第23話 監査——または、記録という名の罠について
事務所のドアが、蹴破られた。
「王立監査院だ。湊聖司、動くな」
黒い制服を着た男たちが、なだれ込んでくる。
その先頭に立っているのは——ヴィクトール・ランゲ。
昨日まで禁書庫の司書長だった男が、今は監査官の腕章をつけている。
「ヴィクトール。説明しろ」
聖司は、机から立ち上がらなかった。
冷静を装う。だが、心臓は早鳴りしている。
「説明? 必要ない。これが令状だ」
ヴィクトールが、羊皮紙を投げてよこした。
聖司は、それを手に取った。
【契約視認】を発動する。
『実地監査令状
対象:湊聖司行政書士事務所
監査範囲:過去10年分の全業務記録
根拠法:王国監査法第12条
発行者:王立監査院長官
備考:対象者は、監査官の指示に従い、全ての記録を開示する義務を負う。
拒否した場合、証拠隠滅の疑いで逮捕する。』
聖司の目が、細くなった。
「監査範囲が『過去10年分』になっているな」
「そうだ」
「俺がこの世界に来たのは11年前だ。事務所を開いたのは、ほぼ10年前。つまり、この令状は——俺の全業務記録を対象にしている」
「察しがいいな」
ヴィクトールが、薄く笑った。
「お前の事務所には、『何か』が隠されている。それを見つけるのが、今日の仕事だ」
「先生!」
イリアが、聖司の前に飛び出した。
「何をするんですか! 先生は何も悪いことなんて——」
「イリア、下がれ」
聖司の声は、静かだった。
「大丈夫だ。俺は行政書士だ。書類の戦いなら、負けない」
聖司は、ヴィクトールを真っ直ぐに見た。
「いいだろう。監査を受ける。——ただし、条件がある」
「条件?」
「王国監査法第15条。『監査対象者は、監査の範囲および方法について、異議を申し立てる権利を有する』。俺は、この権利を行使する」
ヴィクトールの眉が、わずかに動いた。
「具体的には?」
「まず、監査の『目的』を明示しろ。漠然とした『不正の疑い』では、監査の正当性を認めない」
「……」
「次に、『除斥期間』の問題だ。王国民法第167条。『権利の行使は、10年を経過したときは、時効によって消滅する』。10年以上前の記録を問題にするなら、その正当性を示せ」
監査官たちが、ざわめいた。
ヴィクトールは、無表情のまま聖司を見つめていた。
「さすがだな、湊。禁書庫で見た時から、只者ではないと思っていた」
「褒め言葉か?」
「事実だ。——だが、俺も準備はしてきた」
ヴィクトールが、懐から別の書類を取り出した。
「王国監査法第18条の2。『国家の安全に関わる重大事案については、除斥期間の適用を排除することができる』。今回の監査は、この条項に基づいている」
聖司の表情が、わずかに強張った。
「国家の安全? 俺の事務所が、国家の安全を脅かしていると?」
「そうだ。お前は——『この世界の設計』に関わる人物だ。禁書庫で、自分の目で確認しただろう」
イリアが、困惑した顔で二人を見ている。
聖司は、彼女を見なかった。
見れば、何かを悟られてしまう。
「始めろ」
ヴィクトールが、部下たちに命じた。
「全ての書棚を調べろ。一枚も見逃すな」
監査官たちが、事務所中に散らばった。
書棚が開けられ、ファイルが引き出されていく。
聖司は、黙ってそれを見ていた。
「……見事なファイリングだな」
ヴィクトールが、一冊のファイルを手に取った。
「日付順、案件番号順、依頼人別。三重のインデックス。どこからでも目的の書類に辿り着ける」
「当然だ。行政書士の仕事は、記録を残すことだ」
「だが、記録は——嘘をつくこともある」
ヴィクトールが、聖司を見た。
「お前のファイルには、一つ、奇妙な特徴がある」
「何だ」
「『親族』の記載が、一切ない」
聖司の体が、わずかに強張った。
「10年分の業務日誌。依頼人との面談記録。経費の精算書。——どこにも、お前の家族や親戚への言及がない」
「それが、何か問題か」
「問題ではない。だが、異常だ」
