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異世界行政書士事務所 ~転生したら許認可チートでした。暴力ではなく「書類」で魔王をねじ伏せる~  作者: れーやん


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第3話 魔王の婚姻届——または、親族法の深淵について

 魔王の娘が椅子に座った瞬間、部屋の空気が変わった。


 重い。


 物理的な重さではない。だが、確かに何かが圧し掛かってくる。呼吸が浅くなり、肩が強張る。本能が警告を発している。


 イリアが聖司の背後に隠れた。バルザックでさえ、椅子に座り直す動作がぎこちない。


 魔圧。


 魔族が持つ、生来の威圧感。特に上位の魔族は、存在するだけで周囲を圧倒する力を持つという。


 だが、聖司は動じなかった。


 四十八年の人生経験と、二十年のMMOで培った肝の据わり方が、この程度の威圧で揺らぐことを許さない。かつてのギルドでは、もっと厄介な連中を相手にしてきた。リアルマネートレードの業者、チート使いの廃人、運営を訴えると喚く問題プレイヤー。


 魔王の娘くらい、どうということはない。


「……すまないが、その魔圧、抑えてもらえるか」


 女性が目を丸くした。


「え?」


「重過失による器物損壊を起こされると困る。うちの事務所、昨日借りたばかりでな。敷金も払ってない」


 一瞬の沈黙。


 そして、女性が小さく笑った。


 途端に、部屋の空気が軽くなった。イリアが大きく息を吐いた。


「……失礼しました。緊張していたもので」


「緊張?」


「はい。このような相談を持ち込めるのは、あなただけだと聞いていましたから」


 聖司は眉を上げた。


「俺のことを、どこで」


「奴隷市場の噂は、もう王都まで届いています。『契約を見ただけで、魔法契約を無効化した男がいる』と」


「大袈裟な話だ。俺は手続きの不備を指摘しただけだ」


「それができる者が、この世界にどれほどいると思いますか」


 女性は姿勢を正した。


「改めて、自己紹介させてください。私の名はリーゼロッテ。魔王アスモデウスの娘です」


 魔王の娘。


 イリアが小さく悲鳴を上げた。バルザックは顔を強張らせたまま動かない。


 聖司だけが、表情を変えなかった。


「それで、婚姻届の件だが」


「はい」


「相手は父親——魔王だと言ったな」


「はい」


「理由を聞いていいか。……いや、待て」


 聖司は目を細めた。


「その婚姻、目的は『相続』だな。魔王の遺産を、継承戦を経ずに確保するための法的スキーム。あるいは、他種族による魔王領への敵対的割譲申請——要するに領土の乗っ取り——への対抗策か」


 リーゼロッテの目が、わずかに見開かれた。


「……なぜ、それを」


「恋愛で親子が結婚したいなんて相談は来ない。来るとしたら、財産か権力が絡んでいる。四十八年生きてりゃ、それくらいは分かる」


 リーゼロッテは少し俯いた。


 その横顔は、先ほどまでの超然とした雰囲気とは違い、どこか疲れているように見えた。


「……父は、あと十年で死にます」


 聖司は黙って続きを待った。


「魔王の寿命は一万年。父は九千九百九十年を生きました。そして、魔王が死ぬと——領地も、軍も、財産も、すべてが『継承戦』の対象になります」


「継承戦」


「魔王の子供たちが、力で後継者を決める戦いです。私には、異母兄弟が四十七人います。そのほとんどが、私を殺そうとしています」


 リーゼロッテは顔を上げた。


「さらに、人間の王国や、エルフの連合が、魔王領の『割譲申請』を準備しています。父が死ねば、領土は分割されるでしょう。私が父と婚姻すれば、『配偶者』として財産の半分を相続できます。継承戦を経ずに、正当な権利として。そうすれば、軍の半分を維持でき、少なくとも——自衛のための力は残せます」


