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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第2章 トライアル
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5 スパイラルダイブ

 ケンは、もう何度目かもわからないサヤカからの攻撃をどうにかしてかわし、旋回して反転しようとしていた。


 だが、その間にカールが襲われていた。ケンはサヤカに追われたカールが繰り出した機動を見て、思わず息を呑む。


(スパイラルダイブ……!)


 スパイラルダイブとは、その名のごとく、垂直に近い角度で降下しながら、螺旋を描くように急旋回を続ける機動のことだ。


 速度を保ったまま急旋回できる強力な回避機動である反面、代償として高度を急激に失うため、反転上昇のタイミングが少しでも遅れれば、墜落死に直結する……雲海に落ちた人間は、二度と帰ってこれない。死ぬのと同じだ。


 一歩間違えれば死につながるスパイラルダイブは、格闘戦の最終局面でよく見られる機動として有名だった……追い詰められたパイロットが、最後の悪あがきとして出す技なのだ。


 相手を追い詰めた方のパイロットは、多くの場合、追いかけるように自らもスパイラルダイブをして、獲物を逃がすまいとする。


 そんな二機の戦闘機の軌跡が作り出す、巨大な二重螺旋……それはさながら、大空に描かれた、戦闘機パイロットたちの墓標のようでもあった。



 そんな、スパイラルダイブを出さなければならないほど追い詰められていたカールだったが、胸には一つの策を秘めていて、これで逃げ切ってやるぞと、未だ闘志は衰えていなかった。


 その策を実行に移す好機を見計らうべく、カールは慎重に、残りの高度を測っていた。高度計など、見ている暇がない。完全な目測。パイロットとしての勘に、全てを賭けていた。


(……ここだっ!)


 それと決めた瞬間、カールは急旋回を即座にやめて背面飛行に入り、下方宙返りに打って出た。


 低高度での下方宙返りは、わずかでも目測を誤れば雲海に突っ込んでしまう。常識で考えれば、自殺行為。


 だが、それは追いかけてくる相手も同じ。

 スパイラルダイブを追いかけて来た相手も、ここで追随して自らも下方宙返りに出るのは、かなりためらうはず……だからきっと、振り切れる。


 むしろ問題なのは、下方宙返りを完遂できるかの方だった。カールは持てる全ての力を振り絞って、操縦桿を引いた。巨人の腕に掴まれ、振り回されたかのような強烈な加速度が、全身を強く締めつける。暗視装置越しに見える白い雲海が目の前に迫り、もうダメか、と思いかけた。


 だが、機体は無事に垂直を通り過ぎ、徐々に水平飛行へと戻っていった。加速度の締め付けが急に緩まり、身体が軽くなる。やがて機体は、完全に水平になった。雲面がすぐ近くに見える。まさに、これ以上ないほどギリギリの下方宙返りだった。


 これでは、敵もついてこられたはずがない。


(やった……!)


 ……そう、思った瞬間だった。


「カール、逃げろ!」


 無線から聞こえてきたケンの声に、えっ、と思って振り返る。

 ほんの数十メートル後方に、白い戦闘機がいた。




「バカなやつだ」

 サヤカはそうつぶやいていた。


 当たり前のことだが、追いかける側は、逃げる側よりも後ろにいる。


 つまり、降下しながら逃げる戦闘機が下方宙返りを始める時、追いかける戦闘機は相手より高度に余裕があるわけで、それで下方宙返りが上手くいかないはずがなかった。


 そんな簡単な理屈もわからないパイロットは……弱い、としか言いようがなかった。


「その程度だよなあ! お前はよお!」


 サヤカは、そう叫んでトリガーを引いた。主翼の付け根に一門搭載された多銃身機関砲は、パイロットよりもずっとよく吠えた。曳光弾の赤いきらめきが、さっと夜空を走って、カールの乗った機体に次々と命中し、膨らんでは弾ける無数の泡のような閃光を発する。


 燃料に引火したのか、カール機は爆発して粉々に吹き飛び、黒煙と破片を周囲に撒き散らして消滅した。サヤカは素早く操縦桿を引いて黒煙を回避する。残骸と衝突してはたまらないから、というよりも、まるで、道を歩いている時に、汚いものを避けて通るみたいだった。



「あっという間に二機を……!」


 ケンはサヤカ機に機首を指向しながら、そのあまりの強さを目の当たりにして、戦慄を新たにしていた。


 このパイロットは危険だ、という警告が脳裏をよぎる。

 だが、ケンはここに至ってもなお、自分のことより先に、周囲のことを考えていた。


(……このパイロットは、放置すればやがて、SHILFにとって大きな脅威になる)

(……どうせ自分は、生きて帰還できない)

(だったら……)

(差し違えてでも……ここで殺す!)


