表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第2章 トライアル
60/91

46 猫の恩返し

 だが、その時は、思いのほか早くやってきた。


 夜。まともな人間なら誰もが寝静まるような時間。イコライはまだ起きていて、ソラやカイトと共に応接室にいた。


 向かい側の椅子で、カイトはまだ音楽を聴いていた(いまは目を閉じている)。さっきまでは、イコライも同じように音楽を聴いていたのだが、いまはなんだか落ち着かなくなって、イヤホンを外していた。


 ソラはというと、部屋の隅の安楽椅子で編み物をしていた(スティーブンに「コーネリア奥様は編み物が趣味ですよ」と教わったのがきっかけだった)。アポロは、そんなソラの足元で丸まって眠っていた。


 いい加減、今日はもう寝ようか……イコライがそう言いかけた時、玄関の呼び鈴がなった。


 一番最初に飛び出して行ったのは、アポロだった。耳がピンと立ったかと思うと、次の瞬間にはもう玄関に向かって駆けだしていた。ソラが編み物をサイドテーブルに置きながら、緊張した面持ちでイコライを見る。イコライは視線を返しながら、黙って立ち上がって、玄関へと向かった。カイトは、呼び鈴はおそらく聞こえていたはずだったが、動かなかった。警察という可能性がなくなったわけではない。


 イコライは、ドアに張り付いたアポロをソラに抱きかかえさせて少し下がらせて、自らドアを開けた。そこに立っていたのは……黒いスーツを着てアタッシュケースを持った、背の高い、奇妙な人物だった。


 奇妙というのは、その人物が、黒猫の面を被っていたからだ。


「……」


 警察でないことは確定したが、それ以外の全てが不確定だった。というか、意味不明だった。

 とりあえず「どちら様ですか?」とか言うべきだろうか、などとイコライが悩み始めた時、幸いなことに、相手の方から喋ってくれた。


「アポロは?」


 変声機を使用した、甲高い、おかしな声だった。


「ぶ、無事だ」イコライは答えた。「いや、一度半壊状態になったが、こちらの方で、歩けるようになるまで修理させてもらった」

「なんと……!」


 ソラが前に進み出てきて、胸に抱きかかえたアポロの姿を見せると、男が仮面越しにはっと息を呑むのが伝わってきた。

 男はアタッシュケースを地面に置くと、慌てて駆け寄ってきて、ソラからアポロを受け取った。


「……アポロ、大丈夫か」

「お前のその格好と声の方がよっぽど大丈夫じゃねーよ」

「おお! いつものアポロだ!」


 男が顔をアポロに押しつけると、仮面が当たって乾いた音を立てた。どうも頬ずりをしようとしたようだが、面を着けているのを忘れていたらしい。アポロは迷惑そうな顔をしている。イコライとソラは呆れかえっていた。


「……アポロの耳が落とされる直前まで、会話を聞いていました」

 何もなかったかのように男が言ったので、イコライも気を取り直す。

「じゃあ、やっぱりあんたは」


 連邦政府の人間なのか、と聞きかけたイコライを、猫仮面は遮って言う。


「いいえ。それはお互いに、言わない、聞かないのがいいでしょう。そんなことよりも、私はね、感動したんですよ……同じ猫を愛する者といえど、なかなかあそこまではできない。この私でさえも、できるかどうか怪しい」


「いや、俺は別に猫は好きじゃな」


「本当にもう私たち猫が大好きで!」ソラがイコライに割り込んで言った。「あとロボットも好きで! 猫型ロボットなんか、もう好きの二乗で!」


「そうですか、そうですか」

 猫仮面はしきりにうなずいて、さらに言った。

「ご安心ください。このお礼として、私はできる限りのことをさせてもらうつもりです……この屋敷に捜査の手が伸びることは、もうないでしょう」


「え?」イコライは、自分の聞き違いではないかと思った。「うそだろ? そこまでしてくれるの?」


「あなたがたは、アポロのために大きなリスクを冒したのです。ならば、私もそれに見合うことをしなければなりません」


「いや、でも……」

「……こんな私を、奇妙に思いますか?」

「そりゃあ、まあ……」


「そうかもしれません……でも、私にとっては、こうするのが自然のことなんです。そして、そんな自分が、いつか理解される時代が来ると、私は信じていますよ」


 猫仮面の声は間が抜けていたが、それでもどこか、心がこもっていた。


「昔は、肌の色が違う相手は人間ではない、と思う人が大勢いました。女性は人間ではないという人もいましたし、自由主義者は人間ではないという人もいました……でも、いまはみんな、同じ人間として認められています。だからいつか、きっと認められる日が来ると、私は信じていますよ……猫も人間と同じ一つの命だということや、しょっちゅう憎まれ口を叩いてばかりのこのロボットが、実は人間と同じぐらい大切な存在なんだということを……そういうことを、みんなが自然な気持ちで認めてくれるような日が、いつか必ず来ると、私は信じています。そして……もし、そんな時代に生きる人たちが、いまの私を見たとしたら、その人はきっと、私がこれからすることを、奇妙だとは思わないはずです」


