33 ライトゲーム作戦Ⅱ -老将-
スクリーン上のアイコンの下に記された数字が、みるみる小さくなっていき、ゼロを割り込むと同時に、×印に変わる。
窓のない司令部にとっては、たったそれだけのことが、一隻の軍艦の最期を意味していた。
その光景を傍から見ていて、マリアは思わず息を呑む。
(もし負ければ、自分もこうなるのか……)
だというのに、自分の仕事は、フランシスに電話を取り次いだり、フランシスの代わりに電話をかけたりといった雑用でしかなくて、マリアは歯がゆく思った……いや、軍隊でもっと重要な仕事を任されたい、というわけではないのだけれど。
というか、味方の軍艦を一隻沈めておいて、平然としている司令部スタッフの面々が、マリアには半ば信じられなかった。いくら、たまたま装備の更新の途中で、高価な電子機器を取り外していた中身空っぽの艦とはいえ……司令部に出頭して労をねぎらわれた艦長の固い表情を見ると、マリアはいたたまれない気持ちになるのだった。
「中身空っぽの軍艦一隻で勝利が買えるなら、安いもの」ということなのか。
まったく、軍隊というのは、というより、フランシスの周りというのは、自分が知ってるのとは異質な価値観で動いていると、マリアはつくづく思った。
そんなフランシスの読みによれば、作戦の次の段階まで一時間以上あるということで、乗員は交代で休憩を取ることになった。
休憩が始まってしばらく後、マリアは司令部に詰めるみんなのために、食堂まで行ってコーヒーを取ってくることになった。
最初は司令部で一番下っ端のスタッフが行く流れだったのだが、マリアは自分から行くと申し出た。自分でもどうしてだかわからない。強いて言えば、外の空気が吸いたかったというところか。
食堂に着くと、担当者からは「コーヒーはたったいまなくなったばかりだから、入れ直すまで待っていろ」と言われた。
と、その時。
「マリア大尉!」
食堂の席の方から呼ばれて、マリアは振り返る。
見ると、そこには休憩中のバシル大佐がいた。彼が手にするマグカップからは、湯気が立ち上っている。どうやら、最後のコーヒーを注文したのは彼だったようだ。
大柄で強面の補給参謀は、自分の前の席を手で指し示して言った。
「この席、空いていますよ」
第二種戦闘配置が発令中の食堂はほとんどの席が空いているのだが、バシル大佐の仕草は、ここに座れという意味に他ならなかった。
自分より三つも階級が上の相手に言われては、マリアは断ることができない。正直、バシルの強面を見ると少し怖かったが、そんなことは表に出さずに大人しく「失礼します」と言って、マリアはバシルの前の席に座る。
バシルは笑顔で言った。
「あなたとゆっくり話す機会はありませんでしたからな。ちょうどいい機会だと思いまして」
「はい……あの、バシル大佐」
「はい?」
「そのような丁寧な言葉遣いをしないほうが、よろしいのではないでしょうか。私と大佐では、階級も立場も、全く違います」
「ああ、いや……これはまた、やってしまいましたな。人事にも面談のたびにうるさく言われるのですよ。そういうのは、いまは女性蔑視と取られる可能性があると。申し訳ない。男ばかりの古い軍隊で育った人間なもので……女性軍人でも、ある程度気心が知れれば問題ないのですが、面識が薄い相手だとどうも……」
司令部でも随一の偉丈夫が、ばつが悪そうに頭をかく様子を見て、マリアはなんだかおかしく思い、少しばかり警戒を緩めて笑った。
「いえ……少なくとも私に関しては、さっきのは撤回します。丁寧にする分には、それほど問題ないと思いますよ。逆だとまずいでしょうけれど」
「ほう!」聞いたバシルは、破顔一笑する。「さすが、話がわかりますな! いやいや、評判通りのお人のようだ」
「え? 評判?」マリアは眉をひそめる。「私、噂されてるんですか?」
「ええ。もちろん、良い評判ですぞ」とバシル。「今度の副官は手際が良いとか、臨機応変に対応してくれるとかね」
聞いて、マリアは目を丸くした。自分は別に、普通のことをやっているだけのつもりだったのだが。
「ま、軍隊には頭の堅い人間が多いですからな。民間出身だったことが、良い方向に働いたのかもしれません。フランシス提督自身、そうした人間を好む傾向があるようですし」
「は、はあ……」
「ああ、良い評判といえば、美人だというのも評判になっていますよ。若い男性士官のうち何人かから、あなたが独身なのかと聞かれ……ゴホン。いまのは謝罪して撤回します。あなたの個人情報は守られているので、安心してください」
マリアの顔が引きつるのを見て、バシルはなんとか軌道修正する。
マリアはそれを前向きに評価することにして、話を戻した。
「でも、私なんて、突然召集されて軍隊に放り込まれて、右も左もよくわからなくて……大卒後に何年か軍隊にいた時の経験なんて、大して役に立たないし。民間の経験だって……」
