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ゴーストバスター

作者: 黒井白人

 白蛇神社という場所がある。

 なんでも白い大蛇を祭った神社らしく詳しいことは解らないが、そこそこの歴史があるらしい。地元の人間しか知らない穴場スポットだ(どのあたりが穴場なのかは正直よく解らない)。

 そんな白蛇神社の鳥居にぼくは背を預け、ぼんやりと空を流れる雲を目で追っていた。とはいえ、別になんの目的もなくただボーっとしているわけじゃない。もちろん、雲を眺めることが目的というわけでもない。人を待っているのだ。

 ぼくは腕に巻いている時計に目をやり、再び空へ視線を空へ向ける。

 時刻は八時五十分。待ち合わせは九時ちょうど。まだ十分ほど余裕がある。

「ちょっと早く出過ぎたかな……」

 朝、家を出たのは七時五十二分ごろだった。待たせても悪いと思い早目に家を出たのだが、どうやら少々早過ぎたようだ。お陰で一時間近く待たされるハメになった。

 それでも、待たせるよりはマシなのだろうと日光を浴びながら流れる雲に目をやりながら考える。

 そんなわけで現在ぼくは、絶賛待ちぼうけ中なのだった。

 だからというわけではないが、男に声をかけられても一瞬、対応が遅れてしまった。

「ちょっといいかな? 道を尋ねたいんだけど」

「えっ? あ、はい……なんでしょう?」

 ぼくがそう言うと、道を尋ねてきた男は手に持っていた地図をぼくにも見やすいよう広げて、

「この場所へ行きたいんだけど、わかるかい?」

「はい、わかります。ここはですね、この道をこう行って、そしたら左に曲がって……」

 ぼくが地図の上を指でなぞって説明すると、男は納得したように頷いて地図を小さく折りたたむ。

「なるほど、わかったよ。ありがとう。おかげで助かった」

「いえ、お礼を言われるほどのことなんてぼくは何も……」

「いやいや、そう謙遜しなくてもいいよ。キミのおかげで僕が助かったことは事実さ。謙遜は日本人の美学なんて言うけれど、度を過ぎると損するよ」

「大丈夫ですよ。損することには慣れてますから」

 昔から、そう言う体質なのだ。

 すると男は、顎に手を当ててしばし考えるように眉根を寄せる。その後、ポンと手を打って、

「よし、じゃあこれをあげよう」

 そう言ってとり出したのは、一枚の名刺だった。ぼくはそれをおずおずと受け取り、裏返す。

「なんですか、これ?」

「ん? なにって名刺だけど?」

「いえ、それはわかります。でもなぜこの名刺をぼくに?」

 裏側にはなにも書かれていなかった。もう一度裏返し、表にする。右上に、『杉並ゴーストバスター』という肩書らしきものが明朝体で書かれている。微妙に西洋かぶれした肩書なのに、和風の書体がいかにもミスマッチだった。

 そして名刺の真ん中には、おそらく男の名前であろう文字がアルファベットで踊っている。

「石亀鶴太朗……さんですか」

「そう、僕の名前。今日、キミに助けて貰ったからね。感謝の意を込めてその名刺を渡しておくよ。いつでも相談してくれ」

「……ありがとうございます。でも、霊媒師にお願いすることなんてぼくにはなにもないですよ?」

「ああ、別にゴースト関連じゃなくてもいいんだよ。最近じゃこの業界の仕事って減ってきていてね。今じゃもうすっかりよろず屋だよ」

 そうですかそういうことなら遠慮なくご相談しますと体面上笑顔を繕って見せたが、正直ちゃんと笑えているか自身がない。まあ別にいいか、どうでも。もう二度と合うことはないだろうから。

 その後、ぼくは石亀さんと別れた。石亀さんは爽やかさとは縁遠い軽薄な笑顔をぼくの網膜に焼きつけて去って行った。

 ぼくはしばらく石亀さんの去って行った方を見つめていたが、また空を流れる雲に視線を向ける。

 青空はあまり好きではないが、雲は割と好きだ。

 そんなことを考えていると、ポケットの中で携帯が震えだした。


          2


 ドタキャンの連絡を受けてから三時間が経過していた。

 ぼくは白蛇神社の鳥居を後にし、今は近所の喫茶店で一人寂しくコーヒーを啜っている。朝早くに家を出たので、いつもより早く腹の虫が鳴き出したのだ。

 カップをソーサーの上に置き、サンドイッチを頬張りながら道行く人々を目の端まで追って行く。さすがに休日だけあって、家族連れやカップルが目立つ。

 サンドイッチを間食し、食後におかわりしたコーヒーを啜りながら午後からどうしようかと思案していると、視界の端に見慣れた姿を発見した。向こうもぼくに気付いたらしく、小走りで駆け寄ってくる。

