番外 カトリーヌとミシェル
カトリーヌとミシェル
昔からなにかと彼女は肝が座っていた。
今回の騒動も、彼女はなんとなくデンと構えていた。
不安に思ったりしないのか、と聞けば「うーん、不思議とわかない」と言う。それが、自分への信頼なのか、それとも私に興味がないからかはわからない。
彼女とは12歳からの付き合いだ。
父親同士が急に仲良くなって、突然ふってわいたようにできた婚約者だからか、他の連中よりも冷めている。殿下とブリジット様を見ていると、なんとなく「私たちは冷めているんだな」と思ってしまう。
別段いいのだが、少しもやがかかった事は確かである。これがなにかはわからなかった。
私もカトリーヌも「お互い好きな人ができたらそっちに行こう」と話していた。父親同士は断然させる気だったが、私たちにはそんな「婚約者と絶対結婚する」なんていう考えはなかった。なにせ、12歳で出会った人物なのだ。
しかも、別に顔も好みというわけではない。そもそも、好みもないようなやつなのだが、ビビッとくるわけでもないただの女の子なのだ。婚約者でなければ、赤の他人で特別話すこともなかっただろう間柄。そこに恋だの愛だのは生まれない。
カトリーヌの方もそうらしく「こうじゃなきゃ話をしたとしても、きっと顔も名前も忘れてた」なんて言う。
それに「似た者同士だな」なんて笑うこともなく「そうですか」で終わってしまった。
口下手なわけではないのだが、別に喋る必要がないのに喋る気がしないだけなのだ。少し脳筋の私は「剣で語ればいい」と思っている。カトリーヌの方は適度におしゃべりで、不思議なタイミングで口を開き、適当な世間話をして急に終わる。
私は大抵、全部の話に、そうですかだの、そうなんですかだの、そういう相槌しか打たない。こんなのとよくおしゃべりが続くもんだなと15歳の時に思った。
「ねえ、ちょっとミシェル。これどう?」
「いいんじゃないですか」
「そればっかりね!まあ、いいわ。それよりなにしてるの?」
「ハンカチに刺繍をしてるんです」
「へえ、なんの?」
「犬」
「犬……。ミシェルって犬飼ってたっけ?」
「いいえ。ですが、大きな犬を一回くらいは飼ってみたいですね。騎士団の方が「犬はいい。一緒に走ってくれる」と言っていたので」
「一緒に走ってほしかったの?」
「いいえ、なんとも思ってませんでしたね」
「ふうん」と言って、彼女はまたいろんなベールを合わせ始めた。
そんなにベールが大事なのだろうか、女の子ってわからない。
昔、時々、走り込んだり、剣を振るったりしている時に、彼女が遊びにくることがあった。そんな時は、日傘をさし、サンドウィッチをかじりながら読書をして、私がそれらを終えるのを待っていた。
走っている最中も剣を振るっている間も、カトリーヌは一切こちらを見ずに読書や刺繍ばかりをしていた。
私は、それを見て「勝手にしてるらしいから、こっちも勝手にしよう」と平気で数時間放置した事もあった。いや、だいたいそうだった。
父が「おい、カトリーヌ嬢がいるんだから」と言ってきて、やっとカトリーヌのところに挨拶に行くほどだった。
彼女は遅い挨拶をどうとも思ってないらしく、毎回笑顔で「ご苦労様」と言ってきた。それで、余っているサンドウィッチをいつもくれたものだ。
あとから聞くと、実はあのサンドウィッチは私のために持ってきていたものらしい。それが美味しそうだったので、食べてみたらやはり美味しく、どうせ走ってる間はこっちにこないだろうと好きに食べていたらしい。
本来はカゴいっぱいのサンドウィッチが敷き詰められて、段重ねにされていたらしいのだが、その半分とちょっとをパクパク彼女が食べてしまって、私はいつもカゴにそれなりに入っている状態で食べていたのだ。どれだけお腹が空いていたんだと呆れたが、美味しい物は別腹らしい。
よく、あんなに食べて太らなかったものだ。
腰の細い彼女を見ながら、私の物だったはずのサンドウィッチの大半が彼女の血と肉を作っている。
そう考えれば、まあ、大目にみてやってもいい気がする。
「これとかどう?」
「きれいだと思いますよ」
「……。もー、ベールよ?あなたも考えたらいかが?」
「でも、それは女性の好みでいいと思うんですが」
「あなたがこのベールはずすのよ?」
「そうですね」
「それで、誓うのよ?」
「そうですね」
「早く外したいって思うような方がいいじゃないの」
「それだと、とてもダサいベールじゃないと」
「それは嫌!」
「じゃあ、好みでいいじゃないですか」
「違うの。ほら、外したあとがいいなって思うようなの、そういうの」
「なんちゅう難しい……」
「わかってるけど、せっかくの結婚式なんだもの。しっかり選ばなきゃ」
