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かみのみかくし  作者: 一里 郷
10/13

八、見えぬ蠢動

 黒い筒とその効能は、一夜のうちに里中に広まっていた。

 無論、全員に行き渡るほど数がある訳では無い。それでも合わせて二百程度の里人に対し、十五本もの筒は充分すぎる量であった。

 人々は争うように筒を手にしては覗き、己の目では見えない人やものを探した。

 生き物ならば手を伸ばして触れ、捕えようとする。人の形をした、つまり『風運び』ならば誰彼かまわず話しかけ、やはり触れようと手を伸ばす。『風運び』の一部も、彼らに応え、身振り手振りで語らおうとする様子が見られた。いや、こんなときに里へ下りて来る『風運び』はカワセミの言った通り、そんな性格の者ばかりだった。

 『玉結い』の手に渡った筒は分解されて調べられ、職人たちはその構造を模して新たな筒を作ろうと試行錯誤を始めている。これまで多くの技術をものにしたように。もしも完成されたなら、この遠眼鏡と称される筒が、一人ひとつ、里人に行き渡るのは時間の問題となるだろう。

 それらはあまりに新しく刺激的な『遊び』だった。子供や若者たちは熱中し、大人たちも本来の仕事を疎かにする者が出ていた。加わらない者もどこか浮き足立ち、里の空気は騒がしく、奇妙な昂揚感に包まれている。

 まるで本番の来ない祭の支度をしているようだと、誰かが言った。


 その中で『風見』たちは集まった。議題は無論、筒のことだ。

 里の『風見』は現在、老若男女合わせて十人。

 集まった大屋根はそれに対して広すぎて、妙にがらんとして見える。

「こんな馬鹿騒ぎ、すぐに収まるさ」

 若者の一人が言った。彼の友人の『土交い』の若者たちは皆、畑仕事を放り出して、見えないもの探しに興じているらしい。

「その内に飽きて落ち着くよ」

「それなら良いが、餓鬼どもを何とかしてくれ。畑の中を駆けずり回ったり、葉を踏んで苗を倒しちまったり、挙げ句の果てに土を掘り返したりしやがって。怒鳴りゃ散っていなくなるが、暫くするとまた戻って来やがる」

 別の男が苦々しく吐き捨てる。

「そこの畑の主は何をやってるんだい」

「半日は畑仕事、残りの半日は追っかけだ。このままじゃあの畑は駄目になるだろうよ」

「他のところはどうだ?」

「殆どはちゃんと世話されてる。放り出されているのは少ない」

「だが、少ないとは言え畑が荒らされたままなのはいけない。冬の蓄えはいつもぎりぎりじゃないか」

 ごく若い『風見』たちが顔を見合わせた。冬越しの厳しさは彼らも良く知っている。

「牛や鶏を世話する家の中でも、追っかけに興じているのがあるぞ」

「そうだ。牛は痩せちまって、鶏は山に入ったり犬猫に追われたりだ」

「俺は家の者に注意したが暖簾に腕押しだったよ。干し草を放り入れてやったが、良かったものか」

「あたしも畦の雑草を抜いたけど、ちゃんとやれたか不安だよ」

「特に『土交い』の仕事は、俺らじゃ出来んことが多いからな」

 『風見』らは皆『玉結い』の子である。玉を磨き土を捏ねる腕は良くとも、作物に手を出せば豆すら枯らし、家畜ならば山羊でさえ痩せて子を生まなくなる。

 その逆も然りであるが、二種の民が共に暮らすのはこのためであり、故に片方が仕事を疎かにすれば今の暮らしは立ち行かない。

「この騒ぎが収まっていけば良いが、広がるなら事だぞ」

「ひどい奴は直した鍬を取りにも来やがらん。預けたのを忘れてるんじゃないのか」

「いやいやすぐに飽きるさ。あんなものらを追い回したところで何も出やしない。私らはよく知ってるじゃないか」

「そうだなあ、ひと月もすれば珍しくもなくなるか」

「だがひと月も放っておいたら畑のものは枯れるし、牛や鶏だって飢えて死んじまう」

「じゃあ俺たちが言ってやりゃ良い。あんなのは何も出来ん、つまらんものだって」

「そうだそうだ、それが良い。見目良く厄は祓うが他はさっぱりだとな」

「付き合ってる『風運び』の連中にも、控えるように言ってやろう。山に帰れ、でもいい」

「引かないなら長に掛け合えば良いさ。あっちも遊びだろうし、そこまで意固地な者もいないだろ」

 集まりは終始、軽いものだった。誰もが思っていたのだ。こんなことはすぐに終わると。

(本当にそうだろうか)

