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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第2章 トライアル
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40 執事の矜恃

 ソラは食事のトレイを持ってララの部屋から出ると、キッチンへ向かって歩き出した。


 その途中、思わずため息が漏れる。今日もララの体調は思わしくない。食事はどうにか食べるようになったが、よく神妙な面持ちで考え事をしていて、ちょっと目を離すと、すぐに上の空になってしまう。


 きっと、ララはイコライが言った「ケンに謝る」ということについて考え続けているのだろう。


 イコライの提案が吉と出るのか凶と出るのが、あるいは、何の結果も生み出さずにただ聞き流されて終わるのか……いまの段階では、これからどうなるのか、さっぱりわからなかった。


 おまけに、男どもは相変わらず戦争の話に夢中になってばかりいる。

 まったく。先が思いやられるとはこのことだった。


 と、浮かない顔のソラがキッチンに入ると、執事のスティーブンに出くわした。彼は銀食器を磨く作業を終えて、食器を棚に戻しているところだった。


「ソラさん、洗い物ですか? 私がやりましょう」

「い、いえ、これぐらい私がやります」


 ソラは流し台に食器を置きながら、少し驚いて言った。


「あの、別に含むところはないんですけど、執事さんっていうのは、食器洗いもやったりするものなんですか?」


 スティーブンは食器を運ぶ手を止めずに、少し笑って言う。


「いまは昔とは違いますから、食器洗いだって、やることもありますよ。あなたがララさんに良くしてくださっているものですから、私もお手伝いがしたいと思いまして……立場上、私はあまりララさんに優しくできません。ソラさんがいてくれて、本当に助かっています」


「いえ、そんな」


「……こう言ってはなんですが、ソラさんと出会って、私は目が覚まされる思いです。自分という人間は、ロボットに対して偏見を持っていたのだと気づかされました」


「ありがとうございます……でも、私がいまみたいな私でいられるのは、イコライさんのおかげなんですよ」


「若様の?」


 作業の手を止めて、不思議そうな顔をしてソラの方を見るスティーブンに、ソラは説明した。


「私たちセクサロイドは、主人が望むままに行動するよう設計されています。ただし、その望みというのは、表面的なものではなくて、主人が心の底で、無意識のうちに望んでいることなんです」

「私たちは、主人の日頃の様子を観察したり、微妙な表情の変化を読み取ったりして、主人が自分でも気づいていない、本当の願望を見つけて、それを満足させるように行動します。たとえば、もし主人が女の子に怒られるのが好きっていう無意識の願望を持っていたとしたら、セクサロイドも怒りっぽくなったりするんです」

「……つまり、いまの私の振る舞いはイコライさんが望んだものですから、もし私がしたことが評価されるとしたら、それは、イコライさんのおかげなんです」


「私には、難しいことはわかりませんが……つまり、こういうことでしょうか。若様の心が美しいから、あなたの心も美しいのだと」


 はいそうです、と答えるのはちょっとおかしったから、代わりにソラはさりげなく笑って、スティーブンの言葉を肯定した。


 するとスティーブンは、感慨深げに息を漏らした。


「そのお話を聞いて感無量です、ソラさん……何年か前、初めてララさんが屋敷に来た時のことを思い出します」


「え? ……それって、イコライさんがララさんを紹介した時のことですか?」


「はい。私は若様が幼少の頃よりお世話させていただいていますが、小さい頃の若様といえば、周りの子供と喧嘩ばかりしていて、ご家族を心配させてばかりいたものでした……それがいつの間にか、亡くなったご学友の妹の面倒を見ようなどと、優しい心をお持ちになった。執事として、大変に感動したものです」


 ララの話が出たので、ソラは気になって聞いてみた。


「あの……ララさんがやったこと、スティーブンさんは気にしておられないんですか」


 スティーブンは目を伏せる。


「相手が犯罪者とはいえ、お仕えする若様が招いた客人を、メイドが撃ったのです。その罪は決して軽くないと思います……ですが、ララさんの処分を決めるのはご家族です。私ではありません」


「イコライさんは、ララさんがケンさんに対して謝れば、それで許されると思っているみたいです」


「それはなんとも、若様らしいですな……昔の若様はすぐに手の出る子供でしたが、その代わり、相手の子供から手を出されても、全く気にしませんでした」


 ソラとしては、聞きたいのはそういうことではなくて、スティーブン自身がララをどう思うかだった。屋敷の中心人物の一人であるスティーブンが味方になってくれれば、心強い。


 そこでソラは、直裁にこう聞いた。


「スティーブンさんも、イコライさんに賛成なんですか?」


「私ですか? 私の考えは若様とは違います。殺人未遂は重罪だと思います……ただ」


「ただ?」


「世の中には、許されない過ちなどほんの少ししか存在しない……私はそう思います。許されない過ちなどというものは、多くの人が考えるよりも、ずっと少ない数しか存在しないのです。そして、それ以外の過ちは許されなければなりません……もしそうしなかったら、世の中は、絶対に過ちを犯さないことに固執するつまらない人間や、過ちを犯したとしても絶対にそれを認めず、謝罪もしない、不誠実な人間ばかりになってしまうでしょう」


