24 捜査官、着任
イコライ・ブラドが初めて「連邦政府を倒す」意志を明確にした、ちょうどその頃……当の連邦政府の側も、ゆっくりと動き始めていた。
「遅いっすね……予定の時間をとっくに過ぎてますよ、お姉さま」
サヤカは恨みがましくそう言ったが、言われたミキは涼しい顔で「待つのも仕事だよ」と返すだけだった。
ミキとサヤカがいるのは、サン・ヘルマン島の一角にある、小型航空船用の停泊場だった。
風に揺れて波立つ水面。コンクリート製の岸壁。そして、岸壁から突き出した、いくつもの桟橋。
ミキは岸壁に立って遠く水平線を見つめていて、サヤカはその横に突っ立ていた。二人とも、フェアリィ社の白い制服姿だ。
「そもそも、わざわざ出迎える必要なんてないんじゃないですか?」
「別に出迎えに来たわけじゃない」
ミキはサヤカに視線も向けずに返事をした。サヤカは、真剣すぎて怒っているようにも見えるミキの横顔を見て「カッコイイ……」と思った。海風になびくミキの黒い髪が、美しかった。
「ただ、相手の方から、船の中で話がしたいって言ってきたから……」
「え? どうしてですか?」
「さあ? 誰にも聞かれる心配がないとか、そういうことじゃない?」
「ふーん……なんかメンドくさいなあ。お姉さま。もう私、寝っ転がってていいですか?」
「勝手にすれば? でも陽射しが強いから、コンクリートの上に寝転がったら、むしろ暑苦しくなると思うよ」
そんなことできるわけがない、とタカをくくっていたミキだったが、ここはサヤカが一枚上手だった。
「はーい」
と言って、サヤカは本当に、ごろんとその場に横たわってしまったのだから。
「ちょ、サヤカ!」慌てるミキ。「やめてよ! 誰かに見られたらどうするの!」
「んー? 好きにしろって言ったじゃないですか~」
「やめて! フェアリィ社の制服を着てそんなことしないで!」
「じゃあ制服脱ぎまーす」
などと言い、サヤカは本当に制服を脱ぎ始めた。
「サヤカ!」
と、そのあたりでひとしきりミキを困らせたので満足して、サヤカは「よっこいしょ」などと言いながら起き上がった。
大きなため息をついたミキのことなんかお構いなしに、サヤカはふと、目の前に広がる景色に意識を向ける。
「……ねえ、お姉さま」
「ん?」
「子供の頃から思ってたんですけど、航空船の停泊場って、どうしてプールになってるんですか?」
サヤカの言った通り、目の前に広がる水面は、旧世界にあったといわれるような、水で満ちた海ではない。四方をコンクリートに囲まれた空間を水で満たした、いわゆる「プール」だ。
「航空船なんだから、その辺に鎖でつないで、浮かべておけばいいと思うんですけど」
それを聞くと、ミキはますます呆れ顔になる。
「あのねえ……鎖でつないだだけじゃ、強風であおられた時に大変なことになるでしょ」
「あ、そっか……でも、じゃあなんでプールなんですか?」
「んー……いまから何百年か前、圧力をかけることで反重力を帯びる金属『フロティウム』の精錬法が発見されて、それからすぐに空を飛ぶ船『航空船』が発明された。でも、初期の航空船は、停泊中に風であおられると、地面や建物にぶつかったりして、危なくてしょうがなかったの」
「ふーん」
「そこで、停泊中の船を安定させる方法が色々考えられた。垂直方向の安定と水平方向の安定を同時に確保するのが難題だったんだけど、最終的に考えられたのが、まず停泊中は船の浮遊力を切って、水に浮かべておく方法。これで垂直方向の安定はクリア。で、水平方向の安定は、水上船と同じように、ロープやワイヤーで固定したり、水底に錨を降ろすことで解決したの」
「へえ、なるほど。お姉さま、物知りですねえ」
「畑違いとはいえ、同じ飛行に関することなんだから、これぐらい知ってて当然……あ」
その時、戦闘機パイロットとしてのミキの優れた視力が、目の前の景色のわずかな変化を捉えた。
「きっとあれだよ」
