第16話 新憲法——または、首輪の付け方について
貴族院の大議場は、異様な熱気に包まれていた。
半円形の階段席に、王国の全貴族が居並んでいる。
金糸の刺繍が施された礼服。宝石をちりばめた勲章。権力と富の象徴が、所狭しと並んでいる。
その最前列——被告人席に、ハルド・フォン・ギルバートが座っていた。
鎖こそ外されているが、両脇には衛兵が立っている。
かつて王国の法を支配した男は、今や裁かれる側だった。
議長席に、エドワルド・フォン・シュタインベルクが立った。
「本日の議題は二つ。第一に、ハルド・フォン・ギルバートに対する弾劾決議。第二に、王国新憲法草案の採決である」
議場がざわめいた。
二つの議題は、表裏一体だった。
ギルバートの弾劾は、旧体制の終焉を意味する。
新憲法の採決は、新体制の始まりを意味する。
どちらか一方だけでは、意味がない。
傍聴席の隅で、聖司は腕を組んで座っていた。
隣には、バルザックとイリアがいる。
「先生。本当に、傍聴席でいいんですか」
イリアが、小声で聞いた。
「ああ。俺は行政書士だ。議場に立つ資格はない」
「でも、この憲法を書いたのは——」
「書いたのはエドワルドだ。俺は、少し手伝っただけだ」
聖司は、議場を見つめた。
「それに、今日の主役は俺じゃない。——あの男だ」
弾劾審議が始まった。
検察官役の法務官が、ギルバートの罪状を読み上げる。
「殺人教唆。公金横領。証拠隠滅。そして——禁呪の使用」
議場が、静まり返った。
禁呪。
その言葉の重さを、貴族たちは知っている。
「被告人ギルバートは、『大貴族不可侵令』の庇護の下、八百年にわたり禁呪の研究を続けていた。その過程で、少なくとも十二名の実験体が犠牲になったことが、押収された研究記録から判明している」
議場に、どよめきが広がった。
ギルバートは、無表情のまま座っている。
「弁明の機会を与える。被告人、何か言うことは」
議長の問いかけに、ギルバートがゆっくりと立ち上がった。
「一つだけ、言わせてもらおう」
その声は、かすれていた。だが、威厳は失われていない。
「私は、王国のために働いてきた。八百年の歴史を持つギルバート家は、常に王国の柱石だった。その私を、こんな茶番で裁こうというのか」
「茶番?」
エドワルドが、冷たく問い返した。
「証拠は全て揃っている。君の署名入りの命令書。金の流れ。研究記録。——何が茶番だ」
「証拠?」
ギルバートが、嘲笑った。
「証拠など、いくらでも捏造できる。問題は、誰がこの王国を動かしてきたかだ。私がいなければ、この国は——」
「動く」
静かな声が、議場に響いた。
全員の視線が、傍聴席に向いた。
聖司が、立ち上がっていた。
「発言を許可していないぞ、代書人」
議長席のエドワルドが、形式的に制止した。だが、その目は笑っている。
「失礼。だが、一つだけ訂正させてくれ」
聖司は、ギルバートを見据えた。
「あんたは『自分がいなければ国は動かない』と言った。——それは、傲慢だ」
「何だと」
「国を動かすのは、一人の権力者じゃない。法だ。制度だ。そして、その制度を日々運用する無数の人々だ」
聖司は、議場を見回した。
「あんたがやっていたのは、国を動かすことじゃない。国を『私物化』していただけだ。法の抜け穴を使い、特権を盾に、自分の利益のために国家機構を利用していた」
「……」
「あんたがいなくなっても、国は動く。むしろ、あんたがいなくなった方が、まともに動く。——それを証明するのが、今日採決される新憲法だ」
ギルバートの顔が、歪んだ。
「代書人……貴様……」
「座れ、ギルバート」
エドワルドが、冷たく命じた。
「弁明の時間は終わりだ。——採決に移る」
弾劾決議の採決が行われた。
賛成、百十二。
反対、二十三。
棄権、八。
圧倒的多数で、ギルバートの弾劾が可決された。
衛兵がギルバートを連行していく。
その背中を、聖司は静かに見送った。
休憩を挟んで、第二の議題——新憲法草案の審議が始まった。
エドワルドが、壇上に立った。
「諸君。これから審議する新憲法は、王国の未来を決める法だ」
彼の手には、羊皮紙の束が握られている。
聖司と共に書き上げた、新憲法草案。
「まず、明確にしておく。この憲法は、『国民が守るルール』ではない」
議場が、ざわめいた。
「これは、『権力者が守るルール』だ。王も、貴族も、官吏も——全ての権力を持つ者が、この憲法に縛られる」
「つまり、権力への『首輪』だ」
エドワルドの言葉に、貴族たちの表情が強張った。
「反対だ」
一人の老貴族が、立ち上がった。
ヴェルナー・フォン・ホーエンシュタイン。守旧派の重鎮だ。
