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今日、ついに学校が始まります。
私と殿下は最終学年です。卒業すれば、すーっと籍を入れさせられ、すーっとドレスを着て、すーっと祝福され、すーっと夫婦になるのです。マリッジブルーでしょうか、最近、とても不安に陥ります。
確かに、殿下は驚異のハイスペックボーイです。不安に感じる要素はないような気もしましょう。なにせ、驚異のハイスペックさですからね。頭も顔もスタイルもいい。
ですが、いかんせんポジティブ系俺様バカ。そして、人の話を聞かないし、空気も読まない。ついでに言うなら、暴君だし、声は大きいし、笑い声がうるさい。おんぶに抱っこにお世話をしなきゃいけないし、正直とっても面倒な方。これからが、とっても不安。ブリジット、すっごく不安。
なにせ、まず、今日も私が家から馬車を1時間も早く出して、殿下を起こしに行かなければいけないからです。
だらしがないわ、殿下!と、叱っても無駄なのです。彼はロングスリーパー。どうあがいても、12時間睡眠しないと、なかなか起きられない人なのです。
私は、お城の門兵さんたちにご挨拶をしてから、かつかつ革靴を鳴らしてお城の中を闊歩します。
事情がわかっているお城の方は「ご苦労さまでございます……」だの「ありがとうございます」だのと、おっしゃってきてくださいます。ええ、いいのですよ。あの俺様暴君バカ王子が、そうそうあっさりと起きるわけありませんもの。
私だって苦労してる。起こすのにすっごく苦労してる。
熱湯で温めたタオルで手首から温めて、最後は顔にかぶせるのです。それを数回繰り返します。そう、何回も。そうすれば、殿下は仕方なく起きるのです。そして、殿下が目覚めた時には、私の手は水分によってシワシワになっています。
哀れな手にはなりますが、そこからが大変ですので、それくらいなんのそのです。
ベッドに座り込んでぼーっとしている殿下を、よいしょっと引き起こして、シャツを選び、ズボンと靴下とガーターを放り投げ、朝ごはんの用意をして頂き、その間に殿下を洗面所まで連れて行き、何故か歯磨きを私がして差し上げ、また眠ろうとする殿下をひっぱり起こして、用意した服を着ていただくのです。
ええ、重労働です。
これは、普通使用人がやるものです。なぜ、未来の妃であるはずの私がやっているのでしょうか…。
しかし悩んでも仕方ありません。どうせ、今更なことです。
そうして、なんとか起こした殿下を、朝食の席に着かせて、ボロボロこぼすパンに、ほっぺたに付きまくっているスクランブルエッグを拭ったり、ジャムを拭ったりし、そろそろと覚醒してきた殿下を馬車に放り込むのです。
ここで、やっとハッと完全に覚醒した殿下は、手を振っている私に向かって「ブリジットー!!!おはようー!!そして、何故、こっちに乗らないのだあああ!!!」とおっしゃるのです。
行ってしまった馬車を見て、ああ、これでやっとゆっくりできる……、と私は思いました。
そうして私は安楽の馬車に乗り込み、一時の静かな時間を過ごすのです。このまま、ずうっとふかふかな馬車の中にいたい。
「ふはははははは!!!馬車の中で寝るとは、実に愛いぞ、ブリジット!!!」
「ひゃあ!」
「ふ、ふはははははははははは!!!!!きゅんとさせよるわ!いや…、本当に、きゅんとしたぞ。さすが、俺の嫁。さすが俺の女神……!さすがだ!さすがすぎる!ふはははははは!!!」
そう高笑いしながら、颯爽と私を抱きかかえ「眠たいのならば、寝るといい。許す、めちゃくちゃ許す。そして、俺はそれを見つめるのだ……。誰の横槍さえも入らぬ世界を築き上げるのだ!ふははははは!!」と、妄想の世界に入ってしまわれました。
新入生を除く、他の生徒達は私たちのこういったへんてこりんな行為を、ああ、いつものことか、と冷めているような生ぬるいような目で見ています。ああ、殿下……。何故、このように育ってしまわれたのか!
あ!私が悪いのか、私が!私が褒めすぎたのか!くっ……、甘んじてうけるしかない!
