23 イコライの決意
続けて、オクタリウスはこう言った。
「まず、全ての戦争の背景には『資源と情報の制約』があると私は考えている」
「『足りないから奪い合う』という資源の制約」
「『分け合えば足りる時であっても、他者に対する無知、無理解、無関心、時には憎悪が、分け合うことを妨げる』という情報の制約」
「結局のところ戦争というのは、人間という種に不可避的に存在するこれら『資源と情報の制約』が、最終的に行き着く、当然の帰結だ」
「……が、これではいささか抽象的に過ぎるし、個々の戦争にはそれぞれ特別な事情があることを、これだけでは捉えられない」
「そこで今回は、大公海の空中都市同士で行われている、絶え間ない資源戦争について取り上げて、具体的に見ていきたいと思う」
「雲海は金になる」
「みんなもよく知っているとおり、空中都市が戦争をする直接の理由になっているのは、雲海の利権だ」
「雲を採集し、一定の工程を経て精錬することで、様々な原材料が生産される」
「金属、プラスチック、ゴム、燃料などはもちろん、水や油、果ては塩を始めとしたミネラルに至るまで……そうした原材料は、今日ではほとんどが、採集した雲を元に精製される。陸地部分の鉱床から採取されるものもあるが、コスト面に問題があって、ごく少量にとどまっている」
「余談だが、旧世界には雲がなかったそうだから、おそらく旧世界では、工業製品の価格が、現代よりもずっと高価だったと考えられている」
「……さて、そもそもの話は、帝政時代まで遡る」
「帝政時代中期、皇帝の勅命によって、大公海における空中都市の建設が自由化されたことをきっかけに、世界は空前の好景気に沸いた」
「大勢の人々が大公海へ押し寄せ、数多くの空中都市が、この時代に建造された」
「だが、空中都市同士の距離の間隔、つまり領空の大きさは、当時の採雲船の性能に基づいて設定された。これが現代に禍根を生むことになる」
「時代が進むにつれて採雲船の性能は向上し、あっという間に各都市の領空は手狭になった。その結果、ある空域でどの都市が採雲権を持つかを巡り、係争事案が多発するようになった」
「それでも帝政が続いている間は、皇帝が強大な権力を持って私戦を禁じていたから、空中都市同士の戦争は起こらなかった」
「だが、解放戦争によって帝政が打倒されると、連邦政府がまだ不安定だったこともあって、雲海には力の空白が生まれることになった」
「数多の空中都市が、堰を切ったかのように、一斉に戦争を始めた」
「……その後、体制を整えた連邦政府は、やろうと思えば、戦争を禁じることはできただろう」
「だが、そうはしなかった」
「理由の一つは、当時の人々には『戦争は違法だ』という意識が薄かったからだ」
「現代では、民間人に多数の犠牲者を出す地上戦や、人口密集地への爆撃は、違法だという意識が強い」
「また、少数の戦闘員のみが犠牲になる航空戦に関して、以前は『違法ではない』という認識が圧倒的多数派だったが、最近では一部の左派系論客から違法ではないかという意見が出ていて、一般大衆からも一定の支持を得つつある」
「ちなみに、旧世界では、凄惨な世界大戦が起こった後に、地上戦だろうが航空戦だろうが、あらゆる形式において『戦争は違法だ』という認識が広まったとされている」
「しかし、解放戦争が終わった直後の大公海の人々にとって、戦争は『自分たちを帝政から解放してくれた手段』だという意識が強くあった。このために『戦争は違法だ』という意識が希薄だったのだ。これが、当時の連邦政府が、戦争の完全違法化に踏み切らなかった大きな理由の一つだと考えられている」
「……ただ、連邦政府がいまも戦争の違法化に踏み切らない理由は、別の所にある、と私は考えている」
「それは、空中都市同士が争うことによって、利益を得る者たちがいるから、というものだ」
「雲海から原材料を買って工業製品を生産する大企業は、空中都市が互いに争うことを望んだ」
「戦争をやめた空中都市たちが、遺恨を忘れて団結すれば、原材料の価格交渉を有利に進められてしまう恐れがあったからだ」
「だが、都市同士がしょっちゅう戦争をしているのなら、団結する心配はない」
