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吹雪のむこう  作者: 蘇芳
10/12

獣魔の書(ザイ・テス・ラーヤ)と雪狼と黒い炎


 もう夜だと言う時間なのに周囲は薄明るく、ティルトの白い顔がはっきりと見える。

 「ティルト」

 俺が名を呼ぶと、ティルトは本に視線を落したまま言った。

 「・・・ボクはその本を見たことがあります」

 「は?!」

 「ボクの兄は魔導師で、魔法書もたくさん持っていたのですが、その中の1冊です。兄はそれをザイ・テス・ラーヤと呼んでいました。そうですね・・・公用語に直すと獣魔の書とでも言うのでしょうか」

 「獣魔の書?」

 「はい。姿変えの魔法の一種ですが、かけられた者は姿を獣に変えてしまう。その呪文を集めた本だとか」

 俺は本を両手で持ち、表紙に目を落とす。

 獣魔の書か・・・

 「だからセピオ先生は雪狼に?」

 「多分・・・」

 ティルトは俺の言葉にうなずいて、暗い表情のまま本を指差す。「それ、見せていただけますか?」

 「ああ。俺が持っていても読めないしな」

 俺はうなずいて立ち上がると、ティルトに本を渡す。「読めるのか?」

 「さぁ、どうでしょう?兄の本でしたから開いてみたことはありませんし、兄もこの本をすぐに手放したようでしたから」

 言いながら本を開くと、本はティルトがページをめくっているわけでもないのに、勝手にぱらぱらとページがめくれ、すぐに止まった。

 俺がティルトの上から覗き込むと、黒いインクでびっしりと書かれた文字らしきものの一文だけが、金色に光を帯びて浮き出ているように見えた。

 「今、発動中の魔法がこの金色に変化しているものです」

 「そうか・・・それで、読めるのか?」

 ティルトは文章らしきものに目を走らせ、片手で本を開いて持つと、思案するように口元に握りこぶしを当てた。

 「兄の本に似たようなモノがあったような気がしますが、ボクも小さかったので・・・少し待って下さいね」

 大丈夫なのか?

 これでティルトが読めなかったら、後は誰も読めないんだぞ。そうしたら、セピオ先生は雪狼のままで、セピオ先生を雪狼にしたサーザも、どっちも救えないじゃないか。

 頼むぞ。

 俺は祈るような気持ちで、考え込んでいるティルトを見つめる。

 ティルトは一生懸命に文章に目を走らせていた。その表情が徐々に失われていき、瞬きをしなければ人形としか思えないくらいに顔色も失われていく。

 「どうだ?」

 俺が問うと、本から目を上げ、ティルトは泣きそうな顔で唇をかみしめる。

 「ダメです。ボクには魔法を解くことはできません」

 「何だって?!」

 がしっ!!

 俺はティルトの両肩をつかんで揺する。「じゃあ、セピオ先生は一生このままだって言うのかよ?!」

 そんなのって、ないだろっ?!

 ティルトは本を握ったまま、俺にされるがままになっている。

 「ボクに任せろって、信じろって言ったのはウソだったのかよっ?!」

 俺は叩きつけるように叫び、ティルトの襟首を締め上げ、はっとして手を離す。

 こいつが悪い訳じゃない。

 「すまない」

 「いえ・・・サーザさんがどうして術を行えたのかわかりませんが、この魔法は系統が違って、今は絶えてしまった魔法です。魔法は術を行うより、術を解く方が難しいのです・・・今、この魔法を使いこなせる者は、ボクが知る限りでは存在しません」

 「お前が知らないだけで、誰かいるかもしれない」

 そう言いながら、頭ではわかっていた。精霊殿や魔法学院でも読めなかった本だ。その本を読めたティルトが断言したと言う事は、ティルトの言葉が真実なのだろう。

 ティルトは無言のままに目を落とし、閉じた本の表紙をゆっくりと撫でていた。

 俺は絶望的な気分のままに顔をあげ、反射的にティルトの腕を掴むと自分の後ろに引きこんだ。


 音も気配もなく、目の前に雪狼が立っていた。




 雪狼は静かに俺達を見つめていた。

 俺の目の前にキレイな青い瞳があった。

 ああ、そうだ。この青い瞳はセピオ先生だ。

 そう思った俺は、ゆっくりと雪狼に近づく。

 「セピオ先生。俺、ナギです。ナギ・イル・シーマです。先生!!」

 ぴくりと雪狼の前足が動く。

 「ナギさん?!」

 ティルトが悲鳴のような声で俺を呼びながら、俺を突き飛ばす。

 俺はその勢いで雪の上を転がり、顔を上げた時にはティルトが左肩を押さえて、崩れるように座り込んでいるのが見えた。

 雪狼は俺が見た所から動いており、右前脚の爪が赤く濡れていた。

 「ティルト?!」

 俺ははじかれたようにしてティルトに走り寄ると、ティルトを抱え起こす。ティルトの押さえた肩から血が流れており、じわじわと外套を血で染めていく。

 俺は自分の首からマフラーを外し、ぎりぎりとティルトの肩に巻きつける。

 「・・・ナギ・・・さん」

 ティルトは浅く息をつき、失血のためか顔色は青白くなっていた。「セピオ先生の意識は失われています・・・早く元に戻さないと・・・」

 よろり。

 ティルトはよろめきながらも立ち上がる。

 「ティルト?!」

 ティルトは立っているのもやっとのようにして立つと、痛みに顔をしかめる。

 ぽたり。

 真っ白な雪の上にティルトの赤い血が流れて落ちた。

 俺はティルトを抱えるようにして支えながら、パニックになった頭で考える。

 このままだと俺たちはこの雪狼に殺されるかもしれない。

 どうするか・・・

 「あ・・・」

 唇をかむ俺の腕の中で、ティルトがびくりと震える。「ダメだ・・・ダメだよ・・・」

 「どうした?」

 「あ・・・」

 ティルトは大きな目をいっぱいに見開き、苦しそうに呻くと目を閉じ、糸の切れた人形のようにくたりと倒れる。

 意識を失った?!

