16 親友のテスト
「あのさ、イコライ。よく考えてみると、昨日の俺は正気じゃなかったと思うんだよ」
朝。ブラド邸の食堂。
朝食に手をつける直前、突然そう言い出したカイトに対して、イコライとソラは、不思議そうな視線を向けた。
「カイト。お前は立派に応急処置をしてくれたよ」と、イコライは言った。「まあ、あの軽口は少し場違いだったけど。でも心配するな。誰も気にしちゃいない」
「いや、俺が言いたいのはそうじゃなくてだな……つまり、昨日の俺は、銃で撃たれた男の治療をするっていう状況を前にして、さすがに気が動転してた、ってことなんだよ」
「そのせいで俺は、撃たれた男が誰なのかなんて、ロクに考えもしなかったんだ……よく考えたら、あいつが最初に着てたのって、フライトスーツだったよな……?」
すると、イコライはフォークに伸ばしかけていた手を引っ込めて、こう言った。
「よし、わかった。カイト。いますぐにもう一度正気を失って、二度と戻ってこないでくれ」
「イコライ。ふざけてないで正直に答えろ。一体、あの男は誰なんだ」
「……お前が想像してるので、たぶん合ってる」
「はっきり言え」
「あいつの名前はケン・ウェーバー。SHILF軍のパイロットだ」
その名前を聞くと、カイトは目の色を変えて身を乗り出してきた。
「ケン・ウェーバー? あいつが? あのケン・ウェーバーなのか?」
「知ってるのか」
「お前、覚えてないのかよ。一年前、フェアリィ社の戦闘機が、一度の空戦で四機も落とされただろ。それをやったのがケンだよ」
イコライは覚えていなかった。一年前と言えば、ちょうどソラと会ったばかりでゴタゴタしていた頃だから、ニュースを全く見ていなかったのかもしれない、と思う。
「本当にあいつがケンなら、ものすごい大物だぞ」とカイトは言った。「あいつは当時、SHILF系のメディアからは英雄だ何だって持ち上げられてたんだ。そんなやつをかくまうなんて……イコライ、お前何を考えてるんだ」
「何を考えてるかって言うと……まあ、簡単に言うと、話してみたら良いやつだったから、かくまったんだよ」
「お前……捨て猫とは違うんだぞ」
「まあでも、いまの話を聞いて俺はますますケンが気に入ったよ。あいつ、口先だけじゃなくて、ちゃんと空の上でも強いやつだったんだな」
「おい、イコライ。俺の話を聞け。お前、事の深刻さがわかってないのか?」
「……」
イコライは、なんだか居心地が悪そうに肩を少し揺らした後、話題を変えた。
「……なあ、カイト。お前、これから先の人生をどう考えてる?」
「いきなり何の話だ?」
「まあ聞けよ。お前、俺と同じぐらい稼いでるよな? まとまった財産が貯まるまで、十五年かそこらってとこか? これから十五年の間、ずっと戦争を続けるんだよな。で、その後はどうする?」
「ファイナンシャルプランナーを雇ってポートフォリオを組ませて、貯めた資産の運用益で生活していくよ」カイトは淡々とそう言った。「いわゆるセミリタイアってやつだな。戦闘機パイロットは、みんなそうだろ」
「俺たちみたいに優秀なパイロットなら、そうかもな」
「何だよ。何が言いたい?」
「引退する前に死んでいくパイロットが大勢いる。俺たちみたいな優秀なパイロットだって、運が悪けりゃ死ぬし、実力がないやつは、もっと高い確率で死ぬ」
「たとえ生き残っても、稼ぎが悪くて、まともな財産を作れないまま戦闘機パイロットとしての寿命を迎えて、それまでやったことのない仕事に転職しなきゃならなくなるやつだっている。その仕事っていうのは、大抵はまともな仕事じゃない」
「イコライ。いまの話の中で、俺が知らないことは一つもなかった。だから、何が言いたいんだよ、お前は」
「人材会社と広告代理店が高い金をかけて作った、キラキラした広告にだまされたバカなやつらがさ。自分も戦闘機パイロットになれるかもしれないなんて勘違いして、この業界に入ってきて、何もできないままバタバタ死んでいく……なあ、これっておかしいと思わないか?」