「むしろ、お互いを競争相手とみなしているのなら、こぞって安い値段で原材料を売り込みにくるだろう、というわけだ」
「本来であれば、強力な中央政府が、そうした邪悪な考えを抱く企業家たちを抑え込んで、平和を維持しただろう。帝政時代はそうだった」
「だが実際は、連邦政府における企業家の力は強く、これを抑え込むことができていない」
「また連邦政府は、領空や資源を巡る戦争は容認している一方で、敵対する都市に軍隊を上陸させ、軍事力を使って他国を併合すること……侵略を禁じている。これは倫理的な措置とされているが、現実にはこの規制は、断続的な戦争が延々と続く原因になっている」
「もし併合が禁じられていなければ、いつか戦争に勝ち続ける都市が現れて、周囲の都市を併合して強大化し、支配下の都市同士の戦争を禁じて、平和が訪れるはずだ」
「しかし、実際には連邦政府は他都市の併合を厳しく禁じているから、都市国家は戦争に敗北したとしても致命的な打撃を受けることがほとんどなく、すぐに国力を回復させて、また戦争を繰り返すことになる」
「……以上が、空中都市同士の戦争が絶えない理由だ」
「こうしてみると、空中都市の富が領空の大きさによって決定されるという経済的特性や、連邦政府の戦争を抑止しようという意志の弱さ、その背景にある企業家の力の強さ、そして、資源戦争は容認する一方で侵略は禁止するという『一見して倫理的に見えるが現実には根本的矛盾を内包している政策』といった、一連の社会構造が、大公海において戦争がなくならない原因と分析できる」
その後、生徒の一人が、では、近年になって戦争の件数が増加したのはどうしてですか、と質問した。
「それは、インターネットの普及による、空中都市の経済的地位の低下が影響していると考えられる」
「大陸でインターネットが普及したのをきっかけに、IT企業が経済の主役となり、製造業の存在感は後退した」
「雲海諸都市はその影響をもろに受けた……大陸ではIT革命による好景気を原動力として、インフレと賃金上昇が進んだが、一方で雲海諸都市の生命線である原材料価格はそれほど上がらなかったため、購買力が大きく低下したのだ」
「空中都市が大陸のIT企業に対抗するのは不可能だ。雲海の下にケーブルを通すのは不可能だから、高速通信にはどうしても空中ケーブルが必要だが、しょっちゅう戦争をしていては、ケーブルを設置してもすぐに破壊されてしまう。空中都市は無線による低速回線しか利用できず、大陸に対してIT分野で大きく遅れている」
「そうして起きた、IT革命による空中都市の貧困化が、領空を拡大して雲の採取量を増やすための戦争につながり、戦争の件数増加となって現れているのだと考えられる」
さらに、生徒の中から、こんな質問をするものが現れた……では、戦争をなくすには、どうすればいいのですか、と。
「端的に言えば、企業家に迎合する惰弱な連邦政府を打倒し、強力な中央政府を樹立して、その力によって平和をもたらすことだ……結局のところ、歴史が教えているのは、平和の影には必ず、強い政府がある、ということなのだ」
「……また、そうした強力な中央政府が現れれば、都市同士を空中ケーブルで結ぶことによってIT化を促進し、やがては、空中都市が大陸の大手IT企業に対抗することもできるようになるだろう」
「だが、そうなるまでは……雲海に浮かぶ多数の都市国家にとって、つらい時代が長く続くことになるだろうな」
ケンがそれを話し終えた後の、イコライの反応は劇的だった。
「すごい……!」
重い沈黙に沈む他の三人をよそに、イコライは一人、目を輝かせてはしゃぎだしたのだった。
「すごい……すごいよ、本当にすごい……ケン。お前の言う通りだ。オクタリウスって人は、どうも気に入らないところがあるけれど、でも確かに、ものすごく頭が良い……よし。みんな、俺は決めたぞ!」
そして、イコライは宣言した。
「俺はまず、ケンを助けてSHILFに行って、オクタリウスに会う。そして、ケンと同じように、オクタリウスに色々なことを教わって……」
「そして、いつか俺は……」
「この雲の海に、強力な中央政府を樹立して……世界を平和にする」