「でも、お金は抑えてくださいね」
「わかってまーす」
そう、お金は抑えなければならないのだ。
まず、新居。その次に家具。そして、雇う人間の給金。それのお金だ。
なぜ、必要なのかと言うと、騎士団に入れる事になったはいいが、少しだけ親元を離れたかったので、地方に配属してもらったのだ。そのために必要なのである。
一応、これらは親からもらったものだが、後々返せるようにしたいと思っている。
親兄弟限らず、金銭というのは大事な事だ。返せるものは返さないと。
多分、両家の両親に別荘扱いされるのだろうが。
「そういえば、地方に配属してもらったのって、いろんな人に邪魔されないようになんでしょ、本当は」
カトリーヌはベールを被ったままそう言った。
「マリナさんのおかげで二人きりの時間は大切だなって思ったんでしょ?あなた、案外ストレス貯めやすいほうだものね。うるさい人がいたり、お節介な人がいたりすると、すぐに一人になりたがるし」
「別にそういうのじゃないですよ」
「あら、そうかしら?実際、ミシェルって静かなところが好きじゃない。私の両親もミシェルのご両親も、どっちとも結構うるさい方でしょう?だから嫌で行くのかと思ってたわ」
「そういうのじゃないですって」
「素直になったら?別に私気にしないし」
「いい加減にしないとほっぺたつねりますよ、カトリーヌ」
「あらやだ、脳筋だわ」
脳筋じゃないですって……!
カトリーヌはケラケラ笑ってくる。そんなに楽しいのか、カトリーヌ。私は嬉しいよ、つねる。
縫っていたハンカチを脇に置いて、立ち上がりカトリーヌに近づく「やだ、本当につねる気?」という。
言い方は嫌がっているが、なぜか顔はニコニコしている。Mなのか、マゾだったのか、君は。
「ベールを外さなきゃ、つねれないわよ」
「……なるほど、外してもらいたかっただけですか。まったく、子供じみたことを」
「いたい!本当につねったわね!」
「短気な奴を煽っちゃいけないとは思いませんか」
「短気って損らしいわよ」
「しゃらくせえって感じですね」
「あはははは!いいわね、それ!」
あはははは!と彼女は笑っている。
笑い上戸ですね、君ってやつは。思わず私も笑ってしまう。
「ふふ、もしも地方の方が居心地がいいっていうなら、私、ずっと地方でのんびり暮らしてもいいわよ」と、急にいうので、思わず「へ?」と、間抜けな声が出てしまった。それをやはり彼女は笑って「間抜けな声!」と言った。つねった。
「私、別に都心にいたいわけじゃないもの。そりゃ、皆に会えないのは寂しいけど、手紙もあるし、永遠の別れじゃないもの。それに、一緒にいてお分りでしょうけど、私は別に最先端に興味なんてないし」
「地方に行けば、考えが変わるかもしれませんよ?先に見てきましたけど、こことはてんで違う田舎です。服屋の技術もセンスも違うし、人だって違えば、建物も違います」
「でも、ミシェルは同じでしょう?」
「同じじゃない以外になにがあるんです」
「それもそうね。行ってみなきゃわからないかもしれないけど、気にいる気がするのよ、私」
「後で帰りたいとか言ってもしりませんよ」
「別にいいわよ、勝手にするから」
「はいはい、そうですか。昔から勝手にする人ですし、気にしませんよ」
「あら、嬉しい」
彼女は、被っていたベールを外し、控えていたメイドに渡して「これにするわ」とあっさり言った。
「さっきまであんなに迷ってたのに、あっさり決めましたね」
「そういうもんじゃない?一番渋ってたミシェルがあっさり決めたみたいなもんよ」
「……急ですみませんでしたね」
「いいえ、別に。私、これから皆とお茶だから。数日の命な独身を楽しんでくるわ」
「男には気をつけてくださいよ!」
「あははははは!素直でよろしい!気をつけるわ、じゃあね」
「カフェよ、カフェー!」という声が扉の向こうから聞こえてくる。
元気だな…。こういう明るい人がいると、私みたいに静かな人間にはちょうどいいんだろうと思う。
マリナさんも、今思えば大変元気な人だった。ただ、それが無駄に押しつけがましかっただけで、根はいい人だったのだろうと思う。あれがもう少し大人しければ、カトリーヌよりもマリナさんを選んでいた気がする。
そもそも、私もカトリーヌもお互いに愛着はあっても、恋愛的な感情は一切なかったのだから、いつどこで出会ったとしても、あっさり別れただろう。それがこうも続いて結婚までできたのは、彼女のおかげに思える。
なんで今更マリナさんを思い出しているのだろうと思うが、彼女のおかげで結婚したようなものだ。
カトリーヌは嫌がるかもしれないが、彼女とマノス殿下を呼んでみようと思う。




