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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第1章 エンゲージメント
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9 殺意の妖精

 六大軍事企業は、世界連邦政府から軍事警察業務を受託している……というのはつまり、ミキ・イチノセ中尉の仕事には、警察官のような仕事も含まれる、ということだった。今回のイコライたちの一件などが、まさにそれだ。


 わかりやすく言うと、ミキは戦闘機パイロットであると同時に、刑事のようなものでもあった。


 だが、警察業務を行うには、法律や行政など、戦闘機の操縦にとどまらない、広範な知識が求められる。


 ミキが所属するフェアリィ社の場合、その知識を持つ社員を試験により選抜し、合格した者のみを、指揮権を持つ士官として任用する方針を採っていた。


 連邦軍事大学出身のミキは、在学中に試験に合格し、最初から士官として入社したが、それはむしろ希有な例。ミキはエリートなのである。


 今回の件にしても、ミキは現地当局と連絡を取り、交信記録を差し押さえて解析した上で、報告書の作成まで完了するという、一連の作業をわずか三日(実質二日)でこなしていた。


 社会人二年目でこれができる人間はそうそういない。ミキは優秀な女性だった。

 さて、ではそれほど優秀ではない人間はというと……


「ミキお姉さま~~~~~」


 定時を大幅に過ぎ、薄暗く、人気のなくなったオフィスに、若い女の間延びした声が響き渡る。


 女は自分のオフィスチェアに腰掛けながら、法律のテキストを前にうなだれ、ぶーたれていた。


 小柄で細身。流れるように柔らかい金髪をポニーテールにまとめた美女だったが、だらけた態度のせいで美しい容姿が台無し。そんな女だった。


 彼女は、歳はミキより一つ下だったが、大学へは進学しなかったために入社四年目で、社歴で言えば、二年目のミキより先輩だ。


 にも関わらず、彼女の肩の階級章は、二等軍曹のものだった。ミキよりも、ずっと格下だ。


 そう、つまり……フェアリィ社において戦闘機パイロットは、資格試験に合格しない限り、一生出世できないのだった。


 だから、普通はみんな必死で勉強して、多くが二、三年で合格するのだが……入社四年目なのでそろそろ合格してもいい頃のこの女はというと、未だにこんな調子だった。


「戦争法なんか、別に勉強しなくたっていいじゃん、って思いません? 死人に口なしですよ。殺しちゃえばわかりゃしませんよ。あとは会社の広報が、あたしに都合の良いように事実をねじ曲げてくれりゃーいいんです。ね? お姉さまもそう思いますよね?」


「一体、どこから突っ込めばいいのか……」


 平然として暴言に同意を求めてきた向かいの席の部下に対して、ミキはPCの画面から目をそらさずに顔をしかめる。


「一つ。他に誰もいないからって、職場で暴言はやめなさい。二つ。勉強する気がないなら帰りなさいこの残業代泥棒猫。そして三つ! ……お姉さまはやめてって言ってるでしょう。もう学生じゃないんだから」


