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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第2章 トライアル
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18 SHILF幹部たち

 その頃、オクタリウス・ハーバーンはSHILF大公海方面軍管区の軍政官から、軍管区長官へと昇進していた。これは空母攻撃作戦失敗による前任者の失脚を受けての昇格であり、オクタリウスの狙い通りの人事に他ならなかった。


 軍管区長官は、管区における行政の長であると同時に、方面軍の指揮権を持つ極めて重要なポストだ。その後任選びには、熾烈な権力争いが伴うのが常だった。


 だが、今回に限っては、オクタリウスはポストを巡って争う必要は全くなかった。


 なぜなら、新任の軍管区長官は、これから必ず来るであろう、連邦軍の攻勢の矢面に立たねばならなかったからだ。オクタリウスは火中の栗を拾ったのである。


 そんな重責を背負ったにも関わらず、当のオクタリウスはというと、この時、自信に満ちあふれた表情をしながら、庁舎内の大会議室に立って、熱弁を振るっていた。


 会議室の正面に映し出された画面には、初老の男女の姿が五つ映し出され、みな真剣に聞き入っていた。全員が、オクタリウスと同じ白いローブを身に纏っている……白いローブは、SHILF高官の証だ。


 目下、居並ぶSHILFの重鎮たちは、領内の各空中都市を結ぶ空中ケーブルを通して遠隔会議を開き、今後予想されるフェアリィ社の攻勢に備えて対策を練っているところだった。


「では、オクタリウス」

 画面に映し出された人物の中で、中央に位置する老女が発言する。

「あなたは守りを固めるのではなく、こちらから打って出ようというのですか」

 その老女に対し、オクタリウスはうやうやしく頭を下げる。

「左様です。ルイズ議長」


 オクタリウスが話している相手の名は、ルイズ・アレクサンダー。中央行政評議会議長……つまり、名実共にSHILFのトップ、その首領の椅子に座る女性だった。


 顔に刻まれた皺は深く、肌の色は白過ぎるほどに白いが、それ以上に、意志の力がこもった目の輝きが見る者に強い印象を与える、そんな強面の老女だ。


 だが、オクタリウスの返答に対し、ルイズの表情は苦虫を噛みつぶしたように歪んでいた。

「オクタリウス。私は連邦との講和を望んでいると伝えたはずです。作戦が失敗に終わった以上、これ以上の戦線拡大は望みません」


 この発言を聞いて、他の出席者は密かにほくそ笑んだ。ルイズはこれまで二〇年近くもの長きに渡ってSHILF内で権力を維持してきた女帝だ。その女帝の不興を買うということがどういうことなのか、側近たちはしっかりと心得ている。


 おまけに、その不興を買おうとしているのが、いままさに飛ぶ鳥を落とす勢いで昇進しつつあり、自分たちの地位を脅かそうとしているオクタリウスだとなったら、これが面白くないはずがなかった。


「それは十分に承知しております、ルイズ議長」

 だがオクタリウスは、まるで叱責されることなど予想済みだと言わんばかりに、余裕たっぷりに応じてみせた。


「ですが……議長もご存知の通り、連邦政府は我々からの停戦の申し出を無視し続けております。講和を成立させるためには、何らかの手段によって情勢を変化させる他ないでしょう」


 と、これに対し、画面内の別の男が発言した。


「情勢を変化させるとあなたは言いますが、軍事作戦によって、むしろ情勢は悪化しているでしょう! だから私はそもそもこの作戦に反対だったんですよ……こちらから先制攻撃をしかけたものだから、連邦の民衆は怒っているのです。交渉による打開の道を探るには、ほとぼりが冷めるのを待つしかないでは?」


「何を言う。君は忘れたのか」と、また別の男。「そもそも事の発端は、連邦が我々の輸出品に不当な関税障壁を設けて、我々を挑発したことじゃないか。先に手を出したのは、向こうの方だ」


「だからって連邦の空母を攻撃して何になると言うのです!」反論する男。「おまけに作戦は失敗……前任の軍管区長官は、必ず沈めてみせると胸を張って見せたのに、このざまです。新型の対艦弾道ミサイルも大した役には立たず、みんな撃ち落とされてしまった」


