私が……こんな私が、どうやったら、死んでいった人たちに恥ずかしくない生き方をできるっていうの……?」




