6 始まりの日の朝
その日の朝、イコライはノックの音で目を覚ました。
「若様。スティーブンです」
「うーん……?」
イコライはベッドの上で、目をこすりながらうめき声を漏らす。明かりが差し込んでいるところを見ると朝のようだが、島に着いてからまだ三日。休暇はもうしばらくある。起こしてくれとは頼んでいない。
一体何だろうと思いつつ、イコライは隣で裸で寝ているソラの頬を突っついた。
「ソラ。スティーブンだけど、入れてもいいかい?」
「うーん……私に構わないでください」
ソラはそう言いつつ、布団を軽く引っ張って、むき出しの肩を隠した。
「入ってくれ」
「失礼いたします」
言って、スティーブンが入室してくる。朝からパリッとした執事服を隙なく着こなしていて、肩と胸にはピンと張りがあった。むしろ、仕えられてる側の俺より格好いいぐらいだよな、などとたまにイコライは思う。
「お休みのところ、お邪魔してすみません」
「いいよ。用件は?」
「はっ。実は……賊が島に上陸したということが、大きく報道されていまして。一刻も早くお知らせすべきかと思いました」
「はあ? 賊ぅ?」
聞いたイコライは、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
スティーブンって大時代的な言葉遣いをするよなあ、などと、イコライは大いに呆れながら「SHILFの戦闘機が島に墜落し、パイロットは墜落直前に脱出した模様」というテレビのニュースを眺めていた。
墜落があったのは、昨日の深夜。島の航空管制が、無線に応答しない機影がレーダーから消えるのを確認した。大幅に到着予定時刻に遅れていた戦闘機がたまたま一機あったせいで、管制官が誤解をし、島政府空軍による迎撃が行われなかったらしい。
直ちにレスキュー隊が現場に駆けつけた。墜落現場は、山の中腹あたりにある花畑の中。レスキュー隊は、一面に広がるヒマワリをかき分けながら、現場に近づいていった……予想されていた火災はなく(燃料タンクがほとんど空だったため、と後に判明する)、墜落した割には、機体は原型をとどめていることがわかった……ところが、だ。
不時着した戦闘機にはキャノピーと射出座席がなく、これは、パイロットが不時着前に脱出したことを意味していた。
レスキュー隊が周囲を捜索し、パラシュートや射出座席を発見したものの、パイロットの姿は発見できなかった……戦闘機がSHILF軍所属ということは、すぐにわかった。戦闘機は、真っ黒に……SHILF軍のシンボルカラーに……塗装されていたからだ。
直ちに非常線が張られたが、パイロットは発見できなかった。
そうして、非常招集された当局者たちが気を揉む中で、島は夜明けを迎えた……。
「よくもまあ、逃げるもんだなあ。『大脱走』って感じだよ」
朝。ブラド家の食堂で、カイトは大口を開け、バターを塗りハムを乗せたパンにかじりつきながら、感心するようにそう言った。完全に他人事という構えだ。
「北極圏からここまでって、ほんと、どんだけだよ……しかも、戦闘で燃料を使った後で、だぞ」
「よっぽど上手く気流に乗ったんだろう」
イコライは淡々と、パンをそのまま食べながら言う(一緒に食事をしていたソラは、そんな二人の食べ方の違いを見て、性格が出ているなあ、なんて思う)。
「ここまで逃げてきたなんて、パイロットは良い腕をしてる。航法も戦闘機乗りの技量のうちだ」
「でも、逃げてきたんだろ?」
カイトはスクランブルエッグをフォークですくいながら、皮肉っぽい口調で言った。
「そうだな……」
イコライは水を飲みながら、思案顔になった。
「できれば、そこのところ、突っ込んで話を聞いてみたいけど」
「ん……?」
カイトはイコライのその言葉に違和感を持ち、慎重に問い正そうとして、言葉を選ぼうとした。
だが、ちょうどそのタイミングでララが食堂に入ってきた。
「若様」
と、イコライに話しかけるララ。今日は、折り目正しいメイドの口調だ。
「スティーブンさんから、今日の皆さまのご予定を伺うよう言われました」
「俺は、午前中はソラと散歩に出かける。島を案内するんだ。一日目は忙しかったし、昨日はあいにくの雨だったからね」
「それは素敵ですね……ソラさん、きっとこの島を気に入りますよ」
「ありがとうございます。楽しみです」
「カイト、お前はどうするんだ?」
「ああ、俺は島のハンティングクラブに顔を出してくる」
「ハンティングクラブ?」
思わぬ単語が出てきて、イコライは面食らうが、カイトは得意満面で言った。
「俺がハンティングの名手だって話はしたろ?」
「いや……?」
「そんなはずはない」
「……そういえば、学生時代にチラッと聞いたような」
「あのな。俺はノル・サメルサの南部出身なんだ。あそこじゃ男の子はみんな、十三歳の誕生日には狩猟用のライフルを買ってもらって、父親に教えられて腕を磨くんだ」
「物騒な地方ですね……」
「まったくだ」
ソラが怖がって、イコライがうなずく。それを見て、カイトは軽く怒った。
「お前ら、俺の地元の伝統文化をバカにしてるな!?」
「あ、思い出した。そういえばお前、ノル・サメルサ南部出身のライフル兵は世界一だ、とか自慢してたな」
「ふっ、当然だ」
胸を張るカイトを見てイコライは、だったら戦闘機乗りじゃなくて歩兵にでもなってれば……と、言っては言いすぎなので、会話を終わらせることにした。
「わかったよ。ハンティングでも何でもしてくるといい」
「ああ。さっきネットで見たら、山の方でシカを狩れるらしいんだ。今夜はシカ肉だぜ、お前ら」
「期待しとくよ。さて……聞いたとおりだ、ララ」
「はい。スティーブンさんに伝えてきます。お食事中、失礼しました」
そう言って頭を下げ、丁寧な所作でララは辞去していった。
二階の部屋で身支度を整えたイコライは、ソラを連れて散歩に出かけようと、玄関ホールに降りてきた。
「若様!」
と、そこで待ち構えていたスティーブンに呼び止められる。何やら、いつにもまして固い面持ちだった。
「島内には賊がうろついております。どうか、これをお持ちください」
その言葉と共に差し出されたスティーブンの両手の上に乗っていたのは、ホルスターに収まった拳銃だった。
なるほど、スティーブンらしい、行き届いた配慮だな、とイコライは思う。
だがイコライは、なんとなく、それをすぐに手に取ることをためらった。
「……こんなものが、必要かな?」
すると、スティーブンは、
「恐れながら申し上げますが、若様」
恐れながらと言いつつ、しっかりとしゃちほこばって、こう言うのだった。
「紳士たるもの、ご婦人を守るは義務かと存じます」
「……うん、わかった」
スティーブンの言葉を聞いて、イコライはホルスターを手に取った。
身に着けながら、イコライはこう言う。
「俺はやっぱり、こんなものは必要ないと思うけど……スティーブン。お前はソラのことをご婦人と言ってくれたね。だから受け取るよ」
「はて、なんのことでしょう。私は当たり前のことをしたまでです」
「……じゃあ、行ってくる」
「お気をつけて、行ってらっしゃいませ」
一部始終を黙って聞いていたソラは、見送りに玄関ドアの外まで出てきたスティーブンに向かって、深々と頭を下げてから、イコライを追いかけた。