 頭上を飛び交う会話を聞きながらヒスイは思う。次の瞬間には、それは口を突いていた。

「そんなすぐに終わるの? だってあれを覗きたがってる人はみんな、『風運び』も他の見えないものも、今まで見たこと無いんだよ」

 これで仕舞いという空気を破った少女の発言に、大人たちは顔を見合わせる。

 そして誰かが笑って言った。

「おいおいヒスイ、お前がそいつを言うのかい」

「え?」

「そうだとも。あんたの笛もそうだったじゃないか」

「ああ、そう言えばそうだ」

「猫も杓子も笛だ笛だとね。吹きたがる者も作りたがる者も大勢いただろ」

「そうだね、あれも『風運び』を巻き込んでた」

「何もおらん空中に、誰かいるだろ、笛を聞かせてくれ、って言ってるのもいたな」

「実際吹いてやるのが居たからねえ」

 懐かしそうに彼らは笑う。問題を提起したつもりなのに、空気はすっかり和んでしまった。

「あの騒ぎもすっかり落ち着いたと言うか、里に馴染んだと言うか」

「新しい屋も増えて、ヒスイ、お前も笛作りになったじゃないか」

「今回もそうなるんじゃないかい?」

「しかしあの筒、他に何の役に立つのかね」

「待ってよ、笛のことはそうだけど、今のはまた違うじゃないか。止めたって、大したことじゃないって言い聞かせたって、きっと長引くよ。だったらちゃんとやっちゃいけないこととか、先に言っておいた方が」

「ヒスイよ、そいつは『風見』の決まりのことかい?」

 斜め前に座った男が苦笑する。

「どうせもう何日かしたら、この馬鹿騒ぎは収まるんだ。藪を突いて蛇を出すことはあるまい」

「そうさ、静かになってみんな忘れちまう。そしてそいつは早い方が良い」

「ああ。畑やらが荒れるのも無論だが、こんなのはさっさと終わらせるべきだ」

「けど、新しい筒を作ってる人もいるんだし」

「同じ効のある物が出来るとは限らんし、出来たところで見えるだけだ。話は出来ん」

「そうだとも。話が出来なければ、それ以上のことにはならんよ」

 隣に座った老婆が言った。

「いいかいヒスイ。この里と『風運び』の関わりは、わしの婆様の婆様の、これまた婆様の代から、重ねてずっとやって来たんだ。だから上手くやれるとも」

 年の功を考えるなら彼女の言葉は正しいだろう。里の流行り廃りも、見える者と見えない者の確執だって、まだ十二のヒスイより、年長の者たちの方が数多く経験してきた筈だ。

(皆は大人だから、カワセミが言えない良くないことのことも、きっと知ってる)

 その上での、この楽観なのか。

 胸騒ぎは杞憂、気掛かりは考え過ぎか。

 集まった『風見』はもう、以前あった里の流行りや、本来の仕事を疎かにしている者やはしゃぎすぎの子供たちにどうお灸を据えるかの話をしている。

 黙り込んだ少女だけが、漠然とした惑いの中に取り残されていた。

(あたしだけなの?)

