4 フェアリィ・ダンス
ケンは正面からぶつかるつもりだった。
数は三対二でこちらの方が有利。それに、隊を二手にわけると、どちらかが一機になってしまう。それは危険だ。三機でまとまって戦うべきだった……おそらく、三機のうち一機は撃墜されてしまうだろうが、ケンだって、部下を持った時からそうした覚悟はできている。
重要なのは損害をゼロにすることではなく、勝算があるかどうかであって、その意味では、さっき三対四で戦うことを避け、いま三対二で戦うのは、理にかなっているはずだ、と思った。
「小細工はなしだ。正面から戦う」
ケンは四つの眼が横に並んだいかめしいデザインの暗視装置を装着しつつ、二人の部下に指示を出した。
「ただし、相手が逃げるなら追うな。相手が逃げるなら、こちらは全速力で北上する」
了解、の返事が二つ返ってくる。固い声だ。緊張しているのか、それとも……。
ふとケンの脳裏に、この二人は自分の指揮に満足しているだろうか、という疑問がよぎった。さっきは逃げたのになぜいまは戦うのか、などと、不服に思ってはいないだろうか……。
ケンは軽く頭を振って、その問いをかき消した。戦闘中だ。迷いなど、もってのほかだった。
レーダースクリーン上の敵機に動きがあった。さっきまでこちらに真っ直ぐ向かってきていたのに、急降下した後、Uターンしたのだ。低空を這うように、背を向けて逃げていく……。
「ケン大尉、敵は逃げていきます!」
部下の一人、イブラヒムが言ってくるが、ケンはそれを疑問に思った。
「まあ待て……全機、レーダーオフ」
命令してすぐに、ケンも自機のレーダーをオフにする。電磁的な静寂が、周辺の空を覆った。
ケンは十秒数えた後で、レーダーを再びオンにする。
「やっぱりそうだ……全機、レーダーオン。見てみろ、反転してくる」
レーダーが捉えたのは、反転して、再び中高度をこちらに向かってくる二機の姿だった。
敵編隊は、一度逃げる振りをして、ケンたちが北上を始めたタイミングを見計らって反転し、後ろから襲いかかる作戦だったのだろう。それを見破ったケンは、レーダーをオフにすることで、あたかも既に転針したかのように装い、敵の反転を誘った。
「見事です、大尉!」
「喜ぶのは早い。戦闘はこれからだ」
ピッ、という警告音。レーダー警報装置に反応あり。敵機が再びレーダーをオンにした。
「各機、距離三〇マイルで初弾発射」
再び「了解」の返事。順調だ。正面からぶつかれば勝てる。
……順調、のはずだ。
……だが、何かが変だ。
ケンはなぜか、そんな感覚を抱いた。
レーダースクリーン上には、二機の敵機。
レーダー警報装置には、敵レーダーの反応。
それは、戦闘中の、見慣れた光景のはずだった。
だが、何かが……
「……!」
それに気づいた時、ケンはカッと目を見開き、早口で命令した。
「全機、散開して周囲を索敵しろ! イブラヒムは右回り、カールは左回りでレーダー走査! 目視索敵も同時にやれ! 急げ!」
ケンが首を回して確認すると、二人の部下は理由を聞くこともなく散開していった。
ケン自身も、機体をロールさせて背面飛行に入り、頭上を見上げるようにして低空を確認する。側面と直上直下。AMMの迎撃範囲外であり、最も警戒しなければならない方向だ。
その時、ケンの鍛えられたパイロットの目が捉えたのは……暗視装置の白黒の視界の中で、わずかにうごめく、一粒の白い輝点。
急上昇して、こっちへ近づいてくる。
「直下だ! 敵機!」
ケンは叫びながら、敵機の方向に機首を向ける……攻撃のためではなく、AMMの前方シーカーを向けるためだ。
「ミサイル来るぞ! AMM用意! 下方!」
ケンがそう言った瞬間、機体の翼端からAMMが射出される。自動迎撃。
「フォックス・ファイブ!」
AMM発射を意味するコードをケンが口にすると、イブラヒムの戸惑う声が無線に乗った。
「どこ! どこですか!」
もう間に合わない、機首を上げて後方を向けろ……ケンがそう言おうとした瞬間、イブラヒムの機体が、閃光に包まれた。暗視装置によってモノクロになった空に広がる、白い爆煙。キャノピーを震わせる爆音。
AMMの迎撃範囲外である、下面から撃たれたのだ。パイロットは即死だろう。気づくのが遅すぎた。
だが、感傷に浸っている暇はなかった。
ケンの前方でも、ミサイルが爆発。迎撃は成功。
だが、まだ白い輝点……敵機は真っ直ぐに上がってくる。
(正面からの機銃攻撃? 正気かこいつ!)