 幸い、カールが粘ってくれたおかげで、サヤカには隙ができていた。

 ケンはサヤカ機の後方に占位することに成功。さらに機銃の射程内に捉えるべく、一気に突っ込む。


 だが、


「それで勝ったつもりか!?」


 すぐにケンに気づいたサヤカは、降下して雲面すれすれを高速で飛びながら、真っ直ぐにそれを目指した。


 雲海は必ずしも平坦ではなく、ところどころが隆起している。ケンに追われたサヤカ機は、雲面の中でも特に高く、山のように隆起した部分(パイロットにはよく「雲山」と呼ばれる)を目指して、真っ直ぐに飛んでいた。


 ケンには、すぐにその意図がわかった。サヤカは雲山の周囲を回って、時間を稼ぐ気だと……雲山の周囲を、山の表面ギリギリで回られたら、機銃は撃てない。なぜなら、旋回する相手を撃つ瞬間は相手の少し前に機首を向けなければならないが、山の周囲を回っている途中でそんなことをしたら、山に突っ込んでしまうからだ。


 さらにその時、コクピット内にけたたましい警告音が鳴り響く。


(ロックオンされた!)


 単なる捜索レーダーではない。火器管制レーダー……それも、ミサイルのレーダーによるロックオンに違いなかった。ミサイルが、着弾まで間もなくの位置に迫っている。


「くっ!」


 離れていたもう一機の敵機がすでに接近してきていたのだ、とすぐにわかった。ケンは、この時、自分の命運が尽きたことを悟った。二対一では、AMMを全弾撃ったとしても、到底足りない。


 ……短い人生だった。


 しかし、部下を全員失った上で、自分だけ生きて帰って恥をかくよりは、いっそのこと、ここでひと思いに死んでしまったほうが……。


 いや……。


 その時、ケンは、自分が助かるかも知れない方法が、一つだけあることに気づいた。

 目の前を、スッと、求めているものが通り過ぎようとしている感じがした。




 その時、ケンの中で時間が止まった。


 ケンはその、目の前を通り過ぎようとしている何かに、とっさに手を伸ばしてもいいのかどうか、ためらっていた。


 だってそうだ。ここまでずっと、部下に戦えと命じておいて、その部下をみんな死なせてしまって、それでどうして、自分だけ生きて帰れる……?


「ケン・ウェーバー大尉」

 その時、ケンの目の前に、オクタリウス・ハーバーンがいた。

「君は死に場所を求めようとした部下を諫め、逃げ延びて機会を待てと言ったね」


 オクタリウスは言っていた。


「君はその思いやりを、周りだけでなく、君自身にも向けるべきではないかな……そうしないのは、矛盾というものではないかな」


「それは……それはすごく、言い訳のように聞こえます」


「君は、自分がどう思われるかをずいぶん気にしているようだが、大事なのは、どう思われるかではなく、何をするかではないだろうか」


「それも言い訳だ」


「……わかった。そういう潔癖なところは、君の良さでもあるからね。では、見る角度を変えよう……君は、あんな風になりたいのかい?」


「あんな風、とは?」


「無力な死者に、だよ」


 オクタリウスの背後に、平原のただ中に整然と立ち並ぶ、無数の墓標が見えた。SHILFにある、国立軍人墓地に似ていた。


「君もいままで、たくさん見てきただろう……たとえば、君が新人パイロットの時に、死んでしまった先輩がいたね。あの時、君は思い知ったのではないかな……死んだ人間は無力だ、ということを」


「……」


「死んだ人間は、戦闘機に乗って戦うこともできないし、昼食をとりながら気の利いた冗談を言って同僚を笑わせてやることもできないし、悲しみに暮れる家族のところへ帰って行って、喜ばせてやることだってできない……なあ、君はよくわかっているだろう」


