39 反響
「八四機……撃墜!」
ミキ・イチノセが携帯のニュースを見て、北極で行われた戦闘の結果を知ったのは、それから数日後のことだった。
フェアリィ社による当初の報道発表は「駆逐艦一隻撃沈」という戦果に関するものだけで、自軍の損害については触れておらず、そのため多くの市民は「また連邦がSHILFに勝ったのだ」と思い込んでいた。
ところがフェアリィ社は、空母に乗艦していた従軍記者に対して、一夜にして大勢のパイロットと多数の戦闘機が消えてしまった理由をどうしても説明できず、やむなく損害の発表に至った……だが、この時もまだ、損害の大きさよりも、フェアリィ社が損害を隠そうとしていたことの方が問題になっていた。市民はまだ「駆逐艦一隻を撃沈したので、死傷者の数で言えばフェアリィ社の勝利だ」という報道発表を鵜呑みにしていたからだ。
報道番組に出演した数々の軍事専門家のコメントによって、フェアリィ社の嘘が暴かれ、市民の怒りに火がつくまでには、さらに数日を要することになる。
だが、戦闘機パイロットであるミキには、そんな時間は必要なかった。
駆逐艦一隻と、戦闘機八四機……現代の航空戦においてどちらが重要なのか……言い換えれば、フェアリィ社とSHILF軍のどちらが本当の勝者なのか、考えるまでもなかった。
ミキにはわかっていた。これはかつての「ノーザンライト作戦」よりも重大な、ここ数十年で最大の敗北だ、と。
実際にはミキの考えですらまだ生ぬるいほど、状況は深刻だった。
この「ライトゲーム作戦」の敗戦によって、フェアリィ社の戦闘機パイロットのうち七一人が戦死、一三人が捕虜になった。
この八四という損失数は、フェアリィ社に所属する全戦闘機パイロットの約六パーセントに当たる。ただし、この母数には、戦闘機搭乗資格は維持しているものの、現在は地上もしくは艦隊勤務となり、実戦で出撃することはあり得ない人員も含んでいるため、実際の現場パイロットの損耗率は、六パーセントよりずっと大きかった。
毎年フェアリィ社に入社する戦闘機パイロットは、中途入社を含めて四〇人前後いる。だがこの四〇人は高齢で引退したパイロットの穴埋めがほとんどなので、失った八四人を補充するには、採用を大幅に増やさなければならない。当然、パイロットの技術水準の低下が予想された。
おまけに、失ったパイロットたちは、空母からの作戦資格を持つ選りすぐりの一流パイロットばかりだった。一年や二年では補充できない、貴重な人材だったのだ。
これら全てを総合して考えると、フェアリィ社は、わずか一夜の戦いに破れたことが原因で、今後数年に渡って回復することが困難な損害を被ったと言えた。
かくして、このライトゲーム作戦の敗戦をきっかけとして、フェアリィ社の戦力は弱体化し、同社が管轄する大公海を中心に、世界情勢の不安定化が進む。
……そして、その不安定な情勢に乗じて、後にイコライ・ブラドが頭角を現すことになる。
だが、ミキはさすがに、そこまで考えてはいない。いま考えるのはただ、前線に行かなくて本当に良かった、ということだけだった。策略を巡らせて、敵前逃亡と言われるリスクまで負って、それでも前線行きを拒否して本当に良かった、と思った。
もし前線に行っていたなら、自分も死んでいたかもしれない。きっと、サヤカと一緒に。
ミキがニュースを知ったのは、朝、ホテルの部屋でのことだった。彼女はすぐにサヤカを起こして、戦闘の結果を伝えた。
さすがのサヤカも、それを聞くと神妙な面持ちになって黙った。自分が現場にいたら戦闘の結果を変えられただろうか、と彼女は考えたのだが、さすがに無理だと思った。気に入らないが、事実は認めなくてはならない。だから真顔になって黙った。
「サヤカ……」
サヤカは、そう言ったきり言葉に詰まったミキのことを、いきなり抱きしめた。そして「大丈夫、大丈夫ですよ」と優しく言った。なんだか、そうした方がいいような気がしたからだ。
勘は当たっていたようで、ミキは拒むことなく、顔をサヤカの肩にうずめて、静かになる。
それを見て、改めてサヤカは思った。
たとえ、これから世界がどうなったとしても……自分はこの人を守ろう、と。
「すごいな! ケン! お前の言った通りだ!」
対照的に、こちらは大騒ぎだった。
「勝ったよ! SHILFが勝ったんだ! あのフランシスっていう提督がやったんだ! すごいな、やっぱりSHILFはすごい!」
「……はしゃぎ過ぎだ、イコライ」
ケンはベッドの上からそう言ってイコライをなだめるが、彼自身、どこか嬉しそうな顔をしていた。
「これがはしゃがずにいられるかって! SHILFはここ二十年、ずっと負け続けてきたんだ……ノーザンライト作戦はたまたま上手く不意をついただけの例外で、もし正面から戦ったら、SHILFは連邦に叶わないって、みんな思ってた……でも、これからは違う。みんなSHILFに一目置くようになるよ」
「そうだと良いな」
「……どこが良いんだ、このバカ野郎ども」
戸口に立って低い声で言うカイトを見て、イコライは、またこの旧友が冗談を言っているのだと思った。
「カイト、そう言うなよ。今日は歴史の転換点かもしれないんだぜ。お前は好きだろ、歴史」
「ケッ。本当におめでたい野郎だ。世の中ってものを全然わかってないな……そんなことで世界を平和にしようなんて、とんだお笑いぐさだぜ、イコライ」
ここでようやく、イコライはカイトが本気で怒っていることに気づいた。
「なんだよ、カイト。お前は何が言いたいんだ」
「あのな、いまはそんな大喜びしていられるような状況じゃないんだよ……フェアリィ社が、いや、連邦軍がここまでぶちのめされて黙って引き下がると思ってるのか? もし連邦が大規模な反攻作戦を始めたら……世界大戦の勃発もあり得るんだぞ」
イコライは、そんなこと全く考えていなかったので、唖然として黙った。カイトの言う通り、確かに自分はバカだと思った。
「……そ、そうか」
「ああ、そうだ。まあ、ここから一、二週間が山場だろう……交渉で和平を結ぶか、さもなきゃ世界大戦か……歴史の転換点は、今日じゃなくて、来週かも知れないんだ」
そう言い切った旧友に対し、さすがのイコライも、この時ばかりは何も言い返せなかった。