「……わかりますよ」
バシルは神妙な面持ちになって、マグカップに目を落とした。
「当たり前のことですが、人間なら誰しも、違う世界に飛び込むと不安になるものです……私も十年前に進路変更したのでね。よくわかります」
「進路変更? 元は補給関係ではなかったのですか?」
「ええ。十年前まで、巡洋艦の艦長をしていました」
マリアはまたしても目を見開く。マリアの知る限り、巡洋艦の艦長と補給参謀では、同じ軍隊でもキャリアパスが全く違う。
その背景を、バシルは問われる前に語り始めた。
「十年と少し前、人事制度に大きな変更があったのです。それまでの軍隊というのは、レイズ・オア・フォールド、すなわち、昇進できなかったものは後進に席を譲るために除隊して去る、と決まっているものでした。いまでも、連邦軍はこの形式を採っていますな。ですが十年ほど前、SHILFの大規模な軍拡が本格化しました。軍が深刻な人材不足に陥った当時、私は言われたのです。お前は昇進してもせいぜい大佐止まりだから、このままずっと巡洋艦の艦長を続けるか、人手の足りない補給部門に移るか、どちらかを選べとね」
「……」
「当然、私は艦長を続けることを選びました。むしろ、ずっと現場の第一線で戦えるなんて、願ったり叶ったりだと思いましたよ、その時はね……ですが、あの作戦に参加して、考えが変わりました」
「あの作戦?」
「ノーザンライト作戦です」
バシルは興が乗ってきたと見えて、雄弁に当時のことを語り始めた。
「ご存知でしょう。AMMを世界で初めて大量運用したSHILF軍が、連邦のステルス戦闘機を圧倒した戦いです。連邦が莫大な費用をかけて開発・製造したステルス戦闘機は、放ったミサイルをAMMでことごとく撃ち落とされ、張り子の虎と化しました」
もちろんマリアも覚えている。SHILFにとって久し振りの軍事的勝利だということで、あの時は大騒ぎだった。
「AMM時代の空戦においては、武装搭載量が大きな意味を持ちます。AMMという防御手段を得た戦闘機にとって、武装搭載量は攻撃力であると同時に防御力でもあるからです。ですが、ステルス性を得るために武装の全てを機内に収容しなければならないステルス戦闘機は、武装搭載量を増やすには限界がある。また、ステルス戦闘機はコストが高く、在来機と比べると少数しか配備できない。その結果、ステルス戦闘機では、在来型戦闘機の『大量のAMM』という防御網を貫けなかったのです」
「この戦いによって、ステルス戦闘機はその高額な費用に見合うほどの価値はないと明らかになり、連邦はほとんどのステルス機計画を放棄せざるを得なくなりました……敵がそれまでにかけた莫大な予算を、一夜にして無駄にさせることができたのですよ……ですが、私にとって重要なことは、この戦いにおいてそのように戦闘機が猛威を振るった一方で、巡洋艦が全く何の貢献もしなかったことでした」
「……」
「私はただ、艦長席に座りながら、スクリーン上で明滅するアイコンを見ているだけでした……当時、SHILFの国民も軍人も、連邦のステルス戦闘機によって国土が蹂躙されてしまうのではないかと、心の底から恐れていました。それが大きく覆されようとしている、歴史的瞬間を目の当たりにしているのに、自分は何をしているのか……」
「それをきっかけに、私は気づいたのですよ。巡洋艦の艦長より、補給担当の方が、より戦局に貢献できるのではないかとね」
「畑違いの分野に移るのは、不安もありました。実際、最初の頃は、部下に鼻で笑われるような経験もしました」
「それでも、必死に勉強して……いまではそれなりに、艦隊の補給参謀を務められているつもりです。私が手配した弾薬を戦闘機パイロットたちが使うのだと思うと、いくぶん、誇らしい気持ちになりますよ」
バシルが言葉を切るのを見て、マリアは言った。
「……貴重なお話、どうもありがとうございます」
「こちらこそ……年寄りの長話に付き合わせてすまなかったな、大尉」
最後に、なんだか「気心が知れた」ような言葉遣いになって、バシル大佐はコーヒーを飲み干すと、席を立っていった。
その後、入れ立てのコーヒーが入ったポットを持って司令部に向かいながら、マリアは考えた。
バシル大佐が畑違いの分野に移ったのは、民間で言うところの「やりがい」を求めてのことだろう。
やりがい……それは、マリアが一番嫌いな言葉だった。
やりがいという言葉を使うやつにロクなやつはいないというのが、マリアが固く信じるところだった。
やりがいとは、人を甘い言葉で釣って搾取するための詭弁であり、愚か者がその愚かさ故に追いかける妄想である、と。
だが……それでも、いまはこう思う。
バシル大佐は「ロクでもないやつ」には見えなかったよなあ……と。




