吹雪の向こうに見えたモノ
風が温かい。
俺は大きく伸びをして、窓から入ってくる風を体に受ける。
雪狼が消えてから雪解けは一気に進み、外は至る所ドロ沼状態で長靴がなければ歩けたものではなくなっている。
でも、俺はけっこう雪解けが好きだ。
「雪が解けると春がくるからな」
隣の机に座っているティルトが俺の言葉に顔を上げて微笑む。
「そうですね。でもボクは冬の凍てつく寒さも、真っ白い雪も好きですよ」
羽ペンを動かしながら俺は笑う。
「キミは暑いのも好きなんじゃないのか?」
「そうですね。嫌いじゃないですよ。でも灼熱の砂漠だけはごめんです」
「そうか」
「はい」
静かに時間が流れていく。
ティルトはあれから1週間ベッドの上で過ごし、ティルトのお爺さんの秘書だと言うサツキさんは、ティルトが回復するまで楽しそうに世話を焼いていた。
サーザはお世話のおこぼれにあづかり、丸1日眠ったら、2日目でベッドの上で上半身を起こせるくらいになった。どのくらい外に倒れていたのか本人もわからないと言っていたが、軽い霜焼けになっただけで、疲れが取れれば問題ないという診断で全員が驚いた。
イヌイ先生が言うには、主導師様が治療の魔法をかけてくれたからこんなに驚くほど軽い症状ですんだのだそうだ。
昨日はクリスと一緒に星見の当番をしていた。
驚くほどの回復力だ。
それとは対照的にセピオ先生は、サツキさんが回復魔法をかけてくれたけれど、あれからもう10日は経つのに、未だに伏せりがちだ。
体がだるくて、少し動いただけですぐに疲れてしまうと言っていた。
長時間魔法にかけられていると体に相当の負荷がかかると、俺はサツキさんに教えてもらった。
「体力、気力ともに激しく消耗してしまうので、魔法に耐性の無い人は気をつけた方が良いですよ」と言っていた。
サツキさんから聞いたのだけれど、ティルトのお爺さんはルーシ・クールというヴァルキアの北西、山間にあるすごく小さな国の魔術顧問をされているそうで、サツキさんはそのお爺さんの秘書なのだそうだ。
「じゃあ、魔導師なんですか?」と、俺が問うとにこにこと笑っていた。
きっと力のある人なんだろうと思う。
「ナギさん」
「ん?」
「早く書かないとウィーナ先生に怒られますよ」
「そーだな」
俺はぼんやりと止めていた手を動かし始める。
ティルトのケガが良くなって動けるようになるまで、ウィーナ先生は毎日にこにこ笑いながらお説教をかましてくれた。
笑ってるけど、目が笑ってなくて怖かった。
俺とティルトは、ウィーナ先生に危ないことをした罰として公用語のかき取りをやらされている。
ティルトはベッドから起きられるようになると、人が変わったかのように自分の感情が出せるようになった。
「雪狼と対峙していた時と同一人物とはとても思えない」
俺が素直にそう言うと、ティルトは眉をひそめた。
「ボク、記憶にないんです。気がついたらベッドの上で、横にサツキがいて・・・ケガをしたのは覚えてますが、本当に自分があの魔法を解除したのか・・・わかりません」
ティルトは、なぜかとても心細そうな表情だった。
それから一転して、ティルトはにこりと笑う。
花が咲くみたいな明るい笑顔だ。
「でも、自分の中に欠けていたモノが戻って来たような気がします。だから、痛い思いもしましたが、結果的には良い経験になったかなと思います」
「ああ。俺もそう思うよ」
ティルトが笑えるようになって良かったと俺も思う。「ところで、あの魔法書のことなんだけど」
「獣魔の書がなにか?」
「あれ、どうしたんだ?」
「サツキに持って行かせました。あんな危険なモノは精霊殿にも置いておけませんからね。サツキなら上手く処理するでしょう」
あれ?でも・・・
俺は再度手を止めて、顔を上げるとティルトを見る。
「あの本、精霊殿からの依頼だったんだろ?」