言われて、すぐにサヤカも船影を目視する。
そして、少し時間が経って船が近づいてくると、その船の特徴が目に入る。
汚れを弾くような光沢のある白い塗装に、優雅な流線型。
それはいわゆる「クルーザー」だった。いや、軍用の巡洋艦という意味ではない。金持ちが道楽や税金対策で買う、あの「クルーザー」だ。
「ハン。あんなもので任地に乗りつけるとか」
サヤカは鼻で笑って言った。
「何考えてるんですかね、私たちの捜査官は」
「……」
外面上、ミキは重々しい顔で黙ったが、内心では、少し不安になってきていた。今回ばかりは、サヤカの言う通りだと思ったからだ。
SHILFのパイロットを見つけるために、ミキは上司に対して専門の捜査官の派遣を要請した。港まで出向いてきたのは、その捜査官に会うためだ。
しかし、まさかその捜査官が、クルーザーで任地に乗りつけるとは……。
ああ、そうだとミキは気づいた。そうだよ。そんなこと、あるはずがないじゃない、と。
「違ったみたいだね。きっとあれは別だよ」
ミキは言った。
「連邦政府と契約してる捜査官が、あんなものに乗ってくるはずないでしょ」
「……なるほどー?」
サヤカは口ではそう言ったが、言い方が明らかに疑っていた。
果たして、数分後。高度を下げながら、クルーザーはみるみるうちに二人に近づいて来た。やがてその操縦席から、三十代ぐらいの日焼けした白人男性が顔を出す。男は手を振りながら、クルーザーのエンジン音に負けないように声を張り上げた。
「ミキ・イチノセと、サヤカ・シュリーマンか!」
「……お姉さま?」
サヤカの声を聞きながら、ミキは思った。いまさらチェンジとか言えない、と。
「……こうなったら、腹を括るしかないでしょ」
「ああ!」
とサヤカは、手のひらで目を覆うという、珍しく弱気な仕草を見せた。
「メンドくさい! ミサイルと機関砲で、世の中の全ての問題を解決できたら良いのに!」
「おーい!」
クルーザーの男は言っていた。
「返事ぐらいしたらどうなんだ!」
「そう! 私たちはフェアリィ社から来た!」ミキは叫んだ。「あなたは、ラルフ・レイソンでいいの?」
「いかにも!」
ラルフはミキたちの目の前にクルーザーを停船させる。だが、まだ着水はせず、浮遊したままだ。どうしたんだろう、とミキが思ったその時、ラルフは続けた。
「……時にお嬢さん方、どうして制服を着ているのかな?」
「え? ……だって、勤務中だから」
「俺と会ってるところを誰かに見られたらまずい、とは思わなかったのか?」
背が高くて、口うるさくて、態度がでかい、スラックスとポロシャツのダサい男……そんな第一印象が、ミキの脳内にインプットされる。
「ちょっと待ってろ。上空を旋回して、尾行がついてないかどうか確認してくる」
ラルフは言葉通り、クルーザーを再上昇させていった。ミキの第一印象に「相手の応答を待たず勝手に話を進める」が加わる。
と、その時、
「あ……猫?」
上昇していくクルーザーを見上げていたサヤカが、そう言った。
ミキが見ると、確かに、船の舷から小さな黒いものが覗いていて、それはどうやら猫の頭のようだった。猫はじっと興味深そうに、眼下の人間たちのことを見下ろしていた。
それを見返しながら、ミキは独りごちる。
「クルーザーで乗りつけて、おまけにペット同伴か……」
もしかすると自分は、人生の重要な選択を誤ったのかもしれない……いつもは強気なミキも、この時ばかりはそう思った。
上空を旋回して、尾行がいないことを確認して満足したラルフは、ようやく着水して、二人を船内に招き入れた。
「紹介しよう」
ラルフは意気揚々といった。
「アポロだ……アポロ。こちらはミキ・イチノセ中尉と、サヤカ・シュリーマン軍曹だ」
「……にゃあ!」
「……」
「……」
甲板の上で鳴く黒猫(アポロ、という名前らしい)を見て、ミキとサヤカは思わず絶句する。
「おい二人とも!」
と、それをラルフは見逃さなかった。
