1 世界を変える方法
夜もいよいよ更けて宴もたけなわ。その時、帝政時代の古き良き様式で建築された、由緒正しいブラド家の邸宅の一角にある談話室では、最終決戦の火蓋が切って落とされようとした。
「フルハウス、ですっ!」
「あっ……ごめんなさい、フォーカードです」
負けたのはソラだった。得意げに胸を張って手札をオープンしておいて負けたため、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして茫然自失するとなるソラの目の前で、彼女の持つ全てのチップが、対面に座る、気の弱そうな若いメイドの手元へと流れていく。寄りによって、愛するイコライの手によって。
「そ、そんなバカな!」
「おいソラ。大声出すなよ」
「だ、だ、だってこの子、さっきも私がツーペアを引いた時にスリーカード持ってて、その前なんかKハイフラッシュにAハイフラッシュで……おかしいですよ! イカサマじゃないですか!?」
「ソラちゃんが取り乱すとはレア度高いなー」
叫ぶソラの斜め向かいの席で、カイトが呑気そうに言った。
「いやあ、良い物が見れた。ありがとう、メイドさん。あ、いや、ララちゃんだったか」
「す、すいません……なんか、私ばっかり勝っちゃって」
「気にするな、ララ。勝負は時の運だ」
「待ってください、イコライさん。ララさんがこれだけ勝ち続ける確率が何%あるか、教えてあげましょうか? 偶然ではあり得ない確率なんですよ。従って、これは偶然ではないと考えるのが、合理的で妥当な結論であってですね」
「あのな、ソラ。仮にララがイカサマをしていたとしても、見破れなかったお前が悪いんだよ」
「えええええええ~そんなああああああああああ~」
不平の声を上げるソラ。
「ちょっと、イコライさん!」
だがララは、擁護してくれたように見えるイコライに対して、意外な反応を示した。
「なんなんですか、その言い方。そんな風に言ってもらっても、私、嬉しくなんかありません!」
ララは、唇を尖らせてそっぽを向き、抗議の意志を示した。ふわっとした長い栗色の毛が、急な頭の動きに揺れる。
「そういうの、いかにも戦争屋さんらしい、殺伐とした考えだと思います!」
さっきまでの大人しそうな様子から、一転しての猛抗議に、カイトが面白がるような顔で「ヒューッ!」と口笛を吹いた。
それに対して、イコライは一見して余裕そうだった。ニコニコと、笑っているように見える……しかし、付き合いの長いソラとカイトは、イコライの表情から一抹の悲しみを読み取っていた。傷ついてる傷ついてる。
が、ララに対してはそんな素振りは一切見せないで、イコライは言った。
「確かに俺はプロの戦争屋だけど……それがどうしたって?」
「戦争ばっかりしてるから、人を信じる心がなくなっちゃってるんじゃないですか~、って言ったんです」
「耳が痛いね。でも戦争っていうのは、人を疑わなきゃやってられないんだよ……ララがイカサマしたみたいに言ったのは謝るよ。軽い冗談のつもりだったんだ」
「もういいです。イコライさんは良い人ですけど、人を疑わなきゃやってられないだなんて……あなたのお仕事のことだけは、どうしても好きになれません」
ピシャリと言って、ララはメイド服の裾を払って立ち上がった。
「私は私のお仕事に戻らせていただきます、若様」
「ウオッホン!」
だがその時、ララの頭上から、厳粛な咳払いの音が降ってくる。
それに続いて、抑揚のない低い声。
「……何を当たり前のことを、偉そうに言っているのですか、ララさん」
「え? ……う、うわっ!」
その低い声に、ララは思わず飛び上がって驚いた。ララが振り返るとそこには、ひょろ長の体躯を、真っ黒な服で包んだ初老の男がいた。執事だ。
「こ、これはこれはスティーブンさん。ごきげんいかが……?」
ララは冷や汗を浮かべつつ、スカートをつまみ、膝を折って挨拶する。
だが、スティーブンの表情は厳しかった。
「ごきげん、ですか……? たったいま、あなたのおかげで最悪になったところです」
「あ、あはは……」
「仕事をサボるだけでも由々しきことですが、考えようによっては、そのような使用人は昔から存在していたとも言えます……しかし、ですね。若様とご友人の歓談のひとときに、使用人の立場で混ざり込むなど……私の若い頃ならあり得なかったことです。恥を知りなさい」
