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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第1章 エンゲージメント
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1 白い雲の海

 もし、誰かがそんな二三歳のイコライ・ブラドを見たとしたら、こう思ったかもしれない。


 自分だって、傭兵として人を殺して金をもらっているくせに、そんなことを思うのは自分勝手だ、と。


 だが、戦争の絶えないこの時代、優秀な戦闘機パイロットは、多かれ少なかれ自分勝手な性格をしているものだった。


 自分勝手でなくては……自らの意志を強く持つことなくしては、戦闘機パイロットは生き残ることができなかった。


 編隊を組んで戦うとは言っても、現代のジェット戦闘機はあまりにも高速で、一度混戦になったが最後、仲間と助け合うのは難しい。


 最後の瞬間はいつも一人。どこまでも広がる大空の中で、パイロットたちは一粒の点となって、たった一人で戦う。生死を分かつ一本の線の上で、戦闘機パイロットは、誰にも頼れない。


 だから、戦闘機パイロットは、環境の求めるままに進化する。


 まず、若者の中から、他人に頼らない独立心旺盛な者が選ばれる。さらにその後で、生まれつき持っている性格を、より強化されるような教育を受ける。最後に、実戦の中で、必要なものが研ぎ澄まされ、不要なものが切り落とされていく。


 その結果として、優秀な戦闘機パイロットは生まれる。

 広大な空の中に一人取り残されたとしても、自分だけで戦う判断を下すことのできる人間が出来上がる。


 普通の人間は、一人で生きていくことはできない。狩りをする時、畑を耕す時、工場で物を作る時、オフィスで働く時……そして、歩兵として戦う時、軍艦の乗組員として戦う時……どんな時も、一人では何もできない。


 だが、優れた戦闘機パイロットは違う。


 優れた戦闘機パイロットだけは、周りには自分一人しかいなくても……時として、逃げようと思えば逃げられる状況でも……あえて、戦うことを選ぶ。そして、勝つ。


 副作用として、自分勝手な人間になることも多いが、見返りは大きい。長生きができるのだ。上手くやれば、金だって稼げる。


 ……だが、実際には、そうした資質を持たない人間が、手違いで戦闘機パイロットになってしまうこともある。


 イコライ・ブラドが()()()()()()()()()()()()()()と違ったのは、そうした「手違い」に対して、いちいち怒っていたことだ。


「なんで不機嫌なのかって?」

 その日の夜、戦勝に沸くバーの喧噪の中で、イコライは苛立っていた。

「あのな、カイト! お前も見てただろ? 今日死んだやつを。あいつ、ロクな訓練を受けてなかった。最後まで俺に『敵はどこですか』『どうすればいいですか』って指示を求めてたよ。俺が敵のおおよその位置を教えてやっても『見えないです!』なんて言ってばっかりで……」

「空戦の最中に、敵の位置をわかりやすく説明できるわけないだろ、ってんだよ。無線で話してる暇があったら、自分の目で探せばよかったんだ。そうしていたら、あいつはまだ生きていたかもしれない」


「気にすんなよ。あんなやつ」

 イコライの同僚、カイト・メイナードは、ビールジョッキをあおりながら、怒る旧友を前に肩をすくめた。

「仲間って言ったって、今日になって初めて組まされたやつじゃないか。よく知りもしないやつだ。そもそも、あいつが死んだのはお前のせいじゃない」

「それに、あいつが結果的に(おとり)になってくれたおかげで、俺たちは楽ができたじゃないか。戦闘に勝ち、戦争に勝ち、俺たちは生き残って、会社から次の戦地を指示されるまで、しばしの休暇に入る。その間は、こうして酒も飲める。めでたし、めでたし」


「どこがめでたいんだ……」

 イコライは、ため息を挟みつつ、なおも言う。

「敵のパイロットだって最悪だった。俺の目の前で、急旋回なんかしやがって。急すぎる旋回は速度が落ちるから危険だって、学校で習わなかったのかな。俺たちなんか、空戦機動の授業で一番最初に習ったよな。なあ、そうじゃなかったか、カイト」


「そうだったかもな……でも、味方が弱いのはともかく、敵が弱いのはいいことだろ」


「いいもんか。俺は弱いやつを撃ち落としたってなんにも面白くない」


「おいおいお前、なにがやりたくて戦闘機パイロットになったんだ? 強いやつと戦いたいとでも? そんなことしてたら死ぬぞ」


「……死にたくはないさ。でも、今のこれも、なんか違うんだよ」


 騒がしいバーのカウンターの片隅で、一人だけうなだれながら、イコライは言う。

「あいつら、なんで戦闘機になんか乗ってたんだろうな。ロクな訓練も受けてないのに。あいつらだって、自分でそんなことはわかってたはずだ。出撃すれば死ぬって。なのに……」


