第20話 ルールの番人——または、世界の裏側について
王立図書館ミサト分館。
その建物は、ミサト市の中心部にひっそりと佇んでいた。
古びた石造り。蔦が絡まった外壁。窓は小さく、中の様子は窺えない。
聖司の目的は、一般の閲覧室ではなかった。
「禁書庫」
イリアが、不安そうに呟いた。
「先生、本当に入れるんですか? 禁書庫は、王族か高位魔導師しか入れないと聞いています」
「入れる。法的には、な」
聖司は、鞄から書類を取り出した。
『公文書閲覧請求書』。
新憲法で保障された「知る権利」に基づき、行政機関が保有する情報の開示を求める手続きだ。
図書館の受付は、眼鏡をかけた初老の女性だった。
聖司が請求書を差し出すと、彼女は目を丸くした。
「禁書庫への閲覧請求? 前例がありませんが……」
「前例がないことと、法的に不可能であることは別だ」
聖司は、条文を指差した。
「新憲法第21条。『国民は、行政機関が保有する情報にアクセスする権利を有する』。王立図書館は行政機関だ。禁書庫も、その管轄下にある」
「しかし、禁書庫には『閲覧権限』が——」
「その権限の根拠法を示してくれ」
「え?」
「禁書庫への立ち入りを制限する法律の条文だ。それがなければ、制限には法的根拠がない」
受付の女性は、困惑した顔で奥へ消えていった。
しばらくして、別の人物が現れた。
長い白髪を後ろで束ねた、痩せぎすの男。目は鋭く、口元には皮肉な笑みが浮かんでいる。
「私は、この図書館の司書長。ヴィクトール・ランゲだ」
「行政書士の湊聖司だ。禁書庫への閲覧請求を——」
「聞いている。だが、却下だ」
ヴィクトールは、聖司の請求書を一瞥もせずに言い放った。
「禁書庫の情報は、『国家機密』に該当する。新憲法第21条第2項の除外規定により、開示義務の対象外だ」
聖司は、眉一つ動かさなかった。
「その『国家機密』指定は、いつ、誰が、どのような手続きで行った?」
「何?」
「国家機密の指定には、法的手続きが必要だ。指定権者の決裁、指定理由の記録、定期的な見直し。それらの手続きを経ていない『機密指定』は、無効だ」
ヴィクトールの目が、わずかに細くなった。
「……お前、何者だ」
「言っただろう。行政書士だ」
聖司は、鞄から別の書類を取り出した。
「『審査請求書』。禁書庫への立ち入り拒否が不当であるとして、上級機関への異議申し立てを行う」
「審査請求だと?」
「ああ。お前が却下するなら、王都の法務局に判断を仰ぐ。法務局の判断にも不服があれば、王立裁判所に提訴する」
聖司は、ヴィクトールを真っ直ぐに見据えた。
「俺は、法的手続きを全て踏む用意がある。一年かかろうが、十年かかろうが、必ずあの扉を開ける。それでも、却下するか?」
沈黙が流れた。
イリアが、固唾を呑んで二人を見守っている。
ヴィクトールが、ふっと笑った。
だが、その笑みはどこか寂しげだった。
「……湊聖司。お前のことは、聞いている」
「何を」
「新憲法を書いた男。魔族の法人を受理させた男。そして——この世界に『異世界』から来た男」
聖司の体が、強張った。
「知っていたか」
「禁書庫の番人を、何年やっていると思う。この世界の『裏側』を、誰よりも知っているつもりだ」
ヴィクトールは、聖司に背を向けた。
「ついてこい。見せてやる——お前が求めている『真実』を」
禁書庫への階段は、果てしなく続いていた。
螺旋状に地下へと降りていく。壁には、古代の文字が刻まれている。
空気が、冷たくなっていく。
「この先にあるものを見れば、お前の人生は変わる」
ヴィクトールが、歩きながら言った。
「今の幸せを捨てることになるかもしれない。それでも、進むか」
「進む」
聖司は、即答した。
「真実を知らずに書く書類は、ただの紙屑だ。俺は、紙屑を書くために行政書士になったんじゃない」
ヴィクトールは、何も言わなかった。
ただ、その背中が、わずかに震えたように見えた。
最深部。
巨大な鉄の扉が、聖司たちの前に立ちはだかっていた。
扉には、複雑な魔法陣が刻まれている。
ヴィクトールが、呪文を唱えた。
魔法陣が光り、扉がゆっくりと開いていく。
その向こうには——
「……何だ、これは」
聖司の声が、かすれた。
禁書庫の内部は、図書館というより——研究室だった。
壁一面に、紙が貼られている。
図表。フローチャート。数式。
そして、その紙に書かれた文字は——
「日本語……?」
聖司は、目を疑った。
間違いない。ひらがな、カタカナ、漢字。
現代日本の文字が、この世界の最深部に存在している。
聖司は、壁に近づいた。
貼られた紙を、一枚一枚、読んでいく。
『異世界構築プロジェクト 第3次報告書』
『魔法体系の数理モデル化について』
『転生者の選定基準と適性評価』
そして——
『法制度設計 担当:高橋誠一郎』
聖司の心臓が、止まりそうになった。
「教授……」
高橋教授は、この世界を「作った」側の人間だった?