「そうらしいですね。でも、大丈夫ですよ。イヌイ先生とウィーナ先生が学院長先生に話をして、学院長先生から精霊殿に話を通してもらいましたから。サツキにも持って行く時には挨拶してから行くように言いましたし」
ティルトは手を休めず、顔も上げずにさらりと言う。
「そうか」
「はい」
ティルトの雰囲気が、ここ数日で凄くやわらかくなったと思う。
初めて俺と会った時、全く相手にもされなかった、あの態度がウソのようだ。
そうだ。今なら俺の疑問に答えてくれるかも。
ティルトは医務室の住人になっていたし、俺たちが話をしている時には先生の監視の目が厳しかったから、あの一連の事件について話をすることができなかった。だから俺の疑問は全く解決していないのだ。
「ティルトはあの文字が読めたのか?それを読んだって事は、精霊殿でも魔法学院でも読めなかった文字を読めるってことか?」
「あれは、たまたまですよ」
ティルトは手を止め、机に頬杖をついて俺を見る。「以前に見せてもらったのを覚えていたんです。ボクは記憶力だけは自信がありますから・・・記憶をたよりに読んだら、ボクには使えない系統の魔法だったのです。説明するのが面倒なので詳しいことはやめますが、一口に魔法と言ってもたくさんの種類があるんです。特に古い魔法書などは今では使われていないものがほとんどですので、ただ文字を声に出して読んだとしても、魔法が発動することはまずありません。なぜ、サーザさんが魔法を使えたのか、ボクには全くわかりません」
ん~。
俺はペン軸でぱしぱしと自分の頭をはたいてみる。
「良くわかんないけど、魔法ってのは色んな種類があって、洋服みたいに流行ったり、廃れたりするってこと?」
「そうですね。どちらかと言えば、次々と新しいモノが生み出されて、より楽で便利な新しいモノに乗り換えると言う感じでしょうか」
「なるほど。それは、わかる」
うんうん。うなずいて俺。「でも、そんなに魔法に詳しいのに魔法使いじゃないのか?魔法使いじゃないって言ったのはウソじゃないのか?」
俺の言葉にティルトは、無表情で俺を見た。
「魔法を使うと封印が解けて、破壊と殺りくの魔王になってしまうので」
俺はティルトの言葉で顔をひきつらせる。
私に触れるなと言った冷淡なティルトの顔が頭にチラついた。
俺に向けられた眼差しは、まるで汚らわしいモノでも見るような、俺を見下したものだった。
鳥肌がたつくらい、恐ろしい瞳だった。
「冗談ですよ」
にこりん。
ウソのように明るく笑ってティルト。
造りモノの人形みたいだった雰囲気が一気にやわらかくなる。
「魔法を使った時に説明したと思いますが、ボクは体があまり丈夫ではないので大きな呪文が支えられないんですよ。少しは魔法を使えますが、魔法使いではありません。まぁ、別に魔法使いになりたいとも思いませんし」
「じゃあ何になりたいんだ?」
のんびりと俺が問うと、ティルトは腕組みをしてむ~っと考え始めた。
首をひねる。
天井を見上げる。
机に突っ伏してみる。
・・・おいおい。
ティルトは、そうやってたっぷりと考えてから眉間にシワを刻んで言う。
「なりたくないモノは出て来るんですけど・・・なりたいモノが思い浮かびません」
う~ん。
俺は、それは少し問題だなぁと思いつつも笑って言ってやる。
「まぁ、そーゆーのもアリなんじゃない?まだ若いんだし、時間はたっぷりあるしさ。ここで何になりたいか考えれば良いよ」
俺の言葉にティルトは一瞬きょとりとし、それから変な顔をする。苦笑しているような、困ったような、どうして良いかわからないような・・・とても一言では言い表せないような複雑な表情で、最後には自嘲気味に「ふっ」と笑った。
「そうですね。大人になるのはまだまだ先ですから」
なんだろう?
俺はティルトの表情を怪訝に思い、ティルトにはわからないように眉をひそめる。
口調はやわらかいのに妙に目が寂しげで・・・ティルトの心がまだ完全には満たされていないということが、見えてしまったような気がする。
ティルトに何があったのか?