「戦争が増えて、パイロットが足りないのさ」

 カイトは淡々と言った。

「それに、近頃は色んな仕事がロボットに取られてるからな。食うに困って、戦闘機に乗るやつが後を絶たない」


「答えになってない。なんで、あいつらは、ロクな教育を受けてなかったんだ」


「あのな、イコライ……」


 カイトは低く、言い聞かせるような声で言った。

「俺たちがいたのはな、世界で一番の戦闘機パイロット養成校だったんだよ。俺たちより良い教育を受けたパイロットなんか、どこにもいないんだ」


 その言葉を、苦虫を噛みつぶすような顔をして受け止めたイコライは、

「……気に入らない」

 と、背筋を伸ばしながら言った。


「俺はこの世界が気に入らない」


「なんだお前。そんなに強いやつと戦いたいのか。だったら戦うか? かつての同級生たちと」


「……」


 この時、イコライはただ黙り込むしかなかった。

 しかし、これから約五年後、イコライはカイトの言葉を実行に移すことになる。


 この五年後、イコライ・ブラドは世界大戦の端緒を開き、その結果として、かつての同級生たちを含め、全世界で一千万の人間を死に至らしめることになるのだ。




 ……だが、そんなことはまだ誰も知らない。この時のイコライは、ただの酔っ払った戦闘機パイロットに過ぎなかった。


 それでも、席を立つ時のイコライの足取りはしっかりしていた。カイトはそれを見て感心する。さすが我が社のエースパイロット。痛飲する時も程度をわきまえている、などと、カイトは大げさに評論した。たぶん、カイトも酔っていた。


 イコライは、そんなんじゃない、と言い返そうとしたが、やっぱりやめて、勝手に言わせておくことにした。自分が泥酔を避けるのが、帰りを待ってくれている相手のことを考えているからだと知れば、カイトはまた面白がるに決まっていた。それは、イコライにとっては面白くない。


 帰りの電車の中で、イコライは空いた席に座らず、立って窓の外を見た。


 そこには、何もない暗闇だけがあった。だがもし昼間なら、都市の外周を走るこの鉄道からは、どこまでも広がる白い雲の海を見渡せたことだろう。雲海の上空に浮かぶ空中都市。それが、イコライの今いる場所だった。


 かつて、海と言えば雲の海ではなく大量の塩水のことだった……などという神話がある。旧世界神話。世界各地に言い伝えられてきた伝承をまとめたとされるそれは、一部でけっこう人気のある神話……というより、物語だった。


 神話は事実だと主張する人間もいて、そうした人間は、これは神話ではなく歴史、つまり旧世界史だと言い張る。


 確かに、現在の文明が興る以前にこの惑星に高度な文明が存在したことは、考古学者によって立証されている。


 また、旧世界神話にある一部の記述も、おそらく事実なのではないか、と考える歴史家は多い。だが、それにしたって、旧世界神話の全てが事実ではないだろう、と考えられている。


 たとえば、雲海に関する旧世界神話の記述なんかが、まさにそうだ。


 旧世界には、雲海がなかった。

 代わりに、塩水の海があった。


 ……まったく、昔の人間の想像力には脱帽するしかないな、とイコライは思う。


 世界中の全ての陸地を取り囲み、惑星の七割を覆う白い雲海は、イコライが生まれる前、何千年も昔から、ずっと存在し続けてきた。きっと、これからも存在し続けるだろう。


 ……だが、いまのイコライは、その神話をバカにする気になれなかった。なぜなら、空中都市が互いに争い、毎日のように人が死に続けているのは、他ならぬその白い雲海のせいだったからだ。


 雲海は金になる。だからその支配権を巡って、空中都市はたびたび戦争をする。


 世界には雲海の上に浮かぶ都市国家が数百もあって、領空を巡る戦争が絶えることはない。もしも雲海が存在しなければ、戦争は起こらないだろう。その証拠に、陸地国家のほとんどは、平和そのものだった。


 だが、現実に雲海は存在する。

 だから、傭兵という仕事も存在する。


 イコライの仕事は、戦争に勝ちそうな都市国家と契約して、戦って勝つことだった。


 そんな戦争に大義なんかない。かつて、イコライの曾祖父の世代が、一方が自由を勝ち取るために、もう一方が伝統を守るために戦争をした時代とは違う。イコライたちの戦争に、大義はない。


 かといって、イコライは別に、大義のために戦いたいわけではなかった。

 ただ、金のためだけに戦うことに、どこか漠然とした、満たされない気持ちを抱いていた。


 ……いつか、何かを変えたい。


 その思いが、ずっと心の底で渦巻いている。

 けれど、自分なんかに何ができるだろう、とも思う。

 もし、何も変えられないのだとしたら……自分は、何のために戦えばいいのだろう。


 不意に「家族」という言葉が脳裏をよぎった。

 なるほど。わかりやすい。いかにも「イマドキ」の大義だ。


 ……それもいいかもしれない、とイコライは思う。

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