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かえる

あいつが言うには僕たちはなんとも悲しい生き物であるそうで、けれども、だからこそ美しいのだそうだ。


あいつの話は難しく、きっと僕はその話が持つ本質の半分も理解できていないだろう。それでもあいつの大きな意志を持った言葉はいつまでも胸の奥に残る。


不思議なことじゃない。頭のよくない僕にだって心はあるのだから。



僕たちがこの田んぼで育ったのに対して、あいつはよそからやってきた。それは珍しいことじゃなかった。

僕たちの住むのは広い水田地帯であるし、僕たち蛙には強い縄張り意識はないから他の田んぼからやってくる奴らだって数多い。だから僕も最初はあいつをただの蛙としか思わなかったし、別段、意識することもなかった。


いや、それは嘘だ。


少しは意識をしていた。

だってあいつは目の中に星を持っていた。黒い瞳の中にたくさんの星が輝いていた。



あいつと初めて会話したのは、稲の合間から見える空がどんよりとした黒い雲におおわれていた初夏の真夜中のことだった。

僕は田んぼ脇にそびえ立つ、石の円柱の枝から降り注ぐ、太陽の輝きより弱く月の輝きよりも強いおぼろげな光に誘われて人間の作った道へ出た。硬い道には目の覚めるような白く太い線が一本、走っていて、なんとも輝かしく、僕は見とれていたのだけれど、光が届くギリギリの所に仲間が潰れていた。ペチャンコになって道路に張り付いていた。


「人間の乗り物にひかれたんだ」


背後からの声。あいつだった。


「そうだね。いつものことさ。昨日も潰れていたよ」


答えると横に並んだあいつはとても悲しそうな顔を見せて「きっと明日も潰れる」とギコギコ鳴いた。


「ずっと潰れるのかな?」


訊いて「ずっと潰れるのさ」とあいつは僕を見てため息交じりに言った。瞳には星がたくさん詰まっていた。


なんてキレイ。とてもキレイ。深く深く吸い込まれそうなほどに深い瞳。


「潰れないようにはどうしたら良いと思う?」


ふと思いついて呟くとあいつは驚いた顔を見せて、そしてニコリと笑った。


「その質問は、お前が考えたのか?」


「そうだよ」


「そうか。ははは。そうか、そうか。それは素晴らしい」


「何が素晴らしいの?」


「今、この瞬間、お前と言う個は進化したんだ。今後、生き残って子供を作り残すことが出来たなら、その子の遺伝子の深い底にお前の思考情報が残る。それは本当に小さなことなのだけれど、これから先、気の遠くなるほどに長い時間の中で、子孫たちに情報は蓄積され、積り膨らみ、とても大きな変化に通じるのさ。これが素晴らしくなくて、何を素晴らしいと言うのだろう?」


僕はあいつの言っていることがまったく理解できなかった。でも、あいつが特別だってのはわかった。僕たちとは違う。口にする言葉や立振舞いの端々に尊厳や威厳を感じずにはいられなかった。揺るがない思想と呼ばれるものの塊があいつだった。


あいつと話した日から僕はあいつと一緒にいることが多くなった。雨の日は稲穂の影で、晴れた日は田んぼ脇の草のそばで、僕たちは何かと話をしながら時間を過ごした。

あいつが話す言葉はさっぱりわからなかったし、忘れることも多かったけど、あいつはあいつでそんな僕の様子をすっかりと理解しているようで、「お前はそれでいいんだ。重要なのは情報と記憶の螺旋と連鎖なのだから」と何度も口にした。大切な言葉だと思った。


月のない、空気も田の水もぬるくて気だるい夜にそれは起こった。

なんの前触れもなく南の方から仲間の阿鼻叫喚が静寂を破って轟くと、なんだなんだ、と慌てふためいている間に稲がざわざわと揺れて、灰色の球が二つ闇の向こうに浮かんだ。


蛇の目!


闇をまとった蛇は輪郭のぼやけた体をくねらせ稲の合間をぬって近づいてくると細かく震わせた舌をチロチロと見せる。

その姿のおぞましさといったら、僕の心や考えを麻痺させ、筋肉を石みたいに硬直させるに十分だった。


そんな僕の横であいつは怯むどころか一歩前に出て「君は貴重な個である」と言い「しゅを残すために行け」と鳴いた。僕の体が自由になったのはそんなあいつの後ろ姿に崇高な気高い光を見つけ、恐怖が薄れたからだった。


「僕なんかよりも君の方が貴重だ。君が生き残るべきだ!」


僕は大きく叫んだけど、あいつは「ははは」と笑う。蛇を目にして笑ったんだ。


「私はそろそろあるべき所へ帰ろうと思う。悲しむなかれ。会いたい時には夜空を見上げろ。そこに私はある」


蛇はしゅるしゅると水面みなもに不気味で静かな波を立ててやってきて、あいつの前で長い体を起こした。そして恐ろしいほどに無慈悲な眼差しであいつに狙いを定めると頭をゆっくりと後ろに引いた。と、次の瞬間、目にもとまらぬ速さで頭を動かし、あいつの体にパクリと噛みついた。

くわえられたまま高く持ち上げられたあいつは、そのまま蛇に呑みこまれてしまった。呆気に取られていると、蛇は腹を満たしたのか、僕には興味も示さないで田んぼから這い上がり、草むらの暗がりへ身を消した。



僕は仲間の命が奪われたことに対して生まれて初めて恐怖よりも悲しみを感じた。そして悔しさと怒りを感じた。


嘆いた。


憤った。


泣いて鳴いた。


涙で滲む目で空を見上げる。稲の隙間から夜空が見える。


星が輝いていて、それはいつもとなんら変わりなかった。星の並びも同じだ。と、思ったのだけれど一つ、不思議とあいつの気配を感じた。


どこだ?


どこにいる?


ふと僕は理解した。背筋にゾクゾクと鋭い痺れが貫いて体がブルブルと震えた。


この夜空は。ああ、この夜空は、あいつの瞳、そのものではないか?


そうだ。あいつは見渡す限りに広がる大きな瞳で僕たちを見つめている。しかも深い慈しみの瞳で。


あいつが言った様に僕たちはとても悲しい生き物であるのだろう。けれど僕たちは命をつなげよう。生きて子を作り、明日へ、明後日へ、より良い未来へ魂を連れていく。


きっとあいつはそんな輝かしい僕たちを見守っているのだから。


ほら、空を見上げてごらん。


今夜もあいつは穏やかな瞳で僕たちを見守っているじゃないか。



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