3 死者は雄弁に語り、生者は沈黙する
いつかそんな日が来ることは覚悟していたが、やはり、初めて部下を失う経験は辛いものだった。
ケン・ウェーバーは、自分が死ぬかもしれないことについては、恐れてなどいない、と自信を持って言えた。向かってくる相手を敵と呼んで殺すことに対しても、それほどためらいはなかった。
だが、よく知っている仲間が死ぬのを見ることは、身を引き裂かれるように辛かった。
初めてそれを経験したのは、二年前のことだ。実戦部隊に配属されて数ヶ月が経ったころ、連邦軍との小競り合いで、同じ部隊にいた年長の男性パイロットが戦死した。
面倒見のいい兄貴分として、ケンだけでなく、多くの若いパイロットから慕われていた人物だった。
ケンは視力が良く、記憶力も優れていた。戦死したパイロットの乗機が、被弾して爆発し、撒き散らされた無数の残骸が黒煙を帯びて墜ちていくその光景を、ケンは鮮明に覚えている。
いまでも、目を閉じれば、残骸の一つ一つを眼球を動かして追いかけることさえできた。
だが、ケンが仲間の死の瞬間以上のショックを受けたのは、地上に戻ってからのことだった。
手続きを踏むようにして機械的に営まれた葬儀が終わると、もう、誰もそのパイロットのことを話題にしなくなった。
みんな、何事もなかったかのように、訓練をし、出撃し、食事の時には、死んだパイロットとは関係のない話をした。
ケンは、それになんだか違和感を持って、何度か死んだパイロットのことを話題にしようとした。
だが、何度やっても、あともう少しのところで、言葉が出なくなった。
ケンは察していた。いなくなった人間のことは語らない。それがルールなのだ。軍隊は戦って勝つための組織だ。いつまでも過去を引きずっていたって、その目的は達成できない。
SHILF軍は、中小規模の民間軍事企業と比べれば、パイロットの精神ケアが充実していた。ケンは軍のカウンセラーを訪ねて、自分の思ったことを話してみた。
返ってきたカウンセラーの言葉は、ひどく曖昧で要領を得なかった。どうやらカウンセラーは、気持ちを吐き出させればそれで治療は終わりだ、と考えていたらしい。
それはケンの期待したものとは違っていた。これでは役に立たないと感じて、ケンは失望した。ただ、カウンセラーの話の中に、一つだけ印象に残った部分があった。
「お葬式があったでしょう……多くの人は、お葬式をすることによって、死者への気持ちに区切りをつけるんですよ」
ケンは知らなかった。あの、ただただ形式的で何の意味もないように感じられた葬儀に、そんな役割があったなんて。
だが、知ったからといって、虚しさは埋まらなかった。むしろ、一人の人間の人生が、あんなちっぽけな儀式で区切りをつけられてしまうなんて、何か納得のいかない感じがした。
やがて、基地の食堂で、死者だけがいない食卓を、生きている仲間と共に囲みながら、ケンは思った。
……ああ、人間というのは、二度死ぬんだな。
考えてみれば、それからすぐのことだった。自分が、オクタリウス・ハーバーンに教えを請うようになったのは……。
ピッ。
耳に飛び込んできた電子音の刺激で、ケンの意識は現在に引き戻される。
反射的に、夜の闇に包まれたコクピットの片隅で輝く、レーダー警報装置に目をやった……連邦軍戦闘機の捜索レーダーだ。見つかったかもしれない。
ケンは戦闘飛行中に回想にふけっていた自分を恥じた。確かに、部下の一人は戦闘で被弾して死んでしまった。だが、自分は四機編隊長だ。まだ二人、指揮すべき部下が残っている。この二人を生きて帰す義務が、自分にはある。
そう思いながら、暗闇の中でうっすらと光る計器類をざっと見回すと、緊張感が一気に戻ってきた。
だが、状況は最悪だった。
ケンの率いる四機戦闘機編隊の任務は、空母艦隊の西方に回り込み、対艦攻撃機隊を先導・護衛することだった。