「それはそうだが……かといって、このまま座視していたのでは、経済が大きな打撃を受けることになる。早急な事態打開が必要なのだ」

「しかし、必要だからといって、可能だとは限らないでしょう」

「何てことを! それは敗北主義ではないか!」


「おやめなさい」

 そのタイミングで、ルイズ議長は片手を上げて言い争いを制した。

「済んだことは仕方ありません。話を戻しましょう」


 画面の中の二人が居住まいを正すのを確認してから、ルイズは話を続けた。


「オクタリウス。こちらから攻勢に出るという件ですが……しかし、敵の艦隊防空システムに対して、我が軍の攻撃は効果がなかったのでしょう?」

「あれは甚だ遺憾なことでした……ですが、まだ策はあります。私にお任せください」


「前任者ではなくあなたに任せれば、連邦の空母を沈められると?」

「いえ、残念ですがそれは不可能でしょう……ですが私なら、空母よりもっと価値のある標的を叩けます」

「ほう」


 ルイズが興味深そうな声を出したのをきっかけに、会議の空気が微妙に変わった。他の高官たちも「空母より価値のある標的」とやらに、かなり興味を持った様子だった。


「オクタリウス。その標的というのは?」

「それは……軍事作戦の詳細に関わることですので。いくら空中ケーブルによる専用回線とはいえ、盗聴の恐れがゼロとは言えませんから」


 本当のところ、オクタリウスは盗聴ではなく、SHILF内の政敵を介して連邦に作戦が漏れるのを警戒していた。


 だが、そんな彼の胸の内をこの場にいる全員もまた承知しているのであって、それ故に、誰もそのことを深く追及する者はいなかった。


「ふむ……それで、必要な兵力は? まさか膨大な兵力を要求してくるつもりではないでしょうね?」


「滅相もない。私からの要求兵力は、ノーザンライト級巡洋艦一隻と、ポラリス級駆逐艦三隻です。戦闘機については、我が軍管区だけで必要な数を充足できる見込みです」


「巡洋艦が一隻と駆逐艦が三隻? たったそれだけで良いのですか?」

「議長!」

 と、これまで黙っていた初老の女が発言した。


「ノーザンライト級とポラリス級は、いずれも我が軍の最新鋭艦……しかも、オクタリウスが要求した兵力と、現在彼に与えられている兵力を合わせたら、ノーザンライト級二隻とポラリス級四隻になる……これは、我が軍が現在保有する同型艦の全てです! それだけの兵力を、この男一人に預けるのですか!」


「ご心配には及びませんよ」

 わざとらしく微笑みながら、オクタリウスは言った。

「戦闘機と違って、軍艦は攻撃には不向きです……私が反乱を起こす心配なら、無用ですよ」

「な……い、いえ……私はそんな」

 核心を突かれて、思わず女は狼狽する。


 そこをルイズ議長が引き取った。

「最後にもう一度確認しますよ、オクタリウス……あなたに任せれば、連邦軍に痛手を与えた上で、講和のテーブルにつかせることができるのですね?」

「それだけではなく、関税障壁の撤廃まで、見事勝ち取って見せましょう」


「しかし……」ルイズはまだためらっている様子だった。「先ほども話題に上ったことですが、やはり、下手に軍事衝突を拡大させれば、かえって連邦は態度を硬化させるのではないですか? よもや、全面戦争になどならないでしょうね?」

「ルイズ議長……」

 オクタリウスは、あともう一押しだと思い、確信に満ちた低い声で、こう訴えた。


「連邦の政府高官が、私たちSHILFの人民と同じように物事を考えると思っておられるのでしたら、失礼ながら、それは大きな間違いと言わざるを得ません」


「……彼らの頭の中には、大義などありません」

「また、誇りも心意気もありません」

「彼らはただ、利に聡いだけなのです」


「生まれた時から商業主義にどっぷりと浸かり、それに疑問を抱いたこともなく、ただただとにかく、自己の利益を追求しようとするだけの人間たち」


「彼らが労働をするのは、社会に貢献し、その発展を促すためではなく、自己の堕落した消費生活を、よりいっそう堕落させるためでしかありません」


「彼らが戦うのは、善なるもの、正しきものを守り、悪しきものや間違ったものを退けるためではありません。彼らが戦うのは、他者の持つものを略奪し、他者から搾取し、そうすることによって、自分だけは働かずに贅沢な生活をしたいからに過ぎないのです」