 聖司は腕を組んだ。


「つまり、愛だの恋だのという話ではなく」


「はい。純粋に、法的な自衛策です」


「なるほど」


 聖司は立ち上がり、事務所の隅に積まれた本の山に向かった。


 昨日、イリアが古書店から買い集めてきた法律書だ。『世界法大全』『帝国民法注釈』『魔族法制史』——そして、『世界親族法逐条解説』。


 重い本を机に置き、ページをめくり始めた。


 羊皮紙の匂いが鼻をつく。古い紙とインクの匂い。日本の法律書とは違うが、不思議と落ち着く匂いだった。


「先生、ちょっと待ってください!」


 イリアが叫んだ。


「待てって何をだ」


「いや、だって……親子の、婚姻って……」


「倫理的に問題だと言いたいのか」


「当たり前じゃないですか!」


 バルザックも立ち上がった。


「俺も同意見だ。いくら法的な戦略とはいえ、親子の婚姻は——人の道に外れる」


 聖司は本から目を上げなかった。


「法律に倫理を求めるな」


「……何?」


「法律は、倫理じゃない。ルールだ」


 聖司は淡々と言った。


「倫理ってのは、時代や地域で変わる。百年前の常識は、今の非常識だ。千年前の正義は、今の悪かもしれない。だが、法律は違う。条文に書いてあることが、すべてだ」


 ページをめくる音だけが、部屋に響いた。


「親子の婚姻が禁じられているなら、俺は断る。だが、禁じられていないなら——それは『できること』だ。俺の仕事は、できることを、できるようにすることだ」


 四十八年の人生で、聖司は何度もこの問題にぶつかってきた。


 法律と倫理の乖離。正しいことと、合法なことの違い。


 若い頃は悩んだ。だが、今は割り切っている。法律家は、法律の範囲内で最善を尽くす。それ以上でも、それ以下でもない。


 イリアが何か言いかけた。


 だが、聖司の目つきを見て、口を閉じた。



 二時間が経った。


 聖司は『世界親族法逐条解説』のページをめくり続けていた。ロウソクの火が揺れている。目が疲れてきた。


 腹も減った。


「……飯が不味いと、知恵も出ない」


 聖司は本を置き、鞄の中を漁った。


 転移した時、なぜか一緒に来ていたもの。万年筆と、もう一つ。


 小さな布袋。中身は、乾燥した削り節と昆布の粉末。自作の「携帯出汁パック」だった。


 事務所で徹夜する時のために、いつも鞄に入れていた。熱湯を注げば、即席の出汁になる。それだけで、コンビニ飯が少しだけマシになった。


「イリア、湯を沸かしてくれ。それと、乾燥肉と硬いパンがあったはずだ」


「え? あ、はい」


 イリアが慌てて動き出す。


 リーゼロッテが、不思議そうな顔をしていた。


「何をするんですか?」


「飯を食う。お前も食え。腹が減っては戦はできん」


 湯が沸いた。


 聖司は椀に乾燥肉と硬いパンを入れ、出汁パックの中身を振りかけ、熱湯を注いだ。


 途端に、部屋中に香りが広がった。


 鰹と昆布の、深い香り。


「な……なんですか、この匂いは……」


 イリアが目を見開いた。バルザックが鼻をひくつかせている。リーゼロッテでさえ、魔圧を忘れたように身を乗り出してきた。


「出汁だ。俺の故郷の調味料みたいなもんだ」


 聖司は椀を持ち上げ、ふやけたパンと肉を啜った。


 不味い。


 元の素材が死んでいる。それに、この世界の水は硬すぎる。硬水では昆布の旨味が十分に引き出せない。日本の軟水なら、もっとまろやかな出汁が取れるはずだ。


 だが、何もないよりはマシだ。


「……食うか?」


 三人が、無言で頷いた。



 食事を終えた頃には、夜が更けていた。


 聖司は再び『世界親族法逐条解説』に向き合っていた。


 第一編。総則。第二編。婚姻。第三編。親子。第四編。親権。第五編。後見。第六編。相続。


 婚姻の章を開く。


 第731条。婚姻適齢。第732条。重婚の禁止。第733条。再婚禁止期間。第734条。近親者間の婚姻の禁止。


 第734条。


 聖司の目が、その条文に止まった。



第734条(近親者間の婚姻の禁止)

直系血族又は三親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない。ただし、養子と養方の傍系血族との間では、この限りでない。


