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かみのみかくし  作者: 一里 郷
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終、翡翠の社

 蝉時雨が木漏れ日と共に降り注ぐ。

 じりじりと陽光の照り付ける畦道と違い、大きく広げられた枝葉の下では盛夏の日差しも和らぎ、緑に染まった風も程良く涼しい。

 そんな林道を抜けて長い階段を上った先に、その神社はあった。

「ここが先輩の子供の頃の遊び場ですか」

 物珍しげに辺りを見回して若者が言う。

「ああ、カブトムシもクワガタも、うじゃうじゃ捕れてなあ。奥に行くと川もあって、これまたでっかいヤンマが居たもんだわ」

 明るく答えながら参道の先を行く青年は、後ろを歩く若者と同じ大学の研究室仲間である。

 長い夏休みで暇を持て余していた後輩を、昔ながらの里山でのんびり田舎暮らし体験をしてみないか、という謳い文句で実家に招いたのが三日前。

 誘った当初、いやこちらに来て暫くは、彼もドが付く田舎の家や里山の風景に興味津々だった。しかし娯楽に囲まれて育ったコンビニ世代にとってこの辺りは刺激が少な過ぎるらしく早くも暇を持て余しているようで、そのため家から少し離れた山間の神社までわざわざ連れ出して来たという訳だ。