ヴィクトールは、ファイルを閉じた。
「この街で10年。それだけの時間があれば、普通は地縁ができる。親戚付き合いができる。だが、お前にはそれがない」
「俺は——」
「一人っ子で、親戚がいない。そうだろう?」
聖司は、黙った。
ヴィクトールが、一歩近づいた。
「お前はこの街にとって、10年居座り続けた『透明な幽霊』だ。根っこがない。繋がりがない。——そんな男が、なぜこの街の法を支配しようとする?」
「黙れ」
聖司の声が、低くなった。
「血の繋がりがないことは、法的な不備じゃない」
「だが、社会的な——」
「社会的な何だ? 信用か? 正統性か?」
聖司は、ヴィクトールを睨みつけた。
「俺は『個』としてこの街と契約している。依頼人一人一人と、書類を通じて繋がっている。それが、俺の『根っこ』だ」
「……」
「親戚がいないから何だ。地縁がないから何だ。俺がこの街で積み上げた10年を、お前の安っぽい尺度で測れると思うなよ」
沈黙が流れた。
監査官たちの手が、止まっていた。
イリアが、目を潤ませて聖司を見ていた。
ヴィクトールが、小さく笑った。
「……いい目だ。高橋が選んだ理由が、また少し分かった」
「教授の名前を出すな」
「出さざるを得ない。——なぜなら、これがあるからだ」
ヴィクトールが、書棚の奥から一冊のファイルを引き出した。
古びた革表紙。埃を被っている。
聖司は、そのファイルに見覚えがなかった。
「何だ、それは」
「お前の事務所の、『11年前』の記録だ」
聖司の心臓が、跳ねた。
「11年前? 俺はまだこの世界に——」
「来ていなかった。そう、お前はまだ来ていなかった」
ヴィクトールが、ファイルを開いた。
「だが、この記録は存在する。お前が来る前から、この場所には『行政書士事務所』があった」
聖司は、ファイルを奪い取った。
中を見る。
古い羊皮紙。黄ばんだインク。
そこに書かれていたのは——
「……これは」
聖司の声が、震えた。
遺産分割協議書。
相続人の名前。財産の目録。分割の割合。
その構成が——日本で、聖司が最後に扱った事件と、全く同じだった。
「ヴィクトール。この書類、なぜお前が持っている」
「持っているのではない。お前の事務所にあったのだ」
「嘘だ。俺はこんなファイル、見たことがない」
「見たことがない? ならば、誰が作った」
ヴィクトールの目が、鋭く光った。
「この書類は、11年前の日付で作成されている。だが、その内容は——お前が日本で扱った事件の完全なコピーだ」
「……」
「お前は本当に、11年前にこの世界に来たのか? それとも——もっと前から、ここにいたのか?」
聖司は、書類を握りしめた。
頭の中が、混乱していた。
この書類は、日本で最後に扱った事件だ。
依頼人は、高齢の女性だった。夫を亡くし、三人の子供たちの間で遺産分割が揉めていた。
聖司は、全員が納得できる協議書を作成した。
それが、行政書士としての最後の仕事だった。
その翌日——聖司は、過労で倒れ、そのまま死んだ。
なぜ、その書類が——この世界に?
「湊聖司」
ヴィクトールの声が、響いた。
「お前の存在は、この世界にとって『矛盾』だ。お前が来る前から、お前の記録がある。お前が死ぬ前から、お前の死後の物語が始まっている」
「……」
「お前は、本当に『転生者』なのか。それとも——この世界が、お前を『生み出した』のか」
聖司は、答えられなかった。
自分が何者なのか。
もう、分からなくなっていた。
第23話 完
次回予告
第24話「矛盾——または、存在証明について」
「俺は、湊聖司だ。日本で生まれ、日本で死に、この世界に転生した」
「その『記憶』は、本物か?」
「本物だ。俺の48年間は——」
「ならば、この書類を説明しろ。お前が生まれる前に、お前の筆跡で書かれた書類を」
——自分の存在が、根底から揺らぐ。
聖司は、「自分が自分である証拠」を、どうやって示すのか。