表情を変えられなくなるくらいの何か。心を手放してしまうくらいのショックなんて、俺には想像もできないし、したくもない。暗く悲しい心になんて触れたくない。
今、こうしてティルトは笑っているし、ちょっとは仲良くなれたし、友達だし・・・それで良いのだと思う。
余計な詮索なんていらない。
からから。
学習室の扉を開き、ウィーナ先生が顔を出した。
「2人とも、がんばっていますか?」
俺たちは先ほどからだべっていたことをごまかすため、素知らぬ顔でペンを走らせる。
ウィーナ先生はスタスタと机の横に来ると、俺たちのノートを覗き込みにっこり笑った。
・・・イヤな笑顔。目が笑ってねぇ・・・
「おやぁ?まだこれだけですか?随分と交流を深めていたようですね」
それはイヤミですね。
俺は先生に気づかれないように小さく舌打ちし、ティルトは我関せずと顔も上げなかった。
でも、先生はそんな俺たちの抵抗などものともしない。
「では、2人のお望み通り、今以上に交流を深めましょうか。私についてくるように」
そう言って、有無を言わさず先に立って部屋を出た。
ウィーナ先生に連れて来られたのは、先生の研究室だった。
しかも・・・よくぞここまで溜めておいたなぁと、感心せずにはいられない標本の山。ほとんど足の踏み場もないくらいだ。
俺はあきれて声も出ない。
横目でティルトを見ると、ティルトも唖然とした顔で部屋の中を見ていた。
驚きのあまり声も出ない俺たちを満足そうに見て、ウィーナ先生は笑う。
「どうですか?分類のやり手がありそうでしょう?ここにあるもの全部お願いしますね」
俺とティルトは顔を見合わせ、がっくりと肩を落とした。
あれから俺たちは結構良い友達になったと思う。
ケンカもするし、一緒にいたずらもする。
ティルトは良く笑い、良く怒る。感情豊かな少年になった。
それでもティルトの心の傷は癒えていない。
ティルトは眠りにつくと、うなされる事があった。とても苦しそうにしている。
でも俺は気づかないふりをしている。
俺の目の前でティルトが倒れたりしない限り、俺は何も言わないと決めた。
ティルトが俺に知られたくないのだと思ったから、俺は見て見ぬふりをする。
ただ何も言わず見守っている事しかできない自分が情けないとは思ったけれど、それでもそれがティルトへの友情だと思っている。他の人からしたら変かもしれないけど。
正直に言ってしまえば、俺は怖かったのだと思う。
心が壊れてしまい、感情を失くしてしまうような傷を負ったティルトに、俺がそれを伝えてしまったら、またティルトから笑顔を失わせてしまうのではないかと・・・俺はあいつの友達だから、そんなことはしたくなかったし、なにより笑顔のないティルトなんて俺がイヤだった。
俺はティルトの笑顔を見るのが好きなんだ。
俺だけじゃない。
不思議と俺たちはティルトのくったくなく笑う顔を見ると、本当に心が温かく幸せな気分になるのだ。あのウォルフやライでさえ、ティルトが微笑みかけると穏やかに笑顔を返すのだから、相当なもんだ。
また、一緒に生活してみてわかったのだが、ティルトは優秀な生徒だけれど、真面目じゃなかった。あきれるくらい授業は良くサボるし、精霊殿の行事はしょっちゅう逃げようとして先生に見つかり、ものすごく不本意な顔をして連れ戻されるということを繰り返す。
そんな感じなのに知識は豊富で、もしかしたら先生より物知りなんじゃないのかと、俺は疑っていたりする。しかもその知識は多岐に渡っていて、クラスメイトからは重宝がられている。
俺は、同室だったアイツが死んでから、クラスメイトとも少しばかり距離を置いていたはずなのに、気がつけばアイツがいた頃と同じくらいにはクラスになじんでいた。
「ティルトは編入してきた時、人形みたいで近寄りがたかったけど、ナギもあんなことがあってから俺たちに壁作ってたよね。ど~でもいいやくらいに思ってたでしょ?まぁ、今は違うと思うけどね~」
クリスにけらけらと笑って言われた。
その横でサーザがうんうんとうなずいた。
2人に指摘され、自分でもそんな態度に見えていたのかと、ちょっと驚いた。
俺が変われたのは、ティルトのおかげだと思う。
ティルトが俺といて感情を取り戻したように、俺もティルトといて俺に欠けていたモノが戻って来たのだと思う。
全く見た目は違うのに、なんとなく似た者同士の俺たち。
今ではティルトがどこで授業をサボっているかも、大体わかるようになってきた。
ティルトが授業をサボるのは、天気の良い日が多い。日当たりの良い気持の良い場所を探せば、大体そこで昼寝をしている。
ティルトは、ぽかぽかした草の上で昼寝をするのが好きらしい。
気持ち良さそうに草の上に体を丸め、すやすやと寝入っているティルトの顔は、それはそれは愛らしい。
起こすのをためらわせるくらいには。
あれ?
俺は周囲を見回し、首を傾げる。
どう考えても、今日はここが一番の昼寝ポイントなのに。
ティルトのヤツ、どこに行ったんだ?
「ティルト?」
とりあえず、呼んでみる。
「ここです。ナギさん」
え?
上から声がして、俺はびっくりして声がした方を仰ぎ見る。
ティルトは木の上にいた。太い幹の二股になっているところにすっぽりと体を収め、にこにこと俺を見下ろしていた。
「何してるんだ?昼寝か?」
「いいえ。今、降ります」
え?降りる?
