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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第1章 エンゲージメント
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12 世界を変える夢


「……学生の頃、俺の友達が事故で死んだんだ。オリバー・クラフトっていう名前だった……飛行訓練中に、オリバーを乗せた機体は雲海に落ちていったんだ。俺の目の前で」


「……」


「連邦政府の学校だったから、オリバーには勲章が授与されるって誰もが思った。訓練中の事故死はいわゆる戦死とは違うけど、殉職には変わりなかったし、前例から言っても叙勲は当然だとみんなが思った」


「でも教官たちは、オリバーが死んだのは事故直前の無謀な操縦が原因だったから、学校が生徒の危険な操縦を容認するようなことはできないって言って、勲章を追贈しないことを決めたんだ」


「みんな怒ったよ。カイトやミキもね。特に俺は怒った。許せなかったんだ。その時の俺には、教官たちが、つまらない規則や理屈をこねくりまわして、オリバーのことを傷つけようとしているように見えた。俺は学生時代にいろいろ悪さをしたけど、教官を殴ったのは、その一度きりだったね……そしたら、教官は俺のことを殴り返さずに、代わりにこう言ったんだ。イカロスの神話を知っているかって」


 空高く飛びすぎたイカロスは、慢心して太陽に近づきすぎたせいで、蝋で羽根を固めて作った翼を溶かされて、墜落死する。それが、旧世界から伝わるイカロス神話だ。


「その場にいるみんなが知っていた。で、教官は言うんだ。なぜこの神話は、一度聞くと忘れられず、誰もが覚えているのかって。教官はこう言った」




 それは、死が美しいからだ。

 死は、不思議な魔力を持って、人々の心を惹きつける。


 太陽に手を伸ばそうとして届かず、道半ばにして墜ちていったという、イカロスの挫折の物語もまた、人々の心を魅了してやまない。


 だから、イカロスの神話は、人々の記憶に強く残る。


 才能にあふれ、将来を嘱望された生徒でありながら、事故で死んでいったオリバー・クラフトも同じだ。


 人の死は一見して美しく、だからお前たちは、友達だったオリバーの死を、より美しく見せようとする。


 彼の死の美しさを傷つけるものを、全て排除しようとする。

 ……だが、そんなことをする必要はない。


 なぜなら、オリバーの人生の中で本当に美しかったのは、死の瞬間ではなく、生の時間だったからだ。


 オリバー・クラフトは、誰よりも勤勉で、強く、優しく、謙虚で、誰からも好かれる存在だった。


 オリバーの肉体は滅びたが、お前たちが、彼の死の瞬間の美しさではなく、彼と共に生きた時間の美しさを忘れない限り、オリバーが本当の意味で死ぬことはない。


 オリバー・クラフトは『墜ちないイカロス』になったのだ。


 たとえ、彼の才能が、輝かしく開花する機会に恵まれなくても。

 勲章が授与されなくても。


 オリバー・クラフトは『墜ちないイカロス』であり続ける。


 イコライ・ブラド。

 他のみんなも。


 私たち教官は、オリバーの死を美化することはしない。


 なぜなら、そんなことをしなくても十分に、オリバーの生きた人生が美しかったからだ。

 だから私は、オリバーの死を美化する代わりに、この言葉を諸君に贈ろう。


 オリバー・クラフトに恥じない人生を生きろ。

 死ぬ瞬間よりも美しく輝く、そんな生の時間を生きろ。

『墜ちないイカロス』になれ。




「……上手いこと言われて、教官に丸め込まれた気もしたけどね」

 イコライは、冗談めかして言ってから、こう続けた。


「でも、良いんだ……あの先生が、オリバーのことや俺たちのことを、本気で思ってくれているのは、伝わってきたから……だから、それはもういいんだ」


「で、この間、オリバーのことを不意に思い出してさ。俺はいまの自分について、ちょっと考えてみたんだ。俺はいま『墜ちないイカロス』になれてるのか、オリバーに恥じない生き方ができてるのか、って……実を言うと、俺はいま、そこそこいい線いってると思うんだよ」


「……どうして、ですか?」


「戦闘機パイロットになったから、ソラと出会えたわけだし。壊れそうになってたソラを助けることだってできたし、昨日だって、ポーカーを教えることができたし……俺が十分に強かったから、あの空戦で、戦ってソラを守ることができたし」


「私のためってことですか? だったらいますぐやめてください! 私はそんなこと望んでいません」


「そうだね。だから俺、いつかもっと強くなって、ソラ以外の人も助けられるようになるよ……でも、それは多分、花屋になったらできないことなんだ。もちろん、花屋になって、人を助けている人はたくさんいるよ。でもそれは、その人が花屋の才能があるからできることなんだ。けど俺には、戦闘機しかないから」


「……」


「だから俺は、いつかこの才能を、自分のためじゃなく、他の誰かのために使うよ……そうして俺はいつか、本当の『墜ちないイカロス』になる」


「おかしいですよ。死ぬ瞬間よりも美しい生の時間が欲しいために、他の人を死なせるような仕事をするんですか」


「俺がやらなくたって、戦争は誰かがやるよ」

「そんな……」


「あのさ、ソラ。昨日、変なロボットと話したんだ。そいつが言うには、ロボットには、何が正しくて何が間違ってるのか、本当の意味ではわからないんだって。だから人間に教わらなきゃいけないんだって」


「で、俺は思ったんだ。人間にもロボットみたいなやつが一杯いるよな、って。何の疑問も価値観も持たずに、ただその場しのぎの結果で、殺したり殺されたりしてばっかだよな、って。だから……俺みたいなやつが、その中に一人でもいれば、いつか何かが変えられるんじゃないかって」