「死者は無力なんだ」


「名誉の戦死だとか言ったり、立派な墓を建てたり、戦争博物館に名前と略歴を永遠に残したりして、みんな必死で取り繕っているかもしれないがね……現実はそれなんだよ」


「死者は無力なんだよ、ケン」

「私はね、君も、そんな無力な死者の仲間入りをしたいのか、と聞いているんだ」


「……誰からも話題にしてもらえず、」

「腫れ物に触るような扱いを受け続け、」

「やがては、かすかに君のことを覚えている人でさえ、時の流れの前に朽ちていき、」

「そうして世界は、君が生まれる前の世界と同じになる」

「……君のいない世界になる」


「……イヤだ」

「……そんなのは……イヤだ」


 死んでいった人間がいる。

 自分のせいで、死んでしまった人間さえいる。

 それでも……ケンは死にたくなかった。


 誰にも何もしてやれない。

 誰とも話せず、誰からも話されない。

 そんな風になってしまった人間を、たくさん見てきた。


 そんな人たちを見てきて、ケンにはいま、はっきりわかった。

 自分はまだ、そんな風にはなりたくない。

 死にたくない、と。


 そしてケンは、目の前をスッと通り過ぎようとしたそれに手を伸ばし、掴んだ。


「くっそおおおおおおおお!」


 ケンは涙を拭くこともせず、向かってきたミサイルに対してAMMを一発だけ発射すると、スロットルを全開に叩き込む。さらに雲面すれすれまで急降下して、最大加速。身体がシートに食い込む感覚。


 それでもまだ足りない、と思った。

「ボイスコマンド! 全武装放棄!」

「警告。空対空兵装を含めた全ての武装を投棄しようとしています」

「実行しろ! 早く!」


 ポン、という音がして、機体が軽くなった。ミサイルを投棄したのだ。少しでも軽くなり、速くなるために……それは言ってみれば、騎士が剣を投げ捨て、鎧を脱ぎ捨て、裸足で逃げ出すようなものだった。恥も外聞もなかった。


 だが、そのおかげで、ほどなくして機体は超音速に達した。周囲が静寂に包まれる。それでも、加速はまだ続ける。


 そうしてケンは、サヤカが逃げ込もうとしていたのと同じ、雲山の陰に飛び込むことに成功した。




「なっ……!」

 雲山の周囲をぐるっと回って反転し、再度格闘戦をしようとしていたサヤカは、ケンが取った意外な行動を前に、さすがに目を丸くせざるを得なかった。


 ケンは、雲山の陰に入って上手くミキからの追撃を避けた後、そのまま超音速で直進し続けたのだ。戦闘機が、まるで一発の銃弾のように、夜の空を真っ直ぐ飛翔していく。


 結局、ミキが追いつき、サヤカが雲山の周りを回って反転を終えた後には、ケンの機体は遙か遠くまで行ってしまっていた。


 おまけにケンは、ところどころが隆起している雲面をなぞるように、超低空飛行を続けていた。超高速の、超低空飛行、しかも暗視装置越し……操縦をわずかでも誤れば、あっという間に雲に突っ込んでしまうのだが、ケンは巧みに低空飛行を続けていた。卓越した操縦技術と言うほかなかった。


 それを見たサヤカは、あれでは後ろからミサイルを撃っても、雲面に阻まれて当たらない可能性がある、と判断する。

 ならば……と、ケンを追って、とっさにサヤカも加速しようとした。


「やめなさい、サヤカ」

 だが、そんなサヤカのことを、ミキが止めた。

「どうして止めるんですか、お姉さま!」


「サヤカらしくないね……ミサイルを積んだままじゃ追いつけないって、わかるでしょ」

「くっ……!」


「燃料の問題もある。追いかけてる間にこっちが燃料切れになったら、目も当てられない」

 サヤカ機の横に自機を並ばせ、コクピットのサヤカを視界に捉えてから、ミキは続ける。


「……でも、逆に考えてみなよ。あいつだって、あんな速度で逃げたんじゃ、すぐに燃料が尽きるはず。どのみち、あいつは燃料切れで墜落する運命ってわけ」

「……なるほど」


「おまけに、あいつが逃げていったのは南で、うちの会社の勢力圏。これだけ条件が揃っていれば、わざわざ追いかけていって、ミサイルを撃ち込むまでもないでしょ。あいつはもう、死んだも同然だよ」

「……さすが、あったま良いですねえ、お姉さま」

「まあね」


「うーん、わかりました。追撃はやめましょう……でも、一ついいですか、お姉さま」

「なに?」


「逃げていったあのパイロットだって、この場をしのいだとしても生き延びられないことは、わかっているはずですよね? それでも逃げたってことは、あのパイロットには何か勝算がある、ってことなんじゃないですか?」


「まさか! あいつはきっと、目の前のことに精一杯で、先のことを考える余裕がなかっただけだよ」

「うーん、そりゃまあ、そうでしょうけど……でも、何か嫌な予感がするなあ」


 結論から言うと、この時のケンは目の前のことに精一杯で、先のことまでは考えておらず、その点では、ミキの言ったことが当たっていた。


 ……しかし、それとは全く別の形で、サヤカの嫌な予感そのものは、見事に的中することになる。

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