寮の部屋で
俺が寮の入口に着く前に先生やお医者さんが迎えに来てくれて、サーザは担架に乗せられて行った。
クリスは半狂乱になりながらサーザの名を呼び続け、担架と------サーザとともに医務室へ行ってしまう。
「お疲れ様。ナギ」
ウィーナ先生がニコニコと俺の肩を叩く。
俺はぐったりと疲れ切って、壁にもたれるとズルズルと座り込んでしまった。
「大丈夫かい?」
「大丈夫ですか?」
先生とティルトが上から俺を覗き込む。
「だ・・・大丈夫」
汗だくの額を手でぬぐいながら俺。「それより、サーザは?」
「サーザなら大丈夫でしょう」
にこにこと先生は笑顔のままだ。「お医者様の他に主導師様に来ていただきました。治癒の呪をかけてくれるでしょうから、直に良くなるでしょう」
え?
「主導師様が来られてるんですか?」
「ええ。フェナス様が」
俺は目をぱちくりとして先生を見てしまう。
マジか?なんで、フェナス様が?フェナス様と言ったら、精霊殿の主導師様でめちゃくちゃ位の高い方だぞ。俺たちなんて強制参加の行事の時にしか顔を拝む機会なんてない。しかも親指の先っぽくらいの大きさでだ。いつも何かあった時に来るのは、たくさんいる導師と見習いくらいなのに。
「とりあえず」
考え込んでしまった俺は、先生の声で顔を上げる。「しばらくは雪かき当番はお休みにしますから、あなたたちも部屋へ戻りなさい。疲れたでしょう?」
「はい」
ティルトはうなずきながら、ぬれた髪をうっとおしげにかき上げる。「行きましょう。立てますか?」
そう言って、俺に向かい手を差し出した。
その指先は血がにじんでいた。
そうか、スコップも使わずに手で雪をかいたから・・・
俺はそんな傷ついた手にすがれるはずもない。
「大丈夫だよ」
せっかくの手を笑って断り、気合いを入れて立ちあがる。「キミの方こそ、医務室へ行かなくて良いのか?」
俺の言った意味が理解できず、ティルトは小首を傾げて俺を見た。
俺はティルトの指先を指差して言う。
「指先から血が出てるぞ」
ティルトは俺に言われて初めて自分の両手を見たのか、じっと自分の両手を見つめている。
右手の中指と人差し指。左手の中指の指先から血がにじんでいた。他の指先もしもやけのように赤くなっている。
「舐めておけば治ります」
ティルトは淡々とそう言いながら歩き出すので、俺もそれにならう。
ティルトは歩きながら自分の右手の指を2本口にくわえた後、左手の中指をぺろりと舐める。
俺はぼんやりとティルトの舌が動くのを見ていた。
そして、さっきのキスシーンを思い出し、1人で赤面してしまう。
いや、あれは、キスシーンじゃなくて、人工呼吸だって!わかってるけど・・・わかってるけど、人のキスシーン(いや、だから人工呼吸だって!)なんて見たこともなかったから、あまりにも鮮明に俺の脳裏に焼き付いてしまった。
俺の中では、かなり衝撃的だったらしい。
いやいや、そんなこと考えてる場合じゃないだろう、俺!!
ぶんぶんと頭を振って、キスシーン・・・だから人工呼吸だって!のシーンを頭から追い出すと、気になっている事を考えるようにする。
そう。俺が気になっているのは、あの獣のことだ。あれは、何だったのだろう?