向首反航からの機銃攻撃はほとんどチキンレース同然だ。まともなパイロットならまずやらない。
いや……?
(……このパイロット、俺の照準がギリギリ間に合わないのを読んでる?)
ともかく、ケンは回避行動に移った。
落ち着いた手つきで、操縦桿を緩やかな力で斜め手前に引く。機体はロールしながらの機首上げを続け、螺旋を描くように飛ぶ。バレルロール。さらに、フットペダルを右に踏み込んで機体を横滑りさせることで、より一層狙いをつけにくくする。
敵機の表面で、何か白いものが弾けたような気がした、次の瞬間、鎖のように連なった曳光弾が、ケンの横、キャノピーのすぐ向こう側を通り過ぎていく。
その直後、みるみる大きくなった白い輝点は、巨大な白い戦闘機となって、ケンとすれ違う。特徴的な可変後退翼。連邦軍のキメラだ。
ケンの呼吸が、一瞬止まる。さすがに、機銃攻撃をギリギリのところで避けたのは初めてだった。間一髪だ。
ケンは降下していた機体の機首を上げ、水平飛行に移って敵機を見上げる。
その白い戦闘機は、ケンの頭上に出るなり機体をロールさせ、キャノピーを下に向けていた。パイロットと目が合った気がした。
「直上!」
ケンは残ったもう一人の部下に知らせながら、スロットルを目一杯前に倒す。エンジン全開。
「格闘戦だ! 援護しろ、カール!」
言うが早いか、ケンは操縦桿を引いて、敵機に向かって急上昇した。
へえ、なかなかやるじゃん……と、サヤカ・シュリーマンは、逆さになった機体からケンを見下ろしつつ、彼女らしい尊大な態度で感心していた。
レーダーには二機が映っているのに、レーダー警報装置が示すレーダー反応は、一機分しかない……その不自然さに、着弾前に気づくパイロットは、これまで一人もいなかった。
実は、ケンの目から見て、正面から真っ直ぐ進んでくるように見えた二機のうち一機は、ワイヤーでミキの機体に引っ張られている曳航デコイ、つまり小型無人機だった。
曳航デコイは本来、身代わりとなって戦闘機を守るための装備で、向かってくるミサイルを撃ち落とせるAMMが登場してからというものすっかり使われなくなったものだが、今でもなお、味方の機数を多く見せつける用途には使える。
ミキはその曳航デコイを利用して、ずっとサヤカと一緒に飛んでいるように相手に見せかけていた。だが、実際にはサヤカは、最初の反転の時にミキと別れた後、敵機を低空で待ち伏せし、襲いかかったのだ。
雲海は完全な平坦ではなく、ところどころが斜面になっていて、その陰に隠れて飛べばレーダー波を避けられる。
仮に斜面がない場合であっても、敵機の進行方向に対して低空を真横に飛ぶことで、ドップラー効果を利用したルックダウンレーダーをある程度は欺瞞できる。
サヤカは、いままでに何度もこの戦術で敵を奇襲し、一方的に撃ち落としてきた。が、着弾寸前とはいえ、見破られたのは初めてだった。だから感心した。
だが、見破られたというのに、サヤカは余裕たっぷりだった。
「格闘戦なら……負けない!」
サヤカは逆さになった姿勢のまま機首を下げ、ケンとの格闘戦に備える。
戦闘機同士の格闘戦とは何か。
基本的に、戦闘機は自機の正面にいる相手しか攻撃できない。また、戦闘機は、自機の旋回半径の内側にいる相手のことを、すぐには正面に捉えることができない。
