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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第1章 エンゲージメント
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13 盟友

「失礼します」

 世界中のどの軍事企業とも違う、黒い軍服を身にまとった黒髪の青年士官が、高級そうな木製のドアを開けて入室してくる。


 軍政官の執務室は、旧帝国風の装飾で統一されていた。黒檀で作られた、クラシカルな机、椅子、そして、両側面の壁を埋め尽くす巨大な本棚。足元には、集中を妨げない暗い単色の絨毯。正面には、シンプルな装飾の枠に縁取られた、光を大量に採り入れるための大きな窓。


 全てが帝国中期の、実用性と質実剛健を重んじる流行の中で確立された様式だった。


 この軍政官と出会ったばかりの頃……当時はお互いにもう少し下の階級だったが……青年は一度、どうして先生は旧帝国様式の調度品を好むのですか、と質問したことがある。


 その質問には、言外にこんな意味が込められていた。旧帝国は、我々の敵ではありませんか……世界連邦政府と、同じぐらいに。


 すると男は、涼やかな笑みを浮かべながら、こう言ったものだった。


「敵の優れたところは、素直に認めて取り入れるものだ……さもなければ、我々は戦争に敗北するのみならず、精神においても敗北するだろう」


 さてさて、と当時の青年士官は思った。この男は心からそう思う真実を述べているのであろうか。それとも、適当なことを言って、その場をごまかしているだけであろうか。


 しかし、その後、この軍政官の下で歳月を重ねた青年士官は知っている。

 この男は本物だ……欠点こそあれど、真実、度量の大きい男なのだ、ということを。


 その男の名は、オクタリウス・ハーバーンと言った。


 数年後、世界最大の反世界連邦勢力「SHILF」の頂点に立つことになるこの男は、この時、齢四〇余りにして、大公海方面軍管区において軍政官……一国に例えるなら、国防大臣に当たる……の地位にあった。


 それだけでも異例の早い出世だったが、この後、彼はそれ以上の大抜擢を受け、さらなる権力闘争の果てに勝利を掴み、以降は絶大な権勢を振るうようになる。


 ……だが、この時の彼はまだ、そこまでの権力を確立するには至っていなかった。


「外はひどい吹雪だね」


 オクタリウスは、制帽を小脇に挟んだ青年士官に言いつつ、窓の外に視線と半身を向けた。確かに、都市の上層に作られたこの軍政局の周辺は、ひどい吹雪に見舞われていた。


 だが、SHILFは北極圏を主な領土としている。これぐらいの荒天はよくあることで、雪の話題は、軽い挨拶のようなものだった。


「道中は苦労したかい?」

「この程度、どうということはありません」


 青年士官は、背筋をピンと伸ばして答えた。


「本当の嵐は、これから来ますので」

「……そうだな、全くだ」


 オクタリウスは青年士官に向き直る。長く伸ばした真っ白い髪の下にある怜悧な容貌が、青年士官に向けられる。身にまとうのは、SHILF高官のみが着用することを許された、ゆったりとした白いローブ。


 人目を引く風体だが、オクタリウスが急速な昇進を遂げつつある中、その異質な風貌は、彼を見る者に畏怖の念を起こさせた。


 前置きを終えて、オクタリウスは本題を切り出す。

「作戦の発動を止められないとわかった時、私が真っ先に考えたことはなんだと思う?」


 青年士官は、淡々と答える。


「作戦成功のために、万全を期すことでしょうか」

「いや。私が考えたのはね、君を安全な場所に逃がすことだよ」


 オクタリウスも青年士官も、表情を変えないまま会話を続けた。


「軍大学への編入を、なぜ断った?」

 オクタリウスが、畳みかけるような早口で言葉を続ける。


「前から言っているだろう。君は高等教育を受けるべき人材だ。その方が君にとってもいい。なにも私は、くだらない出世競争のことを言っているんじゃない。大学に行っておいたほうが、よりSHILFに貢献できるだろうと、私は言っているんだ」


 その時、初めて青年士官は表情を変えた。彼は、優しげな笑みを浮かべて見せた。

「私は、大学で教わる学問以上のものを、軍政官殿から授けられましたので」


 これに対して、オクタリウスは皮肉っぽく笑った。


「君がお世辞とは珍しい……で、本音は?」

「申し上げるまでもないことです。部下を見捨てていくわけにはいきません」


 オクタリウスは、硬い表情を変えずに続ける。

「確かにね……確かに、私は君のそういうところを高く買ってるんだ。わかった。なら君に、極秘任務を授けよう」


「なんなりと」

「必ず生きて帰れ。どんな卑怯な手を使ってでもだ」

「……」


「フェアリィ社の正規空母を沈める? そんなことが簡単にできるわけがない。この無謀な作戦は必ず失敗に終わる……君が部下や他の将兵に義理立てするのはわかるよ。だから、ほどほどに戦ってこい。そして、ある程度戦って義理を果たしたら、撤退に見せかけて逃げてくるんだ」


「……軍政官殿」

 青年士官は、笑みを浮かべたまま話し続けた。


「あなたのことは尊敬しています。あなたほど、SHILFの次期指導者に相応しい人物はいないと、私は思っています。しかし、わからないですね。どうしてそんなあなたが、たかだか一介の戦闘機パイロットに対して、敵前逃亡の教唆を? 事が露見すれば、いくらあなたでもただでは済まないはずです」


