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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第2章 トライアル
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12 無思慮の代償

「あれ? 若様、何か忘れ物で……」


 玄関ホールで掃除をしていたララは、ドアを開けて入ってきたイコライに声をかけようとした。


 だが、イコライとソラに続いて入ってきた三人目の人物を見て、言葉を失う。

 黒い色の、フライトスーツ……それが何を意味するのかぐらい、ララにもわかった。


「ララ、母さんはどこだ?」

 イコライに聞かれると、ララはぎこちなく答えた。

「……居間で、編み物をしていると思いますが」


「そうか。ララ、この男を応接室に通してくれ。それから、スティーブンを見つけて、居間に来るよう言って欲しい。あ、あと……」


 イコライは言いながら、腰のホルスターを外して、ララに手渡した。ララは、ずっしりと重たい感触を、その手に感じた。


「これを、スティーブンに渡しといてくれ……ケン、とりあえず、ソラと一緒に応接室に。俺は母さんに話を通さなきゃならない……いや、マザコンとかじゃなくて、父さんが不在のいま、この家の主人は母さんだから」


「わかった。だが面倒をかけるようなら、やはり……」

「いいって。気にするな。じゃあ、また後で」


 イコライはそう言って、足早に屋敷の奥へと姿を消した。ララはというと、そんなイコライの背中を、こわばった顔で見送ったきり、いつまでも立ち尽くしていた。


 見かねたソラが、ララに声をかける。


「ララさん、大丈夫ですか」

「え? な、何がですか?」


「イコライさんって、何かに夢中になると、周りが見えなくなるから……」

「さあ、なんのことでしょう?」


 ララは笑顔を取り繕い、銃を胸にかき抱きながら、こう言った。


「応接室はこちらです」

 ララはケンたちを応接室に案内すべく、先に立って廊下を歩き始める。


 道すがら、ケンとソラが会話を交わしていた。


「なんて家だ……一体、あの男は何者なんですか?」


「大富豪の放蕩息子……ってあたりが、一番近いとは思いますけど。でも正直なところ、私にもわかりません。ただ、普通じゃないってことだけは、間違いないです」

「……」

 

 その後、応接室に入ったケンがアームチェアに腰を下ろすのを、ララは表情のない顔で見ていた。


 それでも一応、ララはいつも通りに振る舞おうとして、ソラとケンに聞いた。


「紅茶になさいますか、それともコーヒーにしますか」

「私は紅茶を……ケンさんはどうします?」

「俺は水で結構です」

「承知しました」


 部屋を辞去して、ドアを閉めると、ララは深く息を吐いた。気づかないうちに緊張していて、息が浅くなっていた。


 ……そして、ララはなんだか急に、そうするのが正しいような気がしてきて、手に持った銃を、廊下に置かれた壺の中に隠した。




「イコライ! あなたは何を考えてるの!」


 少し後、イコライは居間で、母親から激しい叱責を受けていた。


「母さん、落ち着いて。何もそこまで怒らなくたって……」


 立ったまま向かい合って言い争う二人のことを、スティーブンは壁を背にして見守っている。室内にはその三人だけだ。


 コーネリアは色をなして言う。


「犯罪者をかくまうだなんて……今度という今度こそは、私はあなたの正気を疑います!」

「犯罪者って言っても、ケンは政治犯だよ。信念があってやってるんだ」

「でも、連邦政府はそうと認めていないでしょう」

「それは、見解の不一致ってやつで」


「そんなことは問題になりません! それぐらいのことは、あなたもわかる年齢になったでしょう」

「母さん! あいつは良いやつなんだよ! 俺が話して確かめたんだ……あいつをこんなところで死なせちゃいけないんだ!」

「捨て猫とは違うんですよ、イコライ!」


 ケンを家に置いてくれというイコライと、絶対にそれはならないとするコーネリア。二人は次第に興奮して、それに合わせて声も高くなっていった。だが、声がドアの外まで漏れ聞こえていたことに、誰も気にとめなかった。


「わかりました。それなら……」

 コーネリアは一度言葉を句切って息をつき、こう仕切り直した。

「一つ、物の見方を変えてみましょう、イコライ」


「どういうことだよ」

「イコライ……あなた、ソラさんのことは、どうするつもりなの?」

「どうする、って?」


「もしあなたが捕まったら、ソラさんはどうなるのって聞いてるの! そんなこともわからないの!? ちっとも考えなかったというの!? ほんの二日前に、あれほど彼女を想っていると言ったばかりでしょう!」


「な……」


 言われてみれば、それは考えて当然のことだったはずなのに、イコライはそれまで、ソラのことをすっかり忘れていたことに気づいた。


 母の言うとおりだった。ケンと一緒に、イコライまで警察に捕まることになれば、ソラはきっと不幸になる。屋敷にだっていられなくなるだろうし、他に行き場所もない。そうなったら、その後は……考えたくもなかった。


 それに思い至ったイコライは、道の真ん中で行き先を忘れてしまったような気分になって、立ち尽くした。


 一人だった頃は、自分のことはなんだって自分で決められた。良いことも悪いことも、自分が決めたことの結果を引き受けるのは、自分一人だった。だから、自分さえ望めば、何だってできた。でも、今は……。


「わかりましたね、イコライ。母さんが何でもお前の言うことを聞くと思ったら大間違いなんだから……スティーブン、警察に連絡してちょうだい」


「ま、待て、スティーブン」


「若様……」スティーブンは、軽く頭を下げ、瞑目しながら言った。「誠に心苦しいことですが……そのご命令には従えません」


「スティーブン……」


「どうかお許しください、若様。これは不忠のためではなく、忠義のためなのです……賊が抵抗するかもしれません。若様、銃はどうなさいましたか」


「えっ? ララから受け取らなかったのか?」

「いえ、私は……」


 その時、甲高い破裂音が、屋敷中に響き渡った。


「銃声っ!?」

 言い終えるより前に、イコライは走って、部屋を飛び出して行った。

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