 そして得意げに出した虫捕りの話題は、都会育ちの若者には受けが悪かったようだ。

「ヤンマって……でっかいトンボですよね」

「そうだ。見たこと無いか?」

「無い……と思います。というかでっかいトンボとか怖くないですか?」

「大物が捕れて嬉しかったもんだが……」

「僕はちょっと……ああでも、こういうとこの雰囲気は好きですよ」

「お、そうか?」

「天狗とか出そうなロケーションですよね、ここ」

「……天狗……?」

 考えたことも無かった後輩の感想に、青年は改めて境内を見渡した。

 古い素朴な白木の鳥居、小さいが歴史を感じさせる社殿、周りを囲む木々も樹齢数百を数えそうな大木ばかり。喧しく鳴く蝉の声の中、その空間だけが静謐に切り取られている。

 言われてみれば確かに、昔話の舞台そのものの景色である。

「残念ながら天狗の話てのは聞いたこと無いけどなあ。あ、でも昔、遊んでる時に幽霊みたいのを見たことなら有るぞ。白っぽくてふわふわしてて人型の」

「ただの怪談じゃないですか!」

「お化けかも知れなかったが、追っかけたけどすぐに見失ってなあ」

「度胸有り過ぎでしょう! そういうのじゃなくて……ほら、祀られてる神様が出て来たとか」

「うーん、音楽と祭の好きな神様だから、良い楽器を奉納するとその年の祭囃子で演奏してる人が増えるってのはあったな」

 正確には、演奏されている楽器の音が増えている、ということだったか。子供の頃の伝聞なので記憶が曖昧だ。

「それも一歩間違えば怪談っぽいですけど……でも、そういうのあるんですね」

「盆と年末年始以外に楽器の奉納祭もやるからな。笛とか太鼓とか、神様に楽器を納める専門の職人さんとかもいて、実はうちもそういう家系」

「ああ、玄関とかに飾ってありましたね。先輩も作るんですか?」

「俺は普通に街で就職したいんだがなあ」

 話しながら拝殿に歩み寄り、賽銭箱に小銭を放り込んで手を合わせる。特に欲しい物も無かったので、とりあえず家内安全と健康第一を願っておいた。

「一応、ここの本殿には、昔に奉納された古い楽器も残ってるらしい」

「先輩のご先祖様のも?」

「多分な、調べたこと無いけど。一番古いのが確か、貝殻で出来た笛だったかな」

「法螺貝ですか?」

「いや、ちゃんと縦笛みたいに細いやつだよ。署名もしてあって」

 ポケットから今は珍しくなった折り畳みの携帯電話を取り出し、メモ帳にさっと入力した『翡翠』の二文字を見せる。

「……ひすい……?」

「かわせみ、とも読むらしいんだが……前はこの辺りの河原でホイホイ拾えたみたいだから、ヒスイが正解っぽいな」

 畳んだ携帯を仕舞い込み、昔に聞いた話を思い出しつつ語る。

「……ここで祀られてた鎮守様がな、昔、近くの村人があんまり怠けて我が侭を言うので愛想を尽かせて出て行ってしまったんだ」

「いきなりですね。そりゃ怠け者で我が侭なんて、付き合いたての恋人だってうんざりですよ」

「ごもっとも。だがその鎮守様の娘の天女と村の働き者の娘が仲良しで、それぞれ鎮守様と村人を説得したんだ」

「アクティブですね」

「結果、村人は心を入れ替えて真面目に働くようになり、鎮守様も機嫌を直して戻って来た。天女と村の娘はまた一緒に暮らせるようになりましたとさ」

 めでたしめでたし、と締め括ると、後輩が軽く手を叩いた。

「で、それが何の関係が?」

「よりを戻した記念に娘は社に楽器を納めて、それが今の奉納祭の元になったとさ。最初の笛は、その娘が作ったんじゃないかって話」

「へえ。何だか浪漫ですね」

 ぐるり、と境内を見渡す。相変わらず人気は無い。

 木陰に隠されていない参道は白く輝き、今にも陽炎が立ち上りそうだ。

「でも」

 ボディバッグから取り出したペットボトルのキャップを外して後輩が口を開いた。

「ここって人気の無い割りにきちんとしてますよね。お祭りとか物を納める習わしとか昔話も廃れてなくて、昔のものだってちゃんと残ってて。建物も蜘蛛の巣とか張ってないし、砂利のとこもきれいに掃除されてる感じだし」

 言ってから中身の麦茶をがぶ飲みする。

 青年は自分もペットボトルを取り出しながら答える。

「どこもそういうもんじゃ無いのか?」

「身近に無いんで分かんないですけど。あと、もっと立地が良ければ音楽の神様とかで賑わいそうとは思いました」

「受験シーズンの学業成就みたいな感じか?」

「それです! 最近だと、お寺とか神社もホームページ作って、そこんところアピールしてたりしますし」

「よく知ってるなあ」

 生まれも育ちも都心及びそのベッドタウンらしい若者の知識とは思えない。

 彼の驚きと怪訝の視線に、後輩は軽く肩を竦めた。

「受験のときに学業成就とか合格祈願のとこ探したんですよ。ああいうの、意外と近所にもあるんですね」

「ああ……確かに街中でもいきなり鳥居あったりするもんな」

「ちょっと大通りから離れるとあります。あれも昔はここみたいな神社だったりしたんでしょうか」

「どうだかなあ」

 初見から既に都会であるところの、昔の田舎だった頃の景色を想像するのは難しい。新たに開発されたところで以前の姿を覚えているなら、思い出せるところは幾つかあるが。

「まあでも、ここはこのままで良いだろ」

 夏、聞こえるのは木の葉のざわめきと蝉の声。春には新緑瑞々しく小鳥が囀り、秋には紅葉の上を雁が飛ぶ。年末年始には深い雪を掻き分けて、どんど焼きの火に暖まりながら餅を食べて甘酒を飲んだ思い出。祭の日には屋台が並び、神社を離れ家に帰っても華やかな祭囃子が聞こえる夜の記憶。

 そんな光景がきちんと続いているなら、別に有名になる必要など無い。

 今でもこの神社が大切にされているのは、後輩の指摘した通り、今も続いている祭りや奉納の風習、手入れの行き届いた境内を見れば分かる。

「それで、これからどうするんですか? 他に行くとこあるんですか?」

「うーん、裏手のとこに昔、鎮守様の祠があった洞窟がある。林の方は、俺が子供の頃のメイン狩り場だった」

「虫だらけってことじゃないですか!」

「いやいやそれはそうだが、抜けるときれいな川があってな、滝もあるんだ。あと河原に、卵石っていう、どでかい岩があるぞ」

「面白いんですか? それ」

「面白いとか面白くないとかじゃなくて、良いから見てみろって。かなり卵だから」

 麦茶をもう一口喉に流し込んで、青年は歩き出す。

 そこでふと拝殿を見上げ、思わず立ち止まる。ぶつかりそうになった後輩が玉砂利の上でたたらを踏んだ。

「いきなりどうしたんですか?」

「ああ、いや」

 大きく頭を振って視線を地面に戻す。

「何でもない」

「はあ?」

「ほら行くぞ、ぼやっとしてると日が暮れちまうからな!」

 怪訝な顔の若者を後に、青年はずかずかと林の方へ足を進める。

(この齢になって幽霊見ちゃったとか……いや、天女? それとも神様か?)

 言える訳がない。

 拝殿の屋根の上。

 人が居たなんて。

(まさか、な)

 子供の頃見たお化けと同じ、きっと見間違いなのだ。



 二人の若者が去った神社の境内に、人知れず楽の音が響く。

 それが常人の耳に聞こえる音かどうか。

 この場に人が居らぬ限り、定かでは無い。

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[良い点] かみのみかくしの世界観を存分に味わえました。 もっと見たいような、続きは彼女達の秘密であって欲しいような。 美しい描写に、スクロールする指先に温度まで伝わるようでした。 [一言] ギアナを…
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