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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第2章 トライアル
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32 ライトゲーム作戦Ⅰ -罠-

 解放暦七五年、六月二九日。

 大公海中央時間にして午後四時。


 フランシスが率いる六隻の小艦隊は、大公海の北端に位置するエリューティア海に到着した。


 この海域は年間を通して雲面が平坦で、見通しがよく、奇襲を受けにくい。それ故に、過去何度もSHILF軍と連邦軍が戦火を交えてきた、歴史的な決戦場だった。


 現在は、SHILF軍がやや弱めの航空優勢を保っているが、海域の南端には既にフェアリィ社の空母艦隊が侵入。哨戒するSHILF軍機との間で小競り合いを繰り返している。


 だが、それも今日までだ。


 巡洋艦ノーザンライトに設けられた、艦隊司令部。全ての参謀と幕僚、その他の下級スタッフが勢揃いして、各自の端末に向き合い、神妙な面持ちで命令を待っている。


 あのマリア大尉も、いまはフランシスの左手側の席についていた。フランシスからは背中しか見えないものの、そのピンと張った背筋からは、ほどよい緊張感が伝わってくる。


 そしてたったいま、後方の支援部隊が「異常なし」と言ってきた……インターナショナル級正規空母二番艦ユニオンを基幹とする第二分艦隊は、旧型艦に護衛されつつ、戦闘機隊の支援拠点となるべく、後方でスタンバイしている。そして、第三戦闘航空管制はこう言ってきた……戦闘機隊は予定通り離陸した、と。


「ユスフ」


 命令を発する前に、フランシスは子飼いの作戦参謀に対して、用意していた謎かけを出した。


「なぜ俺が今日を決戦の日に選んだか、わかるか?」

「え……」


 あまりにも唐突に聞かれたユスフ中佐は、その童顔を思わずキョトンとさせる。


「六月二九日ですよね……申し訳ありません。わかりません」

「ふむ。マリア大尉、君はどうだ」


 すると、マリアは背中を向けたまま振り返らず、ただ固い声で答えた。


「正解したら、ヘルメットを着けてくれますか?」

「それは断る」


 戦闘中、乗員はヘルメットを着用するのが規則になっている。が、司令部ではフランシスとユスフだけはヘルメットを着用せず、正装用の制帽を被っていた。理由を聞くと「指揮官は格好良くなくてはいけないからだ……あのヘルメットはダサい」と来た。マリアはまだそのことを(なぜか)怒っていたが、フランシスは押し通すつもりだった。


「自信があるんだったら答えてみたまえ、マリア大尉。六月二九日という日付には、どういう意味がある?」

「……半期決算の締め日の直前、ですか?」


「おお、さすが。ご名答だ」フランシスは満足げに笑った。「三〇日だと、さすがにギリギリ過ぎると思ってね。こちらの思惑通り、決算日を前にして、敵が焦ってくれるといいんだが……下らないと思うか、ユスフ」


「い、いえ」


 口をあんぐりと開けて驚いていたユスフは、慌ててかぶりを振る。


「自分は決して、そのような……」

「まあ、下らないかどうかは、これからわかる」


 少しは緊張がほぐれたかな、と思いつつ、フランシスはその命令を下した。


「全部隊に通達。作戦に変更なし……予定通り『ライトゲーム作戦』を開始する」


 連邦側呼称「第四次エリューティア海戦」。

 SHILF側呼称「ライトゲーム作戦」。


 二つの名前を持つ一つの決戦が、こうして始まった。



 フェアリィ社の艦隊指揮官ジェイス・マッケンリー中将以下、艦隊司令部のスタッフたちは悩んでいた。


 敵であるSHILF軍の動きが、どうもおかしいのである。


 カナリア級情報収集艦を前に出して、こちらの電波情報を集めようとしているのは、まあわかる。

 だが、先ほどから、その情報収集艦の位置が、少しばかり前過ぎるように思えるのだった。


 攻撃を主張する士官もいたが、作戦会議の結果「罠の可能性もある」という結論に達し、継続して情報収集に努めることとなった。


 そういうわけで出撃させた無人偵察機が、まもなく情報収集艦をカメラで捉えることになっていた。敵は迎撃機を出してきていて、偵察機はすぐに撃墜されてしまうものと思われたが、撃墜されるまでの短い間だけでも、現場の情報は得られる。