「やーやー、シュウくんじゃありませんか。なにしてんの?」

 一言の断りもなくぼくの向かい座り腰を下ろし、笑顔を向けてくるそいつにぼくは大仰に肩を竦めて見せた。

「別に。ちょっと小腹が空いたからここで早めのランチタイムをしていたところだよ。武原さんは買い物?」

「ふふん、わたしのことは親しみを込めてユーちゃんって呼んでね。別に買い物とかじゃないよ。ただ家にいても暇だからさ、ちょっちブラブラしてたとこなんだよねん」

 彼女――武原結子さんはテーブルに両肘をついて手を組み、その上に顎をのせて目を細める。口端をつり上げ、イタズラ好きの子供のような笑みをつくる。

「それにしても意外だな。学校以外のところでシュウくん見るなんて」

「そうかな?」

「そうだよ。シュウくんってさ。あんまり活動的なイメージないもん。休日は一日中家でゲームでもして過ごしてるかと思ってたよ」

 なかなかにダメ人間っぽい素的な休日の過ごし方だな。ぜひそうしたいもんだ。

 ぼくは武原さんの言葉に苦笑しながら、コーヒーカップに口をつける。

「……まあ、なんの予定もなかったならぼくだって家でゴロゴロしていたいんだけどね。今日はそうもいかない理由が……あったんだ」

「? あったんだって、過去形?」

 武原さんが疑問符を頭の上に浮かべて首を傾げる。

「まあね。待ち合わせの直前になった急にこれなくなったって連絡が入って。でもまあせっかく休みの日に外に出たんだからこのまま帰るのももったいない気がしてね。それで腹にものを詰めながらこれからどうしようか考えていたところなんだ」

「ふぅん……じゃあさ、わたしと一緒に遊びに行かない?」

「武原さんと? いいよ」

「わたしのことは親しみを込めてユーちゃんと呼びなさい。それじゃ、決まりね。どこいこっか?」

 ぼくがカップに手を伸ばすと、すかさず武原さんがソーサーの上からカップをかすめ取る。そのまま、一気にコーヒーを飲み干すと、乱暴にテーブルに叩きつけて顔をしかめた。

「うえにがっ! なにこれブラック? よくこんなの飲めるね」

「別にそれほど苦くないよ。十分おいしい。それでまずは確認だけど、武原さん今いくら持ってる?」

「わたしのことは親しみを込めて……ってもういいや。んー……五百円くらいかな?」

「五百円……ぼくが三千円だからそれほど遠出とかはできないね。近場でいいところあったかな……?」

 武原さんが眉根を寄せて考えている姿を眺めながら、ぼくも頭を働かせる。

「あそこはダメだな……ここも違う」

 いくつもの候補地が予算や距離の関係で消えていく。もうちょっと計画的に遊びに行くのであれば即採用なのだろうが、今回は突発的だ。さてどうするか……。

「あそこでいいんじゃない?」

「ん?」

 あそこ? あそことはどこだ? 友達になってまだ二カ月足らずだというのにそんな仲間内だけでしか解らないような言語で語られても理解に苦しむ。

「ほらほら、あそこだよあそこ。この間のオリエンテーリングで行ったじゃん」

「ああ、あそこか。思い出したよ」

 武原さんの言いたいことにおおよその察しがつき、ぼくはポンと手を打った。

 なるほど、確かにあそこならまったりするのにはちょうどいい。今日はよく晴れているし、うってつけかも知れない。

「そうだね。あそこならいいかも」

 距離的に少し不安が残るが、まあ大丈夫だろう。

 そうと決まるとぼく達の行動は実に迅速だった。

 まず喫茶店を出て、次に駅へ向かう。ここからなら、『白蛇駅』が近いな。歩いて五分で着く。

 五分後、ぼく達は切符を買ってプラットホームで電車が来るのを待つ。そこ後、電車に乗り込み窓際の席を確保する。

 ぼくは窓の外に目をやりながら、武原さんに喋りかけた。

「そういえばさ、覚えてる?」

「なにを?」

「オリエンテーリングの時、あいつがあんなことになったことだよ」

「……ああ! アレね。思い出した」

 電車に揺られる約二十分の間、ぼく達は先週開催されたオリエンテーリングの話題で盛り上がった。

 目的の駅に到着し、ぼく達は電車を降り改札を抜ける。駅を出て北へと足を向ける。

 そうして十分後。ぼく達は目的地である森林公園へとやってきた。一週間前、親睦を深めるためにここで四クラス合同の大鬼ごっこを行った。怪我人が出るなどして血生臭い結果になったけど。

