俺の心配事と彼の心配事
一面の白だった。
吹雪のため視界は全面ホワイト・アウトしている。
何も見えない。
それなのに俺は風に向かって歩いていた。気を抜けば飛ばされてしまう強風に負けないよう、少し前かがみになり、一歩一歩慎重に足を運ぶ。
雪は容赦なく俺の頬に当たり、切るような痛みを残していく。
耳元で風はうなり、髪と外套が激しくあおられる。
それでも俺は歩いていた。
歯を食いしばり、確実に前進する。
何が俺をそうさせているのか自分でもわからなかったが、諦めたりはしないと心に決めていた。
ふいに目の前に人影が見えた。
そうだ、俺はこいつを探していたんだ!!
必死に手を伸ばし、名を叫ぶ。
俺は歩くのをやめていないから近付いているはずなのに、全く距離が知縮んでいない。
「・・・!!」
名を呼ぶ。
俺の声は風にかき消される。
そいつの方へ手を伸ばす。
そう、もう少し・・・
俺の手がそいつの肩を掴もうとした瞬間に、そいつは消えてしまった。
俺は立ち止まり、呆然と何もない真白な空間を見つめる。
もはや何も見えはしなかった。
ただ、風がうなっているだけだった。
夢・・・か・・・
目を開くと自分の部屋の天井が見えたので、俺は大きく息を吐く。
あの夢はなんだったのか・・・でも、あんなに一生懸命に何かを探している自分は珍しいなと思って、人知れず苦笑する。
「おはようございます。ナギさん」
隣のベッドから声をかけられ、俺は驚いて飛び起きる。
声のした方を見ると、枕を背もたれにしたティルトがベッドの上で教科書を読んでいた。
俺の反応に驚いたのか、目を瞬き無表情に俺を見る。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもないよ」
俺は無理に笑う。「おはよう」
びっくりした。
あいつが死んでから半年、ベッドから声なんてかけられたことがなかったから・・・一瞬あいつがいるのかと思ったんだ。いる訳ないのに。
カタカタ。
風に窓が鳴る。
「吹雪みたいですね」
窓に目を向けた俺を見てティルト。
「この時期に吹雪か?」
「珍しいのですか?」
「珍しいね。風有月はこの地方で雪消月と言われるくらいなんだよ。俺がここにきて5年になるけど、この時期に吹雪なんて見たことがない」
「そうですか」
ティルトは読んでいた教科書を閉じて、ベッドを下りると窓に近づく。
俺はそれを見て息を吐く。
俺は少しホッとしていた。初めて顔を見た時のティルトとは、会話なんてできないだろうと思っていたからだ。でも、ティルトは礼儀正しく、俺を無視したりはしなかった。
表情は変わらないものの、それなりに俺とやって行く気になったらしい。でなきゃ自分から話しかけたりはしないだろう。
先生はティルトを凄い人みしりと言っていたが、俺にはそれが納得できなくなっていた。
人みしりの子がとりたててやさしくもない俺に、こんなに早く懐くとは思えなかったからだ。
ティルトは裸足のままで足音を立てずにベッドまで戻ると、かけてあった制服をベッドの上に放り、夜着を脱いだ。
俺の目は自然とティルトを追ってしまう。
健全な男子なら、こいつを剥いてみようと思ったウォルフの気持ちもわからないでもない。
当然、男の子だから、ティルトには胸がなかった。
ただ、こいつの肌は本当にビスクドールのような白さで、少し痩せている感じはあるが、首すじ、鎖骨、肩にかけての曲線は、俺でも触れてみたいと思わせるには十分な美しさだった。
触れないけどな。
こんなに完璧な美を備えた少年を見たのは初めてだった。そもそも、ヤローを見て、小ギレイな顔をしているなとは思っても、美しいと思ったことなど一度もない。
俺の視線に気づいて、ティルトが横目で俺を見る。
俗に言う『流し眼』ってやつだ。
どきっ!!
心臓がとび跳ねた。一気に頭に血が上り、顔が熱くなる。
うわ~、こりゃ、赤面してるな。
ティルトの流し眼は、同じ男の子とは思えないくらいに色っぽく思え、俺の心臓を鷲づかみした。
あ~、心臓がバクバクしてる!
「ナギさんも早く着替えた方が良いですよ。時間は大丈夫なんですか?」
ティルトは、さっさと着替えを済ませ、そんな俺を一瞥すると洗面所へ消える。
あ・・・
俺は、まだバクバクしている心臓を押さえ、言われたとおりに時計に目をやると、目をむいてベッドから飛び降りた。
食堂へ行くと時間が遅いせいで、生徒はちらほらしかいなかった。絡んでいたら確実に遅刻する時間だったから、うるさく寄ってくる生徒もいなかった。
俺がティルトを促し食堂に入ると、一斉に視線が集中する。そして、ティルトを見た全員が一瞬、息をのむのがわかった。
視線が痛いほど刺さる。
それでもティルトは全くの無表情で俺に倣って食事をし、彼らの視線など全く気にしていないようだった。
教室に入ってもそうだった。
ざわめいていた教室がティルトの出現により、沈黙した。
俺はティルトに机を指差し、隣に座るように言うと、クラスメイト達は詰めていた息をほーっと吐いた。
がたがたと俺達の周りに人垣ができ、クリスが口を開こうとしたら、パンパンと手を鳴らしながらウィーナ先生が教室に入って来た。
「はいはい。みなさん、時間ですよ。席につきなさい」
教壇に立つとティルトを手招きする。「ティルト、いらっしゃい」
ティルトは素直に席を立つと、ウィーナ先生の横に立つ。
俺は、ふと違和感に目を瞬く。
空気が違って見える。
ティルトの周りだけ、空気が澄んで見えるのは気のせい・・・か?