「それとSHILFのパイロットと、何の関係がある?」
「俺は、いまのこの世界はおかしいと思う……あのケンってやつは、そんな世界を変えようとしていた。だから、俺はあいつの話をもっと聞いてみたいんだよ」
「……はーん。なるほど。そういうことかよ」
カイトは、乗り出していた上半身を、今度は逸らして、顎を上げて、人を小馬鹿にするような声で言った。
「金持ちで世間知らずなお坊ちゃんが、上手いこと口車に乗せられた挙げ句、コロッとだまされちゃったわけだ」
「……」
いくら旧友のカイトが相手でも、ここまで言われては、イコライも言い返さないわけにはいかなかった。
「そこまで言うなら、カイト。お前もケンと話してみろよ。そうすれば、お前にもわかるさ」
「わかるわけねーだろ、そんなもん」
「わかるさ……もしお前にわからなかったら、その時は、ケンがその程度のヤツだった、ってことだ……そうなったら、俺もきれいさっぱり手を引くよ。約束する」
「……」
遠回しな言い方ではあったが、それは、ケンよりもカイトの方を大事にする、ということのようにも聞こえた。
「……わかった。そこまで言うんなら、話してやる」
「ああ……ただし、だ」
「ん?」
立ち上がろうとしたカイトを、イコライが止める。
「……朝飯を食ってからにしよう。いまのお前は、腹が減ってイライラしてるようにも見える」
「……ケッ。わかったよ。ただし、」
カイトは不快そうに言うと、改めて、今度は食器を持って立ち上がった。
「俺は自分の部屋で食わせてもらうぜ」
「……好きにしろよ」
イコライがそう言うと、カイトはさっさと食堂を出て行った。
「……はあ」
すると、ソラは深い深いため息をついた。
「どした、ソラ?」
「二人とも、なんかくっだらないこと話してるなあ、と思って」
ソラが少し怒ってるようだったので、イコライは目を丸くして、
「ど、どうしたんだよ」
と聞く。すると、ソラはすました顔で言った。
「少しはララさんのことも心配してあげたらどうなんですか、ってことです。彼女、昨日から寝込んだきり、食事も取ってないんですよ」
「ああ、ララか……確かにソラの言うとおりだけど。でもごめん、いまは余裕がないんだ。なあソラ、頼まれてくれるか。ララのそばにいてやってくれ」
「頼まれなくても、そうするつもりです……でも、イコライさん、あんまり無茶しないでくださいね」
「ああ、わかった」
イコライとソラは、見つめ合って、どちらからともなくうなずくと、静かに朝食を取り始めた。
「さてと、ケン・ウェーバー。俺はカイト・メイナード。イコライの友人だ。いまから俺は、お前をテストする」
ケンがベッドで寝ている客間に、カイトは大股歩きで入ってきた。そして、どかどかと音を立てて椅子を引いた後、その椅子に逆向きに座って、いかにも偉そうに、そう宣言したのだった。
「テスト……?」
ベッドの上から半身を起こして、いぶかしげな表情を浮かべるケン。
カイトの後ろについて部屋に入ってきたイコライは、窓際の壁に静かに背を預けながら、ケンの横顔を黙って見つめた。
「そう。テストだ」とカイトは続けた。「このテストに不合格になったら、お前は警察に突き出される」
「じゃあ、合格したら?」
「その時は、その時に考える。まあ、そんなことは絶対にないだろうけどな」
それを聞くと、ケンの目つきが少し鋭くなった。いまのやり取りだけで、好感を持たれていないことを察するには十分だった。
ケンが何か言う前に、カイトは口火を切る。
「それじゃ、まずはだな……お前がイコライに話したことを、俺にも話してみろよ」
言われると、ケンはしばらくの間、黙ってカイトの目を見つめ返していたが……やがて、こう言った。
「……下らないことだ」
「は?」
「俺が昨日、イコライと話したことなんて、みんな下らないことだ。あんなのは、ナイーブな若い男、いや、大人になれないクソガキの戯れ言に過ぎない。改めて、この場で話すようなことじゃない」
「はあ?」