 急に饒舌になった自分を前に、ソラがぽかんとしているのに気づくと、スティーブンは少しばつが悪そうに付け加えた。


「……いえ、これは先代ご当主の、キリア・ブラド様の受け売りなのです」


「先代というと……」食器を洗う手を動かしながら、ソラは聞く。「イコライさんの、お祖父さんに当たる人ですか」


「ええ。戦争に負けて没落していたブラド家を一代で立て直した、立派なお方です。私を雇ってくださった恩人でもあります」


「優しい人だったんですね」

「とんでもない。とても厳しいお方でした」

「そ、そうなんですか……?」


「ええ、それはもう、キリア様は全ての仕事に対して最高の水準を要求するお方でした……けれど、ミスをしたとしても、当人が反省していれば、必ず許してくださるお方でもありました。そうしないといつまで経っても人が育たない、若い頃にそれで苦い経験をした、とおっしゃって」


 スティーブンは、遠い昔を思い出すように瞑目して、こう続けた。


「最初の面接の時も、キリア様は私が犯した過ちも許してくださいました。ソラさん、私は面接で嘘をついたのですよ」

「スティーブンさんが?」


「ええ……私が美辞麗句を並べて作った志望動機を、キリア様はすぐに嘘だと見抜き、本当のことを言えと私に命じたのです。私は観念して白状しました。『テレビドラマで見た執事を格好いいと思ったから』だと」


「……え?」

「滑稽でしょう。どうかここだけの秘密にしてください。若様も知らないことです」

「ええ、もちろんです。秘密にします」


「……現代ならともかく、当時の感覚としては、私の志望動機は論外、というより、非常識の極みと言えるものでした。世の中にはまだ、身分の違いを意識する風潮が残っていましたからね……ですが、キリア様はそんな私を許してくださいました。『そのようなことは、これからお前が引き起こすであろう数々のトラブルと比べれば、大したことではない』とおっしゃって……おかしいことに、現実にそうなりました」


 ソラは、昔語りを続けるスティーブンを見ながら、人には歴史があるんだなあ、と感心した。ロボットの自分とは違う、とも思った。


「……それから何十年も経って、もうほとんどミスをしなくなった私の前に、あるとき現れたのがララさんです。彼女の履歴書は……それはひどいものでした。身体が弱いせいで学校にも満足に通えなかったララさんは、自分を売り込もうとするあまり焦っていたのでしょう。本当にひどい履歴書と自己アピールでした」


「でも、許したんですね」


「ええ。一生懸命な様子は伝わってきましたからね……正直な話、迷いはあったのですが、いまとなっては彼女を雇って良かったと思っています。ララさんはあれで芯の強い人ですよ。若くて経験が乏しいために、たまに暴走することがあるだけです」


「じゃあ、今回のことも……?」


 許したいと思っているのか、と暗に聞くソラに、スティーブンは急にもっともらしく居住まいを正して、こう言った。


「私は単なる使用人に過ぎません。処分をお決めになるのは、お仕えするご家族です」


 長年に渡ってブラド家に仕える忠実な老執事は、背筋をピンと伸ばしてそう答えたのだが、ソラにはわかった。スティーブンには確固とした意見がある。ただ、自分の職業上のプライドのために、それを言わないだけなのだ。




「……行ったみたい。出てきても大丈夫だよ」


 ララが言うと、ベッドの下から、黒い猫が顔を出した。

 クリッとした丸い目で、部屋の中を見渡す黒猫。

 それを見て、思わずララの頬が緩む。


 手を伸ばすと、クンクンと匂いを嗅いでくる。あごの下をかいてやると、気持ちよさそうに目をつぶって「もっとかいて」とでも言うかのように、首を伸ばしてくる。


 そんな様子を見ていると、ここのところの騒ぎで荒んでいた心が、少しずつ癒やされていった。


「……ありがとうね。お前が来てくれたおかげで、ちょっと元気になったよ」

 ララは黒猫の頭をなでながら言った。

「お前、野良じゃないね……人に馴れすぎてるもの。どこから来たのかな?」


 その前日、ララが住む半地下室の窓から入ってきた黒猫は、どういうわけか、すぐに出て行こうとせずに居着いてしまった。ご飯をちょっと分けてあげたのがよくなかったのかもしれない、とララは思う。


「でもなぜか、ソラさんが来ると隠れちゃうんだよね……そのせいで言いそびれちゃって。どうしよっかな……でも、もうちょっとここにいて欲しいな」


 物憂げな顔をしてそう語りかけるララは、しかし、黒猫が頭の中で考えていること知らない。


(チッ。この女、病人かよ。この部屋に引きこもってるみたいだ……これじゃ屋敷の中を探れねえ。さて、どうしたもんかな……)


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