俺がティルトの言葉を理解できず、目をぱちくりしている間に、ティルトは俺の頭上2m以上はありそうな枝の上にすくっと立つと、飛んだ。
すたん。
そしてキレイに着地した。
ティルトは、体を丸め猫のようなしなやかさで着地を決めると、静かに立ち上がる。
ティルトは自分で体が丈夫ではないと言っているし、教室にいてもぼんやりと空を見ていることが多い。
それなのに、なんだこの動きは?
明らかに俺たちとは違う。よっぽど運動神経が良いのか、訓練されたかのどちらかとしか思えない。
本当に意外性の玉手箱みたいなヤツだ。
「なにか?」
ティルトは、驚いている俺をきょとんとして見る。
「意外と運動神経が良いんだなと思って」
俺が素直に苦笑して言うと、ティルトはそんなことかと俺を斜めに見上げて言う。
「まぁ・・・それなりには・・・自分で言うのもなんですが、ボクはいつもぼんやりしていますからね。特に運動神経が良いわけではありませんが、このくらいはたいしたことありませんよ」
「そう?でも、体が弱いと運動ってしないだろ?」
「そうですね。今は激しい運動は止められていますが、小さかった頃は1日中外で遊んでいましたよ」
へぇ。小さい頃のティルトか・・・可愛かっただろうなぁ。
くりくりおめめに、ちょこちょこと歩くミニマムなティルトを想像して、俺はくすくすと笑ってしまう。
今も十分可愛いけどな。
「ところで、なんの用です?ナギさんが自分から進んで授業をサボるとは思えませんが?」
ああ、そうだった!
俺はぽんと手を打って言う。
「お前、授業、サボりすぎ。いい加減にしないと保護者呼び出しするって、ウィーナ先生が言ってたぞ」
「・・・それって、最悪」
ティルトはつぶやいて、めいっぱい眉をひそめる。「保護者ってことは、あの人だよな?呼ばれても来る訳ないけど、耳には入るのか。それは不味いな。でも、あの人が来ないって事はサツキが代わりに来るって事で・・・うわぁ、最悪!!」
ティルトは叫んで頭を抱える。
「サツキさんが聞いたら、多分、泣くぞ?」
俺のつぶやきにティルトは自分の腕の間からこっそりと俺を見る。
「・・・やっぱり、泣きますかね?」
「・・・泣くだろうな」
「・・・最悪だ」
この世の終わりのような顔して言われてもな。
「そう思うなら授業に出ろよ」
「つまらない授業に出たって、面白くないじゃないですか」
「あのなぁ・・・」
俺はあきれてため息をついてしまう。
「もっと自由にさせてくれると思ったのですが・・・」
「お前の基準で考えるな。俺が知る限り、これでもかなり自由だぞ」
俺は不満げに口をとがらせるティルトを半眼で上から見下ろす。
こいつは見た目ほどに素直でもなければ、気が弱いわけでもない。実は、とても気が強くて、頑固者だ。今みたいなことがあると、ものすごく我がままなんじゃないかと思う。
きっとサツキさんなんかに大事にされて育ってきたお坊ちゃまなんだろう。
「仕方がありませんね。不本意ですが授業に出ましょう」
ティルトの顔にはものすごく不本意だと書いてある。
俺はやれやれと肩を落とす。
「毎回探しに来る俺の身にもなって欲しいんだけど?」
俺がそう文句を言うと、ティルトはにっこりと笑って言う。
「いいじゃないですか。ナギさん、歴史学の授業は嫌いでしょ?だからボクの事をわざわざ探しに来たんじゃないですか?」
・・・なんだよ。バレテんのか。
でもそんな事を素直に認めるのは悔しい。だから俺は内心の動揺をめいっぱい隠して、不機嫌に言い放ってやる。
「お前は授業に出なくても成績優秀だから良いが、俺は授業に出ないと不味いだろ」
「それは失礼」
くすり。
ティルトがきらりと瞳を輝かせて笑う。
ぷ。
俺たちは顔を見合わせ、同時に噴き出した。
くくく。
ふふふ。
ははは。
はははははは!!
2人でひとしきり爆笑すると、俺はティルトを逃がさないようにヤツの腕を引っ掴み、ティルトを引きずるようにして学習棟の方へ走り出す。
爽やかな初春の風が俺たちの頬を撫でていく。
もう雪はどこにもない。
春は、もう、すぐそこだ。