 その問いを口に出したところで、この場で返るのは肯定だけのように思えた。


「どうしたんですか、若先生。今日は手際に切れが無い」

 職人がヒスイ含め四人に減った笛作りの屋で、最初に声を掛けたのはヤナギだった。

 相変わらずの無遠慮に他の先輩職人らが睨みを利かせたが、ヒスイはいいよと首を振る。

「手元が鈍いのは本当だから」

「もしかして、今の騒ぎですかい?」

 更に踏み込む少年。本当に遠慮が無い。そうでもなければ跡継ぎの癖に仕事を鞍替えしたりなどしないだろうが。

「駄目ですよねえ、自分のやることほっぽりだしちゃあ」

「おいおい、前の仕事を放り出したも同然のお前が語るか」

「俺はきっちり引き継ぎして出ましたよ。親父には散々嘆かれたけど」

「そりゃそうだ。跡目継がせるつもりの息子が余所に行くなんて言い出したんだ。あたしなら泣いてぶん殴って家から叩き出すよ」

「おお怖い怖い」

 男衆二人が大袈裟に肩を竦め、そのおどけた仕草に思わずヒスイは吹き出した。静かだった屋の空気が一気に明るむ。

 一頻り笑った後、少女は小刀の手を止めて三人を見回した。

「……そう言えばあんたたちは、あの騒ぎに乗らないの?」

「仕事をほっぽり出すのはいけないでしょう。何を言ってるんですか、若先生は」

「いや……あんたたちも若いんだし、興味あるんでしょ? 実際二人は行っちまった訳だし」

「若先生に若いって言われるのは変な感じですよ」

 確かに十二の娘が口にするにはおかしな言葉である。だが苦笑する彼らとて、最年長でも少女より五つ上なだけだ。

 職人の青年が言った。

「まあ、仕事があるってのもそうですけどね。他にあるなら……風様のお姿を見るなんて、何というか、畏れ多いじゃないですか」

「奉納品のうちの出来の良い品が早めに持ってかれたり、きれいな笛の音を好んだりってところは、親しみを覚えますけどね」

「うちの爺ちゃんはそれがあるから、今度は一番に持ってって貰うんだって毎回張り切ってましたよ」

 それを聞いて黙り込む。

 やはり、見える者と見えぬ者との溝は深い。一朝一夕では埋まらないだろう。

 『風運び』のことは『風見』以外にはみだりに話してはならないと、物心ついたときから言い含められていた。もしかしたらそれが、この齟齬の原因かもしれない。

 けれど話すことはやはり出来ない。彼らがどれだけ人に近しく、親しいか。その力は畏怖すべきものだけではなく、落ちた鳥の雛を巣に戻すような優しさもあるということも。

 話せば何かが崩れてしまう。カワセミの目がそう言っていた。

「……別にちゃんとやることやってれば筒を見たって良いよ。でも、一つ聞いて欲しい」

 だから己の出来る最低限はやっておかねばならない。

 三人の職人がヒスイの方を見る。

「何でしょう?」

「『風運び』を追っかけても、話しかけても構わない。でも、何かしてくれとか、見せてくれとか、そういうお願いはしたら駄目だよ」

「お願い? 何でです?」

「……はっきりとは言えないけど、勝手にそういうのをやると、良くないことが起きるんだよ」

 詳細を説明できないのは知らないからだが、そこはどうにか誤魔化した。

 職人たちは困惑を顔に浮かべ、しかしそのまま大人しく頷いた。

「分かりました」

「『風見』の若先生が言うなら……」

「有難う。出来れば周りの人にも言っといて欲しい。何というか、心得みたいなもんだから」

 思いの外の物分かりの良さにヒスイはほっとする。

 これで少しは、カワセミとの約束を果たせただろうか。

(だが、厭うより親しむ方が危ういこともある)

 不意に、昔聞いた言葉が脳裏を掠めた。

 ごく幼い頃、『風見』の長老たる老婆が言った言葉。

(どうして、今、思い出した?)


 『風見』の大人たちが言った通り、『商い役』が里を出る頃には、騒ぎは落ち着いたように見えた。『土交い』が畑や家畜を放り出すことは無くなったし『玉結い』もそれぞれの屋に戻った。

 熱狂の間に里で作られた遠眼鏡もどきは十。うち『風運び』が見えるように作られたのはその半分らしい。今は土産で持ち込まれた十五と合わせて、二十の遠眼鏡が里にあることになる。

 それらの一部は集められて神窟に納められたが、大半は里の誰かの手から手へと渡っているようだった。

「これで元通りになるかな?」

 『商い役』の出立を見送った後、河原に行ったヒスイはカワセミに問うた。

「分からない……だけど、全く同じには、ならないと思う」

「うん、そうだよね」

 里の民は『風運び』を、他の見える筈の無いものを目にした。彼らが見たものは口伝えで里中に広まるだろう。遠眼鏡を持っているなら、それも一緒に。

「他の大人の『風見』は、見えるだけなら大丈夫だろって言ってたよ。遠眼鏡を使っても、見えるだけで話せないから。これってつまり、お願いが出来ないから、ってことだよね」

