閑話休題 小さい頃の話
「まあ、ディミトリったらそんなところにいらしたの?先生がお待ちですよ?」
「ほっといてくれ」
ディミトリは、わざわざ探しにきてあげた私にそう言いました。なんとも、人の苦労をわかっていない発言です。
こちらが、どれだけ探し回ったと思っているのでしょう。猿やネズミのようにチョロチョロと隠れ回って「獅子の子供なら獅子の子供らしく堂々としてみせろ」と言いたいところですが、このお坊ちゃんにはそれを言うのは酷なことです。
ディミトリの父君である陛下は立派な方です。
迫力のある容貌に、太く低い堂々たる声。まさに王と言うべき方です。そんなものすごい親を持ってしまえば、子供というのはなにかと不憫になるものです。親のようになろうと四苦八苦しては絶望し、自分なんてといじけてしまう。
そのいじけた心をどうしてやるか、そして、それをどう上手く上を向けてあげるのか、それが周囲がやるべきことで婚約者の私がいの一番に頑張らねばならぬことです。
ほっとけと言われましたが、このまま、この茂みで根暗っぷりを余すことなく発揮して、いじいじいじいじされていてはたまりません。
「放っておけるはずがないでしょう!さあ、早く先生のところへ行きましょう?」
「嫌だ!私なんか勉強したって、どうせ父上のようになれないんだから……」
「まあ!私より、お勉強ができるくせにひどいですわ!」
「そ!そういう意味じゃない!私が目指すのは、父上で君とは違うんだ」
「なにをおっしゃいます。私は、あなたの婚約者です。もう嫁も同然。ならば、目指す場所は同じです。ディミトリの父君ですわ」
「……君は女の子じゃないか」
「女の子が目指しちゃいけませんの?あなたと同じものを、同じ方向を、見ていたいと思っちゃいけませんか」
「いけなくはないが……。君、女の子だし、父上のようになれないだろ。それに目指すべきは母上だろう」
「でも、私、一緒がいいんだもん。それに、ほら、ディミトリに並べるくらいになりたいですし、そうなるとその、目指すべきは同じかなあって……」
このいじけ具合をなくし、自信をつけさせねば着の身着のままで国外追放待った無し。確実に、運が良くなければ死が待っています。
死ぬのは嫌です!国外追放も嫌です!できれば、安全安心暖かいお家でのんびり暮らしたい!
なにがなんでも、よいしょして、食らいついて、褒めて伸ばさなければなりません。人を信じられない人間不信ボーイにさせないためにも、私は絶対なあなたの味方よアピールもし続けなければなりません。
とにかく、全ては死なないため。婚約破棄をされないためです。
王族に入るのも厳しいですが、国外追放よりもマシですからね。絶対に、結婚してみせますとも。
私は、やる気をモリモリ湧かせて、ディミトリを褒め、父上のようにならないと言う言葉を否定するために、前回との違いをつらつらと言い連ね「これだけ変わっているのだからいつかはなれる!諦めるな!」というような熱い言葉を送り続けました。
その甲斐もあって、ディミトリは茂みからガサガサと出てきて「……やる」と一言言って、立ち上がりました。
「ええ!その意気です、ディミトリ!さすが!男の子は強いわ!どれだけへこたれたって諦めないところ、とっても素敵です!このまま頑張れば、きっと、父君を越せますよ!フレー!フレー!ディミトリ!フレ!フレ!ディミトリー!」
「あの、そこまで言ってもらわなくても……」
「いいえ!言います!さあ、ディミトリ!私よりも、うんとお出来になるんだからやってください。私が、ムカッとしちゃいます。私が出来ないからディミトリは余裕なのね、ムカつきます」
「え?!私は、そんなつもりないよ!とにかく行こう、ブリジット」
「はい!ディミトリ!」
ディミトリは、私の手をキュッと握ってお部屋まで連れて行ってくれます。
何回も来ていますが、未だに迷ったりするので手を握ってくださっているのです。なんだかんだで、面倒見も良くて、優しい方なのです。見た目は少し冷ややかに見えますが、中身はとても暖かい方。人よりも少し考え込みやすく、想像力がたくましい故に、こんなイジイジとした根暗になっているのでしょう。
ポジティブに変えていかねば!未来のために!いつまでも、励まし、褒めるのは正直面倒臭いですし。
「先生は怒っているだろうか……」
「そりゃ当たり前ですよ、殿下。約束の時間にいらっしゃらない上に、お勉強を放棄しようとなさったんだもの」
「うっ……」
「でも、将来有望っていうのじゃなきゃ、放っておかれますわ。ああ、しょうがないってなったら最後ですのよ。だから、先生のお怒りは愛の鞭。甘んじてお受けになって。ついでに、探し回った私のためにお菓子のひとつでも欲しいです」
「わかった……。今更だが、ありがとうブリジット。いつも一緒にいてくれて」
「……そ、それは、その、私、あの、婚約者ですから、その、当然ですわ……」
「そうなのか?大臣の息子の婚約者は、こんなにしょっちゅう来ないし、こうして一緒にいて励ましたりしてくれないと聞いたけど」
「人それぞれなのです!ええ!」
「私が好きだから、一緒にいてくれているのだと嬉しいんだが」
「え……?」
「なんだ。私が、そんなこと言っちゃいけないか」
「いいえ、そんなことはありません。あの、私、結構、押せ押せでしたでしょう?鬱陶しいと思われてると……。だから、まさか、そんなことを言われるとは」
「確かに最初は鬱陶しかったが、今はそんなことない。ブリジットは、私を尊重してくれるし、話も聞いてくれるし、決して見限らないだろう?喧嘩しても側にいてくれるし。そう思いだしても不思議ではないと思うが」
私は、ぽぽぽと火照るほっぺを少し押さえて、こちらを見るディミトリを見ました。
まだ9歳です。幼い顔をしていますが、目だけは大人よりもまっすぐで、誠実で、純粋で、理知的です。それが、しっかりと力強い眼差しで、私を捉えています。目が「私は本気だぞ」と言っているようです。
なんとなく恥ずかしくなって、さっと顔を伏せてしまいました。
ああ、無礼だったわ……。
「どうしよう」と顔を下に向けながらオロオロしていると、繋いでいる手を両手でくるみ、彼は下から覗いて来ました。
私は小さく悲鳴のようなものを上げて、顔をそらしました。あんな間近で人の顔を覗き込むなんて……!