震える手で、報告書をめくっていく。
『本プロジェクトは、「物語」と「法」の融合による新世界創造を目的とする』
『世界の基盤となる法体系は、日本国憲法および行政法を参考に設計』
『転生者には、法的知識を持つ者を優先的に選定。世界の「運営」を担わせる』
聖司の手が、止まった。
報告書の末尾。
そこには、表が記載されていた。
『転生者候補リスト』
名前、職業、選定理由——
そして、その最上段に。
「……嘘だろ」
聖司の声が、震えた。
『湊聖司 行政書士 登録番号:第12345678号』
『選定理由:法的知識、実務経験、物語への渇望』
『備考:高橋教授の推薦。「神童」としての資質あり』
そして、その横に記された日付は——
この世界が創造されたとされる年よりも、十年も前だった。
「お前は、最初から——」
ヴィクトールの声が、背後から聞こえた。
「この世界のために、選ばれた人間だ」
聖司は、振り返った。
「どういう意味だ」
「この世界には、『ルール』がある。法律とは別の、もっと根源的なルールだ」
ヴィクトールの目が、静かに聖司を見据えていた。
「お前は、そのルールを『書く』ために、この世界に送り込まれた。——高橋教授の、最後の弟子として」
聖司は、報告書を握りしめた。
頭の中が、真っ白になっていた。
自分の人生は、自分で選んだものだと思っていた。
行政書士になったのも。この世界に来たのも。
全ては、偶然だと——
「隠蔽された真実の上に、正しい法を築くことはできない」
聖司は、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
だが、今度は——
その「真実」が、自分自身の存在だった。
その時、図書館全体が震えた。
壁に刻まれた魔法陣が、赤く輝き始める。
「何だ……?」
「まずい」
ヴィクトールの顔色が変わった。
「『番人』が来る。禁書庫に無断で入った者を、排除するための——」
彼の言葉は、最後まで続かなかった。
聖司の背後に、影が立っていた。
人の形をしているが、顔がない。
全身が、黒い霧のような何かで構成されている。
そして、その「声」が——聖司の頭の中に直接響いた。
『ルールの番人として、問う』
影が、聖司を見下ろしていた。
『汝は、この世界の「設計者」か。それとも、「住民」か』
聖司は、震える足で立ち上がった。
報告書を、胸に抱えたまま。
「俺は——」
言葉が、出てこなかった。
自分は、何者なのか。
選ばれた「設計者」なのか。
それとも、この世界で生きる「住民」なのか。
答えが、分からなかった。
『答えよ。さもなくば、消去する』
影の声が、冷たく響いた。
イリアが、聖司の前に飛び出した。
「先生を消すなんて、させません!」
「イリア、下がれ!」
「嫌です! 先生は、私の——」
影の腕が、イリアに向かって伸びた。
聖司は、考えるより先に動いていた。
イリアを突き飛ばし、自分が影の前に立った。
そして——
「俺は、行政書士だ」
聖司は、影を真っ直ぐに見据えた。
「設計者でも、住民でもない。この世界の『法』を書く者だ」
影が、動きを止めた。
「お前のルールが何か知らないが、俺には俺のルールがある。依頼人のために書類を書く。それが、俺の仕事だ」
聖司は、報告書を掲げた。
「この世界が誰に作られたかなんて、関係ない。今、この世界で生きている人々がいる。その人々の権利を守るために、俺は書類を書く」
沈黙が流れた。
影は、聖司をじっと見つめていた。
『……面白い』
影の声が、わずかに変わった。
『汝は、予想を超えた存在だ。——高橋が選んだ理由が、少し分かった』
「教授を知っているのか」
『知っている。彼は、この世界の「法」を設計した。だが、完成を見ずに——消えた』
影は、ゆっくりと後退し始めた。
『湊聖司。汝に、一つの「権限」を与える』
「権限?」
『この禁書庫への、正式な閲覧権限だ。汝が求める真実は、まだここにある。——だが、全てを知った時、汝がどうなるかは、保証しない』
影は、闇の中に溶けていった。
静寂が戻った。
イリアが、震えながら聖司にしがみついていた。
「先生……怖かったです……」
「ああ。俺もだ」
聖司は、イリアの頭を撫でた。
そして、手の中の報告書を見つめた。
高橋教授。
恩師は、この世界を作った。
そして、聖司を——この世界に送り込んだ。
「教授……あなたは、俺に何をさせたいんだ」
答えは、まだない。
だが、聖司は知っていた。
この禁書庫に、その答えがある。
そして——その答えを知った時、自分の人生は、二度と元には戻らない。
第20話 完
次回予告
第21話「設計者の遺言——または、未完の物語について」
「この報告書には、続きがある」
「続き?」
「教授が最後に書いた文書。『異世界行政書士事務所 設計仕様書』——そこに、全ての答えがある」
「待ってください。『異世界行政書士事務所』って……それ、先生の事務所の名前じゃ——」
——恩師が遺した「設計図」。
そこに記されていたのは、聖司の事務所と、この世界の「本当の目的」だった。