 ぼく達は二人で公園の中を歩きながら、マイナスイオンを肺一杯にとり込んでいく。

 ぼくと武原さんは談笑しながら、森林の奥に進んでいく。

 進んだ先は開けていて、中央に一本だけ一際大きな木が生えている。いかにもありがたい雰囲気を醸し出している、神格のありそうな古木である。

 そしてその古木の根本に、どこかで見たような顔を発見した。

 今朝、白蛇神社の鳥居の前で会った石亀さんだ。

 瞳を閉じ、厳粛そうな面持ちで木の根に手を当てているその姿は冷厳としていて、近寄り難かった。

「……なに、あの人?」

 隣で武原さんが眉根を寄せて後ずさりしている。まあ初対面でいきなりこんなシーンを見せられては、こういう反応もするだろう。ぼくも少し、引いた。

 石亀さんは二言三言口を動かすと、木の根から手を引いて二歩後ろに下がって頭を下げた。

 顔を上げるとぼく達の方を向き、小走りに寄ってくる。

「やー、キミは今朝鳥居の前で会った子だね。あの時はホント助かったよ」

「いえ、お役に立ててなによりです」

 ぼくがそう言うと、石亀さんはもとから細い目を更に細めて笑みを浮かべた。

「しかし羨ましいな。青春を謳歌って感じで。僕にはそんな時代なかったもん」

「えっ……?」

 不意に石亀さんが武原さんの方を向いたため武原さんは反応できず、代わりに頭の上に疑問符を浮かべていた。

「いやー、若いっていいね。羨ましい。僕の学生時代なんて、煙たがられるか気味悪がられるかのどっちかだったよ」

「……それは……大変でしたね」

 正直、この人の学生時代になんて興味はない。というか今朝会ったばかりの初対面なのになぜこんなにも他人に対してオープンなのだろう……。

 無意識にぼくが訝しげな視線でも飛ばしていたのだろう。石亀さんは慌てて弁明の言葉を口にする。

「や、べつに詮索するつもりはないんだ。ただちょっと興味本位で訊いただけだから。気にしないでくれ」

「べつに気にしてませんし、あなたみたいな赤の他人から誤解されたところでぼく達はこれっぽっちも困りませんから、そちらこそどうぞ気に病まないでください」

「そうかい? なら気にしないけど」

 そう言って石亀さんはへらへらと軽薄に笑う。最初っから気になんかしていなかっただろうに。なんなんだ、この人は。

「ところでさ、そっちのお嬢さんはさっきからずっとキミの影に隠れてっけど、もしかして僕嫌われちゃってる?」

「会って早々の人間から嫌われるなんて犯罪者くらいなもんですよ。おそらくですけど、本能じゃないですか? あなたは危険だっていう」

「ははははは、そいつは愉快だな。いやホント正しいねぇ。キミもそっちのお嬢さんみたく本能の赴くままに怯えてもいいんだよ?」

 石亀さんの言葉にぼくはゆっくりと頭を振る。

「ぼくの本能なんてとっくに衰退しちゃってて、役になんか立ちませんよ」

「ふはははははは、そうかいそうかい。キミは面白いなぁ。僕の若いころによく似ている。まるで鏡映しみたいだ」

「でも、左右まったくの逆なんでしょう?」

 まあね、と軽薄に笑って石亀さんはうすっぺらい言葉を重ねてくる。

「正反対なんじゃない、左右逆なんだ。だからこそ僕らは相いれない。僕はよく人から嫌われるけど、キミはよく人から好かれる。僕が鏡の裏でキミは表だ」

「よく似ていて、だからこそまったく違う……面白いですね」

 すると石亀さんは、今度は得意そうに笑った。

「だろう? 一種の思考ゲーム。言葉遊びだよ」

 ぼくは石亀さんのセリフに、一言上乗せした。

「面白いですね」

 ぼくが微笑むと、石亀さんもにかっ、と白い歯を覗かせてくる。

 そうやってぼく達が上っ面だけの会話に勤しんでいると、よほど寂しかったのだろう、武原さんがぼく達の会話に割って入ってきた。

「……あのぉ……二人はどういったお知り合いなんですか?」

 ぼくの影に隠れながら、武原さんが石亀さんに質問する。意外なことだが、こう見えて武原さん、人見知り激しかったりするのだ。

 ぼくの影に隠れる武原さんに目をやりつつ、石亀さんは手を顎に当ててなぜ考え込んでいる。なにか余計なことを言いそうで恐い。

「そうだねぇ。僕達の関係を一言で表すとするなら一生の友、いわゆるベストフレンドってやつだねっ!」

「いや、今朝会ったばかりの初対面でしょう、ぼく達」

 ぼくのツッコミに、石亀さんはただ軽薄に笑っているだけだった。

「ところでそこのお嬢さん、キミの名前を教えて欲しいな」

