43 祝福
ライリーに言われたとおり、イコライとソラはダイニングで食事を取った。
「なんか……新婚生活みたいだな」とイコライ。「二階建ての一戸建てに、二人きりなんてさ」
ソラはクスッと笑いつつ、こう答える。
「普通、家は子供ができてから買うんじゃないですか?」
「ああ、そうか、そうだね……あのさ、ソラ」
「はい?」
イコライは、急に居住まいを正して言う。
「いままで話したことなかったけど、ちゃんと話さなきゃな……俺、子供のことは気にしてないから」
ソラは子供が産めない。当たり前のことだ。
当たり前のことだが、それでも、ソラの表情は曇った。
それを見て、イコライは続ける。
「なんなら、いつか養子をとってもいいと思ってる……もちろん、法律が変わらないと無理だけど。大丈夫、きっと変わるよ」
「……イコライさん」
「ん?」
「本当に気にしてないなら、子供のことなんて、最初から話さないんじゃないですか?」
「ソラ。そんな言い方しないでくれ」
「別に、私のことなんか、ある日突然捨ててくれてもいいですから」
「……ソラ。ここはライリーおじさんの家だし、いまは色々と立て込んでるから、今日はこれでやめよう。でも、そう遠くないうちに、その言葉は撤回してもらうからな」
唐突に喧嘩が始まる。若い二人にはよくあることだ。
けれど、よくあることとはいえ「なんであの時、急にけんか腰になっちゃったんだろう」と思ってしまうことまでは、止めようがない。
今回に関しては、全面的に自分が悪い……そう思いながら、ソラは夜中に目を覚ました。
隣で寝ているイコライを起こさないように、そっとベッドから起き上がって、ソラはトイレへと向かう。
セクサロイドは、人間と一緒に食事を取る。異性との食事を楽しみたいと思う「主人」は多い。だから、そういう機能が備わっている。
しかし、食事を消化してエネルギーにすることまではできない。セクサロイドの動力は電気であり、主人が留守の時などに、こっそり充電しているのだ。
では口から食べた物はどうするのかというと、細断して排泄するのである。そのためにトイレに行く。
ソラがトイレから出てくると、ちょうどライリーが玄関から入ってくる音がした。時刻は真夜中だ。ずっと作業していたらしい。
ソラは無視して客間に戻るかどうか迷ったが、結局、ライリーを出迎えることにした。
「お疲れ様です、ライリーおじさま」
「ああ、ええっと、ソラちゃんだったかな」
ライリーはすっかり疲れているようだった。
「いやあ、歳だなあ……昔の俺だったら、これぐらいでへこたれなかったんだが」
「本当にありがとうございます。あの猫はもう?」
「いや、さっき工作機械にデータをインプットしたところだよ。出来上がるのは朝だ」
「そうですか……お食事はまだですか。よければ何か作らせてください」
「おお。じゃあ、お言葉に甘えよう」
ソラが作った料理に口をつけて、ライリーは一言「絶品だな」と言った。いつもの彼ならもっと大はしゃぎするのだろうが、さすがに疲れているようだ。
「では、私はこれで」
「あ、ちょっと待ってくれ」
ライリーは、部屋に戻ろうとしたソラを呼び止めて、話があるから、そこに座ってくれないか、と言った。ソラは怪訝に思いながらも、ライリーの向かい側、ダイニングテーブルの椅子に腰掛ける。
そんなソラを見て、ライリーは急に改まった様子になった。
ソラは気づいた。この義理の大叔父は、結婚を控えた自分に、何かを諭す気だろう、と。
そうして、ライリーは語り始めた。
「これから俺が話すことには、不愉快な部分もあるんだが……最後まで、ちゃんと聞いてくれるかい?」
最後までちゃんと聞けばわかる、という意味だと受け取って、ソラはうなずいた。
「はい。お約束します」
「うん……実は、昔の俺はね、恋愛とか結婚というのは『物々交換』だと考えていたんだ」
「物々交換……ですか?」
「ああ。と言っても、形のある物を交換するわけじゃない。交換するのは『魅力』なんだ。つまり、男は女から『女の魅力』を受け取って、見返りとして、自分の『男の魅力』を女に与える。女は逆で、男から『男の魅力』を受け取って、代わりに自分の『女の魅力』を支払う。同性愛であっても、基本は同じだ……不愉快かな?」
「最後までお聞きしますよ。約束した通りに」
「そうだったな。まったく、良いお嬢さんだ……つまり俺は、恋愛や結婚も経済活動と同じで『欲望を実現するための手段』に過ぎない、と考えていたんだ」