(注釈)本条にいう「血族」とは、血縁関係に基づく親族をいう。魔力鑑定により血縁が証明された者は、血族として扱う。



 聖司は、その条文を三回読んだ。


 ふと、ページの余白に目が留まった。


 古びた羊皮紙の隅に、薄い墨で何かが書かれている。


 カタカナだ。


 「ミサト」


 聖司の目が、一瞬だけ細くなった。


 ……やはり、この世界の法体系の根底には「彼女」がいるのか。


 数百年前にこの街を作ったという、伝説の女性。ルシエラが言っていた「ミサト」という名の転生者。


 彼女が、この世界の法律を整備した。


 だとすれば、この法体系には、日本の法律家なら見抜ける「穴」があるはずだ。


 聖司は別のページを開いた。


 第四編。親権。第818条。



第818条(親権者)

成年に達しない子は、父母の親権に服する。

2 子が養子であるときは、養親の親権に服する。


(注釈)本条にいう「父母」とは、血縁上の父母をいう。養親は、養子縁組契約に基づき親権を取得する。



 血縁上の父母。


 養子縁組契約に基づく親権。


 聖司の頭の中で、何かがカチリと噛み合った。


 これは——穴だ。


 法律の、穴。


「……リーゼロッテ」


「はい」


「お前の母親は」


「死んでいます。私が生まれてすぐに」


「魔王との間に、正式な婚姻関係はあったか」


「ありませんでした。母は側室でしたので」


 聖司は、静かに本を閉じた。


「イリア」


「は、はい」


「この世界で、『父親』を証明する方法は何だ」


「え? それは……魔力鑑定です。血縁関係は、魔力の波長で判別できますから」


「それ以外の方法は」


「……ないと思います」


「戸籍は?」


「こせき……?」


「出生届。親子関係を公的に記録する制度だ」


 イリアは首を傾げた。


「そのようなものは、聞いたことがありません。親子関係は、魔力鑑定で証明するのが普通ですから」


 聖司は、ゆっくりと頷いた。


「なるほど」


 そして、リーゼロッテに向き直った。


「結論から言う。お前と魔王の婚姻は、可能かもしれない」


 イリアが息を呑んだ。バルザックが絶句した。


 リーゼロッテだけが、静かに聖司を見つめていた。


「説明しろと言いたい顔だな」


「……お願いします」


「いいだろう」


 聖司は机に手をついた。


「この世界では、親子関係を証明する方法は魔力鑑定だけだ。戸籍のような公的記録はない。つまり——『血縁上の親子』と『法的な親子』を、分離できる余地がある」


「分離……?」


「第734条は、『直系血族』の婚姻を禁止している。血族とは、血縁関係に基づく親族だ。だが、注釈を見ろ。『魔力鑑定により血縁が証明された者は、血族として扱う』と書いてある」