「……そうね……そういうことだと思うわ」

「やっぱり」

 ヒスイは合点がいったと頷いた。

「話し合いのときみんなが言ってたんだ。『風運び』なんて追っかけても何も出来ない、つまらんものだって、そういう話を広めようって。あ、あたしは思ってないよ、そんな風に」

「分かってるわ」

「うん、有難う。でね、たぶん『風見』のみんなもそう思ってる筈が無いんだ。だってカワセミたちが雨を降らせたり風を吹かせたり出来るって、知ってるから」

「そうね……」

「これも、分かっててやったってことだよね。お願いのこと言わなくても、お願いさせないように」

「……ええ」

「やっぱりそうなのかぁ」

 感嘆とも嘆息とも取れぬ息を長々と吐いて、ヒスイは河原に転がった。

「あたしが気にし過ぎてただけなんだなぁ。やっぱりみんな大人なんだ。ちゃんと考えてたんだ」

「……危機感を持つのは、良いことよ」

「だって、ちゃんと考えられてたのに、疑ったみたいになっちゃったしさ」

「分かってくれてるわ。ヒスイがヒスイなりに、何とかしようって頑張ったこと」

「なら良いけど。でもあたし、そんな頑張ってないよ。お願いしないでってことも、笛作りの仲間と、父ちゃんと母ちゃんと兄ちゃんくらいにしか言えなかったし」

 あの日、笛作り職人らと話した後、帰ってから同じ話を家族にした。

 『風見』の身内として色々と注意を受けていた両親はすぐに受け入れた。兄も、少し面倒くさそうにしながらも首を縦に振ってくれた。母には機織り仲間に、父と兄には他の『商い役』にも話してくれるよう頼んだから、きっともう少し広まっているだろう。

 けれど、ヒスイが直接話した人数が僅かであることに変わりはない。

「けど、ちゃんとやってくれた……私は嬉しいわ」

「カワセミにそう言われるならあたしだって嬉しい」

 転がったままにっと笑って、空を眺めた。

 青い天井を綿のような雲が行く。どこまでも平穏に。

「本当はね。これでみんなが『風運び』のことよく知ってくれたら、風とか雨とか、神様だとかそんなんじゃないんだって分かってくれたら、って思ってたんだ」

「……そんなことを考えていたの?」

「うん。カワセミたちだって笑ったり怒ったり悲しんだりする。祭で笛を吹いてるだけじゃ無いんだって。それで、昔、夢に見たみたいに仲良くできたら、ってさ」

「そんなこと……私は気にしなかったのに。だってヒスイは、ちゃんと分かってくれてるもの」

「カワセミはそうだとしても、あたしは悔しかったんだ」

「良い子ね、ヒスイは」

「もう、茶化さないでよ」

 膨れっ面の少女に『風運び』の娘は微笑む。

 それに更に笑って返し、そしてふっと息を吐いて呟く。

「でも、それは駄目なんだね。みんなと仲良くするのは」

「……」

「あたしが大人になって、今知らないことを知れたら、何か良い案、考え付くかな?」

「……分からないわ」

「そうだよね」

「……」

「考え付けたら良いね」

 空を見たままの呟きに、傍らの少女が囁くように答えた。

「ええ……そうね」


 後世に歴史を記す文筆家は、その転換期としてどの日を記すのだろう。

 いや実際は、山奥の小さな里の出来事を記す史書など無いとしても。

 里に舶来の筒が来た日か。里に貝の笛が伝えられた夜か。それとも少女たちが出会ったその日になるか。

 少なくとも、打ち捨てた筈の苗が農夫の目を盗み、密かに根を張った日では無いだろう。

 恐らくその日は誰も知らない。

 誰が最初に行ったかの特定も不能だ。始めた本人すら自分が最初だとは思っていない可能性がある。

 初めの芽吹きは誰にも気付かれなかった。恐らく次も、次の次も。知った者は内緒話のように近しい誰かに教え、秘密の伝言は瞬く間に広がった。

 それぞれはとても些細で、故に誰もが入れる門戸であった。

 けれど少女は気付かなかった。

 『風見』たちも気付かなかった。

 壁は、里の民と『風運び』との間だけにあるのでは無かったのだと。

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