「……わかりました」

 イコライは神妙な様子で言った。

「あなたほどの自信はないですが、俺もきっと、本当はあなたと同じ気持ちです。ただ、そういう人とは滅多に出会えないものだから、つい驚いてしまって」


「わかりますよ……さあ、これを受け取ってください」

 そう言って猫仮面は、左手でアポロを抱いたまま、右手でアタッシュケースを差し出してきた。


「これは?」

 イコライが受け取りながら聞くと、猫仮面は答えた。


「私が過去の仕事の報酬として受け取ったものです……一つは、幹細胞とDDSを使った高速治癒キットです。これを使えば、すぐに怪我が治ります」

「ものすごく高価なものじゃないですか!」

「そうでなくてはお礼の意味がありませんからね……もう一つは身分証です。私が既にデータを登録しておきました」


 どういうことかと思って、イコライはアタッシェケースを開いてみた。一つは、高速治癒キットらしき機械と真空パック。もう一つは、身分証とおぼしきプラスチックのカードで、ケンの顔写真がプリントされている。名前は「ケン・ブライトニー」となっていた。


 全部バレていた……ということにも驚いたが、イコライは、それより先に聞くことがあった。


「この身分証、使えるんですか?」


「……数年前、連邦政府はブロックチェーンの技術を応用した最新の身分証明システムを構築し、稼働させました。しかし、稼働からわずか五分後、いわゆる『五一パーセント攻撃』と呼ばれる手法によって、システムはハッカー集団に乗っ取られてしまった。政府は三分でシステムの制御を回復しましたが、その間、無数の白紙の身分証データが、書き込みが可能な状態で外部に流出しました。その後、政府は流出した白紙の身分証は全て政府によって捕捉され、無効化されたと宣言し、システムの使用を継続することを決定しましたが……ダークウェブにおいては、一部のデータが政府の追跡を逃れ、いまも有効なままになっている、という噂が絶えません」


「こ、このIDカードのICチップには、その流出データを元に作られた情報が書き込まれてる、ってことですか」


「ええ。重要なのはブロックチェーンによる検証の対象となるデータであって、プラスチックの部分はいくらでも偽造ができますから。警察や役所に標準装備されている端末では、それが偽造品であることは見抜けません。ほとんど正規の身分証と同じだ。それさえあれば、官憲といえどもおいそれとは手出しできない。当局の目を逃れて、何食わぬ顔で生活することも可能でしょう」


「……あなた、一体何者ですか?」


「それは聞かない約束ですよ……さあ、私はもう行かなければ。これで恩は返しました。もしかしたら、次に会うときは敵同士かもしれませんが、その時はお互いに恨みっこなしです」


「……地上にいる時に、あなたを敵に回したくはないな。空の上でなら、いくらだって戦ってみせるんだが」


 イコライの言葉に、猫仮面は返事を返さず、ただ背を向けて、黒塗りのセダンに乗り込み、去って行く……と、思ったのだが、


「ああ、そうだ。忘れるところだった」

 車に乗り込む直前、猫仮面がはっとして言った。


「あの野蛮人に伝えておいてください……猫の尻尾には重要な神経が通っている。そこが損傷すると歩けなくなることもある。だから絶対に猫の尻尾は掴むな。死ねクズが、と」


「……わかりました」

 そう釘を刺し終わると、今度こそ、猫仮面は車に乗り込んで、去って行った。




「「嘘だろ?」」


 いましがた何が起きたのかを話すと、ケンとカイトは同時にそう言った。この二人、意外と気が合うんじゃないか、とたまにイコライは思う。


「嘘じゃない。全部本当のことだ」

「信じられん……」


 ケンは顔を引きつらせて言った。


「イコライ。さっきはああ言ったが、正直、俺は警察が来ることを覚悟していたんだ。連邦の尋問を受けるイメージトレーニングまでしていた」


「無駄になって良かったじゃないか」とイコライ。

「お前の人生そのものが壮大な無駄だけどな」とカイト。


「カイト。お前、人を侮辱するのもいい加減にしろ」ケンはさすがに怒って言う。「イメトレの中で俺は『全ての責任は俺にある。他の人間には何の罪もない』と言って、お前のことも含めてかばっていたんだぞ」


「そんなのは当たり前だ! 百パーセント全部みんなお前の責任だろうが!」

「黙れ野蛮人! お前が猫を殺していたら、俺たちはいまごろ牢屋の中だ!」


「おい二人とも。仲良く喧嘩するのに夢中になって、肝心なことを忘れてるぞ。これからどうする?」


「……まずは、この身分証が本当に使えるのか、確かめるべきだな」と、身分証を手に取りながら、ケンは言う。「ケン・ブライトニーか……ウェーバーのままではストレートすぎるから、変えたんだろうな」


「これもとりあえず使ってみるか」と、イコライは高速治癒キットを手に取る。「早く動けるようになるのに越したことはない。医者には俺から言っておくよ」


「ところで、盗聴器のチェックはしたのか」

「ああ、一応。ケースを分解してみたりもしたけど、それらしいのはなかった。素人目には、だけどな」

「……まあいいだろ。向こうがその気になったら、俺たちなんてあっという間に捕まる」


「というか、これで捕まらなかったら奇跡だ」とケン。「本当に、これで切り抜けられるのか……?」


 そう言いながら、身分証をしげしげと眺めるケンに向かって、イコライは肩をすくめてみせた。


「わからないけど、なんだか俺には、行けそうな気がしてきたよ……良いことをしたら報われたんだから、単純に喜んでればいいのさ。こんなに嬉しいことはない、ってね」


 それを聞いて、ケンとカイトは思わず顔を見合わせる。やれやれ、こいつの度胸だけは大したものだ、と呆れながらも、どこか、二人とも安堵した表情だった。


 三人の会話を「また男の子たちが悪だくみをしてるなあ」と呆れながら聞いていたソラも、イコライの最後の一言を聞くと、思わず顔がほころんでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