19 フランシス・セドレイ
それから数日は、何事もなく過ぎた。
……と、思っていたのは、イコライぐらいのものだった。
まずはカイト。
ケンをかくまうと決めたカイトは、ここ数日、どうやって無事にケンを逃がしたらいいかについて、イコライと話す中で、あれこれと策を巡らせていた。
結局、警察に見つからずにケンを逃がす妙案は思い浮かばなかったが、それはまあ、まだ許せる。
しかし、それ以上にカイトにとって気がかりだったのは、イコライが、ケンを無事に逃がす以上の何かを胸に秘めているような、そんな空気を漂わせていたことだった。
カイトがちょっと目を離すと、イコライはすぐにケンの部屋に詰めかけていって、ケンがSHILFで見聞きしたことを根掘り葉掘り聞き出そうとする。
そしてイコライは、ケンが話したことに一喜一憂する。時に目を輝かせたり、時に神妙な面持ちで、ケンと一緒に落ち込んだりする。
そんなイコライを見ていたカイトは、ひょっとして、イコライはSHILFに行きたがっているのではないか、と感じ始めていた。
そして、これは何としても、改めて問いたださねばならないと、カイトは固く決意していたのだった。
一方のケン。
ケンは、やたらと話をせがんでくるイコライのことを変なやつだと思っていたが、まあ、イコライが変人なのは最初に会った日からわかっていたことなので、大して気にも留めず、気前よく話に付き合ってやっていた。
そんな中で、時々、イコライは鋭いことを言ったりした。
その時に感じるギョッとした感覚を、ケンはどこか別の場所でも感じたことがあるような気がして、思い出そうと頭をひねる。
そして、ああ、これはオクタリウスと話している時の感覚と近いんだ、と思い至った。
鋭い言葉は、言った人間の知性を感じさせる一方で、多くの場合、言われた人間を不愉快にさせる。
きっと、オクタリウスに敵が多い理由の一つだろう。
もしかしたらイコライは、そんなオクタリウスに似ているのかもしれない、とケンは思った。
だとしたら……。
「なあ、イコライ」
「ん?」
「これから俺が言うことは、決してお前をバカにしているわけじゃない。そのことをわかって欲しい」
「わかったよ。なんだ?」
「イコライは……あまり友達がいないタイプか?」
「……そうだよ」
言って、イコライは力なく笑った。
「話してるうちにバレたか。そうだよ。俺は昔から、友達があまりいない。昔からの友達で、いまも付き合いがあるのはカイトぐらいだ」
「……人間のことが、あまり好きじゃないのか?」
「俺の方から誰かを嫌いになったりすることは少ないよ。それよりも、周りから嫌われることの方が多いね」
正直に言って、それは何となくわかる気がする、とケンは思った。
周囲の迷惑を顧みずにケンをかばったこともそうだし、こんな金持ちの家に生まれておきながら、明日の命の保証もない傭兵になったことだって、はっきり言って、普通では考えられない。非常識だ。
だが……そんなイコライだからこそ、自分のことを受け入れてくれたのだということだって、ケンにはわかっていた。
それもまた、オクタリウスと同じだった。
「なあ、ケン」
だから、イコライにこう聞かれた時、ケンは自信を持って答えることができた。
「俺たちはもう……友達かな?」
「ああ、もちろんだよ」
そして、おそらく一番大変だったのが、ソラだった。
ある日のこと。ノックをした後、部屋に入ったソラは、ベッドの上で半身を起こした姿勢のまま、ぼんやりとしているララを目にした。
その次に、テーブルの上に置かれた食事のトレイを見た。そのどちらも、一時間前に来た時と、寸分たりとも変わっていなかった……ララは虚ろな目で手元を見つめているだけで、食事に手をつけていなかった。
「ララさん」とソラは言った。「いけませんよ。食べないと、元気が出ません」
だが、ララは無言のまま、身じろぎもしなかった。
ソラは書き物机のところから椅子を引っ張ってきて、ララの横顔が見えるところに腰掛けた。
何を言ったものか……ソラは逡巡した。だが、ここは下手に慰めたり元気づけたりするより、あえて挑発してみようと思った。
「ララさん、どうして落ち込んでいるんですか……あなたは、憎い相手を銃で撃った。やりたいことを成し遂げたはずなのに、どうしてそんなに悲しんでいるんですか?」
