九、閉ざされた戸
仕上げの紋を刻んでいたとき、話を持ってきたのはヤナギだった。
部屋の隅で胡座をかくヒスイに背を向けて、囲炉裏で小刀の刃を熱しながら少年が言う。
「若先生。前に風様のお願いのこと言ってましたよね」
その一言だけで、時が止まったような気がした。
「あのですね、友達の友達の『土交い』の奴が言ってたんですけど、風様に畑の水やりお願いすると、やっといてくれるんだって」
手の中で、鳥を刻んだ貝の殻がぱきりと割れる。
「他にも、染め物してた連中が、雨の前に布を乾かして欲しいと言ったら風を吹かせてくれたとか……あの、若先生?」
一拍遅れて凍り付いた空気に気付き、少年は振り向く。
「あ! 若先生のそれ、割れちゃってるじゃないですか! もうすぐ完成なのに、勿体ない……」
「ヤナギ」
「はい」
ヒスイのいつになく低く鋭い口調に、彼はぎょっと動きを止めた。
「その話、いつ聞いた」
「俺が聞いたのは今朝のことで……でも話した奴は、ちょっと前くらいのことみたいに言ってましたけど」
「ちょっとって、どれくらい」
「さあ……二、三日前じゃないですか? 雨が降ったのは一昨日だから、それより前で、そいつらも別の奴に聞いたって」
「他の『風見』は知ってるの? 『風運び』は力を貸してるの?」
「さあ、そこまでは……一番身近な『風見』が若先生ですし、風様が何考えてるかなんて俺には」
「あたし、出てくるから、ここの片付け頼んだ」
しどろもどろのヤナギを置いて、ヒスイは屋を飛び出した。
(あたしは馬鹿だ。なんて鈍いんだ)
耳をそばだてていたつもりだった。何かあったら動けるように気を張っているつもりだった。
全部、つもり、だったのだ。
『商い役』から新しく仕入れた貝を彫るのに夢中になって。
道を走り、里を抜ける前に、少女は人に遇う。
正確には、家と家の狭い隙間に立つ若者たちと、その前に立つ『風運び』に。年の頃は皆、十五、六ほど。奥に佇む少年が『風運び』であるのは、若者の一人が遠眼鏡を通して見ていることで察し、少年の手に丁度現れた水の球で確信した。
「何やってるんだ!」
思わず叫んだ。振り向いた若者たちの目が一斉にこちらに注がれる。驚いた『風運び』の手で透明な玉が弾け、一部の者が気まずそうに目を逸らした。
「ああ……笛作りの嬢ちゃんか」
中の一人が愛想笑いで少女に近付いて来た。笛作りの屋が出来た経緯が経緯なため、ヒスイのことは、少なくとも『玉結い』の間では有名になっている。
「何って訳じゃ無いけど、ただ話をしてただけだよ。ほら、これ、知ってるだろ?」
言いながら手に持った黒い筒を見せびらかす。
少女は眉間に皺を寄せ、若者を睨んだ。
「それじゃ『風運び』の声は聞けない。あんたたち、一体何をどうやって話してるんだ」
「まあ、それはな。こう……合図みたいな感じで」
「何をお願いした?」
「……何のことだよ」
「別に無理なことを言ったりしてないぜ。俺たちは、聞いたことが本当かって、あいつに訊いただけだ」
いつの間にか、暗がりにいた若者たちがヒスイを囲み始めている。
「そうなの?」
それを無視した少女の問いに、やはり歩み出て来た『風運び』の少年は小さく頷く。
「雨を降らせられるかと訊かれた。だが一人では難しい。だから水を出せるところを見せた」
「あんたたちは、そういうの人前で簡単にやったら駄目って言われてない?」
「乞われたから行った」
「そんな簡単に」
「彼らは前から、板を叩いて私と話してくれていた。美しい細工の鈴もくれた。私からも応えたいと思うのは不思議なことでは無いだろう?」
かつて、笛の音を発端に広まった『風運び』との間接的な遣り取りを、彼らはこれまで続けていたのだろう。五年前なら今のヒスイより幼かった筈だ。そんな年頃の少年たちであれば、遊びのような交流方法に夢中になっていてもおかしくは無い。
