城内騒乱 後編
負傷していた秋坂はすぐに医務室へと運ばれた。幸いちょうど額の細い血管が切られただけで、大事に至るものではなかった。今は包帯を巻いている。また、モニカは怪我も一切なかった。守った甲斐があったと微笑みながら秋坂は語っていた。
2人を襲った衛兵はすぐに死罪となった。
憲兵によって捕らえられた者達は、ひとまず牢に置かれていた。いずれ処分が下されるだろう。
街の中にあった連絡の中継拠点も、皇城内での犯人捕縛と同時に憲兵が押し入り、全員を捕らえた。
これらによって、皇帝の暗殺に始まった国難は辛くも退けられたのだった。
* * *
昨日の夜と同じ様に、悠は秋坂とともにモニカを待っていた。秋坂は昨日のドレスとは打って変わってローブを着ていた。皇帝の頭脳として働くので当然といえば当然である。
「悠くんもローブ着れば良いのに」
「これが落ち着くからいいの」
一体真面目なのか不真面目なのか。悠はスーツを着ていた。
――――数時間前、モニカの侍従やソフィはなんとかローブを着せようと奮闘していた。一方、モニカは悠の強情さに一人で大笑いしていた。
不本意ではあるが、モニカが笑ってくれたことに悠は満足していたのだった。
そして、今はモニカがおめかししているところであった。間も無く時間であるが。
「モニカ様遅いな……」
「そうね、急がないと」
などと話していると扉が開かれる。
モニカが出てきた。昨日のふんわりとしたパーティドレスではなく、細身のドレスを基調とし、様々な異彩が施された何とも形容しがたい服だった。おそらく戴冠の際に使われる伝統的な正装なのだろう。
かなり緊張している様子だったが、待っていた2人を目にして、多少ほぐれた様だ。
「待たせてすまないな。行こうか」
「「はい!」」
3人は歩き出す。
モニカの足取りは鈍い。しかしそれは即位を忌避するものではなかった。皇帝までの道のりを一歩一歩踏みしめているのだ。
目の前で城の扉が開かれる。
外は晴天。風も穏やかである。
ザッ、と音を立て、先へ続くカーペットを挟む様に並んでいる兵が敬礼をする。式典用の軍服で着飾り、天を突く勢いで槍を掲げている。壮観だ。
モニカはゆっくりと歩みを進める。
辺り一帯に管楽器の音色が鳴り響き、背中を押す。しばらく歩くと、サトリとユウの2人は途中で止まり、胸を張って直立不動の姿勢を取る。
ここからはモニカの独壇場だ。
城門前広場に近づくと、民衆のざわめきが聞こえ始めた。新皇帝の登壇を今か今かと待っている。
早すぎる先代皇帝の死を悼み、また早すぎる次期皇帝を支えんと、民は待っているのだ。
モニカはその広場に設置された演壇に着いた。
大きく息を吸い込み、吐き出す。そして拳をきつく握りしめ、眦をあげ、一歩一歩登っていく。
最上段に差し掛かると、演台に死んだ母の、先代皇帝の後ろ姿が見えた。
「……母上……」
涙がこぼれ落ちそうだった。唇を噛み締め、頭を振る。幻だ。ここで甘えてはいけない。
自分にそう言い聞かせ、最上段へと登り切った。
ざわめきから歓声に変わる。
教会の長から洗礼を受け、頭に冠を載せられる。それは建国以来代々続く、皇帝の証だ。
儀式を終えたモニカは演台へと登る。
――――つい先程まで大声をあげていた観衆は、波を打った様に一斉に静まり、言葉を待った。
モニカは何万もの瞳に注目され、一瞬気圧される。
だが、後ろから暖かい風が吹いたような気がした。側には居ないが、サトリとユウが支えてくれている。
手を握りなおし、目を見開き、大きく息を吸い込む。
「皇国臣民よ!
我は鉾と成りて苦から救い、
我は盾と成りて危うきから守り、
我は心を以って民を愛し、
我は神の化身と成りてこの国を輝かせん!