「ちゃんと挨拶をするべきだろう。これから俺たちは、一緒に仕事をするんだから」
「え……え?」
「猫に挨拶……ですか?」
「もちろんだ」
「ど、どうすればいいんですか?」
「まあ、猫流の挨拶というのもある。それはこうやる」
と言って、ラルフはアポロのそばにかがみこむと、軽く握った拳の人差し指を少しだけ突き出した状態にして、アポロの鼻先に差し出した。すると、アポロは首を伸ばして、鼻をひくひくさせて指の匂いを嗅いだかと思うと、すぐにラルフの手をペロペロとなめ始めた。
「あっ!」
「かわいい!」
「これが、猫の世界における自己紹介のやり方だ。これをやると、猫から礼儀正しいやつだと思ってもらえる。猫カフェに行ったときも、こうするのが一番仲良くなれる可能性が高い」
「な、なるほど……」
仕事として人を殺す戦闘機パイロットとはいえ、地上に降りればまだまだ若い女の子。ペロペロと人の手をなめる猫の様子に、ミキとサヤカは思わず目を奪われる。
「え、ええっと……」だが、ミキはためらいを見せる。「私にそれをやれと?」
「そうは言わない。人間には人間の自己紹介のやり方がある。ただ一言、よろしくと言ってもらえれば十分だ」
だったらなぜ最初からそう言わないの、と思いつつも、ミキは渋々、猫に向かって、
「よ、よろしく」
と言った。
するとサヤカは、
「あ、私は猫流のやり方で自己紹介をします!」
と言って、猫のそばにかがみこんで、拳を差し出した。
するとアポロは、最初は鼻をひくひくさせて匂いを嗅いでいたものの、すぐにプイッと顔を背けて、そのままどこかへ歩いて言ってしまった。
「ちょっと!」
サヤカは立ち上がって、ラルフに向かって怒る。
「ああすれば仲良くなれるって言ったじゃないですか!」
「いや。俺は可能性が高いと言っただけだ」
ラルフは淡々と言う。
「その人間のことを好きになるかどうかは、あくまで猫の好み次第だ……人間と同じだよ。人間だって、礼儀正しく、優しくされたとしても、必ずしも相手を好きになるわけじゃないだろう? 逆に、自分に素っ気なくする相手のことを、好きになってしまうこともある。それと一緒だ」
「む……なるほど」
納得しながら、サヤカは横目でチラッとミキのことを見たが、ミキがそれに気づく様子はなかった。
「それで、ラルフ捜査官」
ミキはようやく本題を切り出した。
「早速ですが、SHILFのパイロット……ケン・ウェーバーの捜索について、打ち合わせを行いたいのですが」
「うん、それはいいが、その前に……厳密に言えば、俺は捜査官ではない。私立探偵だ。まあ、君たちフェアリィ社の社員が世間からは軍人と呼ばれているように、俺も実質的には、連邦政府の捜査官のようなものだけどね」
「でも、あなたはどこかの探偵社に雇われているのではなく、フリーランス、つまり個人として連邦政府と契約しておられると聞きました」
ミキは続けた。
「相当に優秀な方でないと、そんなことは不可能だと思いますが」
「ああ、まあね……でもフリーランスなんて、非正規雇用と大して変わらない面も多いよ」
「では、あなたもその一人だと?」
「いや」
昼の明るい陽光の下、ラルフはそう言って否定しながら、ニヤリと歯を見せて笑った。
「いまのは言葉のあやだ。たまについ、そんな愚痴が出てね……報酬の金額に不満なんだよ。もっと高い報酬をもらってもおかしくないだけの仕事は、やっているつもりなんだが」
「それは頼もしい限りです……では、なるべく早いうちに、その仕事ぶりを見せてもらいたいんですが」
「そうだな……続きは船内で話そう。プラサード! 離水して島の沿岸部上空を航行しろ。西回りだ」
『了解しました』
ラルフの命令に、機械音声が応答する。
「……プラサードというのはこの船の名前だ。さ、中へ入ってくれ……説明するよりも、見てもらった方が早い」
ラルフの言う通りだった。
「これは……」