呆気に取られるカイト。
「おい、ケン」イコライが、見かねて口を挟む。「何言ってるんだ……昨日のお前は、そうは思ってなかったろ」
「いまは、そう思うんだよ。ララさんに撃たれた後の、いまは」
「どういうことだよ」
「どんなに気高い理想のためだろうと……ララさんのような罪のない人を傷つけることは許されない、ってことだ」
「でもお前、昨日は生き延びて、何かを成し遂げたいって」
「無理だよ」
ケンがあまりにもはっきりそう言うので、イコライは一瞬押し黙った。
「……この後の人生で、俺なんかが、どれだけ頑張ったところで……ララさんに許してもらえるほどの、何かすごいことができるとは思えない。だから、いっそのこと俺は、ララさんの手にかかって死ねばよかったんだ、とさえ思う」
「ふざけるな」
イコライは壁に背を預けるのをやめ、前に進み出て、ケンが着ている寝間着の胸ぐらを掴んだ。
「お前がいま言っていることのほうが、よっぽど自分勝手じゃないか。もしお前が死んでいたら、ララは殺人犯になってたんだぞ! あの優しいララのことだ。そうなってたら、一生苦しんだだろう。いや、いまだって苦しんでるんだ」
「……難しいな」
ケンはイコライに胸ぐらを掴まれたままで、自分を嘲るように笑った。
「人生は、俺みたいなバカには難しすぎるよ……どうしてこうなっちまったんだろうな」
「SHILFに入ったからだよ」カイトが、吐き捨てるように言った。「最初からSHILFになんか、入らなければよかったんだ」
それを聞くと、ケンは目を伏せて、弱々しくこう言った。
「……その通りかもしれない」
言ったきり、ケンは黙り込む。
それを見たイコライは、怒る気をなくして、ケンの胸ぐらから手を放した。
やりきれない沈黙が、室内に満ちていった。
……だが、意外なことに、最初にその沈黙を破ったのは、カイトだった。
「お前、なんでSHILFに入った?」
その時、イコライはカイトが初めてケンに興味を持ったのを察した。思わず期待が高まりそうになるが、事の成り行きに水を差さないよう、その喜びを表情に出さないようにする。
「それは……個人的な理由で」とケンは言った。「……話したくない」
「話せよ」カイトは迫った。「それぐらい、俺には聞く権利があるだろ」
「権利?」
聞き返すケンに対して、カイトは言った。
「イコライはな、俺にお前のことを見逃せって言ってるんだ。捕まるリスクを冒して。だったら俺には、お前のことを知る権利がある。まあ、権利って言葉が嫌なら、筋を通せ、って言い換えてもいい」
「だが……」
「いいから、話せよ」
「……」
カイトに強く言われたケンは、何かを諦めたかのようにうつむくと、ポツリポツリと、少しずつ語り始めた。
俺には、少し歳の離れた兄が一人いた。
すごく仲が良くて、小さい頃はよく一緒に遊んでた。まあ、どこにでもいる普通の兄弟だったわけだ。
幸せだったよ。
でも、兄はある時、精神を病んだ。
受験勉強の悩みが原因みたいだった。
それで、兄は精神科にかかったんだが……この医者が、酷いやつだった。
その医者は、俺たち家族にこう言った。
一般にはあまり知られていませんが、一度精神を病んだ人が回復することは、滅多にないんですよ。
脳が小さく収縮してしまって、二度と元に戻らないんです。
だから、彼はもう一生、まともな生活を送ることはできないでしょう。
進学も就職も絶望的。というか、不可能です。
政府から障害者年金を受け取って、残りの生涯をずっと施設で過ごすのが、ご本人にとっても、ご家族にとっても一番いいでしょう。
両親はそれで納得したが、俺には信じられなかった。
だから、自分で精神医療について勉強したんだ。
そうしたら、その医者が言ったことは全部嘘で、治療の内容もデタラメだってすぐにわかった。
その医者は、楽をして金を稼ぐために、兄を薬漬けにして、廃人にしようとしていたんだ。
俺は両親にそのことを話した。
けど……そしたら、両親はなんて言ったと思う?
