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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第2章 トライアル
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45 名前の意味

 翌朝。イコライとソラが起きて階下に降りてくると、黒猫が尻尾をピンと立ててすり寄ってきた。


「わ。可愛い!」


 アポロはソラの膝下あたりに頭をこすりつけ、ソラはそれを見て声を上げてかがみ込み、アポロの頭を撫でる。が、アポロは頭を撫でられるのは嫌いらしく、手をかわすと、代わりにあごを突き出してきた。それを見たソラがあごの下をかいてやると、アポロは気持ちよさそうに目を細める。


「可愛い~!」

「もう直ったのか」イコライは感心する。「さすが、仕事が早いなあ、ライリーおじさんは」

「なあに。俺の手にかかりゃ、文字通り朝飯前よ」


 ダイニングテーブルでコーヒーを飲みながら、ライリーは得意げに言った。


「ま、見たところ、その猫を作ったヤツもなかなか大した野郎だがな……知り合いなのか?」

「いや。まあ、これから知り合うかもしれないけど……なあ黒猫くん。早速だけど、君のご主人と連絡を取るには、どうすればいいんだ?」


 すると、黒猫は不機嫌そうな低い声で言った。


「俺の名前はアポロだ」

「ああ、そうかアポロ。で、連絡先は?」

「名を名乗れ、無礼者」

「……」


 あまりのことに絶句してしまったイコライに代わって、ソラが答えた。


「ごめんねー。この人ったら、お金持ちのボンボンで、甘やかされて育ったからー」

「お、おいソラ……」

「私の名前はソラ。この人はイコライ・ブラドさんだよ」

「フン。やっぱり、どこへ行っても人間よりロボットの方が優秀みたいだな」

「あは☆」ソラはなんだか上機嫌だ。「良いこと言うね、キミ♪」


「お、お前、この黒猫」とイコライ。「助けてやった恩を忘れたのか?」

「ケッ。助けてくれたのはソラさんと昨日の栗毛のお嬢さん、それからそこにいるライリーじいさんだろう。お前は何もしていない」

「いや、したよ! カイトを止めたのは俺だよ!」


「ちょっとイコライさん。猫相手にムキにならないでください」

「……もういい。ソラ、後は任せた」


 その後、アポロがソラに話したのは、無線機を用意して、指定された周波数に合わせて欲しいということだった。

 すぐにライリーが用意した無線機に、アポロは声を吹き込んだ。


「俺は無事だ。屋敷で待ってる」

 そして、少し間をあけて考え込むような仕草をした後、アポロはこう付け加えた。

「アポロというのは、太陽のようにかわいい、という意味だ」


 無線機の電源を切ってすぐ、ソラがその言葉の意味を尋ねると、


「間違いなく俺だとわかるセリフを入れて、罠じゃないってわからせてやる必要があると思ったんだ……なにぜ俺のご主人は、ネズミみたいに臆病なやつなんでね」


 と、アポロは「やれやれ」とでも言いたげな顔で答えるのだった。




 その後、イコライとソラはアポロを連れて、丁寧に礼を言ってライリーの元を辞去し、車で屋敷へと戻った。アポロが、自分の主人が迎えに来るはずだ、と言うからだ。


 何気なく応接室に入ると、カイトが椅子に浅く腰掛けて、イヤホンで音楽を聴いていた。だが、彼の表情はリラックスとはほど遠く、油断のない神経質そうな目つきをしていて、雰囲気が「話しかけるな」と言っていた。


 さすがのイコライも、カイトに対して申し訳なく思った。もしもアポロが密かに通報していたとしたら、今日にも警察が来るだろう。だが、警察が来ない可能性だって十分にあった。そんな宙ぶらりんな状況なら、誰だって神経質になる。


 イコライとしては、逃げることを考えなかったわけではない。だが、当局にこの場所が露見しているとしたら、どうあがいても最後は捕まるとしか思えなかった。ならば、じっと息を潜めていた方が良いはずだと思った。いま動くと、かえって見つかる可能性だってある。




 ひとまず、イコライはケンに事の次第を報告することにした。ケンには昨日からまだ何も話していなかったのだ。ベッドの上のケンは、ようやく来たか、早く話せとイコライを急かした。昨日の夜に発砲音を聞いてから、ずっと何事かと思っていたのに、カイトもスティーブンも何も話してくれない、とケンは不満そうだった。


 イコライが一連の経緯を話すと、ケンは神妙な面持ちで、


「……いま言ったことは、全て本当のことなのか?」


 などと聞いてきたので、イコライは答える。


「こんな回りくどい嘘をつくわけないだろう……ライフルが暴発しただけだって言われたんだったら、疑うのもわかるけどさ」


「この状況じゃ、むしろそっちの嘘のほうが本当っぽいよ……イコライ、お前、猫型ロボットを助けるために、自分が逮捕される危険を冒した、っていうのか?」

「まあ、そういうことになるね」

「……」

「なあ、ケン」

「待て。少し考えたい。ほんの十秒ぐらいでいい」


 実際にイコライが数えてみると、ケンはだいたい十五秒ほど、黙って、悩ましげに考え込んだ後で、再び口を開いた。


「……正しいことであっても、正しいと認めるのが難しいことがある。イコライ、お前ならわかるよな」


「……今回の件に関して俺は当事者だから、それについてどうこう言うことはしたくないね。なんだかずるいと思うからさ……でもまあ、うん、わかるよ。難しいよな」


「いや、違うんだ……俺が言いたいのは……難しいけれど、不可能じゃないってことだ。少なくとも、俺にとっては」


「……えっと、つまり?」


「お前のしたことを、何の迷いもなく肯定することは、俺にはできない。俺はそこまで器の大きい人間じゃない……でも、わかるよ。器の大きい人間だったら、きっと迷うことなく、お前のしたことは正しいって言えるんだろうなって……それぐらいだったら……俺にもわかる」


「回りくどいな」イコライは、耐えきれなくなって少し笑った。「はっきり言ってくれよ、ケン」


「わかった、言うよ」ケンは、改めてイコライの目を真っ直ぐに見て言った。「お前のしたことは、きっと正しいことだ……正直な話、ちょっと自信がないが……でも、きっと正しいと思う」

「……」


 そう言ってくれるケンを見て、イコライは、全てが無事に終わって、この男と友達になれたらどんなに良いだろう、と思った。

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