任務は、低空飛行で気づかれないように西側に回り込み、攻撃機隊に対艦ミサイルを発射させたところまでは上手くいった。
だが、連邦軍の妨害電波によって、管制機との通信が途絶えたところから、全てが暗転した。
連邦軍の空母から出撃してきた戦闘機隊は、ケンたちの帰投コースに先回りしていた。ケンは対空ミサイルをほとんど積んでいなかった攻撃機隊を先に逃がし、自分は隊を率いて戦闘機隊と交戦した。
攻撃機隊が逃げる時間を稼げればいいと思ったケンは、北側から来る四機の敵と対峙し、命中が望めない遠距離から、相手を牽制するためのミサイルの撃ち合いを二回繰り返して、時間を稼いだ。
だがその直後、側面から敵が二機近づいて来ていることに気づいた。
不意を打たれたというほどではなかったが、危険な距離まで接近されることを許してしまった。この時に、部下を一人失った。
接近戦を挑んできた二機を、格闘戦の末にケンは撃墜したが、その隙に北側からの四機が距離を詰めてきていた。AMMの残弾が減っていたこともあり、ケンは難しい決断を迫られた。
ケンの頭の中には二つの考えがあったが、そのどちらを選ぶべきか、判断がつかなかった……その時だった。
「ケン大尉! こうなったからには、やつらを一人でも多く道連れにしましょう!」
部下から無線でそう言われた瞬間、ケンは、自分の思考がスーッと急速に冷えていくのを感じた。
その部下が言った案は、間違いなく、ケンが迷っていた二つの案のうちの一つだったのに、いまはもう、その案に何の魅力も感じなくなっていた。ここで部下を諫められなかったら、指揮官になった意味がない、とさえ思った。
「いま戦っても勝ち目はない」ケンは言った。「方位一八〇に転針する。俺を目視できる位置を維持しろ」
そう言ってケンは、全速力で南に向かって飛んだ……敵に背を向けて、逃げ出したのだ。
それが結果として吉と出るか凶と出るか、正直なところ、最初の内はケンにもわからなかった。
だが、しばらく飛んでいると、やがてレーダー警報装置から連邦軍の捜索レーダー反応が消えた。振り返ってレーダーで索敵してみても、機影はなかった。
逃げ切った……というよりは、何らかの事情で、敵が追撃をやめたという方が正確だったが、いずれにしろ、命がつながったのは確かだった。
だが、問題はここからどうやって帰還するかだった。
戦場におけるケンたちの位置は、前線の敵側の奥深く。
味方と合流するには大きく迂回しなければならず、その間に敵に捕まる可能性は高い。おまけに、空戦に入る直前に給油ポッドを投棄したので、残燃料は限られていた。
だがそれでも、ケンは希望を捨てず、日も暮れて真っ暗闇になった中を、西に転針して様子を見ることにした。連邦軍の警戒範囲外に出た上で、北上して北極に帰還しようとしたのだ。
だが、そう上手く行くはずもなかった。
猟犬は、既に放たれていたのだ。
まことに運命的なことだが、この時、ケンが率いる三機編隊を発見したのは、ミキ・イチノセとサヤカ・シュリーマンの二機戦闘機編隊だった。二人は上級司令部からの指示で、近くの基地から出撃して、敵機を捜索する任務に当たっていた。
「見つけましたよ! お姉さま!」
サヤカは無線で、文字通り鬼の首を取ったかのように大騒ぎした。
「IFF(敵味方識別装置)に応答しない三機編隊……間違いないです! 司令部の言った通りです! さあ、撃墜しましょう!」
「あなたそんな調子じゃいつか民間人誤射して人生終わるよ……?」
そんな風に呆れはしたが、まあ、ミキもこれはSHILF軍機で間違いないだろうなとは思っていた。一帯には飛行禁止令が発令されている。そんな空域を、民間航空識別信号も出さずに飛んでいるなど……いきなり撃たれても文句は言えないレベルだ。IFFに応答しないということは、友軍機でもない。