 さて、現場はどうなっているのか……。


「偵察機からの映像です」

 担当士官のそんな言葉の後に、各自のモニターに映し出された映像は……

「何だ、これは」

 ジェイス提督は、思わずそれを見て声を上げる。


 映像には、情報収集艦から立ち上る、大量の黒煙が映し出されていた。


「甲板に激しい赤外線反応……火災です!」司令部の担当士官が叫んだ。「敵艦は火災により航行能力を喪失し、漂流しているものと思われます!」


 すぐに偵察機は撃墜されてしまい、その後はAEW(大型レーダーを搭載し、長距離を見通せる軍用機)による、レーダースクリーン上での監視となった。


 情報収集艦はしばらく漂流していたが、やがて、そこに六隻の艦隊が現れる。レーダー反射のパターンから、それはSHILF軍の最新鋭艦艇、ノーザンライト級およびポラリス級と断定された。また、護衛とおぼしき戦闘機隊の姿も、レーダー上にポツポツと現れ始める。


 艦隊は情報収集艦のすぐ近くに集結し、しばらく制止していた……かと思うと、情報収集艦が急激に高度を下げ始めた。


「敵艦のレーダー反応が消失……沈没したものと思われます!」

「ふむ……」


 おそらく、機密保持のため、乗員を救出後に自沈させたのだろう。


 その後、六隻の艦隊は横一列になって、全速力で北上を開始していた。

 だが、そこはまだ、フェアリィ社の戦闘機隊の攻撃範囲内だった……。


 急遽、提督の席に参謀たちが集まって、即席の作戦会議が開かれる。


「罠ではないと思います」

 参謀長のロック・ヘレウス准将が進言する。

「高度な電子機器の塊である情報収集艦は、下手な戦闘艦よりも高価で貴重です。罠のために沈めるとは考えにくい。おそらく本当に、火災で漂流し、艦隊による救出作業の後、自沈したものと思います」


 実はこの時、すでに彼らは「SHILF軍が決戦を望んでいる」という情報を掴んでいた。


 だが、もちろんSHILF軍側の作戦の詳細までは知らない。そのためまさか、いまどきこんな手の込んだ奇策に走る軍人がいるとは思わず、これが罠ではないと思い込んでしまっていた。


 まんまと騙されているとも知らず、ジェイス提督が続ける。


「つまり、情報収集艦を救援した結果、艦隊が突出してしまった、と」


「はい。敵の保有する戦闘機数から逆算してみましたが、いまから約三時間半後、ローテーションに隙が生じます。敵は艦隊防空システムに自信があるのだとは思いますが、本当にそれが敵の予想通りに動くかは、やってみればわかることです。いずれにせよ、敵戦闘機の数が十分でない時間帯を突けば、反撃によって我が軍に重大な危険が及ぶことはありません。ここが重要なポイントかと思います」


「ノーリスクで攻撃ができるというわけだな」

「その通りです」


 つまり、こういうことだ。


 戦闘機隊による対艦攻撃が成功すれば、それでよし。

 失敗したとしても、せいぜい、戦闘機を数機失うだけで済むだろう。


 フェアリィ社では、軍艦を撃沈した時の成果は高く評価され、戦闘機を撃墜された時の失敗は、そこまで重視されない。


 だとすればこれは、分の良い賭けだ。


 ジェイス提督は、投資の本で読んだ格言を思い出した……いわく、世の中の投資は、ハイリスク・ハイリターンか、ローリスク・ローリターンか、この二つのどちらかしかないのだという。


 だがもし、ローリスクでハイリターンの投資があったとしたら?


 そんなもの、乗るしかないに決まっている。


 おまけに、今日は六月二九日。半期決算の締め日が近い。

 ジェイス提督は、前任者の交代として前線に来ている。つまり、先の戦闘の戦功は、彼のものではない。


 ここで手柄を立てなければ、自分は無駄足だし、手柄を立てれば……賞与の査定に有利に働く。


 さらに、ロック参謀長は続けた。


「こちらには、例の通信妨害もあります。先の戦闘と同様、データリンクを寸断されれば、敵は思うように戦えないでしょう」

「……わかった」


 ジェイス提督は命じた。


「参謀並びに幕僚各位は、攻撃作戦の立案を開始しろ。パイロットは全員起床。整備班に命令。キメラは対空装備、グリフィンは対艦装備で待機……全機、出撃準備だ」

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