「えっと……」

 石亀さんは今度は武原さんに喋りかけた。武原さんはまるで困ったとでも言いたげに眉根を寄せて目を泳がせている。おそらく、初対面でいきなり馴れ馴れしい態度をとってくる(たぶん)三十代前半の胡散臭いおっさんに自分の名前を言っていい物かどうか迷っているのだろう。普段はなにも考えていなさそうなのに、そういう時は用心深かったりするからな、この人。

 で、悩んだ末に、

「たかはし……ことね……」

 偽名を選んだ。

 まあ初対面だし、信用できなさそうなおっさんだし、よく考えればぼくも名前をしえてないし、もし本名を教えて、そこから個人情報が漏れた時のリスクを考えると教えない方がいいのだろう。可能性は低いがゼロじゃない。

 ぼくは武原さんから目を離し、石亀をさんを見る。彼はまた顎に手を当てて、武原さんの名前(偽名)を噛み締めるように呟いていた。

「たかはし……タカハシ……高橋……うん、高橋さんだね。僕は石亀鶴太朗。よろしくね」

 そう言うと、石亀さんが手を差し出してくる。たぶん武原さんにだろうが、彼女は今ぼくの後ろに隠れているので、結果的に石亀さんの手はぼくの前に差し出された形になる。武原さんは一瞬だけぼくを見た後、差し出されたその手をおずおずと握った。

「…………どうも」

 一言だけ、さえずるような小さな声でそう言うと、再びぼくの後ろえと舞い戻ってきた。本当に、この光景だけは何度見ても驚愕する。

「ははは、なかなか面白いガールフレンドだね」

「そうですね。いいガールフレンドですよ」

 この二が月でこいつのお人好しっぷりは嫌という程思い知った。溺れている子供を助けようとして泳げないくせに川に飛び込んだり、得意でもないくせに巣から落ちているヒナ鳥をスに戻そうに木に登ったり。こんなにいいガール(女)フレンド(友達)はなかなかいない。

 しかし、さっきから思っていたのだが、この人はぼく達に対しどうも勘違いをしているらしいな。ぼくと武原さんのことを恋人同士とでも思っているようだ。まあそう思われて不都合はないし、別にいいか。

「ところで石亀さん。さっきこの木に手をついてなにか言ってましたよね。何やってたんですか?」

 ぼくの質問に、石亀さんはぼくの背後にいる武原さんを覗き込みながら答えを返してくる。

「いやなに、大したことじゃないよ。ほら僕ってゴーストバスターじゃん? だから、あれでもいちおうは仕事してたんだよ」

「……ちなみにお仕事の内容って教えて貰えるんですか?」

「いやいや、それは無理だね。弁護士や探偵と同じ。守秘義務ってやつが僕達にはあるんだ」

 僕個人でやってたならたぶん教えてあげたんだけどね、と石亀さんは軽く肩を竦めて苦笑する。

「ふむ……なるほどキミかぁ……」

 ぼくの背中に張り着く武原さんをまじまじと観察していた石亀さんが、彼女から目を外し一人だけ納得したように頷いた。

 ぼくは若干身を強張らせ、目の前の変なおっさんが妙な行動をとれば直ぐに動けるよう構える。

「ふふん、ちょうどいいや。もう一つの案件もここで済ませてしまおう」

 言うが早いか、石亀さんは懐に手を入れ、縦長の紙切れを取り出す。読みとれないが、その紙切れには古文の教科書なんかで出てきそうな日本語らしきものが書かれていた。

 ぼくはとっさに拳を握り石亀さんに殴りかかる。そうした方がいいとぼくの直感が告げていた。

「いい判断だ。だが遅い」

 ぼくが殴りかかるより数秒早く、石亀さんの手から縦長の紙切れが離れる。その紙切れは重力に従って地面に落ちることはなく、空中で静止し、目もくらむほど眩い光を放つ。

「ぐっ……」

 視界を奪われ、ぼくは地面に膝をついた。瞼を閉じているのに、目の前が妙に明るい。

「そのままじっとしているといい。今の視界のままで歩きまわるは危険だよ」

「ひっ……っ!」

 石亀さんの声と足音、それに武原さんの怯えた声が聞える。ぼくは即座に視界を回復させることを止め、じっと耳を澄ませる。

「ふふん、そのまま大人しくしてなよ。直ぐに終わるから」

 草を踏む音が止み、石亀さんの声が耳に届く。おそらく、あの古木の根本あたりだろう。今、石亀さんはぼくの方を向いていないはずだ。

 だいたいのあたりをつけ、ぼくはゆっくりとなるべく音を立てないように立ち上がる。案の定ぼくを見ていないのか、石亀さんがぼくに気付いた様子はない。ぼくの視界を奪ったことで、完全に油断している。