彼らは彼らで、言葉に因らない独自の友人関係をこれまで築いてきたのだろう。
「だからって……良くないことが起きたりしない?」
「良くないこと?」
「そう」
「おい、ちょっと待てよ」
会話の途中で、それまで『風見』と『風運び』の会話を興味深そうに見ていた若者が突然、口を出した。
「良くないことって、何だ。お前、知ってるのか?」
「あんたたちこそ、分かってお願いしたの?」
「いや……噂で聞いただけだし、ちょっとだけなら大丈夫だと思って」
「今も何も起きてないし、お前『風見』なら詳しく知ってるのか?」
「え、えっと」
自分より背の高い男たちに一斉詰め寄られ、ヒスイは慌てて数歩下がった。『風運び』の少年に視線を遣ると、彼は首を横に振る。
「忘れてしまった。うんと小さい頃に言われた気がするけど、小さかったから」
役に立たない。
「あたしたちには……里には、特に何も起こらない筈だよ」
「じゃあ、誰に起こるんだ? まさかこいつに何かあるんじゃないよな」
こいつ、とは彼らの友人である『風運び』のことだろう。奇しくも数年前の少女と同じ考えだ。
「ううん、それも大丈夫の筈」
「筈って……じゃあ誰に何が起こるんだよ」
その問いにヒスイは答えられない。
黙り込んだ少女に、吐き捨てるように誰かが言った。
「もしかしてこいつ、嘘吐いてるんじゃねえの」
はっと顔を上げる。
見下ろす複数の目に満ちる不審。まともに答えられない少女への不満に加え、目の前で見せられた滑らかな意思疎通が彼らに苛立ちを抱かせたのかも知れない。
「本当は何も起こらないんじゃ無いのか?」
「でも、どうしてそんな嘘吐く必要があるんだ」
「『風見』だけが知ってることがあるとか、秘密とか」
「秘密に? こいつが水を出せたりすることが?」
「だって、風様は日照りや大水を何とかできるけど、それ以外は何も出来ないって『風見』の爺が言ってたろ」
「それなら……なあ、『風見』の連中は、こいつらの力を独り占めにしようとしてるんじゃないのか」
「そんなことない!」
叫んだ少女の声は若者たちを擦り抜ける。
「俺たちが風様風様って祀って、首飾りとか飾り箱とかを納めてる間に、好きなように使ってるんじゃ」
「水瓶をいっぱいにして貰ったり、染めた布や漆を早く乾かして貰ったり?」
「茜を絞ったり骨や皮を煮るときも、何かして貰ってるのか?」
「日照りや大水のときだけ助けてくれるって言うのは」
「奉納品を出させるためだろ。俺たちがこいつらのこと見えなくて、話も出来ないからって」
「確かに、騙すのは赤子の手を捻るようなもんだってか」
「違うってば! あんたも何か言ってよ!」
『風運び』の少年に振るが、彼は淡々とした口調で。
「私は、里では彼らと遊ぶくらいしかしてない。他の奴が何を考えてるか、お前が嘘を吐いてるかも知らない」
「嘘じゃないってば!」
「そう言われても、私は彼らの友だ。彼らの側に付く」
「おい、何勝手に話してんだよ!」
不満と不審が流れ込んで怒りに変わって行く。
嫌な予感を感じて駆け出そうとした腕を若者の一人が掴んだ。放せ、と喚こうとした口を塞がれ、軽々と抱えあげられる。
「おい、どうするんだ」
「変なことするなよ。こんなちっこい女、何したって俺らが悪者になるぞ!」
「変なことって何だよ。やらねえよ。そこらの牛小屋かどっかに放り込んでやるだけだ」
「でも出て来たら告げ口するんじゃね?」
「知るかよ。だがこのまんま放免するのは腹の虫が収まらねえ」
「まあ確かにな」
「良いじゃん、やっちまえ!」
頭に血が上り、若者たちの会話がだんだん遠くなる。
視線を走らせたが周囲には誰もいない。『風運び』の少年は淡々とした目でこちらを見ているだけだ。
「彼らは悪い人間では無い。言う通りのことしかしないだろう」
(馬鹿野郎!)