 イコライの口調が、少しずつ早まり、熱を帯びていくのを、ソラは感じ取っていた。


「だってオリバーは……オリバーは言ってたんだ。死ぬ直前に! オリバーは言ってたんだ! 本当は戦争なんか行きたくないって! 殺すのも殺されるのもごめんだって!」


「……あの日、俺の家が死ぬほど金持ちだって知ったオリバーは、なんで家が裕福なのに戦闘機パイロットになんかなるんだって、俺を問い詰めた。俺が、他に向いてそうな仕事がなかったからだ、って答えたら、オリバーは怒った。優しかったオリバーが怒るのを見たのは、後にも先にもその一度きりだったよ」


「オリバーは言ってた。自分が金持ちの家に生まれていたら、絶対に戦闘機パイロットになんかならなかったって。オリバーは、軍のリクルーターに才能があるって言われたのがきっかけで、家族のために金を稼いで、病気の妹を軍の病院に入れてやるために、仕方なく戦闘機パイロットの学校に入ったんだって! 俺の家の子供として生まれていたら、絶対に自分は花屋になったのにって……代われるものなら代わって欲しいよって……」


「あのオリバーが言ったんだ。誰よりも一生懸命に戦争の勉強をして、テストで良い点を取って、戦闘機の操縦だって学年で一番で、俺やミキやカイトなんかよりもずっとずっと優秀な戦闘機パイロットの卵だったオリバーが……あのオリバーが、そんなことを……昔の俺なんか、生きていくために人を殺すことに、何の疑問も持ってなかったのに……」


「でも、そんなオリバーの本当の姿を知ってるのは、俺だけだから……俺だけが本当のオリバーを覚えているから! だから俺は、この世界の真ん中で頑張って、何かを変えなきゃいけないんだ……ソラ、お前に『自分の人生を見つけろ』って言われて、俺はやっとわかったんだ。それが俺のやりたいことだったんだって」


 すると、ソラは言った。

「それは……私の代わりに、今度はそのオリバーさんに縛られるだけじゃないんですか」


「それは違うよ、ソラ。もう既に、オリバーは俺の心の一部になってるから……俺の中にはいまもオリバーがいて、そのオリバーは、俺の周りで誰かが死ぬたびに、俺に訴えてくるから……この世界はおかしいって。なんとかしなきゃって……」


「オリバーの記憶がなかったら、俺は、目の前で人が死んでも痛みを感じないような、ひどい人間になっていたかもしれない……でも俺は、もうそうなりたくないんだ。そして、そうなりたくないっていうのは、間違いなく俺自身が選んだことなんだ。だから、俺の中にいるオリバーの思いは、俺の思いでもあるんだよ……」


「だから俺は、この世界を変えたい。花屋になったらそれはできないんだよ、ソラ! どんなに危険で、どんなに卑怯でも、この世界の真ん中で頑張り続けなきゃ、変えることはできないんだ……」


「……ソラ、どうしてもわからないっていうなら、お前はこの島に残れ。父さんや母さんに頼んで、メイドにでも料理人にでも花屋にでも、なんならプロのギャンブラーにでも、お前の好きな、なんにでもしてもらうよ」


 一息に言い終えた後、イコライは、大きく息を吸って、こう言った。

「さあ……選んでくれ、ソラ」

「……」


 ……長い沈黙の後、機内無線から返ってきた言葉は、


「……よくわかりました」

 だった。

「ずっとわからなかったことが、ようやくわかりました……とても優しいあなたが、どうして戦争の仕事をしてるのか」


「違うよ……ずっとそう思っていたわけじゃない。いままでは、生きていくのに必死で……でも、ソラに言われたこととか、他にも色々なことがあって……全部、この何日かで思い出した……いや、思いついたことなんだ」


「いいですよ、それでも……私、あなたについていきます」

 ソラはクスッと、小さく笑った。

「だって、私と離ればなれになったら、イコライさん、何かの拍子にカッとなって、すぐ死んじゃいそうですもん」


「……よくわかってるね。俺って、すぐ頭に血が上るから……」


 イコライは照れ隠しのように笑ってから、なんだかうわずった声で、こう言った。


「じゃあ……これからもよろしく頼むよ、ソラ」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


 そう言って、二人は笑い合った。



 ……そしてイコライは、花に覆われた故郷の島を見下ろしながら、こう思う。


 大それたことを言いはした。

 大げさな決意表明をした。

 けれど、きっと自分は、口先だけで、現実には何も変えられないまま、少しずつ年老いていくのだろう。


 そうして、今日ここで二人で話したことが、遠い日の思い出になった時、自分はソラと一緒にこの島に戻ってきて、おぼつかない手つきで、花を育て始めるのだろう。


 いつか訪れることを願うそんな日のために、自分はこれからも戦って、他人を見殺しにして、自分だけが生き残って……そんな毎日を、繰り返していくのだろう。


 何も変えられないまま、ずっと……。


 世界を変える夢なんて、大多数の人間にとっては、未来への不安や、現実への不満を誤魔化すための、単なる精神安定剤のようなものでしかない。


 現実の人生なんて、そんなものだ。


 きっとソラだって、それはわかっているだろう。

 わかっていて、受け入れてくれたのだ……。


 ……だが、イコライ・ブラドのそんな諦観を、根本からひっくり返す事件が、この時、実はすぐそこにまで迫っていた。

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