それにしても、殿下の腕の中は馬車並みに安定しています。何故、振動があまり来ないのでしょう。体幹でしょうか。そういう無駄なハイスペックなところは、もっと別なところに回した方がいいと思うのです。特に性格とか、大声とか、俺様暴君なところとかに。
いえ、いいのです。殿下が健やかであれば……。
だんだんとウトウトとしてきた私に、いつもの大声ではなくかすれた囁き声で「寝るといい。俺の腕ほど安心できる場所はあるまい。今日は朝からありがとう。ご苦労であった」と言われ、うむうむ頷いて、私はほんの少しだけ意識を手放しました。
意識を手放していた私が目を開けると、そこは壇上でした。
顔は動かさず、目を左に動かせば、学園長先生が壇上下にいる色とりどりのお山になっている生徒達に、始業式のお話をしてらっしゃいます。
どういうことですの?とは、なりません。わかりきっていることです。殿下です。全ては殿下。だいたい原因、殿下。いっつもそう。殿下が根源なのです。全ては、殿下に通ずる……。きっと、生徒会長としての話があって、ついでに私も一緒につれてこられたのでしょう。想像に容易いです。
未だに抱きかかえられている、というよりも膝に乗っけられている私は、おそるおそる殿下を見上げました。
殿下も私が身じろぎしたおかげで、起きたことがすぐにわかったらしく、私をじっと見つめています。
ああ、殿下、空気を読んでくださいね……!今、高笑いも大声でおしゃべりもいけませんよ、殿下!
私が不安がっているのがわかったのでしょうか。殿下は私の耳に口を近づけて「そう不安がるな。俺とて、空気くらいは読む」と言って、微笑みました。
「ブリジット、そんなに疲れていたのか?」
「いえ、殿下。疲れてませんわ。きっと、殿下の腕の中だと安心してしまうからでしょう。私ったら、恥ずかしいわ。もっとちゃんとしなきゃいけないのに…」
「ふ……、ふははははははは!!!!!!思わず高笑いが出てしまったわ!!ふはははははは!!!さすが俺の嫁!反応が最高に愛らしいぞ、ブリジット!!」
「で、殿下!」
「ふはははははははは!!学園長先生よ!急だが、このまま俺に話を変われ!パッと話して、またバトンタッチするゆえ!ふははははは!!!!ブリジット!俺の勇姿、特とその目に焼き付けるがいい!そして、さらに惚れるといいぞ!」
驚いて棒立ちになっている学園長先生を、高笑いしながらも丁寧に押しのけて、殿下は、勢いよくダン!と壇上に立ちました。さすが殿下、無駄な迫力です。憂い顔の美男子が高笑いと共に現れ、生徒達は大きな声援と拍手を投げかけました。
なんだかんだで、殿下は人望のある方です。初対面、話さなければ、近寄りがたいけど近づきたい憂いの美男子。口を開けば、ただのポジティブ系俺様バカだと分かり、さらに話すと案外ハイスペックだとわかられ、近づきやすい王子様という風になっていき、知らぬまに人脈と人望が寄せられるのです。
その王子……、私が育てました!!!