 ぼくは両足に力を込め、一気に地面を蹴り駆けだす。そしてそのまま、石亀さんの脇腹あたりに全力タックルを喰らわせる。

「がっ……っ?」

 人体が地面に転がる音がした。石亀さんが咳き込んでいるのが聞える。

 ぼくはようやく少しだけ回復してきた目を開け、石亀さんを視界に収めつつ武原さんの手を引いて、森林の中へと逃げ込む。ぼくの視界からは完全にフィードアウトし、正確なところはわからないが、石亀さんが追ってくる気配はない。

 どれくらい経ったころだろう。正確な時間は分からないが、たぶん十分は草場の影に身を潜めていたと思う。ぼくは草場の影からそっと顔を出し、様子を窺う。

「……いな……い?」

 そこには既に、石亀さんの姿はなかった。それどろか、つい十分前まで人の影すら見当たらなかった森林公園が、老人や子供連れで賑わいだした。

 これは、どういうことだ?

 たった数十分の間に、不可解な出来事が湧き出るように産出した。あまりの出来事が立て続けに起こり、ぼくの頭はオーバーヒートしそうだった。

「ねえ、どうなったの?」

 ぼくの腕の中で、武原さんが訊いてくる。ぼくは今見たことを彼女に伝え、その場を離れた。

 いったい、何だったんだ? 何が起こったっていうんだ?

 自分でも考えがまとまらないまま、ぼく達は森林公園を後にした。


          3


 森林公園を出た後、ぼく達は元来た道程を通り、家路についた。返る途中、ぼくも武原さんも、一言も口を開かなかった。

 駅で二手に分かれて、ぼく達はそれぞれの家へと向かう。

 そうして駅から二キロほど歩いたころ、ポケットの中で携帯電話がバイブ音を立てて震えだした。

「……もしもし」

 誰が聞いても意気消沈しているんだなとわかるほど沈んだ声で、電話に出る。しかし、電波の向こう側からの返答はなく、ただ女の者と思われる叫び声が響いてくるだけだ。

「どうしたっ! おいっ、どうしたんだっ!」

 何度呼びかけても返答はない。別に向こうが携帯を落としたとかそういうのではなさそうだ。ただ電話をかけてみたはいいものの、まともに対応するだけの余裕がないということなのだろう。

 ぼくはすぐさま踵を返すと、元来た道を戻り、更に駅も通り過ぎ、武原さん家へ向かうであろう舗装されたアスファルトの上を全速力で駆けていった。

 しかし、彼女がどこへいったのかまるで見当がつかない。さっきの電話の様子からすると、どうも我が家へ向かったということはないだろう。武原さんは自分の身よりもまず先に、家族や友達のことを考えて行動するはずだ。彼女は、そういう人だ。

 だとするなら、家とは別方向……だがぼくの家がある方向じゃない。もし武原さんの身になにか危険があったのなら、彼女はまず人気のない場所へ行こうとするはず。自分に降りかかってきた火の粉が他人に当たったりしないよう配慮して逃げているだろう。

 だとしたら、向かう場所は……

「森林公園かっ!」

 だとしたら、なるべく被害を出したくない武原さんは、どうやってあの公園まで行くだろうか。車やバイクには乗れない。公共交通機関も使えない。

 だったら答えは一つ。徒歩か走る、これ以外には考えられない。

 森林公園はここからだいたい一駅分。行こうと思えば行けない距離じゃないな。だが、今から走って追いかけたんじゃ追いつくはずがない。公共の乗り物を使おうにも電車やバスには予定時刻がある。どうする……。

「よおシュウじゃねぇか。どうしたんだ?」

 ぼくが考え込んでいると、背中から声がかけられた。振り返ると、ぼくの目に見慣れた顔が映し出される。

「父さん……?」

「おう、お前の父ちゃんだぞ。どうしたい、困っているようだが?」

 父さんはずずいっと顔を近づけてくと、二カッと白い歯を見せて笑う。よく焼けて真っ黒な肌に白い歯は、いかにもスポーツマンらしかった。

「まあそんなことより、今ぼくはかなり困っているんだ。急いで森林公園まで行きたい。連れて行ってもらえるか?」

「お、おう……かまわねぇよ」

 ぼくの剣幕に圧されてか、父さん健康的に焼けた黒い顔が怪訝そうに歪む。が、今はそんな些末なことに気を取られている場合ではない。早急に森林公園へ向かわなくては。

 ぼくと父さんは駐車場に止められていた黒塗りの乗用車に乗り込み、発進させる。車は駐車場を出て西へ向かう。駅から森林公園までは車でだいたい十五分程度かかるから、その間は武原さん救出の作戦でも練って時間を潰すとしよう。