胸中の罵声など当然ながら誰にも届かない。聞こえたとしても彼らにとって自分は里の民を騙した悪者の側なのだ。
あれよあれよと言う間に少女は運ばれ、どこかの小屋に放り込まれてしまった。
「大人しくしてたら明後日にでも出してやるよ!」
捨て台詞と共に若者たちと『風運び』の少年は去り、ヒスイは一人、薄暗い部屋に取り残される。運ばれている間に手も足も縛られて、芋虫のようにしか動けない。
(どこだよ、ここ!)
ちくちくする干草から起き上がり辺りを見回すが、暗くて何も見えやしない。気を失った覚えは無いのでまだ日は高いのだろうが、元々里の家屋は外の光を殆ど取り入れない造りだ。
埃っぽい空気と古い牛糞の臭いから考えるに、恐らく今は使われていない、かつては牛小屋を併設していた家だろう。それならここは『土交い』の側の家か。いや『玉結い』の側でも、橋が落ちた時のために牛や鶏を飼っていた家があった筈だ。その上で空き家になっているとなると更に限られるが、そんなことはどうでも良い。
(早く、ここを出ないと)
若者たちは明後日には出すと言っていた。だが当然ながら悠長に待ってなどいられない。一刻も早くカワセミのところへ行かなければならない。何かあったらすぐに行くと言ったのだから。
誰かが気付いて助けに来てくれるかもなどと、虫の好いことは期待できない。笛作りに没頭したヒスイが家に何日か帰らないことはよくあるし、職人たちだってヒスイが来ないことに気付くのは明日の朝か、昼か、もしかしたら一日来ない程度ではそういう日もあると流されてしまうかも知れない。
もし気付いた誰かに助け出されたとしても、その後は何故こんなことになったか根掘り葉掘り訊かれるだろう。そんなことに時間を取られるのは勿体ない。
やはり自力で出る他、無さそうだ。
(あたしは嘘なんて吐いてない。あたしの言ったことが嘘なら、カワセミが嘘吐いたことになる。そんな筈、無い)
暗闇に目を凝らし、戸口を探す。
薄く光が漏れるそれはすぐに見つかった。正直、手足を使えない今の状態ではかなり遠い。何を使って縛られたか知らないが、それを引き千切るのが先か、戸口に向かうのが先か。
早いのは一体どちらか。
近くに布だか縄だかを切れそうなものは無いか、更に周囲を注視した。鉈か鎌でも捨て置かれていれば上々だが、流石に見当たらない。
足で探ると硬いものが爪先に当たる。もぞもぞと身を捩って引き寄せると、どうやら元飼い葉桶らしき木材の残骸のようだ。少なくとも角はそれなりに尖っていそうに思える。
(これで良いや)
割れた木の破片で戒めを解くのに、どれだけ掛かっただろう。
まず手首を解放し、足首のそれを破片と手で千切るように外し、走りながら口を塞いでいた布を取り払って打ち棄てる。
力尽くで引き開けた戸の外は夜も明けやらぬ静寂だった。
周囲を見ると、『玉結い』の側らしい。それなら今の位置は分かる。いつもの林がどちらにあるかも。
夜気を大きく吸い込み、体の中の古い空気を追い出して、少女は駆け出した。
「カワセミ!」
河原に駆け込みながらヒスイは叫ぶ。
「カワセミ、いないの? あたしだよ! 大変なんだ!」
返事は無い。
少女の高い声は河原の石に反射して、渓流の飛沫に飲まれていくばかり。騒ぐのは風に吹かれる木の葉だけ。空を見ればまだ薄藍色である。こんな時間だ、眠っているのだろうか。
胸の動悸は全力疾走のせいか、はたまた返るはずの声の主の不在のためか。
「彼女なら来ない」
立ち尽くした少女の頭上から降って来たのは、聞き覚えのある声だった。
ヒスイは勢い良く対岸の木立を振り向く。
すっくと伸びた橅の枝に、やはり見覚えのある青年が腰掛けている。
「どういうこと? ヒバリ、あんた何かした?」
「私は何も。あの子を呼び出したのはあの子の祖母だ」
「カワセミの?」
幼い頃、川で溺れかけたとき、カワセミと一緒に見舞いに来た老婆が確かそうだった筈だ。カワセミ自身の話にもよく出て来た、上品で厳しそうな人物。
「何故?」
「それはお前さん、分かって来たのじゃ無いのか」