 「おい?!大丈夫か?!」

 がくがく。

 俺は焦ってティルトをゆすると、ティルトは意識を取り戻したようで、静かに目を開いた。そして俺が腕を掴んでいるのを見ると眉をひそめ、不機嫌そうに吐き捨てた。

 「気安く私に触れるな」


 え?

 俺が何か言おうとする前にティルトは冷え冷えとした目で俺を見た。

 その視線があまりにも冷たく、恐怖のあまり体がすくんだ。

 これは・・・ティルトなのか?

 ここにいるのは・・・誰なんだ?

 ティルトは俺から離れると、肩の痛みに顔をしかめ、目の前に立つ雪狼を一瞥する。

 「私にこの雪狼を元の姿に戻せと言うのか?だが、この体を傷つけた代償は高くつくぞ」

 ティルトは良く響く硬質な口調で告げると、うっすらと笑った。

 ぞっとするような冷たい微笑み。

 これが、本当のティルトなのか?

 自分が怖いと言っていたのは、こういうことなのか?

 呆然とティルトを見つめる俺を気にも留めず、ティルトは両足を肩幅に開いて立ち、雪狼を睨みつける。


 『我は命じる!』


 張りのある艶やかな声だった。

 ティルトの体から黒い陽炎のようなモノが立ち上る。

 空気が重い。

 ティルトを中心にして力が渦を巻いて行くのがわかる。


 『我は命じる!紅蓮の炎よ、我が右手に集え!』


 か!

 眩い光がティルトの右手から発せられたと思った途端、伸ばした右手の平にティルトの

頭くらいの大きさの炎が、轟々と音を立てて出現した。

 炎を見て雪狼がおびえるように腰を引く。

 「逃がさないよ」

 くすり。

 微笑んでティルトはつぶやく。


 『紅蓮の炎よ、我が手から離れ、目の前の雪狼を縛れ』


 炎がティルトの手から放たれ、雪狼を襲う。

 ギャーッ!!

 雪狼は苦しむように悶えて悲鳴を上げるが、炎は渦となって雪狼を取り囲む。

 頬が焼けるように熱い。

 圧倒的なティルトの魔法に、俺は呆然と炎に巻かれる雪狼を見つめていた。

 あ、ダメだ!!

 俺ははっとしてティルトに叫ぶ。

 「ティルト、これはセピオ先生なんだろ?!このままだったら、死んでしまう!!」

 ティルトは不快そうに目を細めて俺を見る。

 まるで、汚らわしいモノでも見るかのように。

 「私に指図するとは、身の程知らずだな」

 ティルトは炎に巻かれる雪狼の悲鳴など聞こえていないかのように言うと、やれやれと言わんばかりにため息をつく。「まぁ、私もあれに泣かれるのは好まない。不本意だが、この術を解いてやろう」

 ティルトは本当に気が進まないという表情で言うと、右手首をくるりと返す。

 雪原に落ちていた獣魔の書が浮き上がったかと思うと、それはすっぽりとティルトの右手に収まった。

 パララララ。

 勝手にページがめくれ、ティルトは本に目を落とす。

 苦しむ雪狼など全く意に介していない。

 ティルトの肩の傷はかなりひどいらしく、俺のマフラーは真っ赤に染まっていた。

 ぽたり。

 ティルトの血が雪に赤い染みをつくる。

 ティルトはそれを見てわずかに眉をひそめると顔を上げた。

 ゆらり。

 まただ。

 ティルトの体から黒い陽炎が立つ。


 『雪と風を支配する獣魔よ。

  我が炎の力を持って、その力を滅する。

  真の姿を我の前に示せ!』


 ティルトから発せられた言葉に炎が変化した。

 炎は次第に大きくなって雪狼を完全に隠してしまうと、次第に光へと変化していく。

 赤から白へ。

 まぶしくて見ていられず、俺は目を閉じた。

 目を閉じても刺すような光が瞼の裏に映る。


 どさ。

 しばらくして、何かが落ちるような音がしたので目を開いた。

 ティルトが雪の中で前のめりに倒れており、その向こうにセピオ先生が倒れていた。

 「ティルト?!」

 慌てて抱き起こすと、ティルトの顔には全く血の気がなかった。

 俺が巻きつけたマフラーは血を吸ってべっとりと重くなっており、雪の上に花が咲いたように真っ赤な血が散っていた。

 まずい。こんなに出血していたら、失血死しちまう。でも、セピオ先生もこのままには・・・

 一瞬ためらった後、俺は外套を脱ぎ、それで先生をくるむ。そして先生に頭を下げるとティルトを背負って走り出す。

 私に触れるなと言ったティルトの冷やかな瞳を思い出したが、そんなことは頭の隅に追いやる。怖がって俺が何もしなかったら、こいつもセピオ先生も確実に死ぬ。俺一人でセピオ先生を担ぐのは無理だから、ティルトを医務室に運んだ後、クリスを連れてくるしかない。

 ティルトは俺が予想していた以上に軽くて、俺は雪を蹴立てて全力疾走した。

 少しでも、一分でも一秒でも早くなんとかしないと。

 俺は唇をかみしめ、とにかく走った。


 雪はいつの間にかやんでいた。



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