「ところでよぉ、シュウ。ちょっと聞きてぇんだけどいいか?」

「なに、父さん」

 脳内作戦会議をしていたぼくの思考を遮るように、隣でハンドルを操りながら父さんが訊いてくる。

「何をそんなに慌ててんのか知らねぇが、森林公園にいったい何があるってんだ?」

「…………なにもないよ。ただ、やらなきゃいけないことがあるんだ」

「そいつは……大事なことなのか?」

「……大事だよ。とても大事だ……」

 車窓から流れる景色を眺めながら、父さんの質問に答えた。父さんはだた「そうか」と呟いただけだった。窓の外に目を向けているためその表情を窺い知ることはできないが、きっと笑っていることだろう。昔から、そういう思わせぶりな態度を取る人なのだ。

「なら、つかまってろっ!」

 そう言った次の瞬間、車体がいきなり反転した。ぼくは瞬間的に何が起こったのか判断し、車のドアポケットを握って体を固定する。

 車体は二百七十度ほど回転した後、乗用車がやっと一台通れるくらいの細い路地へ入って言った。対向車が来たらどうする気だろうと疑問に思ったりもしたが、そんなことを口にしていられるほど余裕があるわけではない。今はただ黙って、父さんを信じるより他はない。

 二、三度角を曲がると今度は路地を抜け、今朝電車の窓から見たような風景の街に躍り出た。そのまま他の車がいるのもおかまいなしに、ぼく達は右折して法定速度を無視した速度で突っ走る。

「なあ、さっきはしらねぇとか言ったが、やっぱり教えてもらえないか。お前何をそんなに急いでいやがんだ?」

 父さんが前を向いたまま訊いてくる。

「実はぼくの友達が、自称『ゴーストバスター』に狙われているんだ」

「なにっ!」

 父さんが思わずといったふうに助手席に顔を向ける。その拍子に車体が横に揺れ、危うく歩道を歩いていた中学生の集団へ突っ込みそうになった。

「前見ろよ前っ!」

「おっとすまねぇ」

 慌てて車体を持ち直すとまた、父さんから質問が飛んでくる。

「びっくりしたぜ。で、そいつの名前は?」

 ……あれ? なんだろう。馬鹿にされると思ったのに、信じてくれている? ありがたいんだが……なんなんだ、この感覚。父さんから、あの石亀さんと同じ雰囲気を感じる。

「早く名前教えろよっ!」

 少し苛立った口調で訊いてくる。ぼくは束の間のしゅうじゅんの後、彼の名前を告げた。

「石亀……鶴太朗……」

「石亀、鶴太朗……なるほどな」

 一人納得したように頷く父さん。わけが解らなかったが、どうやらふざけているわけではないということがハンドルを握る横顔から見て取れる。

 ほどなくして、ぼくと父さんは森林公園に到着した。駐車場の類いが見当たらなかったので、そのへんの路肩に車を止めて公園内へ侵入する。

 日も既に傾いてしまっていて、辺りはすっかり夜の闇と静寂さが支配していた。地表を照らし出す満月の光と、時折遠くから聞こえるフクロウの鳴き声が何とも言えず不気味だ。

 ぼくと父さんは木々を分け入り、公園の奥へと進む。目指すは中央に会ったあの古木。

 舗装された道を歩き、古木の下まで辿り着く。するとそこには、見覚えのある顔が二つ、並んでいる。

 一つは石亀鶴太朗さんの軽薄な笑顔。もう一つは武原結子さんの怯えた表情。両者とも、ぼく達の存在にはまだ気付いていないようだ。

 ぼくはカッと頭に血が上り、後先考えずに飛び出そうと両足に力を込める。

「まて」

 駆け出そうとしたぼくを、父さんが止める。

「なんだよ」

「まあまてって」

 そう言うと父さんはぼくを茂みの中へと押し込み、自分も身を隠した。

「お前、あの譲ちゃんのダチなんだろ?」

「ああ、だからこうして助けに来てるんだろ」

「それは解ってる。でだ、あの譲ちゃんの後ろ、なんか見えねえか?」

「はっ?」

 父さんの指差すところを見てみるも、僕には父さんがなにを言いたいのか解らなかった。武原さんの後ろにはただの大きな古木があるだけだ。

「……いや、何も」

「そうか……やっぱりお前に才能はないな」

 一言だけそう言うと、父さんは立ち上がり、茂みの中を歩いて石亀さんに近づいていく。その言葉に、ぼくは首を傾げるしかなかった。この状況で才能の話しなんかされても、ピンとこない。

