第21話 設計者の遺言——または、未完の物語について
禁書庫の最奥。
聖司は、床に座り込んでいた。
手には、『設計仕様書』と題された羊皮紙の束。
その表紙には、高橋教授の署名があった。
『異世界行政書士事務所 設計仕様書 Ver.0.91(未完)』
Ver.0.91。
つまり、完成版ではない。
聖司は、震える手でページをめくった。
『第1章 世界の目的
本世界は、「物語」と「法」の融合による新たな社会実験場として設計される。
目的:法的秩序が、魔法や武力に代わる「最強の力」として機能する世界の構築。
仮説:適切な法制度と、それを運用する実務家がいれば、いかなる世界も秩序を保てる。』
聖司の手が、止まった。
——教授。あなたは、こんなことを考えていたのか。
大学時代、高橋教授はよく言っていた。
「法律は、物語だ。条文の一つ一つに、それを作った人間の想いが込められている」
あの言葉は、比喩ではなかったのか。
教授は、本当に「法律で世界を作ろう」としていた。
『第2章 転生者の役割
本世界の安定的運営のため、「転生者」を配置する。
転生者の条件:
・法的知識を有すること
・実務経験を有すること
・「物語」への渇望を持つこと
転生者の役割:
・世界に生じる「論理矛盾」の検出と修正
・法制度の継続的改善
・住民の権利保護
備考:転生者は、世界の「デバッガー」であると同時に、「共同著者」でもある。』
共同著者。
その言葉が、聖司の胸に突き刺さった。
——俺は教授の「物語」の続きを書くためにここにいるのか。
かつて、小説家になりたかった。
物語を紡ぐ人間になりたかった。
だが、才能がなかった。新人賞に何度応募しても、一次選考すら通らなかった。
「君には、物語を『作る』才能はないかもしれない。だが、物語を『読む』才能がある」
高橋教授は、そう言った。
「法律を読め。条文を読め。そこには、無数の物語が眠っている。君はそれを見つけ出し、光を当てることができる」
あの言葉に従って、行政書士になった。
依頼人の人生という「物語」を、法律という「言語」で翻訳する仕事。
それが、自分の生きる道だと思っていた。
だが——
『第3章 行政書士事務所の設計
世界の調整弁として、「行政書士事務所」を設置する。
機能:
・住民の法的問題の解決
・行政手続きの代行
・法制度の欠陥の報告
設置場所:ミサト市中央区
担当者:湊聖司(転生者・第1号)
備考:事務所は、世界の「デバッグ・コンソール」として機能する。
ここで処理された案件は、世界全体の安定性に影響を与える。』
デバッグ・コンソール。
俺の事務所が、世界の「調整弁」だった。
トーマスの営業許可申請も。
リリスの婚姻届も。
ベリトの法人設立も。
全ては、世界の「バグ」を修正する作業だったのか。
「先生」
イリアの声が、背後から聞こえた。
「大丈夫ですか……? もう二時間も、そこに座っています」
聖司は、顔を上げなかった。
「イリア。お前は、俺が『選ばれた人間』だと知っていたか」
「え……?」
「俺は、この世界に『偶然』来たんじゃない。最初から、ここに来るように『設計』されていた」
イリアは、聖司の隣に座った。
「……先生。私には、難しいことは分かりません」
「……」
「でも、先生が私を助けてくれたこと。あの檻から出してくれたこと。それは、『設計』だったんですか?」
聖司は、イリアを見た。
「先生が、私の首の紋様を消してくれた時。先生は、『設計書』を読んでいましたか?」
「いや」
「じゃあ、あれは先生の『意志』だったんですよね」
イリアは、小さく微笑んだ。
「私を助けたいと思ったから、助けてくれた。それは、誰かに決められたことじゃない。先生が、自分で決めたことです」
聖司は、黙ってイリアを見つめた。
「私、難しい言葉は分かりません。でも、先生が今まで書いてきた書類は、全部『先生の意志』だったと思います。誰かの人生を守りたいと思って、書いてきたんですよね」
「ああ」