「何これ……すご……」
ラルフに案内されて、階段を降りて船室に入ったミキとサヤカは、思わず言葉を失う。
クルーザーの船室というのは、本来であれば、ソファやテーブルが配置されて、間接照明の下でゆったりとくつろげるような場所になっているはずだった。
だが、ラルフの船の船室は……壁一面を複雑そうな電子機器でびっしりと埋め尽くされた、薄暗く、狭苦しい空間だった。まるで、軍艦の中枢にある戦闘指令室を、小さく凝縮したかのような部屋だ。電子機器の画面が発する青白い光が、明滅を繰り返していて、いまもこの船が「何かをしている」ことを示していた。
「外見からは普通のクルーザーと全く変わらないが、それはカモフラージュだ」
ラルフは、船室に一つだけ置かれた回転椅子に腰掛け、ミキたちの方に向き直って言った。
「電子機器を満載したこのプラサードは、ちょっとした電子戦闘艦だよ。プラサードなら、クルーザーに偽装して何気なく上空を航行しながら、各種の電子情報を収集し、分析できる」
「それって……盗聴、ってことですか」
「いや。電子情報の収集と分析だ」
ラルフが言ったのは詭弁だろう。盗聴ということにすると、連邦法に抵触してしまうからだ。
「もちろん、可視光や赤外線のカメラもついているから、それで地上を監視することだってできる」
「なるほど……そうやって、標的を探したり、監視するわけですか」
「そういうことだ」
と、その時だった。
「で、ラルフ!」
唐突に、意地の悪そうな男の声がする。
「どっちの女と交尾するんだ? いや、ひょっとして両方か?」
ミキは冷静だったが、サヤカは盛大な舌打ちをして、殺意に満ちた目をして振り返る。
だが、そこには誰もいなかった。
代わりにいたのは……
「にゃあ♪」
「ね、猫……?」
船室へと降りてくる階段にいるのは、一匹の黒猫だけだった。
「猫じゃない。アポロだ」
ラルフがすぐに訂正する。
「君たちだって『女』呼ばわりされたら不愉快だろう。ちゃんと名前で呼ぶべきだ」
と、ようやくここで、ミキが勘づく。
「……ひょっとして、この猫……いや、アポロは」
「その通り」
ラルフは言った。
「アポロというのは、太陽のようにかわいい、という意味だ」
「……いつ、誰がそんな話をしましたか? そんなことはどうでもいいです」
ミキは呆れ、改めてこう言った。
「アポロは……ロボットなんですね?」
「チッ」
と、今度はアポロが舌打ちをして返した。
「もうバレちまったか。勘の良い女だ。つまんねーな」
言いながら、アポロは階段の上に、ふて寝でもするかのように寝そべった。
それを見てサヤカは、
「こいつ、ロボットにしちゃ性格悪すぎませんか」
などと言い、ミキはそれに対して「あんたに言われちゃおしまいね」と思うが、口に出すのは我慢する。
代わりに、ミキはラルフに向き直る。
「では、アポロもやはり?」
「ああ。アポロは情報収集の要だ。電子情報だけではどうしても限界があるからな。猫は人間の住んでいる地域のほとんどに生息しているから、標的に接近しても疑われにくい」
さらに、ラルフは自分自身のことを手で示しながら、続ける。
「もちろん、俺も私立探偵としてのスキルは一通り身につけているから、地上に降りて、足で情報を集めることだってできる……なんでも一人でできるのが、俺の強みなんだ。プラサードもアポロも、俺が一人で設計した。電子機器の使用だけじゃなく、故障した場合の修理や、ソフトウェアが不具合を起こした時のバグ修正でさえ、俺は全部一人でできる」
そうしてラルフは、誇らしげに胸を張ってこう言った。
「そんな人材は、大公海中を探したって、俺一人しかいないぜ」
それを聞いて、不安で濁っていたミキの目が、再び輝きを取り戻し始める。
「ラルフ捜査官」
ミキは言った。
「早速、打ち合わせに入りましょう」
言われて、ラルフも身を乗り出し、こう言う。
「獲物が飛び出したぞ、ってわけだ」