「……私に説教するつもり? ロボットのくせに」
「……」
だが、そう言ったあとすぐに、ララは折り曲げた膝に顔をうずめて、ごめんなさい、ごめんなさい、と、繰り返し謝りながら泣いた。
「私って、どうしてこうバカなんだろう……すぐカッとなって人を傷つけて、でもすぐに後悔に襲われて……ごめんなさい、ごめんなさい……」
「私のことはいいですよ」
ソラはララの栗色の髪を優しく撫でた。ララは拒まなかった。
「……ケンさんを撃ったことを、後悔しているんですか」
「わからない……本当にわからないの。私はあの人が憎い。死んでしまえばいいと思う……でも、実際に撃ったら、すごく嫌な気持ちになって……そうなって、初めて気づいたの」
「私はきっと、あの人を殺したいと思う一方で、実際にあの人を殺すのは、自分以外の誰かにやって欲しかったんだって……でもそんなの……そんなの間違ってる」
「……」
ソラはララの髪を撫でながら、優しく言った。
「いまは、あまり考えすぎても良くないですよ。まず元気を取り戻さなきゃ」
「無理だよ。あんなことがあったのに、どうやって忘れろって言うの? どうやって元気になれっていうの?」
「……ララさん」
その時、ソラは髪を撫でる手をピタリと止めて、固い声で言った。
「ララさんは、自分のしたことを後悔しているんですね」
「……っ!」
だが、ソラの言ったことは、いまのララにとっては、少し厳しすぎたらしかった。言われたララは、顔を引きつらせて、嗚咽を漏らしながら泣いた。
ソラは、身体を折って泣くララの背中をさすって、ごめんなさい、いいんですよ考えなくて、いまは身体を休めてください、と言ってから、ゆっくりした動作で部屋を出た。
ララのことをイコライに相談しようと思って、ソラはケンのいる客間に向かった。たぶん、イコライはそこにいるだろうと思ったからだ。
ところが、実際にイコライはケンやカイトと共に客間にいたものの、三人とも食い入るようにテレビに見入っていて、話を切り出せる雰囲気ではなかった。テレビでやっているのは、戦争のニュースだ。
ソラは、誰にも聞こえないような、小さいため息をつく。人間の男というのは、本当にしょうがいない生き物だと思った。
ちょうどニュースの時間だから、ケンを捜している警察の状況がどうなっているか見てみよう、と言って、テレビをつけようと提案したのはカイトだった。テレビをつけて見ると、やっていたのは北極での戦争に関するニュースだったが、どちらにしろ関心のある話題には違いなく、三人は見入っていた。
ちょうどSHILF側の記者会見を放送しているところで、大公海方面軍管区長官、オクタリウス・ハーバーンが話しているところだった。
そのタイミングで、ケンがオクタリウスと知り合いだと言い出したので、イコライとカイトは驚いた。
「あんな偉いやつと、どうやって知り合ったんだよ」
とカイトが聞くと、ケンは淡々と答える。
「オクタリウス軍政官……いまは長官か……あの人はもともと大学の教授だったんだが、いまでも週に一度、大学の教室を使って、誰でも参加できる勉強会を開いているんだ」
「勉強会」とカイトは言った。「知ってるぞ。無難そうな響きをしてるけど、実際は政治家の派閥作りや、革命家が仲間を勧誘する時に使う隠れ蓑だろ?」
「よく知ってるじゃないか」
と言ってケンは笑い、カイトの指摘を肯定する。
「まあでも実際、オクタリウス長官は大した人だよ」
「へえ。それじゃ、フェアリィ社にも勝てるのか?」
「それは状況によるな」
「勝てるときは勝てるってことか? そんなの、誰だってそうじゃないか」
「いや、そういう意味じゃない。政治的な理由でわざと負けることがある。あの人はそういう人だ」
「……なるほど。そいつは大したやつだ」
「気に入らないな」
と、そこでイコライが口を挟んできた。
「巻き込まれる兵隊はたまったもんじゃない。ケン。お前ほどのやつが、どうしてそんなやつと親しくしてるんだよ」
「あの人が天才だからだよ、イコライ。俺はあんなに頭の良い人は見たことがない……あの人が恐ろしくなることは確かにあるよ。それでも、俺はあの人から学ぶべきだと思ったんだ……世界を変えるために」
「フーン」カイトは不機嫌そうに言った。「それじゃ、フェアリィ社にも勝てるのかね。勝とうと思えば」