「みなさん。今日から一緒に勉強することになったティルト・ファー・レリーヤくんです。仲良くしてあげてくださいね。ティルト、挨拶をお願いします」
言われるがまま、ティルトは無表情に一礼する。
「ティルト・ファー・レリーヤです。よろしくお願いします」
まるで良くできたお人形のようだ。
こんなんで、大丈夫なんだろうか?
「はい、席に戻ってよろしいですよ。では、みなさん、講義を始めます」
俺の心配をよそに、ティルトは愛想なしだが、几帳面な性格らしく、質問されたことにはきちんと答えていた。頭も良いらしく、クラスメイトが意地悪くした質問もそつなく答えていたし、面倒事は事前に切り抜ける賢しさも持っていた。ただ、自分からは積極的にクラスメイトとかかわろうとはしなかった。
これで社交的なら人気モノなのにな。
「雪」
「え?」
今日の分の授業が終わり、寮に帰ろうと廊下を歩いていたら、ぽつりとティルトがつぶやいた。
「やみそうにないですね」
深い夜のような瞳に白い雪が映っている。
「雪は嫌い?」
「普通の雪なら」
普通の雪?
俺はティルトの見ている窓から外を見る。
外は吹雪だった。
「吹雪は嫌いか・・・」
ティルトは俺の言葉を聞いて静かに俺を見ていたが、何も言わず窓の外へ視線を投げる。
何か言いたかったのか?
小首を傾げ、ティルトを促しつつ歩いていると、級友のクリスの背中が見えた。
「クリス」
俺はクリスを呼びとめる。
「何?」
くるりと振り返り、クリスは俺を見た。
「今日、サーザを見かけなかったけど、風邪でもひいたのか?」
「ちがうよ。あいつ、昨日から部屋に戻ってないんだ。師匠の手伝いで研究室に行ったきりだよ」
「一度部屋に戻らなかったか?」
「昨日の午後に一度戻ったみたいだけど、解読の手掛かりを見つけたから師匠の処に行くって置手紙があった。その時に俺はいなかったから、そろそろ様子を見に行こうかと思って」
「お前は手伝わないのか?」
「よしてくれよぉ」
俺の問いにしぶーい顔してクリス。「サーザとは頭のデキが違うよ。大体、師匠でもわからないような古い文字を俺が読める訳ないだろ。しかも、相手は魔法書なんだぜ。魔法書ってだけで俺にはお手上げだね」
そう言って万歳をしてみせる。
本当のお手上げだ。
「専門用語が多いんだって?」
「そう。それにその本、精霊殿でも魔法学院でもわからなかったんだぜ。そんな本が俺に読めるとは思えないね」
クールと言うか・・・そんなに自信を持って言うのはどうかと思うぞ。
俺はあいまいに笑って見せる。
「じゃあ、俺、行くから」
「ああ。サーザに、あまり根を詰めるなって言っといてくれ」
「了解。ティルトもまたな」
クリスは俺と横のティルトに笑いかけ、くるりと踵を返す。
「あ、クリスさん」
行こうとしたクリスの肩へ手を伸ばし、呼ばれたクリスは反射的に足を止める。そのクリスの肩をさっさと2回払って、ティルト。「ゴミがついてましたよ」
親切を無表情に言われ、クリスは目をぱちくりし、笑った。
「ありがとう。じゃあな」
片手を上げて感謝の意を表すと、クリスは急いでいたらしくパタパタと廊下を走って行った。
俺はその2人のやり取りをびっくりして見ていた。
自分が触れられるのはあんなに嫌がっていたのに、自分から触れるのは良いのか?
ティルトはじっとクリスの去った方を見ている。
「クリスさんは古文書の解読が専門なのですか?」
「ああ」
「魔法書とか言われてましたけど・・・」
「なんでも、とっても古い文字で書かれていた魔法書らしくて、精霊殿でも魔法学院でも読めなかったんだって。それで、先生の手伝いにクリスの同室のヤツが行ってるみたいだな」
「サーザさんとおっしゃる方ですか?」
「そう。サーザは古代文字解読の天才だから」
言葉を切り、俺はティルトの顔を覗き込みようにして聞く。「ティルトも古代文字に興味があるの?」
「いいえ」
ティルトの無表情が崩れた。眉をひそめて首を振る。「古代文字ではなく、魔法書に興味があります」
「魔法書か・・・まぁ、興味があるなら聞いてみたら良いよ。セピオ先生はやさしいから、興味があると言ったら見せてくれると思うよ」
「そうですか」
ティルトは気になることでもあるのか、クリスの走り去って行った方向を静かに見つめていた。




