1.一生の選択ミス
憧れっていうのは、心に思い描いて、でも結局心にとどめて置くのが、結局は一番幸せなのかもしれない。
硬い床に寝転びながら、それでも寝る前にそんなこと考えられる余裕が出来るまでに、いくつかの夜を意識もないまま過ごしてきた。
所謂、ばたんきゅーだ。寝床について、そのまま朝まで起きられない。そんな状態には、今までなったことがない。
そもそもその「寝床」だって。薄い布が引いてあるだけで他の床と区別されているに過ぎない。ベッドもなければ、スプリングもない、柔らかなシーツもなければ、軽く手触りのいい毛布も、掛布団もない。
もっとも、毛布などここの気候では必要はないだろう。
寒冷地帯だった生まれ故郷と、常夏のこことは、気候が正反対だ。
気候どころでなく、何もかも、違う。
礼儀だとか、品位だとか、格式、そういう、今まで大事に思ってきたものすべてが、恵まれた者ゆえの贅沢だったと今では分かる。
そして、上品で贅沢の極みであると思っていた、緑色の宝石の様な果実。
瑞々しいその果肉を口に含めば、その甘い香りは口内を、そして脳までも甘く溶かす。
メロン。
熱帯の宝石。
幼いころは、「もっと食べたい」「飽きる程食べてみたい」と心に思い描いた夢の果実。
まさか、文字通り飽きる日が来るとは思いもしなかった。
寝ても覚めても、メロン。
メロン畑の草取りから始まり、水やり、摘果、摘心はまだよくわからないから、マスターの指示に従う。
マスター‥
‥断じて私は、メロン栽培を師事しにここに来たわけではない!!
見たことや会ったことは無いんだけれど、みんなが知っていて憧れている有名人。「サイゾー」もそんな一人だった。
「七つの世界で一番のドラゴンマスター」のサイゾーは現役で、今もどこかの戦場で戦っているって言う者もいるし、いや、もう引退した、彼はもう伝説に過ぎないんだよ。という人もいる。若者たちの間でサイゾーの話題は尽きなかったが、その殆どが根拠のない噂だった。顔を知っている者も少ない程だ。
「マンゴスチーン様。サイゾーに会ったことがあるって本当ですか? 」
ココも他の若者たち同様、サイゾーに憧れていた。
「会ったことはないよ。父さんが昔、戦いで雇ったことがある話を聞いただけだよ。私はまだ戦いに加わらせてもらえないから‥」
そう言ったマンゴスチーンも、もちろんその一人だった。
「誰よりも上手くドラゴンを扱い、誰よりも早くドラゴンを飛ばし、ドラゴンの上で戦えば負けなし。‥憧れるなあ。私も戦いに加われるようになったら、きっとサイゾーと一緒に戦うんだ。ドラゴンマスターとして」
なんてうっとりとした顔をする。
マンゴスチーン十八歳の時のことだった。あの時は少しでもサイゾーに近づこうと、毎日道場に通い剣の修行に打ち込んだものだった。ココはその道場ではよきライバルだった。
「マンゴスチーン様はドラゴンを飼えるから。いいなあ」
ただ、七の国の王子であるマンゴスチーンにはドラゴンを飼えるだけの場所とお金があり、庶民の子であるココにはそれが無かった。ココがマンゴスチーンに対して羨ましがったのは、後にも先にもそれっきり。だから、余計にマンゴスチーンにはその言葉が胸に刺さったんだ。
‥誰でも飼えるわけではないドラゴンを飼わせてもらっていることを当り前だと思っちゃいけない。感謝しなくちゃいけないんだ。
って。だけど
「いつかは、王家を捨ててでも、ドラゴンマスターになろう」
夢を諦めたくない気持ちの方が大きかった。
マンゴスチーンは七の国の王家の三男。次期王として日々勉強や剣術の稽古に励む長男や、兄おもいで学問が好きな次男とは違い、王子としての修行を全くしない自由奔放な性格だった。しかし、王と王妃である両親や、歳が離れている二人の兄はそんなマンゴスチーンを「仕方がないなあ」等と言いつつも、可愛がっていた。
マンゴスチーンがドラゴンを欲しがった時に、ドラゴンの卵をくれたのは一番目の兄だった。後で兄が色々なところに頼み込んで卵を特別に売ってもらったということを聞いた。
普通、ドラゴンは調教された成獣が販売されるのだが、値段も高く、そう買えるものでもなかったのだ。卵は「孵化するかどうかは分からない。孵化しなかったら丸損だけど、そこは文句なし」というシロモノだった。
マンゴスチーンは自ら卵を温めて孵したドラゴンに「モルジィア」と名前を付け、訓練から毎日の世話まで総てを自分一人でした。
王国には、モルジィアの他に二頭のドラゴンがいる。それは王様の移動手段用に飼われており、大人しい性質で、正確に目的地へと飛ぶようにしつけられていた。
国民も少ない小さな国のことだ。ドラゴンには、世話係は付くものの、一頭にかかりっきりというわけにはなかなかいかなかった。しかし、モルジィアにはマンゴスチーンが一日かかりっきりで世話をする。その結果、モルジィアは国のどのドラゴンより大きく、どのドラゴンより力が強い素晴らしいドラゴンになった。
力強さを手に入れたら、次はより速く長く飛ぶ訓練だ。マンゴスチーンは、毎日夜も明けぬうちからモルジィアの飛行訓練を続けてきた。
王子として何不自由なく暮らし、モルジィアの世話を一日中していられるような気ままな生活。そんな日常を一瞬で捨てさせる選択を急に迫られる時が、一年後にこようとはマンゴスチーンはその時、思いもしなかった。
その選択があっていた、とか。着いたその先に、自分が一体何を期待していたのかは、今となってはよくわからない。
憧れの「伝説のドラゴンマスター」に会えた。それだけでまだ十九歳と若いマンゴスチーンは舞い上がってしまった。そしてその人物からの、
「ドラゴンに興味があるなら、わしの国、一の国に見に来ればいい」
という提案はマンゴスチーンを即決させるだけの魅力があった。
‥この人物が伝説のドラゴンマスター。そう言われると、鋭い眼光といい、どことなく威厳のあるたたずまいといい、醸し出すオーラというか迫力が、並みの人間とは違う。絶対に、ただ者ではない。
「いいんですか! 」
マンゴスチーンは後先も考えずにあっさりその提案に乗ったのだった。
この機会は、絶対に逃すと後悔する!
伝説のドラゴンマスターの住むドラゴンの国‥一の国にいざ行かん!
‥でももし、過去に帰って過去の自分に忠告が出来るだったら、私は多分自分を止める。憧れは、憧れのまま日々の生活の延長にある物では決してない、と。