プロローグ:ありふれた死、いつも通りの空
見えません、敵はどこですか、というのが、この男の最期の言葉だと知ったら、この男の家族や恋人は、一体どう思うだろうか。
イコライ・ブラドは、戦闘飛行中のパイロット特有の無感動な頭の中で、そんなことを考えていた。
「七時方向、上だ」
イコライは無線の向こうにいる若い男に、お前は殺される寸前だよ、と教えてやった。だが、返ってきた声は、慌てた様子でこう言っていた。
「……見えない! 見えないです! どうすれば!」
「右にブレイクしろ」
その男が乗る戦闘機が右に急旋回していくのを、イコライは全てを諦めたような目で見送る。
そいつを助けられそうな位置にいるのはイコライの戦闘機だけだったが、イコライはミサイルを全て撃ち尽くしていた。機銃を撃つには遠すぎる。自力で逃げ切ってもらうしかなかったが、望みは薄そうだった。
ジェット戦闘機同士の空中戦で、最も重要なことは何か。
それは、敵を見ることだ。
レーダーを使うか、肉眼で直接見るかは関係ない。
敵を発見し、見失わないことが、空戦では何よりも重要だ。
それは、言うほど簡単なことではない。激しい戦闘の最中、広い空で、豆粒ぐらいの大きさにしか見えない敵機を見つけるのは、至難の業だ。
だが、それができない者から死んでいくのが、この世界のルールだった。
結局、その若い男の乗った戦闘機は撃墜されてしまった。音もなく、青い空に黒煙の花が咲く。爆音が届くには、まだ遠かった。脱出はない。爆発に巻き込まれて死んだのだろう。
だがその間に、イコライの乗る戦闘機は、敵機を攻撃するのに絶好の位置につけていた。結果的に、さっき死んだ男は囮になった形だ。イコライはスロットルレバーを前に倒す。背後にあるジェットエンジンが甲高い叫び声を上げ、機体が加速する。標的がAMMを撃ち尽くしていることは、管制官に確認済みだ。
その時、敵機が急な角度で左に旋回し始めた。イコライに気づいて、逃げようとしたのだ。
だが、その急旋回の稚拙さを見て、イコライは思わず顔をしかめる。相手の戦闘機は、目に見えて速度を落としていった。急旋回は相対角度を素早く変えられるが、代償として速度を失う。そんなこともわかっていないところから見ると、このパイロットはまともな訓練を受けていない。
イコライは淡々とその隙を突いた。追いかけるように旋回しながら、急上昇する。速度が急激に落ちるが、相手の速度も同じぐらい落ちているので、ちょうどいいぐらいだ。これで上を取った。
おまけに、旋回の軌道を上にずらしたことによって、水平面ではイコライの方が小さく回ることに成功していた。これにより、相対角度……いわゆる『攻撃交差角』……の面でもイコライが優位に立つ。
あとは降下による加速を利用しながら急旋回すれば、相手を機銃の射程内に捉えることができる。
十秒後、イコライは機銃でその敵機を撃墜していた。脱出はなかった。
自分が殺したのだろう、とイコライは思った。
空戦に勝利した後の帰り道。イコライが一つ穴の空いた編隊を組んで飛行していると、長距離の無線通信が入ってきた。
「在空全機、こちら防空司令部。停戦が成立した。繰り返す、停戦が成立した。全機、作戦行動を中止して直ちに帰投せよ。作戦行動を中止して直ちに帰投せよ……喜べ、俺たちの勝利だ」
しばらくの間、戦勝を喜ぶ声で無線が埋め尽くされる。
(……ノロマでグズの政治屋どもめ)
だが、イコライはただ一人、胸の中で悪態をついていた。
(停戦するなら、もっと早くすればよかったんだ……そうしていれば、やつらは……)