「はい……すいません」
「スティーブン」と、イコライが今度は真剣に擁護に入った。「三人じゃつまらないからって、俺が無理にララを誘ったんだ。怒るな」
「はい、若様……ララさん。若様の優しさに感謝なさい」
「だから、そういうのはいいって」
「はい、若様……それからララさん、カーテシーはお仕えしているご一家や、ご一家にお招きされたお客様に対してするものです。私に対しては不要です」
「かーて……しー?」
「スカートをつまんで膝を折る挨拶のことです! そんなことも忘れてしまったのですか! ちゃんと教えたでしょう!」
「なあ、スティーブン!」
「……申し訳ありません。若様がご友人とくつろがれているところを、お騒がせしてしまいました。ララさん。仕事に戻るように」
「あ、でも、戸締まりの確認はもう終わってて……」
「もう一度最初からやり直しです」
「……はい」
スティーブンは、怒りを込めていることを隠そうとしないビシッとした足取りで、一方のララは、しょんぼりした様子で背中を丸めて、談話室を出て行った。
「前に来た時もちょっと思ったけど、やっぱり頭の堅い執事だな」カイトが言う。「貴族の家も、楽じゃなさそうだ」
「いや、スティーブンは割と物わかりのいい方だよ」
「ほんとに?」
「だって、スティーブンのやつ、ララが俺に口答えをしたことは怒らなかったよ。その時から聞いてたのに。あれでスティーブンなりに、ララのことを尊重してるのさ」
「……なるほど」
イコライは続けてこう言う。
「そりゃ確かにうちにはメイドも執事もいるけど、昔みたいにご主人様に絶対服従ってわけじゃないよ。住み込みの使用人だって、いまはあの二人だけで、他はみんな通いだしさ」
「……にしても、ララさんはちょっと言い過ぎだと思います」
ソラは少し怒った様子だった。
「イコライさんだって、色んなことに悩みながら仕事をしてるのに……私、明日会ったら、一言言っておこうと思います」
その時、イコライはこっそりカイトに目配せした。すると、カイトは急に椅子から立ち上がる。
「イコライ。居間のテレビを借りるぞ。旧世界史のドキュメンタリー番組をやってるんだ」
「いいけど、テレビなら客間にもあるぞ」
「俺は寝床でテレビは見ない主義なんだ」
「そうだったっけ? まあ、好きにしてくれ」
「そうさせてもらおう」
そう言ってカイトも部屋を出て行った後、イコライはソラに向かって切り出した。
「オリバー・クラフトの話はしたよな」
「ええ」
「ララの名字はな、クラフトっていうんだ。ララ・クラフト」
「え……? そんな、まさか」
「そう。ララはオリバーの妹なんだ。行き場をなくして困ってたから、うちで雇った。でも、俺とオリバーの関係は知らせてない」
「ど、どうしてですか……?」
「だって、それを知ったら、ララはうちを出て行くよ……ララが戦闘機乗りや戦争を憎むのは当然なんだ。だって、戦争が兄のオリバーを奪ったようなものなんだから。それにララは、自分が病弱だったせいで、オリバーが戦闘機の学校に行って、事故に遭って死んだって、自分を責めてる」
「そんなララに、俺とオリバーの関係を知らせたらきっと、兄を奪った戦闘機乗りに養われるのはごめんだ、って思うはずだ。だって、彼女はいまの仕事を、自分の力で手に入れたって思ってるんだから。黙っているのは悪いかも知れないけど、いまはそうするしかない」
「……」
思っていたよりずっと深刻な事情があるのだと知って、ソラは言葉を失う。
「……すみません。わかってなかったのは、私の方でした」
「いや、いいんだ……なあ、ソラ」
「はい?」
「ララはいつか……俺のやろうとしてることを、認めてくれるかな」
急に気弱そうになってイコライが言うので、ソラは真剣になって、居住まいを正して言った。
「……大丈夫。きっといつか、イコライさんの気持ちは伝わりますよ」
「……そう……かな」
だが、大好きなソラがそう言ってくれても、イコライは不安だった。
だって、ララみたいな女の子のために、世界を変えるって言ったって、そんなの、どうやればいい?
世界を変える方法なんて、見当もつかない……。