いけない、少しドヤってしまいました。反省。それに、半分は教育を間違えたようなものですもの。そんなドヤれません。
声を大きくするものがなくても、殿下はいつも通りのよく通る声大きな声で、色々な話をしてらっしゃいます。こうやって、人前に堂々と立っている姿を見ると、昔からよくやる尊敬してますキラキラビームを放ってしまいます。
ポジティブ系俺様バカ王子ですが、ああやっているととてもかっこいいのです。普段はあれですが、かっこいいのです。
殿下は、よく回る舌で滑らかに終わりを締め、きちんと学園長先生に拍手の中、話を戻しました。
大きな拍手のおかげで、学園長先生はおしゃべりができないようです。
ですが、殿下は違います。美声でよく声が通りますから、こんな中でも聞き取れます。
「ブリジット!聞いていたか、俺の名演説!どうだ!かこよかっただろう!そうだろう!ふははははは!!当然だがな!」
「とってもかっこよかったですわ、殿下」
「ふ、ふははははははははははははははははは!!!!!!そうか!ならばよし!……あの、本当にかっこよかったか?」
「とっても」
「そうか!うむ、まあ、当然だがな!ふはははははは!だが、ブリジットから言われるのは、少し違ってとても嬉しいぞ」
にこにこにこー!と、太陽のように笑うので、私は思わず殿下の頭を撫でてしまいました。不敬!と言われそうな暴挙ですが、たまになにかの衝動にかられて撫でてしまう私は、今までそんなことを言われたこともなく、むしろもっと撫でても良いぞ、というキラキラとした目で見られるのです。
犬でしょうか?いいえ、王子です。我が国の王子です。
殿下、そんなにほいほい人に、頭を撫でさせてはいけませんよ……。威厳というものをご存知ですか?突っぱねないと威厳が、アレですよ。よしよし……。
ちなみに、殿下はよしよしをしていてもおとなしくなるのです。おかげで学園長先生は、立派に演説をやってらっしゃいます。お役に立てたようで嬉しい限りです。
新入生の入学式も我々の始業式も終わり、今日は授業がないのでお昼から食堂は大にぎわいです。どの椅子も、満杯で座るところがないくらいです。
私と殿下は、王族特権で個別に無駄に長いテーブル席を与えられています。
なので、座って食べられないなんてことはございません。ただ、席が決められているということは、そこから動くこと能わず、同じ風景を見ながら食べなければならないということです。誰かに誘われも、誘いもできません。
できるとしたら、今殿下がやっているように『解放』という二文字を使って、あぶれた生徒達に同じ卓を囲むことを許すことだけです。
まあ、しょっちゅう『解放』してらっしゃるのですが。殿下、心優しいのはいいのですが、たまには、ビシッ!となさいませ。
おかげで他の生徒達も慣れたもので「ありがとうごさいます、殿下!」と口々にいいながら、さっさと席について、さっさとご飯を食べています。健やかなことは良いことです。どんどん食べて、どんどん大きくなるんですよ……。
私は、そっと殿下に、殿下が大好きなウサギのお肉を分けてあげました。今日の演説を頑張ったご褒美です。
え?キスとかは?ですって?
残念ながら、殿下は真正のヘタレ。俺様暴君ぶっていても、根は未だに少し暗くて、いじいじした情けないお方。どんな据え膳を作り出そうが、決してキスという行為ができないヘタレなのでございます。しないんじゃない、出来ないんだ、でございますの。
真っ赤になって、どうすればわからない、というように固まってかわいそうなくらい情けないものですから、私は毎回、おててをつなぐか、腕を組むか、そっと頭を肩に乗せるかという選択しかできません。
これで、私からいこうものなら、確実にぶっ倒れます。
初めてのキスをした時もそうでした。
お城の図書館で、私がほっぺたに感謝の意でキスを贈ると、真っ赤になって汗をかき、ブルブル震えてふっと微笑んだかと思うと、後ろにぶっ倒れたのです。驚いた私は、使用人を大声で呼んで、ワンワン泣きながら殿下のお部屋のベッドの横でお昼を過ごしたのです。
陛下と王妃がやってきて、病気かなんなのか、どういう様子で倒れたのか、と私にお聞きになりました。やはり、殿下は陛下達に愛されてらっしゃる、と私は心から嬉しく、そして安心しました。
私が、理由とどういう様子で倒れたのか事細かに説明すると、陛下は「男らしくないぞ!」とお怒りになられました。
女王陛下も「まあ、なんて、ヘタレな……。それでも、この国の王子ですか!口じゃなく、ほっぺたでしょうに!」と、呆れたようにおっしゃっていました。
それ以来、私は殿下にキスを感謝でもなんでも、自分からすることをキツく戒め、あの幼少の11歳の頃から、一切キスといった行為はしていないのです。
お肉をもらった殿下は、パアっと表情を明るくして「良いのか!ありがとう、ブリジット!さすが俺の嫁!こうやって、頑張れば労ってくれる!優しい、さすが俺の嫁!ふはははははは!うまい!!!!!!」と、もぐもぐお肉を頬張っています。
殿下、お口にソースが……。そうやって頬張る殿下も元気でよろしいですが、王族としての高貴もお示しくださいませ。要は、もっと品良く食べていただきたく……。
「ブリジット」
「なんですか、殿下」
「お肉の代わりに、俺のデザートをやろう。味わって食べると良いぞ!ふはははは!嬉しいか!」
「まあ、殿下。私、なにも頑張っていませんし、嬉しいですが殿下がおたべになって」
「なにを言うか。ブリジットはそこにいるだけで、俺の支えとなる。俺の太陽であるのだぞ、ブリジットは!で、あるからして、このデザートはお前のものだ、ブリジット」
「ですが、殿下……。そしたら、殿下がお食べになるものがなくなりますわ。それに、私なんかが殿下のご飯をいただくなど。2人きりでしたら、別にいいんですけれど、皆さんがいらっしゃるのですから威厳というものが」
「ええい!ツベコベいうでない!俺がいいと言っているから、いいんだ!それに、俺がブリジットにデザートをやろうと、俺の威厳は一つも傷つかず、この高貴に一つの落ち度も墜落もなし!!なぜなら、俺のこの頭脳!美貌!スタイル!そして、この美声!これをもってして、いかにして俺が落ちるというのだ!パーフェクトジェントルマンな俺は、無敵である!さらに、ブリジットがいればなおさら無敵よ!ふははははははは!!!!ゆえに許す!大いに我がデザートを食べるといい!