淡々とヒバリが言う。言われてヒスイは気付く。屋に籠もっていた自分が聞いた話なら、他の者の耳にはもっと早く入るだろう。それが山の住処から出ない『風運び』の老婆の耳であっても。
「カワセミは何も悪くない」
声を震わせる少女に、青年は肯定を表して頷く。
「あの子が悪いと言うなら、誰もが僅かずつ悪いだろう。秤にかければ私の方が重い筈だ」
「ヒバリが? どうして?」
「五年前、宴の日、お前さんたちに貝の笛について教えるべきでは無かったと思っているよ」
ひどく静かな口振りで、その声は今の時間の空気のようにひんやりと温度が無い。
「今回の騒ぎとは、遠眼鏡とは関係無いじゃない」
「直接には。だが呼べば応えるという下地を作ってしまった」
「……」
「今日までの間に、それなりの関係を築いた者もいるだろう。犬猫や草木にさえ言葉を掛けるのが人だ。同じような形をした姿を見て話し掛けようと思わない方が不自然だ」
ヒスイを閉じ込めた若者たちがまさにそうだったのだろう。少年少女にとって、五年は短い期間では無い。
「寧ろこれまで、間違いが無かったことの方が私には疑問だな」
「……隠れてお願いしてたってこと?」
「分からん。確かめ様が無い」
「そうだけど」
追求したところで、今や『風運び』にお願いをしている者は少なくないのだろう。とうに混ざってしまっている。
「それより、お前さんはそこらで水浴びでもした方が良い。嫁入り前の娘の姿とは思えんぞ」
言われて初めて、少女は己の身体を見下ろした。
縛られていた手首が擦れて赤くなっているのは勿論、古い牛小屋に閉じ込められていた所為で着物も手足も黒く汚れて、意外と先の鋭い干草や林の下生えによって、細かい切り傷や擦り傷だらけである。
「ああ、無論、召し物を脱ぐなら私は退散する。水浴びが済んだらさっさと家に帰るが良い。あの娘が話せるようになったら……お前さんたちの間の合図か何かあるだろう」
「……」
無言で頷くヒスイを見てから腰を上げたヒバリに、ふと思い出して声を掛けた。
「ねえ」
「何だい」
「あのさ、お願いを聞いて叶える方は、どんな風に思ってるの」
「私はやってないから知らん」
「あたしよりは近い立場じゃない、ちょっとは」
食い下がられて、若者は視線を落としてやや考える素振りで。
「……好みの異性の頼みなら、断る者は少ないだろうな」
「そうじゃなくて」
「友人の頼み、恩人の頼み、家族と思った者の頼み、というのもある。後は、ただ頼みを聞いて叶えてやるのが好きな奴だ。居るだろう、そちらにも」
立て板に水の如く語ると、ヒバリは少女の返事を待たずに枝を下り去ってしまった。取り付く島もない。
夜明け前の河原に一人取り残され、ヒスイは肩を落とした。
ちらと自らの汚れた手足を見る。
まずはヒバリの言う通り、川に入るべきだろう。
烏の行水の如く水浴びを済ませ、夜明け前に家へ駆け戻り、筵へ潜り込んでひと眠りする。
目覚めたとき、里はこれまでのヒスイが知るところとは違っていた。
起きてすぐ、家に居た方が良いと母に言われた。
何故、と問うと口籠り、目を逸らされる。怪訝に思いながらも笛作りの屋へ行くために家を出ようとすると、もの問いたげな視線だけが追ってきた。
(帰らなかったのが分かったのかな)
その考えが甘いということは、すぐに分かった。
道行く人と目が合わない。挨拶をしても返されない。沢の向かいの畑を遠く眺めると、どうも人が少ないように見える。
(まさか)
自然と足取りが早くなる。
殆ど駆け込むように笛作りの屋へ入ると、三人の職人が一斉にこちらを見、そして逸らした。
「……お早う」
返事が無い。気まずい空気の中、道具を取っていつもの場所に座ると、斜め正面に座ったヤナギがそわそわしながら非常な小声で、お早うございます、と言った。
見れば、手元の貝を見ながらひたすら穴を広げている。
「そんなに広げると割れるよ」
何気ない注意のつもりだったのに、少年の肩が雷に打たれた鼠のように跳ね上がる。それから、そうですね、と掠れた声で答え、何故か別の穴を削り始めた。
