26 マリア・タラノヴァの戦争Ⅲ -軍事機密-
マリア・タラノヴァ大尉は、基地の講堂の舞台袖に立って、演壇に立つフランシスのことを見ていた。
身振り手振りを交えながら、熱心に演説をするフランシスを見ながら、マリアは、ついさっき目の前で交わされた会話の意味を考えていた。
「……本当に、よろしいんですか?」
「ああ。俺はこうするのが正しいと思う……大丈夫、きっと良い方に働くよ」
胸を張ってそう答えたのがフランシスで、不安そうに聞いたのは、フランシスの腹心の部下として知られる、ユスフ・アーナンド中佐だった。
何気ない会話に思えたが、マリアにはどうにも解せなかった。
これまでマリアが見る限り、ユスフという人物は、常にフランシスに全幅の信頼を置き、子犬のように後をついていく男だった。
そんな彼が「本当によろしいんですか?」などと、フランシスの判断を疑うようなことを言っている。
マリアからすれば、フランシスがやっているのは艦隊の全将兵を前に演説をするというだけのことで、別段、気に留めることでもないような気がするし、実際、演説するフランシスを舞台袖から見ていても、特に問題があるようには思えなかった。
にも関わらず、舞台袖からフランシスの横顔を見守るユスフは、どこか難しげな顔をしていた。
(これはひょっとして……私の気づかないところで、何か悪いことが起きているのでは?)
そう思ったマリアは、いても立ってもいられなくなった。自分には生きて愛する息子の元へ帰るという使命がある。問題が起きているなら、放置はできない。
「あの……ユスフ中佐」
「ん?」ユスフは、まだ十代にも見える子供っぽい顔に、物憂げな表情を浮かべて振り返った。「なんですか、マリア大尉」
「先ほど提督と短く話していたのは、どういう意味だったのですか?」
それを聞くと、ユスフはフッとおかしげに笑うような素振りを見せた。
「マリア大尉、あなたは民間から召集された予備役士官でしたね。忠告しておきますが、軍隊では情報を共有するのがいいこととは限らないんですよ……どこかから作戦が漏れれば、誰かが死ぬことになる」
「は、はい! 申し訳ありません」
まずいことを聞いたらしいと察してマリアが謝ると、ユスフは視線をフランシスに戻して黙った。フランシスは、相も変わらず、拳を振りながら熱心に演説している。兵士たちは真剣な顔で聞き入っていた。マリアは、会話は終わったと思った。
だがその時、演壇のフランシスが、艦隊の全将兵およそ五千人を前にして、こう宣言した。
「……準備が整い次第、我が艦隊は出撃し、敵を求めて南進。敵艦隊と艦隊決戦を行い、これを撃滅する!」
それを聞いた兵士の間から、ざわめきが起こる。
マリアはそれを見ても、まあ、驚くのも当然だろうな、としか思わなかった。
世間一般の見方では、先日の戦闘で敗北したSHILFは、守りを固めるだろう、と思われていた。攻めてくるとしたら連邦軍の方で、SHILFから攻めていくことになるとは、予想していない者が多かった。だから、多くの兵たちが動揺するのも当然だ。
きっと、講堂の外、テレビ中継で演説を見ている兵士たちも、同じようにざわついていることだろう。
だがフランシスは、重々しい声ですぐに兵たちを落ち着かせ、演説を続けた。
そのタイミングで、ユスフが再び口を開いた。
「まあ、提督は僕とは違う意見みたいですからね……あなたに話すのもいいでしょう」
と言って、マリアの方に振り返ると、ユスフは続けた。
「今回の作戦は、奇襲の要素が大きい。こちらが艦隊決戦を望んでいるということさえ、敵に知られることは好ましくない。それはあなたにもわかりますね」
「はい」
「それはつまり、どこかから作戦が漏れたら、僕たちは負けるということです」
「……え?」
それを聞いた後で、改めて大勢の兵士たちを前に演説しているフランシスを見たマリアは、今度はそれを普通のこととは思わなかった。背筋が凍る気がした。
ユスフは言った。
「人から人へ、噂話の形で伝わることもあり得るし、敵と内通している兵が絶対にいないとも言い切れない。それに、最近ではSNSというものもある……演説を聴いた兵の中の誰かが、情報を漏らさないという保障はありません」
「で、でも、自分が乗り組む艦隊の情報ですよ? 自分の命も同然です。それを漏らすなんて……」
「へえ。あなたは信用できるんですか? 五千人を超える艦隊の将兵全員が、まともな思考回路の持ち主であると」
「……」
ユスフは、絶句するマリアから視線を逸らして、再び演壇のフランシスに視線を注ぐ。
「……ところが、あの人にはそれができるんですよ。この件に関してちゃんと話をしたわけではありませんが、フランシス提督の考えることは大体わかります。艦隊決戦を行うことを知らせないまま出航すれば、いざ決戦となった時に、兵たちが動揺する。だから決戦を前に士気を高めるにも、情報の一部を知らせる必要があるというのが、あの人の考えなんです」
ユスフは、フランシスを見て言った。
「僕にはとてもできない……だが、指揮官はああでなくてはならない。あの人を見ているとつくづく思いますよ。僕は参謀には向いているかもしれないけれど、指揮官には向いていない、ってね」
フランシスを批判するどころか、むしろ賞賛し始めたユスフを見て、マリアは目まいを感じた。
マリアにとって、フランシスは、人のことを危険な方へ危険な方へと追いやっていく、疫病神か何かとしか思えなかった。