「普通だったら、欲しい物を手に入れる時には金を払う。それと少し違って、恋愛や結婚では、金ではなく自分の魅力を支払う。でも、違うのはたったそれだけで、どちらも『欲望を実現するための手段』だっていう本質は、同じだろう……俺はそう思っていた」
「だから、ソラさん、あなたのようなセクサロイドが登場した時も、俺は当然の流れだと思った。欲しい物は金で買う。これは現代人にとって当たり前のことだ。欲しい物を手に入れるために自分自身を差し出すなんて、そんなの面倒でしょうがないからな」
「恋愛ぐらいなら別にいいかもしれないが、結婚となると、自分の人生全体を、相手に合わせて妥協しなきゃならない。転職も引越しも自由にできなくなっちまう。そのせいで苦労している人が大勢いる。特に、キャリアとプライベートの両立を目指す女性なんかはそうだ」
「だけど、物々交換から脱出して、貨幣経済に転換すれば、この問題は解決できる。欲しい物は金で買えばいいのさ。自分の人生を差し出すことなんてやめてね」
「だから、恋愛や結婚は廃れていくだろう、そして、代わりにみんながセクサロイドを買うようになるだろう、と俺は考えた。きっと現実にそうなるよ。変化はゆっくりとだが、徐々に進んでいく。いまは珍しくても、やがては君たちのような夫婦が普通になる。俺はそう思ってる」
「だから……君たちは時代の先駆者だ。下を向くな。胸を張って、前を見ろ」
「……と、普通だったら、話はこれで終わるところなんだが」
「……え?」
きっとそういう話だろうとソラも思っていたので、これにはちょっと虚を突かれた。
「いや。実は、本当に俺が言いたいことはここからなんだ……考えてもみてくれ。もし、俺がいま言ったことをSNSに載っけたら、大炎上するか、さもなきゃ、バカだと思われて完全に無視されるか、どちらかだろう?」
「ええ、そうだと思います」
「俺は確かにバカだが、まあ、そういう世間の反応を予想することぐらいはできるわけだ……で、だな。どうして大勢の人がそういう反応をするかというと、みんな、結婚には神聖な何かがあると思っているからなわけだ。恋愛や結婚という絆には、神聖で尊い何かが宿っているはずだ、と」
「そんな何かを『思い込みだ』と言って切り捨てることもできる」
「でも……いまの俺は、そうじゃない道を選びたい」
「そして、俺はこう言いたい。もし、人間と人間の結婚が、単なる欲望の実現ではなく、それが実は、神聖で尊い何かのためのものなのだとしたら……その何かは、人間とロボットの結婚にも宿るはずだ、って」
「……」
「だって『神聖で尊い何か』だぞ。そんなすごいものがもし本当にあるんだとしたら、それは人間みたいなちっぽけな存在、この星に生きているたった一種類の動物だけにとどまるもんじゃないだろう。人間とロボットの間にだって、宿るって考える方が自然だろう」
「……愛さえあれば、な」
「……だからな、ソラちゃん」
「結婚おめでとう」
「そして、どうか証明してくれ」
「後に続く世代のために」
「人間とロボットの結婚にも、愛が宿るんだってことを」
「……ありがとう」
話を聞き終えたソラは、目から涙があふれ出るのを止められなかった。
イコライの母、コーネリアからは、あからさまに疑念を向けられた。
カイトだって、普段は理解者のように接してくれているけれど、今日は「ロボットに命なんかない」と言うのをはっきり聞いた。
でも、この老人は……ライリー・ブラドは、本気で信じてくれている。
自分たちのことを。
自分とイコライが……愛し合っているということを。
「ありがとう……本当にありがとう……ございます」
ソラはしばらく、ライリーの手を取って泣いた。
ライリーは温かい手で、そんなソラのことをずっと見守っていてくれた。
イコライが、ライリーおじさんには世話になった、と言ったのが、ソラにはよく分かった。
自分もきっと、いつかこの日のことを振り返って「ライリーおじさんにはお世話になりました」と言うことになるだろう。
「……イコライさん」
「……ソラ?」
泣き止んで、客間のベッドに戻ったソラは、静かにイコライを起こした。
起こして悪いとは思ったが、すぐにでも謝りたかったからだ。
「あの……さっきは、急に怒ったりしてごめんなさい。私、どうかしてました」
「ソラ……」
すると、イコライは目を輝かせて、こう言った。
「それは『セックスして仲直りしよう』って意味?」
「最低」