「ナギさん?」
ティルトは歩きながら俺の顔を斜めに見上げる。「サーザさんは何と言われたのですか?」
「サーザ?ああ、『先生・・・タスケテ・・・』って言ったんだ」
「先生、助けて、ですか」
「余程、怖い目にあったんじゃないのか?サーザはセピオ先生に拾われてきたようなモノらしいから」
「サーザさんのご両親は?」
「小さい頃に亡くなったらしいよ。サマルスキーってとこの施設にいたんだけど、そこでセピオ先生に才能を見つけられ、この学院に来たんだって。6歳の時だって言ってたよ」
「そうですか。では、サーザさんもご自分のご両親のことはご存じないのでしょうか?」
「そうみたい。モノ心ついた時には施設にいたらしいし」
俺は言葉を切り、小首を傾げる。「何か気になることでも?」
「いえ・・・北の学院は英才教育の者がほとんどだと聞いていたので・・・ボクくらいの年齢で学院に来ることは稀なのですね」
「そうだな。いわば、ここは少しばかりオツムのいい子供を集めた孤児院と言っても言いすぎじゃないかもね。半分以上の生徒が天涯孤独ってやつだから」
笑って言ってやると、ティルトは静かに俺を見上げる。
「ナギさんは?」
「え?俺?」
思わぬところで自分の事を聞かれるとは。
俺は苦笑してしまう。「俺は天涯孤独じゃないよ。初等学校を卒業しただけじゃ満足できなかったんだ。ヴァルキアでは初等学校は義務教育だから行かせてもらえるけど、高等学校は有料だからね。行きたくてもウチにはそんなお金はない。お金がなくても行ける所って言ったら、精霊殿の導師見習いくらいしかないだろう?で、導師見習いを経て、試験を受けてこの学院に入ったって訳」
俺の説明にティルトはこっくりとうなずいた。
「俺、博物学者になりたいから、それを考えたら北の学院しかなかったんだ。セス・ヴァリス先生に師事したくてね。でも、先生はヴァルキアの王室から依頼があって、今は王都にいらっしゃるんだ。あと5年くらい契約済みなんだって」
「そうですか」
軽くうなずいてティルト。「とりあえず、セピオ先生の処に行ってみましょう。ボクはサーザさんが、何故あそこに倒れていたのか気になります」
「そうだな。先生なら何か知っているかもしれないし」
俺はうなずきかけて、はたと思い直す。「いや、先に部屋に戻ろう。風呂に入って温まった方が良いよ。そのままだと風邪をひくよ」
俺がティルトの濡れたままの髪を指差して言うと、ティルトはふむと考えながら言った。
「ナギさんの言われる通りですね。ナギさんも体が冷えているでしょう?温まった方が良いですね」
意見の一致を見て、俺達は寮の部屋へ直行した。
俺が風呂からあがってくると、ティルトはベッドの上でぼんやりと窓の外を眺めていた。
「まだ降ってるのか?」
がしがし。
俺は、タオルで自分の頭をふきながら部屋を横切る。
「ええ。先ほど主導師様が先生に話していたのを聞いたのですが」
考え考え、慎重に言葉をえらぶようにしてティルトは言葉を紡ぐと俺を見た。「この雪は何者かの魔法の気配がすると言っていました」
「魔法の気配?」
なんだそりゃ?
俺は頭にかぶっていたタオルを首にかけ直し、めちゃくちゃ怪訝そうにティルトを見る。
ティルトは俺より先に風呂に入ったのに、まだ髪が濡れたままになっていた。
俺の眉間にぐぐっとシワが寄る。
俺はそのままティルトのベッドまで行くと、ティルトの首にかかったままのタオルをむんずと掴み、わしゃわしゃとティルトの頭をかきまわす。
「ナギさん?」
「ちゃんと乾かせって言ったろ?風邪ひきたいのか?」
ティルトは一瞬、抗議するような目を向けたが、俺が上から見下ろすとおなしくされるがままになっている。「で?魔法の気配ってのは?」
頭をふいてやりながら俺。
「主導師様と先生の話から推測すると、誰かが魔法で雪を降らせているようです」
「なんでそんなことしてるんだ?」
手を止め、俺はティルトに聞いてしまう。
「さあ?雪を降らせて得することでもあるのでしょうか?」
「いやぁ、どうだろう?こんなトコロで雪を降らせても意味はないんじゃないか?それより」
俺はタオルを握ったまま腕組みをして、首をひねる。「あの獣はなんだったんだ?目の錯覚じゃないし・・・牛よりも大きい狼なんているか?」
「狼じゃありませんよ。鬣がありましたよ」
ティルトは俺にかきまわされてくしゃくしゃになった自分の髪を撫でつけながら言う。「あれは、雪狼です」
「ユキオオカミ?」
「ボクも本物を見たのは初めてですが・・・ちょっと待って下さい」
ティルトはそう言ってベッドを下りると自分の机に向かい、机の上の本棚からなにやら分厚い本を取り出し、ぺらぺらとページをめくると手を止めた。それから大きく本を開き、俺に本を押しつける。「これです」
見せられたページには、俺達が目撃したのと同じような動物の絵とその下に簡単な解説が書かれていた。
『雪狼
大陸の北方雪原に住む。狼と似た姿をしており、鋭い爪と牙を持つ。
体色は青銀で獅子のような鬣を有する。
体長は牛より一回りほど大きい。