「実はね……近い将来、君には私の右腕となって働いてもらいたいのだ」

 オクタリウスは言った。


「君はいまでこそ戦闘機のエースパイロットとして高く評価されているが、本当の君の才能は別にある。カリスマだよ。人々を魅了する力だ。それも、私とはまた別の種類のものだ……並の人間では、この戦争の大義を説いたとしても、聴衆に聞き流されてしまう」


「聞く者の心を動かし、立ち上がらせる力を持った者は稀だ。君にはそれがある。私にもあるかもしれないが、十分ではない。君のような実戦経験者でなければ、聞く耳を持たない者もいるのだ。わかるか。私には……いや、世界には、君が必要なんだ」


 オクタリウスがこのように単刀直入に人を頼るのはかつてないことで、青年士官は内心、少なからず驚いていた。


 が、かといって、彼の決意と答えが変わるものではなかった。

「買いかぶり過ぎですよ、軍政官殿」


「いまはわからなくてもいい。とにかく、生きて帰れ。君をここで失うわけにはいかない……君には、世界を変える力がある」


「……オクタリウス・ハーバーン軍政官殿」

 青年士官は、小脇に抱えていた制帽を深く被り直して、言った。


「最後におっしゃった言葉……私だけでなく、他の全ての将兵にも言ってやってください。そうしてくださったなら、私はいくらでもご命令に従いましょう……もっとも、そんなこと、できるはずもないでしょうがね。なにせ、この作戦が失敗して、大勢の将兵が戦死すれば、あなたの政敵が、また何人も失脚することになるのですから」


「ケン・ウェーバー大尉!」


 オクタリウスは、背を向けた青年士官の名を呼んだが、その声はケンを思いとどまらせることはできなかった。ケンは黙ったまま、部屋を出て行った。



 ……ところが、ケンがいなくなった後で「よし、これでいい」とオクタリウスはほくそ笑んでいた。


 実のところ、ケンが死地に向かったことを、オクタリウスは憂うどころか「良い傾向だ」とさえ思っていた。


 今回ではなくても、いつかは自分のために生命を賭して働いてもらわねばならない時が来るのだ。死ぬことを恐れているようでは、話にならない。だから、勇敢に死地に赴くことができるのは、駒として優れていることの証明だ、とオクタリウスは思った。


 とはいえ、こんなところで本当に死んでもらっても困る。だから今日、オクタリウスはケンを呼び出して言葉をかけた。


 表面的には平静を装ってはいても、自分の「死ぬな」という言葉は、まだ若く素直なケンを、少なからず動揺させるだろう。その言葉は、結果的に暗示のように働いて、戦場において揺れる心を、一方へと強く押しやることになる……逃げて生き残る、という方へと。


 さらに、もしケンが生きて帰ってくれば、自分に対してしばしば生意気で、反抗することのあるケンは、今よりも従順になり、扱いやすくなるだろう、とオクタリウスは読んでいた。


 多くの戦友を死なせ、自分だけ生き残って帰ってくれば、挫折を知らない血気盛んな心は、罪悪感によってポキリと折れて、大人しくなる。


 その結果、自分の頭で考えることが嫌になり、これからは優秀な指導者の下で、ただの自動人形のようになって働きたいと思うようになる……そして、そうなったケンを導ける優秀な指導者は、このオクタリウス・ハーバーンをおいて他にない。


 だが、この企みには一つ大きな欠点があった……それでもやはり、ケンが生きて帰ってこない可能性が残る、という点だ。


 しかし、その点においてもまた、オクタリウスは抜かりがなかった。


「マックス・オコーネル少佐がお見えです、軍政官」

 副官からの電話連絡が入る。

「ご指示通り、玄関ホールでお待ちいただいています」


「そのまましばらく待たせておけ。ケン大尉が建物を出たら入室させろ。マックス少佐との面会は極秘だ」

「了解いたしました」


 ケン大尉との面会も極秘でしたよね……などと、副官は余計なことを口にしたりはしない。


 ケンの代わりはいないようなことを言っておきながら、その実、オクタリウスはケンの代わりになるような複数のパイロットに声をかけていた。


「一度に全てを賭けず、できるだけ分散して、少しずつ賭ける……そうすれば、不確定要素を吸収できる。ギャンブルをする時の鉄則だ」


 オクタリウスの独り言を聞いているのは、物言わず吹きすさぶ、白い雪だけだった。



 そんなオクタリウスの深謀など知らず、ケンは部屋を出て、肩を怒らせながら廊下を歩いていた。


 ただ、ケンは怒ってはいたが、この時もなお、オクタリウスのことを尊敬していた。今回はたまたま意見が合わなかっただけで、根底の部分では、自分とオクタリウスは深く通じ合っている、とケンは信じていた。作戦を成功させて生きて帰ってくれば、また元の師弟のような関係に戻れると思っていた。


 まるで警告を発するように、吹雪が窓を強く叩いていたが、ケンがそれに気づくことはない。



 ……しかし、オクタリウスでさえも計算外の出来事が、このすぐ後で、ケンのことを待ち構えていた。


 イコライ・ブラドと、ケン・ウェーバー。

 後に盟友となる二人の出会いの時が、まもなく訪れようとしていた。


-第二話 トライアル に続く-

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