医者の言うことを疑うなんて、お前は正気か。
ってさ。
いま振り返ってみれば、俺の両親は、権威ってものに弱い人たちだった。
上司に呼び出されたら、休暇を切り上げてでも会社に行く。
専門家の言ったことには、決して逆らわない。
選挙が来ると、自分で選んだ候補者じゃなくて、周りの空気を読んで、勝ちそうな候補者に投票する。
そういう人たちだった。
そういう人たちだったから、医者から、息子さんの人生はもうおしまいですよ、って言われても、なんの疑問も持たなかった。
医者に逆らうなんて、そんなのみっともないとか、恥ずかしいとか、そんな風に思ってたんだろう。
なんにしても、俺の両親は、自分たちの子供を守るために、闘うことをしなかったんだ。
ある日、入院した兄を見舞いに病院に行ったら、兄は手足をベッドに縛り付けられて、薬で眠らされていた。
医者は、兄が病院内で大声を上げたから、仕方なくこうしたって説明した。
俺は、精神科医療における身体拘束は、自傷もしくは他害の恐れがある場合しか認められないから、これは完全な人権侵害で違法行為だって抗議した。
そしたら医者は、俺をバカにした目で見て、別に訴えてもいいですけど、そんなことをしても無駄ですよ、と言った。
そして、父親は俺を殴った。
兄を治療してくれるお医者さんに、なんて失礼なことを言うんだ、って。
俺は、これからずっとこんな風に生きていくのかな、って思った。
権威や権力の前じゃ、俺なんか無力で。
これから先の人生でもずっと、大切なものが奪われていくのを、ただ黙って見ていることしかできないのか、って。
……もう、何もかも嫌になってたそんな時に、移民を募集するSHILFのPR動画が目に入った。
その動画はこう言っていた。
あなたはどうして、SHILFに移民してきたんですか?
私たちが質問を投げかけると、多くの人々が、様々な答えを返してくれます。
「貧しさに耐えかねて、仕事を求めてやってきた」
という人もいれば
「SHILFの理想のために、自分も戦いたいと思った」
と答える人もいます。
ですが、結局のところ、毎年多くの人々がSHILFに移民してきてくれる理由は、一つしかないと思います。
それは「世界連邦の中で、生き辛さを感じたから」というものです。
ここではないどこかへ行きたい。
そう思ったことはありませんか?
もしそんな思いを抱えておられるなら、ぜひSHILFについて調べてみてください。
SHILFは、世界連邦とは大きく違います。
そんなSHILFは、あなたの「ここではないどこか」になり得るかもしれません。
もし、そうでなかったとしても……どうか、忘れないでください。
私たちは、同じ一つの思いを共有しているという点で、心のつながった同志です。
世界連邦しかない世の中は、とても息苦しい。
だから私たちには、もう一つの「世界」が必要だ、と。
……笑っちゃうよな。
ここではないどこかへ行きたいとか、生き辛さがどうとか。
そんなの、連邦もSHILFも関係なく、まともな人間なら全員が持ってる思いだ。
そんなキーフレーズを巧みに織り込んだプロパガンダに、まんまと騙されたわけだ、俺は。
……でもなあ。
あの時の俺は……それでも、救われた気がしたんだよ。
俺は、ここではないどこかへ行きたかった。
もう一つの「世界」があってもいいはずだと思った。
もしかしたら、そこでなら……兄さんに起きたようなことを、繰り返さずに済むかもしれないと思ったんだ。
もう一つの世界でなら、俺は強くなって……本当の意味で強くなって、兄さんみたいな人を助けられるんじゃないかと思った。
「……それが、俺がSHILFに入った理由だ」
話し終えたケンのことを、カイトとイコライは、しばらくの間、じっと見つめていた。
だがやがて、カイトが口を開いた。
「イコライ」
「何だ」
「ちょっと廊下に」
言うなり、椅子から立ち上がって部屋から出たカイトに、イコライはついていった。
カイトは、神妙な面持ちでドアを閉じると、イコライを連れて、ドアから少し離れた位置に移動した。
そしてカイトは、難しげな顔で腕組みをして肩を揺らしながら、目を伏せてこう言った。
「……俺は、SHILFに行くようなやつは、みんなバカだと思ってる。SHILFに移民するようなやつは、食うに困った人生の負け犬か、じゃなきゃ、自分を映画のヒーローか何かだと思い込んだ、イカれたアホかのどっちかだと思ってる。その考えを変えるつもりはない……けど……」
カイトは視線を上げて、イコライの目を見た。
「あのケン・ウェーバーに関しては……イコライ、お前の言う通りなのかもしれない。やつだけは、他のバカとは違う気がする。あいつは良いやつだ……なんとかして助けてやりたい。いまの話を聞いて、俺はそう思った」
「カイト……!」
イコライは思わず感極まって、旧友の肩を抱きしめた。