ここに、第27代フェムル皇帝 モニカ・クレイヘルツォーク・フォン・フェムルの即位を宣言する!」
大地が轟くような歓声。
「皇国万歳!新皇帝万歳!」
楽団によって国家が奏でられる。
それは母への鎮魂歌であり、モニカを奮い立たせる歌である。
モニカはしばらくの間そこに立ち、国民の期待、希望、夢を一身に受ける。
これより待つは時代の荒波。
3人はいかにこれを乗り越えるのか。
* * *
「うぇ〜ん凄かったですモニカ様ぁ〜」
秋坂が号泣していた。余程嬉しかったのだろうか。そんな秋坂をモニカがなだめている。
「数ヶ月前は街を歩くだけでビクビクしてたのにぃ〜」
「おいそれは言わない約束じゃろう!」
泣き声混じりでモニカの過去をひけらかしている。モニカはあたふたと手を振り回し、秋坂の言葉を抑えにかかる。だが止まらない」
「ひぃ〜んあの頃は1人で寝ることもできなかったのに〜」
「それはサトリの妄想だ」
2人の掛け合いに悠は苦笑いだ。
それも終わったのかモニカが気を取り直し、言う。
「これからやらねばならないことがやることがごまんとある。それに妾の仕事はまだ始まったばかりなのだ。泣かれては困る」
まだ戴冠を終えただけである。実際、役職の引き継ぎや異動など早急にこなす必要がある仕事が大量にあるのだ。
「はい……ありがとうございます」
まだ涙声が混じっていたがだいぶ落ち着いたようだ。
「では、皇帝としての初仕事だ。2人ともよろしく頼むぞ」
日もすっかり落ちた頃合い。昼間に飛び交っていた鳥のさえずりは鳴りを潜め、月がぽっかりと浮かんでいる。
――――3人は今にも倒れそうなほど疲労困憊であった。
モニカは各所からの報告を全て受け、指示を出してはまた報告を受け……と大忙し。現在椅子にしなだれかかっている。
秋坂も皇太女から皇帝となるモニカの身辺整理に追われていた。目が虚である。
悠は問題が発生した部署への応援に走り回ったせいで、目も頭も体も疲れていた。机に体を投げ出しピクリとも動かない。
3人のうめき声とも唸り声とも取れないものが部屋を満たす中、ノックがされた。
モニカが蚊の鳴くような声で答える。
聞こえていたようで、扉が開く。入ってきたのはソフィだった。
「ひっ!?大丈夫ですかみなさん!?」
見るからに死にそうな3人の様相を見て叫ぶ。
すると机に突っ伏していた悠の手が上がり、小さな声が聞こえた。
「だめです」
こうして侍従やメイドたちによって寝床へ移され、3人は疲れを存分に癒した。
皇帝となった初日は散々なものであった。
* * *
ひとまず戴冠前後の膨大な仕事も落ち着き、悠は自室で読書をしていた。この城には本が山ほどある為、本好きの悠は片っ端から読破している最中だ。
そして何故か部屋にはモニカが居る。皇帝に即位しているのにこんな所にいて大丈夫なのだろうか。
最初は悠も帰そうと思ったのだが、
「妾が居る場所は妾が決める!皇帝だからな!」
と言って動こうとしなかった為諦めたのだった。
「そう言えばモニカ様。僕の役職ってなんなんですか?」
悠は採用されたものの明確な仕事が決まっていなかった。その流れのまま騒動が起きたせいで、保留になっていたのだ。
明確にしておく必要があると考えた悠はモニカに質問をした。
「さあ、なんなんじゃろうな」
悠が使っているベッドに寝転がり、歴史書を読んでいたモニカからそんな言葉が返ってくる。
「えぇ、そんなんでいいんですか」
「皇帝じゃからな。妾が良いと言えば何でも良いのだ」
本当にそんなんで良いのだろうか。
「それよりだ。ユウとサトリとイーリスには褒美を与えねばならん」
「どうしてですか?」
いきなり全く異なった話をされた上、いきなり褒賞事について言われて混乱する悠。
「臣下とはいえ母上暗殺の犯人を捕縛し、その上危ういところだった妾の身も守ったのだ。褒美に値するには充分の働きだぞ」
言われてみればそうだった。この国家体制を鑑みれば、目覚ましい働きに対し褒賞が与えられるのは当然だ。
「何か欲しいものがあればそれを与えるが、何かあるか?」
