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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第1章 エンゲージメント
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2 すれ違う思い

「お帰りなさい、イコライさん」


 酔った手でカギを開けようとガチャガチャやっていたら、若い女の顔をした彼女がドアを開けにきた。目が合うと、なにやら嬉しそうにニコニコと笑っている。


「ソラ……先に寝ててくれって、メールしただろ」

 口ではそう言いつつも、イコライも心の中では嬉しいと感じている。


 ソラはそんなイコライに対し、ミディアムショートの美しい髪の下にある綺麗な顔に、少しムッとしたような表情を浮かべて応じた。


「もう。何度言えばわかるんですか? そういう方面で、私のことを人間扱いしなくていいんですよ」


 口調は怒っていたが、上着を受け取る時の手つきは、いつも通りの丁寧なものだった。

「私、疲れたりしないんで」


 そう言って、片目をパチッと閉じるソラを見たイコライは、かわいいなあ、と思う。実際、ソラはすごい美人で、道を一緒に歩いていると、よく視線を感じる。


 だがまあ、それはそれとして。

「そういう問題じゃないんだよ、ソラ。俺の感じ方の問題なんだ」


「感じ方って……つまり、私を夜遅くまで待たせると、いたたまれなくなる、ってことですか?」

「そう、そんな感じ」


「そんなこと言われても……それなら私じゃなくて、人間の恋人を作れば良かったんじゃないですか?」

「……そんなこと言うなよ」


「す、すいません」

「いや、そんな、謝らなくてもいいけど」


「だっていま、イコライさん傷つきましたよね? 傷ついた顔しましたよね?」

「は、はあ? 傷ついてないし。ただ、ちょっとグサッと来ただけで」


「傷ついてるじゃないですか」

 ソラはおかしそうに笑った。可愛かった。


「……お腹すいたよ。なんかある?」


 ソラが作ってくれた夜食はおいしかった。ソラは食卓の向かいに座って、どことなく嬉しそうに微笑みながら、イコライと同じものを食べた。イコライはそんなソラを見てもう一度、可愛いと思った。


 この笑顔を守りたい。

 ……難しいことなんか、考えたくない。


 イコライが、そんな風に感じ始めたその時、ソラが話しかけてきた。

「戦争、終わったんですね。おめでとうございます」

「ん、ありがと」


「またしばらくお休みですよね。この部屋も引き払わなくちゃ。今度はどこで過ごすんですか?」

「それなんだけど……今回の休みは、実家で過ごそうと思うんだ」


「そうですか……」

 ソラは少しがっかりしたみたいだった。

「その間、私はどうしていればいいですか?」


「いや、だから、それなんだけどさ、ソラ」

 イコライは、フォークを置いて居住まいを正し、少しだけ固い声で言った。


「両親に、君を紹介しようと思うんだよ」


 その瞬間、ソラは目を見開いて驚いた。それは、イコライが初めて見る表情だった。一緒に暮らし始めた頃のあの時でさえも、こんな顔はしなかった。


「え、ちょ、だって、イコライさんの実家って、すごい歴史のある……」

「うん。大戦の前まで貴族だった。いまでもまあ、家は大きいね」


「だ、大丈夫なんですか? そんなおうちに、私なんかが行っても」

「まあ、母さんも平民出身だから、話せばわかってくれるんじゃないかな」


「何を言ってるんですか!」

 ソラが頬杖を解いて、声を上げる。


「お母さんと私じゃ、全く違いますよ、イコライさん!」

 イコライが何か言う間もなく、ソラは言った。


「だって、私……ロボットなんですよ!」



 外見は人間の女の子と見分けがつかないが、ソラはロボットだ。


 ロボットと付き合ったり結婚したりする人間は、まだまだ珍しい。というか、はっきり言ってマイノリティそのものだ。だからいまの世の中には、ロボットと結婚する権利を求める活動家なんてのもいる。


 だがイコライは、特に思想とか信条があってソラのそばにいるわけではない。ロボットの権利とか、そもそも人間が人間であることの意味とか理由とか、あまり深く考えたことはない。いや、考えたことはあるが、それは、ソラと一緒にいることとは関係ない。


 ただ、ソラと暮らしていると、すごく居心地が良い。掃除も洗濯も完璧で、おいしい料理だって作ってくれる。家計の管理までしっかりこなしてくれるし、何より、家に帰ってソラと顔を合わせて、言葉を交わすと、とても心が安らぐ……夜の相手だって、ちゃんとしてくれる。


 だから、イコライもそんなソラに応えてやりたいと思う。戦って、勝って、報酬をもらって生きて帰ってくることがそれだった。


 ただ心配なのは、自分が死んだ時のことだった。自分が死んだら、ソラはどうなるのだろうと、このごろよく考えるようになった。


 だから、イコライは実家にソラのことを頼むつもりだった。万が一、自分に何かあったら……メイドでも料理人でもなんでもいいから、ソラに居場所を与えてやって欲しい。そう頼むつもりだった。