だから二機の戦闘機が接近すると、互いが相手を自機の旋回半径の外側に弾き出し、機首を指向して攻撃を行うために、激しく複雑な機動を行う……これを格闘戦、あるいは、闘犬の様子に似ていることから、ドッグファイトと呼ぶ。
遠距離でのミサイルの撃ち合いに比べると、格闘戦の勝敗はパイロットの技量の差に大きく左右される……だがそれは、サヤカの望むところだった。
だからサヤカはこの時、あえて距離を詰めた。急上昇してくるケンに対し、サヤカは急降下で応じる。さらに、降下による加速を利用することで、速度を保ったまま急旋回。ケンの旋回半径の内側に入ることで、機銃攻撃を封じる。
これに対し、ケンはこの反航戦では機銃を命中させるのは困難と判断。敵機の向きは正面に近いのでミサイルを撃ってもAMMで迎撃されるだろうと考え、ミサイルも撃たない。そこで、上昇の角度を緩め、いったん、撃たずにすれ違うことを選ぶ。
すれ違った後、サヤカはすぐさま急降下していた機体を引き起こし、水平飛行に移る。それを見たケンは、垂直に上昇しながら機体をロールさせ、サヤカを追撃するのに最適な方位に機体順面を向けて引き起こし、水平飛行に移る。
同じ水平飛行だが、ケンの方が位置的にわずかに有利になった……垂直上昇中に機体をロールさせて引き起こすことによって、好きな方位へと機首を向けることができる。空戦機動の初歩だ。
だが、それを見たサヤカは、少し真っ直ぐ飛んで速度を回復すると、突然、弾かれたように急速上昇。ケンは機体下面に潜り込まれることを嫌って、期首を下げてサヤカ機に向ける。
機体の側面や上下面を狙われると、AMMで迎撃できない。また、迎撃できるからといって敵に背中を向けるのも、同じぐらい危険だ。お互いに相手を正面に捉えようとしてもつれ合うのは、よくある展開だった。
再び、上下方向にすれ違う両機。今回は、双方共に機銃攻撃が可能な角度には入れなかった。
……お互いに正面を向け合ったタイミングでもミサイルを撃たないのは、この時の両者に「AMM均衡」と呼ばれる状態が成立していると考えられたからだった。
AMM均衡とは、AMM以降の航空戦の世界に登場した概念で「交戦する双方のAMM搭載数が他方を圧倒するのに十分でない場合において、双方が共にミサイルを撃たない選択が、ゲーム理論で言うナッシュ均衡となる状態」を指す。
今回の場合、ケンとしては、部下のカールと共にサヤカ一人を集中攻撃して撃墜すると、残っているミサイルのほぼ全てを撃ち尽くしてしまうことになるので、後から来るミキに対して手も足も出なくなる。それは避けたい。
一方のサヤカとしても、ケンたちがミサイルを何発残しているかわからないので、ミサイルを全弾撃ったとしても一機しか撃ち落とせず、残ったもう一機に撃たれてしまう可能性がある。
これは、ミキのミサイルを加えたとしても変わらない。AMMは基本的に自機に向かってくるミサイルしか撃ち落とせないので、ケンと部下のカールがサヤカを集中攻撃すれば、サヤカを撃墜できる。
つまり、全員がミサイル全弾を発射すると、ケンとカール、そしてサヤカの三人が戦死、という結果になる。
だが、この場にいる誰一人として、そんな結末は望んでいない。
それ故に、この場にいる全員にとって「自分から先にミサイルを撃たない」ことが最適の戦略となる。
このような状況を、現代航空戦の教科書では「AMM均衡」と呼んでいる。