「もはやそんな輩は、人間とは呼べません。獣と言った方がいい」

「だからこそ彼らは、我々が弱いと思うと、徹底的に攻め立てるのです」


「……ですが、一方で、彼らに我々の強さを思い知らせることができれば、利に聡い彼らのことです、戦闘継続に意味はないとすぐ悟って、手のひらを返したかのように、直ちに講和に応じることでしょう」


「どのような獣も、簡単には勝てないと悟った相手とは、戦わないものです」

「おわかりですか、ルイズ・アレクサンダー議長」

「平和のためにこそ、戦争が必要なのです」


「……何よりも、いま戦うことによって、我々は守らねばなりません」

「我がSHILF、すなわち、連邦とは違う、もう一つの世界を」


「もしいま我々が敗れれば、この惑星に暮らす全ての人々が、世界連邦という、一つの旗、一つの価値観の下で、長きに渡って支配されることになるでしょう」


「そうなれば、必ずや、多くの人々が苦しむことになります」

「連邦とは違うもう一つの世界を求める、多くの人々が」

「ルイズ議長」

「どうか、ご決断を」


「……」

 ルイズはまだしばらく黙って考えていたが、やがて重々しくうなずいた。

「いいでしょう。兵力の移動と、攻勢作戦の発動を承認します……オクタリウス」

「はい」

「戦うと決めたからには……必ず勝ちなさい」

「はい、必ず」


「……では、これにて散会とします」




「これはまた……大見得を切ったものですね、オクタリウス長官」


 画面が全て消えた後、オクタリウスの背後で、ずっと控えていた一人の男が言った。

 オクタリウスは、黒い軍服を着て制帽を脇に挟んだその男に向き直り、言う。


「君が勝てると言ったから、そのまま言ったまでだ。要求していた軍艦は全て揃えてやったし、人事についても君の言う通りにしてやった。さあ、今度は君が結果を出す番だぞ」


「兵力と人事については、ありがとうございます。しかし、物事に絶対はありませんからね」


 飄々と言う男に対して、オクタリウスは非難めいた視線を向ける。さすがのオクタリウスも、少しばかり神経質になっているようだった。


「物事に絶対はないから、勝てるとは限らない? まったく。そんなことで、兵たちがついてくるのかね?」


 すると、軍服の男は、声のトーンを一段低くして言った。


「……『必ず勝つ』という言葉は、当たり前のように使われていますが、実は限られた人間にしか使えない、難しい言葉なんですよ」


 男は何やら語り始めたが、オクタリウスは黙って続きを聞いた。面白そうな話だ、と思ったからだ。

 軍服の男は言った。


「確かに、十分に優秀な人間が『必ず勝つ』と言う分には、自分自身にほどよい緊張感を与えられて、有用です」


「ですが、それほど優秀ではない人間がこの言葉を口にすると、自分に都合の悪いものから目を背けようとする傾向が強まってしまうんですよ。意外と厄介な言葉なんです、これは」


「ですから、私は兵たちには『必ず勝つ』とは滅多に言いません。代わりによく言うのは『全力で戦え』です」


「……なるほど。君らしいな。兵たちの心理をよく考えている」

 言いながらオクタリウスは、やはりこの男は頼もしい、と思う。こういう局面に相応しい男だ、と。


 オクタリウスは賭けをしない。どんな時であっても、彼はリスクを分散することによって、望まない結果が出た場合に備える。


 だが、それと同時に、オクタリウスはわきまえてもいた。

 人生でここぞという時には、どうしても、賭けに打って出ざるを得ない場面がある、ということを。


 そんな時、オクタリウスは、やむを得ないギャンブルを少しでも有利にするために、できる限りのことをした。

 すなわち、賭けに出る時には、必ず最高のカードを用意したのだ。


 そしていま、目の前にいる軍服の男こそは、オクタリウスにとっての最高のカード……ポーカーで言うところの「二枚のエース」に他ならなかった。


「フランシス・セドレイ少将」

 オクタリウスはその「二枚のエース」の名前を口にする。

「必ず勝て……私たちは、この言葉を使ってもいい程度には優秀なはずだ。そうだろう?」


 それを聞いて神妙な面持ちになったフランシスは、脇に挟んだ制帽を手に取り、頭に被りながら、こう言った。


「ええ、もちろん、必ず勝ちますよ……」

「あなたと私とでは、目指しているものも、そのために通ろうとする道も違う」

「……けれど、道すがら協力できることも色々ある」


「だから……必ず勝ちます」

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