 実家の両親も使用人も、割と物わかりの良い人間ばかりだから、たぶん大丈夫だろう、と思う。


 ということを、イコライはソラに説明した。

 だが、ソラの表情は晴れなかった。


「なんですか、それ……私のこと、重荷だってことですか?」

「え? 重荷って?」


 イコライは、ソラが言ったことを、なんだか唐突に感じた。そんな風に言われるとは、思ってもみなかった。


「ごめん、何の話?」

 ソラは、眉間にしわを寄せながら言う。

「……私って、邪魔じゃないですか?」


「だって、家事をやらせるだけなら、安いロボットがいろいろあるじゃないですか。私みたいに、人間そっくりに作られてなくて、気まずい思いなんかせず、簡単に捨てられるようなやつが、たくさんあるじゃないですか。夜の相手だって、私みたいな人格のあるロボットじゃなくて、もっと扱いやすい、操り人形みたいな機種の方がいいんじゃないですか?」


「ど、どうしてそんなこと言うんだよ」

 イコライはソラの手を握って言った。だが、ソラは言い返してくる。

「じゃあ、なんで私がいいんですか?」


「だって、そんな人格のない機械じゃ……俺の『生きる目的』になってくれないじゃないか」

「……」


 冷めた目になったソラに向かって、イコライはすがるように言う。


「あのな、ソラ。今日、俺はまた人を殺した。ロクな教育を受けてない、ひどいパイロットだった。たぶん、俺より年下だったんじゃないかな。とにかく、そいつは死んだ。でも俺は生きてる。なんでだ? なんでそいつは死んだのに、俺は生きてるんだ? 答えは、俺の方が強かったからだ。俺の方が、良い教育を受けていて、運も良くて、強かったからだ」


「じゃあ、なんのために? なんのために俺は、そいつを殺してまで生きることを選んだんだ? 一体なんのために、俺はそいつを殺せるぐらいまで強くなることを選んだんだ?」


「……ソラ、お前のためなんだよ。お前がいてくれなきゃ、俺には、人を殺してまで生き残る理由なんてなんにもない。だから、俺にはお前がいてくれなきゃダメなんだ。お前は確かに重いよ。でもそれは、俺にとって、必要な重さなんだ」


 だが、それを聞いても、ソラの表情は暗いままだった。

「何を言ってるんですか……イコライさんが殺した相手にだって、恋人がいたかもしれないじゃないですか。その恋人は、私と違って、人間の女の子だったかもしれない」


「そんなこと言うなよ」

 イコライは、ソラの手を握りしめながら言った。冷たい手だった。


「ソラ。昔、俺には好きな女の子がいたよ。人間の女の子だった。でもその子は、俺にひどいことをしたんだ。とてもひどいことをした。たぶん、俺なんか死んでもいいとか、死ねとか思ってたんだと思う……」


「でも、ソラ、お前は違う。お前は俺に優しくしてくれる。だから、俺もお前に優しくするよ。だって、そうするのが、きっと正しいことだから。人間とかロボットとか、そんなの小さいことだ。関係ない」


「……」

 だが、結局その日、イコライがいくら言葉を重ねても、ソラが心を開くことはなかった。



 それから、二日後のこと。

 イコライが更衣室で灰色のフライトスーツに着替えていると、隣で一緒に着替えているカイトが話しかけてきた。


「なあ、イコライ」

「ん?」


「お前、ソラちゃんと何かあったの?」

「……え、なんで?」


「いや、なんでって、お前な……普段、俺の前であれだけイチャイチャしてるのに、今日はほとんど会話してないだろ」

「は? お前の前でイチャイチャ? いつの話だ?」


「……イコライ、お前、今日のAMMは八発だったな」

「そうだよ」


「じゃあ、お前を殺すのに必要なミサイルは九発か。それはコストがかかり過ぎるな。だったら俺の得意な機銃で撃ち落としてやろう。あれならAMMも関係ないし」


「とりあえず、お前が怒ってるのはわかった。で、何の話だ?」

「ソラちゃんだよ!」


 カイトが本気でイラついているようだったので、イコライは二日前の夜に何があったのか白状した。すると、カイトは感心するようなため息を漏らした。


「ほんとすごいよなあ、ソラちゃんは。彼氏と喧嘩までするのか……ロボットなのに、ちゃんと自分の意志がある、ってことかなあ」


「……科学者によれば、人間に自由意志があるかどうかは怪しいらしい。というか、多分ない、っていうのが通説になりつつあるらしい」


「へえ?」


「でも俺は『意志があるように見える』ってことが大事なんだと思う……ソラは良い子だよ。喧嘩もするけど、俺のことを想ってくれている」


「たとえそれが『そういう風に見える』だけだとしても、そんなの、人間の女の子だって同じことだ。だから俺は、ソラの気持ちに応える。優しくしてもらっておいて、何も返さないのは、俺の主義に反する……でも、なんでソラが怒ってるのか、いまいち分からない」


「……うん、なるほど。そりゃソラちゃん怒るわ」

「え?」


 イコライはカイトの言ったことに虚を突かれて、間の抜けた子供のような顔になった。

「な、なんで?」


「あのなあ、イコライ。お前、ところどころ本当にガキだよな……そりゃ、優しくされたから優しくするっていう、お前のそういう義理堅いところは俺も好きだよ」

「俺だけじゃなくて、まともなやつなら、誰だって好感を持つと思う……でもな、他の誰もお前に求めていないことの中に、ソラちゃんだけがお前に求めていることがあるんだよ」


「なんだよ、それ?」


 カイト・メイナード……イコライと、その後も長きに渡って共に戦うことになる戦友……は言った。


「愛だよ、愛。それも、博愛アガペーじゃなくて性愛エロースの方だ。小難しい哲学なんかいらねーよ。『君のことが好きだ』って言ってやらなきゃダメなんだ」

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