だが、ミキは手続きを大事にする。大企業の正社員というのは、そういうものだ。
「そこの三機編隊に告げます。こちらは、連邦政府から平和維持業務を受託し、これを遂行中のフェアリィ社戦闘機部隊です。貴編隊は、連邦政府の定めた飛行禁止空域を侵犯しています。直ちに我々の指示に従いなさい……方位〇九〇に転針し、速度三五○ノットに減速せよ。そして、無線に応答し、所属を明らかにせよ、オーバー」
「……ああー、聞こえているか?」
戸惑うような調子で応答してきた声に、ミキはいぶかしげに眉をひそめる。
「ラウド・アンド・クリアー(音声は十分に聞こえている)。直ちに指示に従いなさい。方位〇九〇に転針し、」
「……ダメだ! 無線機の調子が悪くて、そちらの音声を上手く受信できない……こちらに敵意はない。攻撃するな」
ミキは露骨に舌打ちした。下手くそな演技だ、と思った。
「三機編隊で三機とも無線の調子が悪いなど、信用できない。連邦戦争法は、相手の交信を信用できない合理的な理由がある場合、先制攻撃を認めている……ちなみに、軍用機が民間機を装うことは、連邦政府とSHILFの間で締結された交戦に関する協定に違反している……さすがはテロリスト集団。勝つためには戦争犯罪もするってわけね」
「……アハハハッ!」
意外なことに、しばらく沈黙を置いた後に返ってきたのは、気分の良さそうな高笑いの声だった。さすがのミキも、これには面食らう。やがてひとしきり笑い終わると、声の主はこう続けてきた。
「……これはこれは。一本取られたな。まったく、貴官の言うとおりだ……だが、君も士官ならわかるだろう。どんな手を使ってでも、部下を生きて帰らせたい、という気持ちが……こちらは、SHILF軍所属の戦闘機隊である」
「……直ちに指示に従えば、投降を認める。方位〇九〇に転針し、速度三五〇ノットに減速せよ」
ミキは苛立っていた。お互いの進路はほぼ正対しており、距離は一分間に一五マイルの速度で縮まっている。この交信は、ミサイルが当たりやすい距離まで接近するための時間稼ぎかもしれない……いつだって、戦闘機パイロット同士が話し合う時間は、ほんの少ししかないのだ。
「これは最後通告である。直ちに指示に従え。さもなければ撃墜する」
だが、無線の相手は、なおも話しかけてきた。
「捕虜になったSHILF兵が良い扱いを受けているとは聞いたことがない。悪名高い収容所もあるしな。貴官は捕虜になった我々に対し、名誉ある扱いを保証できるのか」
「……SHILF所属の戦闘員は戦争捕虜とは認められず、犯罪者として処罰されます。連邦政府が犯罪者に対してどう対処するかは、一般に公開されている通りです。いずれにせよ、本官が関知するところではありません」
「『本官が関知することではありません』か……ちゃんと質問に答えるあたり、根は善良な人間らしいが、やはり環境には勝てないか。自分が何をしているか知っているのに、その結果について責任を取ろうとしない……いいだろう。貴官と戦う理由ができた。かかってこい。相手になってやる」
その時、ずっと黙っていたサヤカが、低い声で無線に割り込んできた。
「……人を殺すのに理由なんか要らねーよ。ミサイルがあれば十分だ」
その言葉に対し、応答はなかった。だがミキには、無線の向こうで相手が怒っているのが見える気がした。
なんにせよ、ミキは直ちに
「交戦します」
と宣言した。距離は約四〇マイル。命中率は低いが、そろそろミサイルが撃たれてもおかしくない距離だ。
「じゃあ!」
サヤカは、一転して明るい声で言う。
「いつもの『あれ』で行きましょう! お姉さま!」
「……うん、そうだね」
ミキは躊躇なく、サヤカの提案を採用する。
一人の天才が、その才能を余すところなく解き放つ……いつもは冷静なミキも、その瞬間ばかりは、何度経験しても心がざわつくのを止められなかった。