 聖司は指を立てた。


「逆に言えば、魔力鑑定で血縁が『証明されなければ』、法的には血族ではない」


 リーゼロッテの目が見開かれた。


「まさか——」


「お前と魔王の間に、公的な親子関係を証明する記録はあるか」


「……ありません。母が側室だったため、正式な記録は残されていないはずです」


「魔力鑑定は」


「受けたことはありません」


「つまり」


 聖司は、静かに言った。


「現時点で、お前と魔王が『法的な親子』であることを証明する公的記録は、存在しない」


 部屋が静まり返った。


 イリアが、震える声で言った。


「で、でも……実際には親子なんでしょう?」


「実際にどうかは、法律には関係ない。法律が見るのは、記録と手続きだ」


 聖司はリーゼロッテに向き直った。


「だが、これだけでは不十分だ。婚姻届を出せば、ギルドは当然、魔力鑑定を要求してくる。そうなれば、血縁関係が証明され、婚姻は認められない」


「では……」


「だから、順序を変える」


 聖司の目が、暗く光った。


 一歩間違えれば、国家反逆罪に問われるかもしれない。だが、書類さえ完璧なら、誰も俺に触れられない。


 それが、行政書士という仕事だ。


「まず、お前を魔王の『養子』にする」


「……養子?」


「養子縁組契約だ。この世界では、養子縁組は『契約』として処理される。つまり、血縁関係とは無関係に、法的な親子関係を創設できる」


 リーゼロッテは眉をひそめた。


「ですが、私は既に魔王の子供です。血縁上の子供が、養子になれるのですか?」


「なれる」


 聖司は本を開いた。


「第817条の2。『成年者は、養子縁組契約により、養子となることができる。この場合において、養子となる者が養親の血族であるときも、同様とする』」


 ページを指差す。


「注釈を見ろ。『養子縁組契約が成立した場合、従前の血縁関係は法的には消滅しないが、親権及び相続に関しては、養子縁組契約が優先する』」


「つまり……」


「お前が魔王の養子になった場合、お前と魔王の関係は『養親と養子』になる。血縁上の親子関係は残るが、法的な親子関係は養子縁組契約に上書きされる」


 聖司は本を閉じた。


「そして、第734条但書。『養子と養方の傍系血族との間では、この限りでない』。この条文は、養子縁組によって生じた法的親子関係には、婚姻制限が適用されないことを示唆している」


「しかし、魔王は傍系血族ではなく、直系の——」


「待て。条文をもう一度読め。『直系血族又は三親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない』。ここでいう直系血族は、『血縁関係に基づく』直系血族だ」


 聖司は指を組んだ。


「養子縁組後のお前と魔王の関係は、血縁関係に基づく親子ではなく、契約に基づく親子だ。そして、契約に基づく親子関係は、厳密には『直系血族』の定義に含まれない可能性がある」


 リーゼロッテは、長い間黙っていた。


 やがて、小さく呟いた。


「……法律の、穴」


「そうだ」


 聖司は、万年筆を取り上げた。


 心の中で、苦笑した。


 現実の日本なら、この案件は完全にアウトだ。養子縁組と婚姻の同時並行、しかも近親婚の制限を潜り抜けるためのスキーム。職権濫用か弁護士法違反で、即座にバッジを剥奪される展開だろう。


 だが、この世界には業際がない。弁護士も、司法書士も、家庭裁判所もない。


 俺がやるしかない。


「ただし、これはあくまで理論上の可能性だ。実際に婚姻届を受理させるには、もう一つ手続きが必要になる」


「何でしょうか」


「魔王を『被後見人』にする」


「……は?」


「後見制度だ。判断能力が低下した者に、後見人をつける制度がある。魔王が被後見人になれば、財産管理と身上監護の権限は後見人に移る。お前が後見人になれば、継承戦を経ずに実質的な支配権を確保できる」


 リーゼロッテは絶句した。


「父を……被後見人に……?」


「婚姻と後見、両方を組み合わせれば、お前の法的地位は盤石になる」


 聖司は窓の外を見た。


 二つの月が、夜空に浮かんでいる。


 この世界の法律は、穴だらけだ。


 だが、それは——自分にとっては、宝の山でもある。


「今夜中に、養子縁組契約書と婚姻届の草案を作る。後見申立ての準備もだ」


 聖司は立ち上がった。


「だが、書類だけでは足りない」


「……と言いますと」


「婚姻届を受理させるには、魔王本人の『意思確認』が必要だ。本人が婚姻に同意していることを、ギルドの窓口で証明しなければならない」


 リーゼロッテの顔が強張った。


「父は……魔王城から出られません。寿命が近く、体が弱っていて……」


「だったら、こっちから行くしかないな」


 聖司は万年筆を懐にしまった。


「魔王城に乗り込むぞ」


 イリアが悲鳴を上げた。


 バルザックが目を剥いた。


 リーゼロッテだけが、静かに聖司を見つめていた。


 その目には、驚きと——かすかな希望が宿っていた。


「……本気、ですか」


「当たり前だ。クライアントの依頼を完遂するのが、俺の仕事だ」


 聖司は、静かに笑った。


「魔王城だろうが、天界だろうが、書類を通すためなら行ってやる」


 長い夜が、明けようとしていた。




第3話 完



次回予告


第4話「魔王城への道——または、幻獣保護法の罠」


「魔王城まで、徒歩で二週間。馬車で一週間」

「遠いな……」

「ただし、途中の村で『熊』が出ます。巨大な魔獣です。幻獣保護法で殺せません」

「……殺さずに、どうにかする方法を考えろ」


——行政書士は、魔獣すら書類で倒す。

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