「この憲法は、貴族の権限を著しく制限している。我々の先祖が血を流して勝ち取った特権を、一片の紙切れで奪おうというのか」
「特権?」
エドワルドが、静かに問い返した。
「ホーエンシュタイン卿。あなたの言う『特権』とは、何だ」
「無論、裁判権、徴税権、領民に対する——」
「それは『権利』ではない。『責任』だ」
エドワルドの声が、鋭くなった。
「裁判権は、公正な裁きを行う責任だ。徴税権は、領民のために税を使う責任だ。それを『特権』と呼び、私利私欲のために使ってきたから——ギルバートのような男が生まれた」
議場が、静まり返った。
エドワルドは、続けた。
「この憲法は、権力を奪うものではない。権力を『正しく使わせる』ためのものだ」
「権力者が暴走しないように、歯止めをかける。それが、立憲主義の本質だ」
彼は、聖司のいる傍聴席を見た。
「この原則を教えてくれたのは、あの代書人だ。彼は言った。『法は人を守るためにある。権力者を縛るためにある』と」
審議は、深夜まで続いた。
条文の一つ一つが、議論された。
修正案が出され、採決され、否決され、また修正された。
聖司は、その全てを傍聴席から見守っていた。
イリアは、途中で眠ってしまった。バルザックの肩にもたれかかっている。
バルザックが、小声で聞いた。
「お前、よく飽きないな」
「飽きない。これが、法が生まれる瞬間だ」
「法が生まれる?」
「ああ。今、あの議場で議論されている一言一句が、これから何百年もこの国を縛る。——その瞬間を、見逃すわけにはいかない」
夜明け前。
ついに、最終採決の時が来た。
エドワルドが、疲労の滲む声で宣言した。
「王国新憲法草案について、採決を行う。賛成の諸君は、起立を」
沈黙が、議場を包んだ。
最初に立ち上がったのは、若い貴族だった。
次に、中堅の貴族が数人。
そして——徐々に、起立する者が増えていった。
最後まで座っていた守旧派の老貴族たちも、一人、また一人と立ち上がった。
ホーエンシュタインも、苦い顔で立ち上がった。
議場の大半が、立っていた。
「賛成、百二十八。反対、十五。——可決」
エドワルドの声が、議場に響いた。
拍手が起こった。
最初は小さく、やがて大きなうねりとなって、議場を包んだ。
聖司は、静かに立ち上がった。
眠っていたイリアが、目を覚ました。
「先生……? 終わったんですか……?」
「ああ。終わった」
聖司は、議場を見下ろした。
歴史が、動いた瞬間だった。
議場の外で、エドワルドが聖司に近づいてきた。
「湊。感謝する」
「俺は何もしていない。あんたが、やり遂げたんだ」
「謙遜するな。お前がいなければ、この憲法は生まれなかった」
エドワルドは、窓の外を見た。
夜明けの光が、王都を照らし始めている。
「これで、権力者に『首輪』がついた。王も、貴族も、官吏も——誰もが、法の下に立つ」
「ああ。だが、首輪は付けただけでは意味がない」
「分かっている。運用だ。この憲法を、きちんと機能させなければならない」
エドワルドは、聖司を見た。
「手伝ってくれるか」
「……俺は、行政書士だ。国政に関わるのは、俺の仕事じゃない」
「だが、法の番人ではあるだろう」
「……」
「この国には、お前のような人間が必要だ。権力に媚びず、法の原則を貫く人間が」
聖司は、しばらく黙っていた。
やがて、小さく笑った。
「俺は、ミサト市に帰る。あそこで、依頼人のために書類を書く。——それが、俺の仕事だ」
「そうか」
「だが、もし法が歪められそうになったら——その時は、また呼んでくれ。どこへでも行く」
エドワルドは、頷いた。
「約束だ」
聖司は、議事堂を後にした。
イリアとバルザックが、後に続く。
朝日が、王都の街並みを黄金色に染めていた。
「先生」
イリアが、聖司の隣に並んだ。
「新憲法、可決されましたね」
「ああ」
「これで、この国は変わりますか」
「変わる。——いや、変えなければならない」
聖司は、空を見上げた。
「法は、作っただけでは意味がない。運用して、守って、必要なら改正して。——そうやって、少しずつ良くしていくものだ」
「大変ですね」
「大変だ。だが、それが法と共に生きるということだ」
聖司は、歩き出した。
「さあ、帰ろう。ミサト市で、依頼人が待っている」
第16話 完
次回予告
第17話「帰還——または、変わらない日常について」
「先生、お帰りなさい!」
「ああ、ただいま。——留守中、何か変わったことは?」
「依頼が山積みです。営業許可、相続相談、土地の登記……」
「よし。じゃあ、さっそく仕事だ」
——新憲法を作り上げた聖司。
だが、彼の本当の居場所は、王宮ではない。
小さな事務所で、依頼人のために書類を書く。それが、行政書士の日常。