「うーん……。欲しいものと言ってもあまりないんですよね」
「悩ましいのう……。そうじゃ、爵位でも与えようか」
「え?」
悠は耳を疑った。爵位?ということは貴族?考えられなかった。
「どうかね、貴族だぞ」
頭を強引に落ち着かせて考える。式典や儀礼が苦手な悠には自分が貴族としてそれに参加する姿が想像できなかった。
「すみませんが遠慮したいです」
「ふむ、そうなのか。良いと思ったんじゃがな」
不満げなモニカだった。
* * *
悠は朝から街に出ていた。何日も城から出ていなかったため、なんとなく様子を見ておきたかったのだ。
戴冠から数日経って街も落ち着いてきているように感じられる。市場へ来ると以前来た時と変わらず値切る声が響き、叩き売りの大声が建物に反響していた。
あれから相場はどうなっているのか以前買った店主に聞きに行くと、
「お、あん時の兄ちゃんじゃないか」
覚えていてくれたようだった。小麦一握りなんて買って行く人なんてそうそう居ないだろうから当然だろう。
「仕入れ値どうです?あれから変わりました?」
「ああ、いや、詳しくは知らないが国主導で農地改革が行われるらしくてな。その期待もあって仲間内じゃ頑張って耐えようって話になってる」
そう言って笑っていた。人が笑顔になるのはなんとも楽しいことである。
「なるほど、ならやってよかったですね」
「ん?兄ちゃん官僚でもやってるのか?」
口が滑ってしまった。隠すようなことでもないが、率直な話ができなくなるのはいただけない。
「ええ、まあそんな所です」
「若えのにすげえんだなぁ。そんで、何か買ってくか?」
「今日はお金持ってないんでまた今度お願いします」
「ううむ、そうか、しょうがない」
店主に別れを告げ、先へ進む。
――――歩いていると、どこからか聞き覚えのある声が聞こえた。
そちらを向くと、ソフィが居た。押し売りされて困っているように見えた。
悠は小走りで駆けつけ、間に割って立つ。
「すみませんうちのが何かしましたかね?」
抑揚の無い声でまくし立てた。するとその小太りの商人は舌打ちをして引き下がった。
悠はそのままソフィの手を引き、逃げるように早歩きで離れた。
「大丈夫かい?」
「は、はい!ありがとうございます、ご迷惑おかけしてすみません……」
しゅん、として俯いてしまった。
「いいんだよ。ソフィはまだ小さいんだからしょうがない」
そう言いながら頭を撫でる。悠は一瞬、またやってしまった、と思ったが、笑っていて満足そうだった。
ソフィは悠付きではあるが、よく厨房の手伝いなどもしている為、時々市場へ買い物にくるのだそうだ。
悠は荷物を半分ほど持ってあげた。
側から見ると親子のような2人は、買い物を終えると城へと帰っていく。
* * *
――――悠は夢を見ていた。
この世界にいた時と同じような、真っ暗で何もない空間に浮いている。
唖然としていると、何処からか声が聞こえる。その時に聞こえた声だ。
「もう1人お連れします。貴方が来たのと同じ場所に。迎えに行ってあげてください」
それだけが聞こえた。だんだん遠のく。――――
――――いつものようにスマートフォンのアラームが鳴る。悠はそれを飛び起きて止め、出来る限りの早さで着替え、秋坂の部屋へ急いだ。
以前、「夢の中で聞いた」と言っていたのは間違いなくこれだ。
すぐに扉の前に着き、秋坂を呼ぶ。
すぐに出てきた。
「悠くんも聞いたのね?」
「ああ、秋坂が言ってたのってこれだったんだな……」
「ええ、そうね」
などと話していると、秋坂の口角が釣りあがり、三日月のような笑みを浮かべ始めた。あまりの変容っぷりに悠は驚く。
そして、秋坂と出会った時のことを思い出し、背を向け、走り出そうとする。
が。
「逃がさないわよ?」
秋坂に襟を掴まれてしまった。
「さて何を着てもらおうかしら。ふふふふふふふふ――――」
この時の秋坂は何よりも怖かった。
我ながらモニカ様がかっこよくて辛いです。戴冠の部分はめっちゃ力を入れて書きました。楽しんでいただけたら幸いです。