「相変わらず、すごいマルチタスク能力ですねえ、お姉さま」


 タイピングの手を止めないミキに対し、部下の女は感心したように言う。ミキの叱責など、まるで耳に入っていないかのようだった。


 だが、そんな彼女の態度に慣れっこのミキは、タイピングの手を止めずに淡々と答えた。


「戦闘機パイロットだからね」


 戦闘機パイロットは何よりも生まれつきの才能が物を言う職業だが、同時に複数の作業を並行して処理するマルチタスク能力は、求められる才能の筆頭とされる。


 戦闘機パイロットは、機体を万全の状態に保って操縦しながら、複雑な電子機器を素早く正確に操作して、敵と戦って勝たなければならないからだ。


 だから、ミキは部下の女にこう言い返す。


「あなただって戦闘機パイロットでしょ。話しながら勉強するぐらい、やってみせてよ」

「うーん、あたしには、そういう才能ってないんですよね~」


 言われた女は、これみよがしに腕を組んで、首をかしげる。


「なんていうか、スイッチがあるんですよ。やる気のスイッチが」

「ふーん……」


 答えが簡単に予想できるような気はしたが、ミキは、あえて聞いてみたくなった。


「どんな時にオンになるの、そのスイッチは」

「……そりゃあもちろん、」

 と、彼女は笑いながら言った。


「人を殺す時です」


「……」


 自意識過剰なティーンエイジャーなら大目に見られたかもしれないが、二二歳でこんな態度では、完全な異常者としか思われないだろう。


 いや、実際に、彼女は完全な異常者だった。


 行く先々で問題を起こし、誰も彼女の上司をやりたがらず、たらい回しにされた末に、転がり込むようにしてやってきたのがミキの配下だった。


 この女はミキの出身校の一年後輩で、ミキのことを「お姉さま」と呼んで慕っていた。それを小耳に挟んだ人事担当者が、この女をミキの最初の部下として配属させたのだ。


「……あなたらしいね」


 ところが、ミキは自分に押しつけられたこの異常な女に対して、努めて愛想良く接していた。傍から見て、よくやるなあ、と思われるほどに。


 だが、ミキは何も、この女が学生時代の腐れ縁だったからという理由で、面倒を見てやっているわけではない。


 この頭のおかしい女が、稀に見る空戦の天才だったからだ。


 神童。数十年に一度の逸材。航空戦の歴史に名を刻むことになる女性。

 これらは全て、学生時代の彼女のことを、教官たちが評して言った言葉だ。


 戦闘機パイロット養成校を卒業後は、軍大学に進学せずにすぐフェアリィ社に入社し、初の実戦を経験してから三年。


 その間の撃墜数は、実に二五機に登る。

 フェアリィ社では一年で五機落とせばエースとされている中で、彼女の撃墜数は多いなどというものではなかった。異常だ。


 みんなそんな彼女のことを、表面的には賞賛していたが、内心では、その尋常でない強さを気味悪がると共に、地上での奇行を忌み嫌い、結果としてみな、彼女を避けていた。


 そんな彼女の名はサヤカ・シュリーマン。


 後の大戦において三〇〇を超える敵機撃墜を記録し、自分と部下の機体を赤く塗ったことから「血塗られた妖精ブラッディ・フェアリィ」の異名を世界の空にとどろかせることになるサヤカだったが……この時はまだ、ちょっと空戦は上手いが、他の全ての点では問題児という、ただ単に、職場にとって厄介な存在に過ぎなかった。


 誰も付き合いたくはないが、部分的に極めて優秀なせいで、クビにするのもためらわれている、そんな社員だった。


 しかし、そんなサヤカのことを、ミキは「使える」と思っていた。


 超人的な戦闘力を持つこの女は、どういうわけか知らないが、昔からミキのことを「お姉さま」などと呼んで慕っている。


 これを利用しない手はない、とミキは思った。

 上手くサヤカのことを手なずけ、部下として戦わせ、出世のために利用する……それが、ミキの計画だった。


 だから、ちょっとやそっとのことは我慢して、愛想良く接していたのである。


「ってか、お姉さま、今さらですけど」

 と、サヤカはミキに言ってきた。


「お姉さまが残業って、珍しいですよね? 何かあったんですか?」

「……」


 ミキは少しためらったが、たまには心を開いた素振りを見せるのも「飼い慣らす」上で有効だろうと思って、話すことにした。


「あの間抜けな脱走兵の件でさ、部長が言ってきたんだよ。こんなちっぽけな事件で正式捜査の要請なんかするな、どうせ被害者も死んでるんだから、厳重注意ぐらいで十分だ、って。で、捜査の要請に関する部分は、全部書き直し」


