2 すれ違う思い
「お帰りなさい、イコライさん」
酔った手でカギを開けようとガチャガチャやっていたら、若い女の顔をした彼女がドアを開けにきた。目が合うと、なにやら嬉しそうにニコニコと笑っている。
「ソラ……先に寝ててくれって、メールしただろ」
口ではそう言いつつも、イコライも心の中では嬉しいと感じている。
ソラはそんなイコライに対し、ミディアムショートの美しい髪の下にある綺麗な顔に、少しムッとしたような表情を浮かべて応じた。
「もう。何度言えばわかるんですか? そういう方面で、私のことを人間扱いしなくていいんですよ」
口調は怒っていたが、上着を受け取る時の手つきは、いつも通りの丁寧なものだった。
「私、疲れたりしないんで」
そう言って、片目をパチッと閉じるソラを見たイコライは、かわいいなあ、と思う。実際、ソラはすごい美人で、道を一緒に歩いていると、よく視線を感じる。
だがまあ、それはそれとして。
「そういう問題じゃないんだよ、ソラ。俺の感じ方の問題なんだ」
「感じ方って……つまり、私を夜遅くまで待たせると、いたたまれなくなる、ってことですか?」
「そう、そんな感じ」
「そんなこと言われても……それなら私じゃなくて、人間の恋人を作れば良かったんじゃないですか?」
「……そんなこと言うなよ」
「す、すいません」
「いや、そんな、謝らなくてもいいけど」
「だっていま、イコライさん傷つきましたよね? 傷ついた顔しましたよね?」
「は、はあ? 傷ついてないし。ただ、ちょっとグサッと来ただけで」
「傷ついてるじゃないですか」
ソラはおかしそうに笑った。可愛かった。
「……お腹すいたよ。なんかある?」
ソラが作ってくれた夜食はおいしかった。ソラは食卓の向かいに座って、どことなく嬉しそうに微笑みながら、イコライと同じものを食べた。イコライはそんなソラを見てもう一度、可愛いと思った。
この笑顔を守りたい。
……難しいことなんか、考えたくない。
イコライが、そんな風に感じ始めたその時、ソラが話しかけてきた。
「戦争、終わったんですね。おめでとうございます」
「ん、ありがと」
「またしばらくお休みですよね。この部屋も引き払わなくちゃ。今度はどこで過ごすんですか?」
「それなんだけど……今回の休みは、実家で過ごそうと思うんだ」
「そうですか……」
ソラは少しがっかりしたみたいだった。
「その間、私はどうしていればいいですか?」
「いや、だから、それなんだけどさ、ソラ」
イコライは、フォークを置いて居住まいを正し、少しだけ固い声で言った。
「両親に、君を紹介しようと思うんだよ」
その瞬間、ソラは目を見開いて驚いた。それは、イコライが初めて見る表情だった。一緒に暮らし始めた頃のあの時でさえも、こんな顔はしなかった。
「え、ちょ、だって、イコライさんの実家って、すごい歴史のある……」
「うん。大戦の前まで貴族だった。いまでもまあ、家は大きいね」
「だ、大丈夫なんですか? そんなおうちに、私なんかが行っても」
「まあ、母さんも平民出身だから、話せばわかってくれるんじゃないかな」
「何を言ってるんですか!」
ソラが頬杖を解いて、声を上げる。
「お母さんと私じゃ、全く違いますよ、イコライさん!」
イコライが何か言う間もなく、ソラは言った。
「だって、私……ロボットなんですよ!」
外見は人間の女の子と見分けがつかないが、ソラはロボットだ。
ロボットと付き合ったり結婚したりする人間は、まだまだ珍しい。というか、はっきり言ってマイノリティそのものだ。だからいまの世の中には、ロボットと結婚する権利を求める活動家なんてのもいる。
だがイコライは、特に思想とか信条があってソラのそばにいるわけではない。ロボットの権利とか、そもそも人間が人間であることの意味とか理由とか、あまり深く考えたことはない。いや、考えたことはあるが、それは、ソラと一緒にいることとは関係ない。
ただ、ソラと暮らしていると、すごく居心地が良い。掃除も洗濯も完璧で、おいしい料理だって作ってくれる。家計の管理までしっかりこなしてくれるし、何より、家に帰ってソラと顔を合わせて、言葉を交わすと、とても心が安らぐ……夜の相手だって、ちゃんとしてくれる。
だから、イコライもそんなソラに応えてやりたいと思う。戦って、勝って、報酬をもらって生きて帰ってくることがそれだった。
ただ心配なのは、自分が死んだ時のことだった。自分が死んだら、ソラはどうなるのだろうと、このごろよく考えるようになった。
だから、イコライは実家にソラのことを頼むつもりだった。万が一、自分に何かあったら……メイドでも料理人でもなんでもいいから、ソラに居場所を与えてやって欲しい。そう頼むつもりだった。
実家の両親も使用人も、割と物わかりの良い人間ばかりだから、たぶん大丈夫だろう、と思う。
ということを、イコライはソラに説明した。
だが、ソラの表情は晴れなかった。
「なんですか、それ……私のこと、重荷だってことですか?」
「え? 重荷って?」
イコライは、ソラが言ったことを、なんだか唐突に感じた。そんな風に言われるとは、思ってもみなかった。
「ごめん、何の話?」