それと、2人きりの件は考えておくぞ!美しいドレスを、今のうちに選んでおくといい!」
「ふふふ、殿下、ありがとうございます。楽しみにしてますわ、2人きりのお食事。それと、実はとってもこのケーキ、大好きなんですの。嬉しい」
「ふは、ふははははははは!!!!そうであろう!ブリジットの好みなど、俺は全部把握済み!この俺にかかれば、一番好きなものも分かるぞ!!!ふははははははははは!」
「まあ、さすが殿下!では、私の一番好きなものは、なんですの?」
「俺だ!!!!!!」
はっきりと、大きな声で殿下は、私の一番好きなものとして、自分だとおっしゃいました。
殿下、殿下はものではありませんのよ……。そう思っていると、殿下はツラツラと理由を喋ることもなく、少し不安そうに、黙っている私に「当たっているだろう?」と聞いてきました。
仕方のない方です。あんなに褒めて、よいしょして、ポジティブ系俺様バカに成長したというのに、こういうところは治っていないんですから。
「殿下」
「なん、だ……?」
「大当たりですわ!恥ずかしくってどうも言い出せなくて、すみません…。ですが、殿下。殿下はものではなく、人ですのよ?」
「うむ?要は、俺が一番好きだと……。ふ、ふ、ふ、ふははははははははははははは!!!!!俺もブリジットが一番好きだぞ!!!!!ふ、ふは、ふははははははははははははははは!!!!!」
「嬉しい」
「ふ、ふははははははははははははは!!!!!!!!」
照れ隠しの高笑いに生徒の皆さんが、なんとも微妙な顔をしてらっしゃいます。わかる、うるさいんですよね、すみません、殿下が。私は、周りにペコペコ謝って、殿下にそっとフォークを差し出しました。
黙らせるには、ものを食べさせるに限ります。
「殿下、あーん」
「む!!それは、お前にやったものではないか!俺ではなく、ブリジット、自分で食べるといい!」
「殿下と一緒に同じものを食べるのが、嬉しいんですの。はい、あーん」
「ふははははは!!!そうか!そうか……!そう、か!!!!では、いただくとしよう!……うまい!」
「あーん」
「モゴモゴ……、うまいぞ、ブリジット!」
「それはそれは、作ったパティシエが喜びますわ。はい、あーん」
よしよし、ようやく黙りました。
皆さんも、なんだか、ほっとしているような……。あれ、なんだか微笑ましいものを見る表情になってませんか?いえ、きっと、なにかの見間違いでしょう。そうに違いありません。
とにかく、高笑いが止んだことには喜んでらっしゃるご様子。一応、殿下の正妃になる身、これくらいは出来ませんとね。
皆さんににっこりと笑いかけ、もう大丈夫、うるさくしませんわ、という意思を見せれば、さらになんだか微笑ましい顔を……。
なぜです、なぜ、そんなに毛づくろいし合う子猫を見るような目をなさるのです。なぜ、頷いて「この国は安泰だな」とおっしゃっているのです。いえ、安泰なのは当たり前ですが!
ですが、なぜ、そんなにも暖かい目をするのです。まるで、お城の人々からされるような目を……!
私は、ケーキをもぐもぐ頬張っている殿下を見て「きっと、殿下を見て、そんな顔をしてるんだわ」と、思い込むことにしました。