「よぉ時折、久しぶりだな」

 軽く右手を上げて親しげに語りかける父親に、ぼくは思わず茂みから身を立ち上がった。

「知り合いっ!」

 ぼくの叫びに、木の根下にいた三人が振り返る。

「やーキミは……今朝と夕方に会った子だね。どうして諌早先輩と一緒にいるんだい?」

「ああ、こいつは俺の息子だ。後、俺はもう諌早じゃない」

「へー、先輩の息子さんですか。ちなみに名前はなんて言うんですか?」

「同業者に息子の名前なんか教えるかよ。お前だって今は石亀とか名乗ってるそうじゃねぇかよ」

「それもそうですね。あははははは」

 石亀さんを前に身構えるぼくを尻目に、父さんが警戒心の欠片もなく懐から煙草を取り出して火を点けた。こんなところで火なんか点けんなよとツッコミたくなったがそんな気にもなれなかったので、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。

「どういう、ことだ……」

 見れば武原さんが怯えた表情の中に狼狽の色を滲ませていた。今のぼくもきっと、あんな顔をしていることだろう。

 父さんがぼくに向き直って、

「心配するな。こいつは大学時代の俺の後輩だ。そして『ゴーストバスター』とういうのも実在する職種だ。ちなみに俺もこいつが言うところの『ゴーストバスター』だぞ」

「なっ……そんなわけないだろ。だいたい、父さん仕事の話とか全然しなかったじゃないか!信じられるわけないだろそんなもん!」

「えー、先輩息子さんに言ってなかったんですか? ひどいなぁ」

 石亀さんが大仰に肩を竦めて息を吐く。ぼくは父さんに向き直り、

「……何? どういうこと?」

 頭がこんがらがってきた。原材料の解らない中華料理を目の前に出された気分だ。それでも、料理だと理解出来るだけまだマシなのかも知れない。しかし今の状況は、口に含んでいいものかどうかも疑わしい。もう、自分でもなにを言っているのか解らなくなってきた。

 そんな感じで混乱しているぼくに、父さんが煙草の煙で輪っかを作りながらたどたどしく説明の言葉を口にする。

「あー……なんて言うかさ。俺と石亀が『ゴーストバスター』ってのはいい?」

「あんまりよくはないけど……まあそこはいいよ」

「それでだ、今そこにいる譲ちゃんには解り易く言うと幽霊が憑いているわけよ。アーユーオーケー?」

「……わかった」

「で、そこにいる石亀は譲ちゃんに憑いている幽霊を払おうとしているわけだよ」

 そこまで言うと、もう説明は終わったとでも言わんばかりに父さんは煙草をくわえ直した。次の説明を待っていたぼくは、ちっとも続きを話さない父さんに少しいらいらが募ってくる。

「……でっ?」

「はっ? 何が?」

 何が? じゃねぇよと叫びたくなる気持ちを抑え、ぼくは父さんから石亀さんへと向き直る。

「要するに、武原さんをいったいどうする気ですか?」

「ははは、どうするもこうするも、僕はただそこのお嬢さんに憑いているモノを払うだけだよ。一応はそれが仕事なわけだしね」

「そんなことは解ってます。でも、もし武原さんに憑いている幽霊を払う過程で彼女が傷付くというのでしたら、ぼくは全力であなたの邪魔をしますよ?」

「そいつは困るなぁ。それじゃ僕が仕事できなくなっちゃうよ」

 そう軽薄に笑って、懐から例の縦長の紙を取り出して構える石亀さん。ぼくも腰を低く落とし、臨戦態勢を取る。ぼく達の間は、まさに一色即発の状態だった。

「まあ待て、シュウ」

 石亀さんと対峙するぼくの肩を、父さんが緩く押さえつける。いや、押さえつけるというよりは、ただ手を乗せているだけと言った方が正しいのかもしれない。それでも、ぼくの体を全身から力を吸い取られるような感覚にあい、腰に力が入らずその場で尻餅をついてしまう。

「まったく、血の気が多いな。思春期のガキかお前は」

 視覚や聴覚に生きている。が、なぜか全身に力が入らず声が出せない。

「しょうがないじゃないですか。まさに血気盛んな思春期真っ只中なんですから。それに、ことこれに至っては先輩の責任も過分にしてあると思いますよ?」

「……そうだな。俺がちゃんと説明してればこんな騒ぎにはならなかったと思う。お前にも迷惑かけたようだしな」

 迷惑? なんのことだ?