人間を嫌うので目撃されることは稀であるが、風と雪を呼ぶため雪原では注意が必要である。』
俺はティルトから本を受け取り、ゆっくりと解説を読んだ後、本のタイトルが気になったため、ひっくり返して本の表紙に目をやる。
『魔物大辞典』
・・・うさんくさい。
俺はパタンと本を閉じるとティルトに本を返す。
「・・・で、俺達が見たのがそれだったとして、どうしてそんなモノがここにいるんだ?大体、精霊殿なんて清浄なものに魔物が近づくってのが、どうかしてる」
「そうですね。そこにも書いてありましたが、雪狼は人間を嫌うから目撃されることも稀らしいですし・・・どうしてわざわざ人間の近くに来るような真似をするのでしょうか?」
しかも、魔物の嫌いな精霊殿の近くなんかに。
ティルトは本を片手に腕組みをして考え込む。
「・・・用があるのは精霊殿ではないのかも」
「え?」
「いえ・・・」
ティルトは本を机に戻し、静かな目で俺を見る。「雪を降らせているのは、雪狼の仕業と見てまちがいないでしょう。でも、雪を降らせている理由、雪狼がここにいる理由がわかりません。雪狼は人間を嫌うのに、わざわざ人間の近くまで来るというのは、あきらかに野生の生き物として異常な行為だと思います。それに・・・」
ティルトは言葉を切って迷うように軽く唇をかみしめると、思い切ったように俺をまっすぐに見て言った。「サーザさんはどうしてあんな処で倒れていたのでしょう?」
「どうしてって・・・」
ティルトに言い返そうと思ったが、俺も言葉が出てこなかった。
そうだ。どうしてサーザはあんな処で倒れていたのだろう。セピオ先生の処で古文書の解読をしていたはずなのに・・・サーザはきちんと防寒着を着ていた。うっかり外に出たと言う事ではなく、外に出るために、何か目的があって外に出たってことだ。
古文書の解読をしているヤツが、どうして外に出る必要があったんだろう?
「変だよな」
つぶやいてしまう。
「変ですね」
俺のつぶやきにティルトは同意する。
「サーザに話を聞ければ早いだろうけど、あの状態なら話なんかできないだろうな。だとしたら、セピオ先生に話を聞いた方が良さそうだな」
「ナギさん」
「何?」
ティルトは、くちゃくちゃになっている自分の髪が気になるのか、髪を撫でつけながら考え考え口を開く。
「気になることがあるのですが」
「何?」
「ボクはセピオ先生にお会いしたことがないのでわかりませんが、セピオ先生は自分のお弟子さんに対して興味のない方なのでしょうか?サーザさんが雪の中に倒れていて、ぐったりしたままナギさんに担ぎ込まれて大騒ぎになったのに、セピオ先生らしき方はいらっしゃいませんでしたよ」
言われてみればその通りだ。
俺はサーザが死んでしまうのではないかと心配で、周りの事なんか目に入ってはいなかった。でも、俺を迎えに来たのは、お医者さんとウィーナ先生、医務室のイヌイ先生、学院長、クリス、あと何人か先生と生徒がいたけれど、セピオ先生らしき人は見かけなかった気がする。セピオ先生はサーザとクリスのことを凄く可愛がっているから、あんな状態になっているサーザの前に飛んでこないなんてありえない。
「それは、変だよ」
「変ですか?」
「ああ。セピオ先生は、サーザとクリスを自分の子供みたいにして可愛いがってるからね。サーザは季節の変わり目に必ず風邪をひいて熱を出すんだけど、同室のクリスが医務の先生を呼んだり、氷枕をつくったり、さかさか看病する横で、セピオ先生はおろおろしてるんだよ。サーザが心配で自分の部屋には戻れなくて、クマみたいに部屋をうろうろしてクリスに怒られてたよ。クリスが図書室の脚立から落ちて腕を骨折した時も、セピオ先生は自分でクリスを背負って医務室まで走って行ったんだ。目撃した生徒によると、この世の終わりみたいな悲痛な顔してたらしいよ」
俺は無言で俺の説明を聞いていたティルトの目をしっかりと見て言う。
「だから、セピオ先生があんな状態のサーザの処に来ないなんておかしい。何か理由があって、来なかったんだ・・・いや、来られなかったんだよ」
あのいつもクールなクリスでさえあんな状態だったのだから、セピオ先生ならクリス以上に半狂乱だったろうな。
ティルトは窓辺に近づき、もう暗くなってしまった外をうかがう。
「どうかしたか?」
俺もティルトの横に並び、外を見る。
しきりにティルトは外を気にしているような気がする。でも、俺には吹雪が見えるだけで、景色すら見えはしなかった。
ティルトの宝石のような瑠璃色の瞳には、一体何が見えると言うのだろう。
「・・・スコップを」
「スコップ?」
外を見たままティルトがぽつりとつぶやく。
「ボク達、スコップを放ってきてしまいましたから、取りに行くのは大変だと思って・・・ボクは、帽子と手袋もどこかへやってしまった」
「外套のポケットにしまわなかったのか?」
「外したのは覚えています。でも、その後どうしたのか・・・ポケットには入っていませんでしたから、ポケットには入れなかったようです。ボクもびっくりして気が動転していましたから、覚えていません」
気が動転してたって?