「ブリジットは、私のことが嫌い?」
「そんなことないに決まってます」
「じゃあ、好き?」
「き、急に、そんなことおっしゃるなんて、どうしたんですか?そんなこと、いう人じゃなかったじゃないですか」
「え、あ、うん……。その、なんでだろ」
「まあ……。なんだか情けないですわ、ディミトリ」
「それよりも、どうなんだ?」
「どうって、なにがです?」
「なにがって、そりゃ、私が好きかどうか」
「なんで言わなくちゃいけませんの?私、恥ずかしいし、嫌です」
「でも、いつもかっこいいとか、素敵とか言ってるじゃないか。あれは嘘だったのか?よいしょだったのか?」
「な!違います!ちゃんとそう思って……!あ、あ、なんてこと言わせるんですか、ディミトリのバカ!」
「私はバカじゃない!」
「バカバカバカ!」
「バカじゃないと言っているじゃないか!私は賢いしできる男だ!」
「そういうことじゃないです!バカバカ!乙女心のわからない唐変木の朴念仁!」
「なんだと?!お前こそ、私になんでもかんでもズバズバ、人の気持ちも考えずに言うじゃないか!そちらこそ、男心ってものを理解してないじゃないか!」
「ちゃんと理解して褒めてるじゃないですか、積極的に!」
「そういうことじゃない!このすっとこどっこい!」
「まあ!ひどいわ!乙女に向かって!」
「乙女だと?お前みたいに計算高い乙女がいるか!婚約した最初の頃は、私のことなんて王族の一人で家にとっていい価値のある人間くらいにしか思ってなかっただろうに!」
「まあ!ひどい、ひどい!なんてことおっしゃるの!私、そんなこと思ってなかったのに!あなたこそそんなこと言うってことは、そう考えてたってことなんじゃないの?」
「そんなわけあるか!私は王族だぞ!一番偉い者がどうしてそんなこと考えねばならないんだ!むしろ、されている方なんだから、そんなこと考えるのも当たり前だろう!毎回、娘持ちの貴族たちに、利用価値のある子息、王族に近づくための駒って見られてるんだぞ!」
「そりゃあ、かわいそうですわね!私だって、この容姿で変な大人にとっ捕まりそうになったり、変にねっとりした目線で見られるんですのよ?私の方こそ、婚約者だなんてそういった手合いって思ったりしそうなものを、考えずに仲良くしようとしてきたのに!」
「そりゃあ、どうも、悪かったな!今度、その変な大人吊るしてきてやるよ、お前のために!感謝しろ!」
「吊るすですって?!偉そうぶって!そんなに、ホイホイやっちゃダメですよ!自分の発言に責任を常にお持ちになってください!」
「忠告痛み入る、ありがとう!」
「いいえ!!」
なぜ喧嘩をしだしたのかわかりませんが、知らないうちに鎮火していたようで、私の「いいえ!」という叫びを最後に喧嘩は突如終わりを迎えました。
廊下で言い合っていたので、お城の使用人たちが不思議そうな顔をしています。私たちだって、急に始まって、急に終わって不思議に思っています。
「それで、なんの話だっけ?」
「さあ?とりあえず、お部屋に行かなくちゃいけないことは確かです」
「あ、先生が待ってるんだっけ……。一緒に怒られてくれる?」
「怒られませんけど、手は繋いでてあげます」
「そうか、ありがとう。君が婚約者でよかった」
「私も、ディミトリでよかった……、と思います」
「思うってなんだよ」
「だって、特によかったことなんて、美味しいお菓子とか、お勉強とか、一緒に遊べるとかそれくらいですもの」
「なん、だと……!」
「あ、それと、お城に入れることですね!」
「……私、いっぱい努力するよ」
「あら、本当?それじゃあ、私は、一々探しに行かなくていいってことですね。よかった!」
「ブリジット……。君は意地悪なのか優しいのか、私、時々わからないよ」
「私は優しいですわよ」
「じゃあ、そうしておこう。あの、手、繋いでてくれよ?」
「ええ、ずっと繋いでますわ」
私がにっこりと微笑むと、こわばった顔をしていたディミトリは、少しほうっと胸をなで下ろして、キュッと手を強く握りしめました。なんだか微笑ましい思いがして、ふふっと笑いをこぼしてしまいました。
おかげでディミトリに少し睨まれましたが、全然怖くありません。
だって、後で情けない顔をしたディミトリが見れるんですもの。