 首はおろか、眼球すら動かせないぼくの鼓膜に、石亀さんの声が含み笑いをと共に響いてくる。

「いえいえ、僕はぜーんぜん気にしてませんから、先輩もどうか気に病まないでください。それに迷惑と言う程のことも何も無かったですし。それどころか、先輩には協力していただいて、感謝しているくらいですよ」

「……そうか、そいつは有り難てぇ。じゃ、今の内にとっとと済ませや」

「あいあーい」

 そう言ったかと思うと、父さんはぼくの隣に腰を下ろし、前方を見つめていた。いったい、何をする気だ?

 ぼくは状況が掴めないまま、動かない喉をなんとか動かして、ようやく声を絞り出した。

「……や……めろ……」

「おっ、今この子喋りましたよ。先輩のあの技を喰らって喋れる人なんて、僕初めて見ましたよ。流石は先輩の息子さん」

「こいつに才能はねぇよ。いいから、ちゃっちゃと終わらせろ」

「……お言葉に甘えて」

 草を踏む音がして、次に読経のようなものを読む石亀さんの声がぼくの鼓膜に届く。数秒後、視界の上半分が青白く光り、やがて消えた。

「おら立て。終わったぞ」

 父さんがぼくの背中に触れ、その途端今まで力が入らなかったのが嘘のように体が動き出した。ぼくはすぐさま立ち上がり、急いで武原さんの許まで行き、横たわる彼女の体を抱き起こす。

「大丈夫かっ! しっかりしろっ?」

 返事がない。が、死んでいるんじゃないことは上下する胸の動きや脈拍で解る。

「大丈夫だよ。ただ眠っているだけだから」

「……何をしたんだ……」

 ゆっくりと石亀さんの方を向く。今のぼくは、どういう表情をしていたんだろう。それは、可笑しそうに笑う石亀さんの顔から推し測るより他にない。

「あははははははっ! 僕は『ゴーストバスター』だよ。幽霊を払うったに決まっているじゃないか」

「幽霊を……払う……」

「そうだ。俺たちは霊を払うことが仕事だから、生きている人間に危害は加えない。解ったら返るぞ。母さんが心配する」

「え……あ……」

 まごついていると、石亀さんはぼくから武原さんを取り上げ、自分の腕ので抱える。

「僕には、まだもう一仕事残ってるんだ。だから、この子は僕がお家に返しておくね」

「そうか、じゃあ後始末頼んだぞ」

「あいあーい」

 二人の間でぼくはボーっとしていた。父さんが怒鳴り声にも似た大声を出し、ぼくは父さんの後に憑いていく。

「大丈夫か? あの人、武原さんに変なことしない?」

「大丈夫だ。安心しろ」

「でも……」

「そう何度も振り返るな。安心しろ。あいつは女には興味ないから」

「へっ…………」

 最後に、とんでもない事実を告げられた気がしたが、あまり深くは考えないことにした。


          4


 翌日、武原さんは今日も元気に学校生活を満喫していた。

「やーシュウくん、何かわたし、昨日変な夢を見たんだよ」

 そう前置きして話し出したのは、昨日 の石亀さんとの騒動の一部始終だった。細かいところは違ったものの、おおむねでは事実と一致している。大体、今朝見た夢をそう何時間も覚えておけるわけなだろうと思ったが、言わない方が吉と判断し、最後まで夢物語としてことの顛末まで聞いた。正直退屈で、半分くらいしか聞いていなかったが。

 最後まで語り終ると、満足したのか武原さんはぼくの側を離れ、他の友達の輪の中へと混ざって行った。しばらく見ていたが、やがて飽きたので窓の外に視線を移す。

 どうやら彼女の中では、昨日あった出来事は全て睡眠時に視た夢として処理されたようだ。これは石亀さんの?後始末?のお陰なのだろうか? まあ、それについては考えるだけ栓のないこと。思考するだけ無駄なことなのだろう。

 ぼくは机に突っ伏し、考えることを放棄した。


初めて執筆した小説です。いたらない点も多々あるかと思いますがどうぞ暖かい目で見守ってください。

また、小説をアップしたいと思いますので、その時はよろしくお願いします。

ではまた、自作にて。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 場面転換の間の取り方というか、自然さはかなりいい。 あと、鏡合わせ云々の掛け合いは中高生っぽくないセリフではあるけれど、好き。あの調子で淡々と文章をかけたら、いい雰囲気の小説が書けるんじゃ…
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