その間、残る二人の職人は押し黙ったきりである。
何かがあったことは明白であった。
昼、年嵩の職人たちがそそくさと帰った後、ヒスイは同じく帰り支度をしていたヤナギを引き留めた。
「何があったの? 口も利かないんじゃ感じが悪い」
強く問い詰めると、少年はだらだらと脂汗を掻きながら壁際で棒のように立ち竦む。
「あの……何って言うか」
「怒らないから正直に話して」
「……ええと……」
長い煩悶の後、しどろもどろに語った内容は、ヒスイには信じ難いことだった。
『風見』が里の者を騙していると若者の一団が騒いだということ。そんなことはしていない、訳があるのだと反論する『風見』たちにその理由を話すよう詰め寄るが、曖昧な返答しか得られなかったこと。
今まで隠れて『風運び』に願いを聞いて貰っていた者たちが、衆目の前で願いを口にし、何も無いところから水を出現させたこと。遠眼鏡で見ていた人々が『風運び』が水を出したと証言したこと。
故に一日にして『風見』の信用が地に落ちたこと。
「それで……お願いすれば畑の水遣りも、悪い虫を追い払うのもやってくれるだろうって。毎朝、沢まで水を汲みに行かなくても持って来て貰えるんじゃないかとか、そういう話も出て」
「それは、里の全員の前でやったの?」
「いえ、集まってたのは十人か二十人くらいでした。でも『風見』が俺たちを騙してたって言うのも、どんどん広まって、だからもうみんな知ってるかも……」
「あんたは信じてるの?」
「……」
「あたしが嘘吐いてるって思う?」
つい口調がきつくなり、少年が益々小さくなった。それでも蚊の鳴くような声でぼそぼそと答える。
「……若先生は、嘘は言わないと思いますけど……」
「けど?」
「すみません……他の『風見』の人はよく知らないし、そういうの言うと、殴られそうで」
つまりヒスイ自身への信用はあるが、周りの目を恐れてそれさえ口に出せないということか。
「他の二人も?」
「……分かりません。でも、来た二人は、若先生のこと信じてると思います」
「何でそう思う?」
「俺の家の人みたいに『風見』のこと襤褸糞に言わなかったし……ここに来たから」
(一応、信頼されてるってことで良いのかな)
殆ど口を利かなかったから、彼らの真意は量りかねる。
「分かった。きつい物言いしてごめん、帰って良いよ」
「いえ……」
「明日からは、何か面倒そうなら来なくて良い。無理強いはしない」
「……はい……」
詰問から解放されて、少年は明らかにほっとした様子で荷物を纏めて帰って行った。
一人になった屋内でヒスイはぽつりと天井を見上げた。
「さて、どうしたもんか」
呼び出しがあるまでカワセミには会いに行けない。
里の人の誤解を解こうにも、その材料を持っていない。口止めされている理由を本人が知らないのでは怪しさの上塗りになるだけだ。それを知る大人の『風見』に会いに行こうにも、確実に見咎められるだろう。
八方塞がりだ。
(……笛でも作ろうか)
考えても、それくらいしか時間の過ごし方は思い付かなかった。
翌日、笛作りの屋にヒスイは一人きりだった。
誰かを責めようとは思わない。これは仕方の無いことなのだから、と己に言い聞かせた。
だがその次の日は、ヤナギが一人でやって来た。口こそ利かなかったが、笛を彫り、頭を下げて帰った。翌日は来なかったが更にその翌日は来て、それからは毎日来るようになった。他の職人も、顔を合わせれば気まずい空気になりながらも、時折顔を出してくれた。有難いことである。
けれど、村の雰囲気は芳しいとは言えなかった。ヒスイの分かる範囲できちんと仕事をする者は次第に減り、様々な雑用を『風運び』に頼む者は明らかに増えている。
少女が口を出せば胡散臭げな目で見られ、邪険にされ、乱暴に押し退けられる。
ただ手を拱いて見過ごすことしか出来なかった。
その分だけ、彼女が笛作りに没頭していたのは言うまでもない。
カワセミの笛が山間に響いたのは、朝夕の風も冷たくなった、秋の頃であった。