「それは、『設計書』には書いてなかったと思います。先生の『汗』は、先生だけのものです」
聖司は、小さく笑った。
「……お前、いつからそんなに賢くなった」
「先生の側にいたからです」
聖司は、再び仕様書に目を落とした。
ページをめくる。
第4章、第5章、第6章——
世界の物理法則。魔法体系。種族設定。
教授は、この世界の全てを設計していた。
だが、第7章から先は——空白だった。
『第7章 世界の未来
(未記入)
備考:本章は、転生者の判断に委ねる。
世界の「結末」は、設計者ではなく、そこに生きる者たちが決めるべきである。
——高橋誠一郎』
聖司の目から、涙がこぼれた。
——教授。あなたは、最後まで「物語」を信じていたんだな。
物語の結末は、作者が決めるものではない。
登場人物たちが、自らの意志で紡いでいくものだ。
だから、教授は「未完」のまま、この世界を離れた。
続きを書く権利を、聖司に——いや、この世界に生きる全ての者たちに、託した。
「仕様書に俺の人生は書いてあっても、俺が流した『汗』の書き方までは載っていなかった」
聖司は、立ち上がった。
「なら、ここから先は俺のペンで書き足させてもらう」
イリアが、嬉しそうに頷いた。
「はい、先生」
仕様書を鞄にしまおうとした時、聖司の手が止まった。
最後のページ。
そこに、別の紙が挟まっていた。
折り畳まれた、小さな羊皮紙。
聖司は、それを開いた。
そして——顔色が変わった。
『補遺:転生者支援要員について
転生者の精神的安定のため、「支援要員」を配置する。
支援要員の条件:
・転生者との相性が良いこと
・長期的なサポートが可能であること
・転生者の「居場所」となれること
配置済み支援要員:イリア(エルフ族・156歳・女性)
備考:支援要員の存続は、転生者の精神的安定度に依存する。
転生者が「目的外利用」——すなわち、
世界の安定よりも個人的な感情を優先した場合、
支援要員の存在は「不作為」として処理される。
警告:不作為の累積が閾値を超えた場合、支援要員は「消去」される。』
聖司の手が、震えた。
イリアは、「設計」された存在だった。
俺を支えるために、この世界に配置された。
そして——俺が「間違った選択」をすれば、イリアは消える。
「先生? どうしたんですか?」
イリアが、不思議そうに聖司を見つめている。
何も知らない。
自分が「支援要員」として設計されたことも。
消去される可能性があることも。
聖司は、その紙を素早く折り畳んだ。
「……何でもない。少し、目が疲れただけだ」
「お茶、淹れましょうか? 事務所に戻れば、軟水のお茶がありますよ」
「ああ。……そうだな。帰ろう」
聖司は、イリアに背を向けた。
その手は、仕様書を強く握りしめていた。
——教授。あなたは、これも「設計」したのか。
俺が、イリアを守ろうとすること。
それが、「目的外利用」になるかもしれないこと。
全て、分かっていて——
聖司は、歯を食いしばった。
——関係ない。
設計だろうが、仕様だろうが、関係ない。
イリアは、俺の助手だ。
俺が守る。
たとえ、世界のルールを書き換えることになっても。
「先生、早く行きましょう。バルザックさんも心配してますよ」
「ああ。今行く」
聖司は、禁書庫の出口に向かって歩き出した。
その背中を、ヴィクトールが静かに見送っていた。
「……高橋。お前の弟子は、お前以上に厄介な男になりそうだ」
司書長の呟きは、誰にも聞こえなかった。
第21話 完
次回予告
第22話「再起動——または、日常という名の戦場について」
「先生、今日の依頼は何ですか?」
「営業許可の更新手続きだ。クライアントは、トーマス」
「トーマスさん! 久しぶりですね」
「ああ。——少し、聞きたいこともある」
——世界の秘密を知った聖司。
だが、彼の仕事は変わらない。
依頼人のために、書類を書く。それが、行政書士の日常だ。
——たとえ、その日常が「設計された戦場」だとしても。