あんなに冷静そうに見えたのに?
「本当に動揺していたのか?」
俺の問いにティルトは無表情のまま、はっきりとうなずく。
「してましたよ。あんな処に人が倒れていれば誰だって驚くでしょう」
本当か?
ピクリとも表情が変わっていなかったように思う。声だって冷静そのものじゃなかったか?
俺の顔を見て、ティルトはふむとうなずいた。
「そうは見えませんでしたよね?多分、ボクがナギさんの立場でしたら、ナギさんと同じ反応をすると思います。気持ちは動揺していても、それが表情に出ないんです。ボクみたいな心を病んでいる者と同室なんて・・・ナギさんには本当にご迷惑をおかけします」
「そんなことないよ」
だって、キミはそんなにも傷ついた顔をしている。「始めは嫌われているかと思ったけどな。手は払われるし、何考えているかわからないし、お人形みたいにキレイで近寄りがたい雰囲気があったけど、今はそんなことないよ。本当は優しいヤツだってわかったから・・・あいつのために祈ってくれたし」
「ボクは優しくなんてありません」
ティルトは俺の言葉をきっぱりと否定した。「ボクは優しくなんてありません。初めてナギさんやウィーナ先生にお会いした時、ボクはあなた達なんか見てもいなかった。できれば放っておいて欲しかった。ボクは自分がどうなってもよかったし、すべてがどうでもよかった。自分の心が動かされることなど、もう何もないと思っていました。だけど、ナギさんはボクの為に怒ってくれました。ボクの為にウォルフさんを殴ってくれました。その時にボクの心が動いた・・・ああ、ボクなんかの為に本気で怒ってくれ、ボクの為に人を傷つけることまでしてくれる人がいる。ボクは救われても良いのだと・・・ボクは人と一緒に生活することで、ボクの失ってしまった心を取り戻して良いのだと・・・人間は一人では生きて行かれないのだと・・・」
淡々とそう語るティルトは、とても傷ついた顔をしていた。今にも泣きだしてしまいそうな、そんな表情だった。
「だから、ボクはボクの為に怒ってくれたナギさんの為に祈ります。今のボクにはそれくらいしかできないから・・・」
感情表現ができなくなるくらいの心の傷。
俺には、ティルトがどんな生活をしていて、何をして、そんなに大きな心の傷を負ってしまったのかわからないし、わかりたくもないけど、俺はティルトが優しい子だと思う。
それに、もう俺はティルトの事を苦手だとは思っていない。
「俺はキミと友達になりたい」
俺はにこりと笑ってティルトに言う。「俺はさ・・・ウィーナ先生に言われたからキミと一緒にいた。正直、こんな心身症みたいなヤツなんか面倒みきれるかと思ったけど。キミは・・・ティルトは、ティルトなりに頑張って俺と会話してくれたし、あいつの為に祈ってくれたし・・・もっと正直に言えば、俺はあいつが死んだ時に友達なんて、もういらないと思ったんだ。失った時の想いを考えたら、ただ上辺だけ適当に合わせておけば楽だったし・・・でも、ティルトは他人と話をするのも苦手だろうに、俺には自分から話しかけてくれたし、ティルトなりに俺に歩み寄ってくれただろ?それで、俺も・・・俺もティル
トといることで救われたんだ」
そう。俺もどうでもよかった。
自分のことも、他のことも・・・どうでもよかった。
俺もティルトと同じで・・・傷ついてたんだな。
「まぁ、とにかく」
暗い雰囲気を一掃すべく、俺は努めて明るく笑う。「飯食いに行こうぜ」
ティルトは俺の言葉に静かにうなずき、それからはっとしたように顔を上げる。
「飯で、ボク良いことを思いつきました。クリスさんにご飯を差し入れに行きましょう。
彼はサーザさんについて医務室にいるはずです」