と、その時、会見を終えたオクタリウスが演台から一歩下がって、別の人物を招き入れた。
SHILF軍の黒い軍服に、なぜか腰の高さまである黒いケープを肩にかけたその人物は、オクタリウスと入れ替わって登壇すると、制帽を脱いで演台の上に置いた。
制帽がなくなったおかげで、その人物の顔が露わになる。
軍人としてはやや長めな、明るいブラウンの髪の毛と、緑色の瞳を持った、整った容姿。四〇歳という実際の年齢よりもやや若く見える、溌剌とした男性だった。
「……オクタリウス長官は、勝つ気だな」
ケンが唐突に言った。
「長官はこの戦いに本気で勝ちに来ている。そして、たぶん実際に勝つ」
「なんだ?」
カイトが目をパチクリさせる。
「誰なんだよ、こいつは」
「聞いてればわかる」
ケンが低い声で言うと、画面の中の人物は喋り始めた。
「このたび、SHILF軍大公海方面艦隊司令官を拝命しました、フランシス・セドレイ少将です」
「……さて、突然ですが、この記者会見において、私は何を語るべきでしょうか?」
「必勝の信念を話すべきでしょうか? この戦いの意義を説くべきでしょうか? それとも、イデオロギーに満ちた、たちの悪いアジテーションを展開するべきなのでしょうか?」
「結論を言えば、私はそのどれもいたしません。なぜなら、それらは全て、下らないデマゴーグに過ぎないからです」
「そもそもの話、戦争自体が、下らないゲームです。そうは思いませんか?」
「戦争なんて、人間の生命をスコアとしてプレーされる、野蛮なゲームだ」
「そんなもの、やる価値があるのか」
「自分だったら、やりたくない」
「死んでもごめんだ」
「……その通りでしょう」
「私自身、SHILFの指導部がたびたび口にする『もう一つの世界を守る』というスローガンが、いまいちピンと来ません」
「……まあ、連邦の言う『世界の平和と繁栄のためには、人類の統合が不可欠だ』という理屈も、全くもって意味不明ですがね」
「そういうわけですから、正直な話、私にはこの戦争の大義がどちらにあるのか、よくわかりません」
「……ですが、一つだけ、確かなことがあります」
「それは、ひとたび戦争が起きたなら、軍人は必ず戦わねばならない、ということです」
「大義など関係なく、ね」
「ところで、軍隊には様々な種類の人間がいます」
「理想に燃える若者や、鋼鉄のようなプロ意識を持った職業軍人もいます」
「ですが、他に就職先がなくて仕方なく軍隊に入った者や、招集されたせいで、半ば強制的に従軍させられる者もいます」
「軍隊での生活が楽しくて仕方がないという者もいれば、そうではないという者もいるでしょう」
「……それでもなお、軍人たる者みな等しく、一朝事あらば、その生命を賭して戦わなければならない」
「では、そのような矛盾を抱え込んだ現代の軍隊において、指揮官の仕事とは何でしょうか」
「……私にとって、それは『最高の軍隊』を作ることです」
「士気は高く」
「規律は正しく」
「計画は緻密で」
「作戦は単純明快」
「指揮官は頭脳明晰にして、人格高潔で熱意に溢れ」
「兵たちは、必要な装備と教育を惜しみなく与えられ」
「一人の人間として尊重され」
「励まされ、勇気づけられ」
「勝利への貢献を通して栄誉を受ける」
「前線の将兵は、臆病な事無かれ主義とは無縁で、いかなる時も奮戦し」
「後方の支援部隊は、機械のような効率性と、人間らしい柔軟性を兼ね備えて、懸命に前線を支える」
「間違いがあれば直ちに改め」
「誇るべき行いに対しては必ず報いる」
「……そして、決して忘れない」
「この戦争の大義が、たとえ如何なるものであろうとも……『最高の軍隊』の一員として戦うことの価値は、決して変わらないことを」
「それは、いつの時代、どんな相手に対しても、胸を張って、誇ることのできる仕事なのだということを」
「……私の任務は、そのような『最高の軍隊』を作り、自らがその一部となって、これを指揮することです」
「戦争に勝つのは、その結果に過ぎません」
最後に、カメラを真っ直ぐに見据えて、力のこもった敬礼をして。
フランシス・セドレイは演説を終えた。
「なるほど」
テレビを通して演説を聴いていたイコライは、こう言った。
「俺は、この人のことは気に入ったね」