 するとサヤカは、

「……へえ」

 と、冷めた声を出した。


「ミキお姉さまの報告書にダメ出しするなんて、ムカつきますね。どうせあのハゲ部長、カネでも受けとったに決まってますよ、クソが」


「滅多なこと言わないでよ、サヤカ。自分が会社の一員なんだってことを忘れないで」


「はーい……に、しても!」サヤカの声が、いきなりぱあっと明るくなる。「ミキお姉さまって、とっても優しいですね! あんなゴミクズみたいなパイロットのために、正式捜査を要請してあげるなんて!」


「……別に、そんなんじゃないよ」

 だが、ミキは淡々と言った。

「私はただ、経験が足りなかっただけ。経験が足りなくて、手探りでやってるから、上司が期待するものを作れなかった。それだけ」


「……ふーん、そんなもんですか」


「経験を積めば、上司が期待するものを最初から作れるようになる。そうなるのが、いまの私の目標……チッ、なんだよこんな時間にメールなんか送ってくんなよ誰だよ……え? え……これ、うわ……うーわー……」


 PCの前で、あまり見たことのないすごく嫌そうな表情になったミキを見て「ああ、ミキお姉さまのレア表情ゲット、今日のあたしって運が良いな」と思いながら、サヤカは聞いた。


「どうしたんですか?」

「あのキモいバカからメールが来た」

「マジですか」


 あのキモいバカが誰なのか、サヤカは聞いたりしない。イコライ・ブラド。あの男とミキの因縁は、学校の後輩だったサヤカも知っている。


「なんでアドレス知ってるんですか」

「仕方なく教えたんだよ連絡するのに必要だから……うう。明日になったら、総務に頼んで変えてもらわなきゃ」


「で、なんて書いてきたんですか?」

「まだ開いてない。件名も空白」


 ちなみにミキは、メールの冒頭を表示させない設定にしておく主義だった。理由は、メールの同時表示数が少なくなるから。


 ミキはメールを開封するかどうかためらった。このままゴミ箱に直行させる手もある。けれど、そうしたらメールの中身は永久にわからずじまいなわけで……それもなんだか……。


 すると、ミキがそんな風に悩んでいる間に、サヤカはデスクをぐるっと回ってきて、ミキの隣に立ち、ディスプレイを覗き込んだ。


「さあ、開きましょう。大丈夫。私がついてます」


 これには、さすがのミキも苦笑した。久し振りに笑ったような気がするなあ、とミキは思う。


 そしてミキは、なんだか軽くなったような気がする手でマウスを操作して、メールを開いた。

 画面上に、こんな文章が映し出される。


―――――――――――――――


 ミキ、お前に伝えておきたい。

 俺は忘れてない。

 俺たちは「墜ちないイカロス」にならなきゃいけない、ってことを。


―――――――――――――――


「『墜ちないイカロス』ぅ……? なんですか、コレ」


 小馬鹿にするような口調でそう言ったサヤカは、しかし、すぐ横にあったミキの顔を見て固まった。


 ミキは、真剣な目つきをしたまま、画面の文字を見つめていた……まるで、サヤカのことなんか、目にも耳にも入らない、とでも言うかのように。


 ミキの唇から、小さな独り言が漏れる。


「あいつ……ちゃんと覚えてるんだ。オリバーのこと」

「っ!」


 その瞬間、サヤカは、イコライ・ブラドに対して激しい殺意を覚えた。


 オリバーという名前は、サヤカも知っている。まだ、サヤカが高校に入学する前……ミキとイコライが()()()()()()()()()の友達だ。


 そんな、サヤカの知らない頃のミキを、イコライ・ブラドは知っている。


 それを思うと、サヤカの胸の底から、どす黒い殺意が止めどなくわき上がってきて、あふれ出しそうだった。


 ……ぶっ殺してやりたい。


 イコライ・ブラド。

 敵として、あたしの前に現れてくれないかな。

 そうしたら、ぶっ殺せるのにな。


 ミキに見られないように、そっと一歩後ろに下がってから、サヤカ・シュリーマンは、自分の親指を強く噛んだ。

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