ソラは、眉間にしわを寄せながら言う。
「……私って、邪魔じゃないですか?」
「だって、家事をやらせるだけなら、安いロボットがいろいろあるじゃないですか。私みたいに、人間そっくりに作られてなくて、気まずい思いなんかせず、簡単に捨てられるようなやつが、たくさんあるじゃないですか。夜の相手だって、私みたいな人格のあるロボットじゃなくて、もっと扱いやすい、操り人形みたいな機種の方がいいんじゃないですか?」
「ど、どうしてそんなこと言うんだよ」
イコライはソラの手を握って言った。だが、ソラは言い返してくる。
「じゃあ、なんで私がいいんですか?」
「だって、そんな人格のない機械じゃ……俺の『生きる目的』になってくれないじゃないか」
「……」
冷めた目になったソラに向かって、イコライはすがるように言う。
「あのな、ソラ。今日、俺はまた人を殺した。ロクな教育を受けてない、ひどいパイロットだった。たぶん、俺より年下だったんじゃないかな。とにかく、そいつは死んだ。でも俺は生きてる。なんでだ? なんでそいつは死んだのに、俺は生きてるんだ? 答えは、俺の方が強かったからだ。俺の方が、良い教育を受けていて、運も良くて、強かったからだ」
「じゃあ、なんのために? なんのために俺は、そいつを殺してまで生きることを選んだんだ? 一体なんのために、俺はそいつを殺せるぐらいまで強くなることを選んだんだ?」
「……ソラ、お前のためなんだよ。お前がいてくれなきゃ、俺には、人を殺してまで生き残る理由なんてなんにもない。だから、俺にはお前がいてくれなきゃダメなんだ。お前は確かに重いよ。でもそれは、俺にとって、必要な重さなんだ」
だが、それを聞いても、ソラの表情は暗いままだった。
「何を言ってるんですか……イコライさんが殺した相手にだって、恋人がいたかもしれないじゃないですか。その恋人は、私と違って、人間の女の子だったかもしれない」
「そんなこと言うなよ」
イコライは、ソラの手を握りしめながら言った。冷たい手だった。
「ソラ。昔、俺には好きな女の子がいたよ。人間の女の子だった。でもその子は、俺にひどいことをしたんだ。とてもひどいことをした。たぶん、俺なんか死んでもいいとか、死ねとか思ってたんだと思う……」
「でも、ソラ、お前は違う。お前は俺に優しくしてくれる。だから、俺もお前に優しくするよ。だって、そうするのが、きっと正しいことだから。人間とかロボットとか、そんなの小さいことだ。関係ない」
「……」
だが、結局その日、イコライがいくら言葉を重ねても、ソラが心を開くことはなかった。
それから、二日後のこと。
イコライが更衣室で灰色のフライトスーツに着替えていると、隣で一緒に着替えているカイトが話しかけてきた。
「なあ、イコライ」
「ん?」
「お前、ソラちゃんと何かあったの?」
「……え、なんで?」
「いや、なんでって、お前な……普段、俺の前であれだけイチャイチャしてるのに、今日はほとんど会話してないだろ」
「は? お前の前でイチャイチャ? いつの話だ?」
「……イコライ、お前、今日のAMMは八発だったな」
「そうだよ」
「じゃあ、お前を殺すのに必要なミサイルは九発か。それはコストがかかり過ぎるな。だったら俺の得意な機銃で撃ち落としてやろう。あれならAMMも関係ないし」
「とりあえず、お前が怒ってるのはわかった。で、何の話だ?」
「ソラちゃんだよ!」
カイトが本気でイラついているようだったので、イコライは二日前の夜に何があったのか白状した。すると、カイトは感心するようなため息を漏らした。
「ほんとすごいよなあ、ソラちゃんは。彼氏と喧嘩までするのか……ロボットなのに、ちゃんと自分の意志がある、ってことかなあ」
「……科学者によれば、人間に自由意志があるかどうかは怪しいらしい。というか、多分ない、っていうのが通説になりつつあるらしい」
「へえ?」
「でも俺は『意志があるように見える』ってことが大事なんだと思う……ソラは良い子だよ。喧嘩もするけど、俺のことを想ってくれている」
「たとえそれが『そういう風に見える』だけだとしても、そんなの、人間の女の子だって同じことだ。だから俺は、ソラの気持ちに応える。優しくしてもらっておいて、何も返さないのは、俺の主義に反する……でも、なんでソラが怒ってるのか、いまいち分からない」
「……うん、なるほど。そりゃソラちゃん怒るわ」
「え?」
イコライはカイトの言ったことに虚を突かれて、間の抜けた子供のような顔になった。
「な、なんで?」
「あのなあ、イコライ。お前、ところどころ本当にガキだよな……そりゃ、優しくされたから優しくするっていう、お前のそういう義理堅いところは俺も好きだよ」
「俺だけじゃなくて、まともなやつなら、誰だって好感を持つと思う……でもな、他の誰もお前に求めていないことの中に、ソラちゃんだけがお前に求めていることがあるんだよ」
「なんだよ、それ?」
カイト・メイナード……イコライと、その後も長きに渡って共に戦うことになる戦友……は言った。
「愛だよ、愛。それも、博愛じゃなくて性愛の方だ。小難しい哲学なんかいらねーよ。『君のことが好きだ』って言ってやらなきゃダメなんだ」