だが、航空戦の教科書は、そんなAMM均衡を打破する手段をいくつか挙げてもいた。
たとえば「AMMの迎撃可能範囲(前方および後方)以外の方向から射撃すること」「機銃攻撃で敵機を撃墜すること」などがそうだった。
ケンはサヤカの動きを見ながら、こいつはAMM均衡の打破を狙っているし、それができるだけの力量がある、と思った……ここまで見る限り、相当な手練れだと思えた。
「フォックス・ツー!」
その時、ミサイル発射を意味する合図が無線から聞こえて、ケンは天を振り仰いだ。カールの機体が、サヤカ機の側面に真っ直ぐ突っ込む針路を取っている。両機の間には、発射されたばかりの、尾部を光らせながら高速で飛ぶミサイルがあった。
たとえAMMがあっても、並の戦闘機パイロットならミサイルを撃たれれば動揺して動きが鈍る。だから、カールの判断はそう間違いではない……だが、このレベルの相手には効かない、とケンは思った。
それだけでなく、ケンは、真っ直ぐ突っ込んでくるカールを見て危うさを感じる。
「カール、もっと距離を取って援護しろ!」
「え、どうして……」
言っているうちに、サヤカ機は難なくカール機側に機首を向けて、放たれたミサイルをAMMで迎撃する……ケンが予想した通りの動きだ。
だが、ケンはその後のサヤカの機動を見て目を見張った。
サヤカ機は急降下して、ケンとカール、両方の機の、ちょうど間に入ったのだ……入られてみて初めて気づいたが、そこは、ケンとカールの両方が共に旋回半径の内側となる場所……つまり、ケンもカールも攻撃できない位置だった。
(くそっ! だから距離を取れと言ったんだ)
ケンは心の中で毒づきつつも、カールと連携しながら機動し、サヤカ機を旋回半径の外側に追い出そうとした。
常識的に考えれば、それはすぐにできはずだった。なんと言っても二対一。圧倒的に有利だからだ。
……だが、実際にはできなかった。
どれだけ、どんな機動をしても、サヤカは巧みに旋回、上昇、降下を繰り返して、ケンたちから攻撃されない位置を維持し続けた。むしろ、隙あらばサヤカの方がケンたちを攻撃しようとしてきた。
二対一という状況にもかかわらず、すぐに、ケンはサヤカの攻撃をかわし続けるだけで精一杯になった。だがケンには、それ以上どうすることもできなかった。もし無理に距離を取ろうとして真っ直ぐ飛ぼうものなら、背中をさらすか、さもなければ、一時的に一対一になることになる。だが、この相手にそれは避けたかった。
(二機を相手に手玉に取るなんて……)
相当な手練れ……などという生やさしいものではない、と、ケンはここに至って戦慄していた。
「化け物か、こいつ……!」
「トゥッ、トゥルルル、トゥッ、トゥールー、トゥッ、トゥルルル、トゥールールー、トゥッ、トゥルルル、トゥールールー、ルールールールー♪」
ケンたちの攻撃をかわしている間ずっと、サヤカは鼻歌を歌っていた。
「普通の人ってえ、相手をバカにするとお、『油断』っていう状態になってえ、調子が落ちるらしいですけどお」
昔、サヤカがミキに語った言葉だ。
「私の場合はですねえ……敵を思いっ切りバカにした方が、調子が上がるんですよ!」
実際、鼻歌を歌いながらも、サヤカは頭の中で冷静に戦況を分析していた。
(こいつはけっこう強いなあ……でもお!)
(こいつはああ……弱いいいいいい!)
サヤカはそうして、最初の獲物をカールに見定めた。